東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

3月2日は「遠山の金さんの日」だそうです

天保11年(1840)3月2日、
遠山左衛門尉景元(47歳)が勘定奉行から北町奉行に就任した
ことから、本日は金さんの日とされているようです(笑)。

後世ではもちろん天下の名奉行として名高い遠山ですが、
江戸時代の評判はというと、
幕臣大谷木忠醇「醇堂叢書」によると
「筒井はまず根岸以来の市尹(町奉行)にて、
此の両人よく大岡を真似て捌(さ)ばきたりと見ゆ。遠山は然らず、
別に一機軸を為すの形迹(せき)ありて存ぜり」とあります。

江戸の名奉行といえば大岡以降では、根岸、筒井とあるが
この二人は大岡の真似である。
遠山は彼らとは違う名奉行であった、と評している。
名奉行という評判を決定的にしたのは、江戸庶民ではなく12代将軍家慶。
公事上聴という、寺社奉行、町奉行、勘定奉行に将軍上覧の席で仕事ぶりを
披露するイベントがあり、
その場で遠山は二つの訴訟を見事に裁いたという。
(ちなみにこの時寺社奉行として阿部正弘も登場。
老中抜擢のきっかけになったそうな)
こういうわけで遠山奉行は在任当時から
有能な町奉行だったとされております。
(参考:藤田覚著『遠山金四郎の時代』)
このほか、天保の改革でさまざまな娯楽施設が潰されそうになるなか、
町奉行の遠山はこれに反対し、町人の人気を博することも大きなポイントと
なって、やがて遠山の金さん伝説がつくられていったのでありましょう。

そんなわけで、
本日は城でも市井でも大評判だった
遠山左衛門尉景元を偲ぶことにいたしましょう☆
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Commented by 早々 at 2010-03-02 22:58 x
遠山左衛門尉景元 確か北町奉行でしたよね。会社勤めの帰り
東京駅八重洲北口にある、北町奉行所跡の前を毎日通りました。
東京駅周辺の変容は眼を見張るようです。
阿部正弘は寺社奉行から老中首座になったのですね。阿部正弘の方が好みですが。
ところで金さんって本当に桜の刺青をしていたのですか?
Commented by はな。 at 2010-03-03 09:55 x
早々さん、こんにちは!
遠山は一度町奉行職を追われますが(鳥居耀蔵によって)、その後弘化年間に再び南町奉行としてカンバックします(笑)。両町奉行をやった人はけっこう珍しい?と思います。
(ちなみにカンバックさせたのは阿部正弘であります。遠山は天保の改革に絶望した後、阿部派の重要な側近となり、鳥居追放に大活躍しました)

>金さんって本当に桜の刺青をしていたのですか?
本人の記録には彫り物をしていたという話はないようですが、
一説には「女の生首」の彫り物をしていたといいます。
彫り物の有無ははっきりしませんが、遠山はどういうわけか他人に肌を隠し、暑い日にも袖を長くしたままだったということです。
by aroe-happyq | 2010-03-02 14:48 | ほんの世間話 | Comments(2)

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