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東都アロエ

吉田常吉著『安政の大獄』

暑すぎて長い文章がかけず、なかなかまともな記事がUPできて
おりませんが、いいかげんひとつぐらいはがんばれよと(笑)。
そんなわけで、夏に不似合いな重いタイトルで失礼いたしますっっ。

安政の大獄に関する本というと手に取りやすいのは、
中公新書の松岡英夫著『安政の大獄』だと思うのですが、
こちら、入門書としてはよいと思うのですが、
大獄が起こる前段階の安政年間の政治状況を深く知りたい場合は、
この吉田氏の『安政の大獄』(吉川弘文館)が最適です。
ただ・・・・・・内容が濃いので図書館で借りても期限内に読み切れない、
(老中リスト片手ではないと、途中でいささか混乱する詳細さ)
さりとて購入するには高価な一冊で、なかなか厄介な本です。
でも読む価値はすごくありました!





吉田氏は東京大学史料編纂所で『井伊家史料』を編纂され、
『井伊直弼』(吉川弘文館・人物叢書)などの著作もある、
井伊家史料に精通されている研究者ですので、井伊直弼側の史料が
ふんだんに使われていて、弘化~安政年間の柳営の政治状況を多面的に
解説してくださり、わかりやすいのです。

しかも井伊家史料に精通されておられ、人物叢書『井伊直弼』を書かれた手前、
てっきり直弼擁護かと思いきや、

直弼には異論に耳を傾ける寛容さはなく、仮借なく責め立てて処断した。
名宰相と称された前代の阿部正弘と雲泥の相違であった。


と容赦なくバッサリ(笑)。

あれもこれも詳しく書きたいのは山々ですが、やはり本というものは
こんなへなちょこ解説で読んだ気になるのではなく、
自分の眼で内容を確かめていただきたい!
ということで、ほんの1箇所だけ触れつつ、この本の面白さが伝わればいいなと
思います。

超名門大名グループ「溜間詰」筆頭井伊直弼と、
中堅大名チーム代表・老中首座・阿部正弘との暗闘は弘化年間からはじまっておりました。
井伊直弼的な大きなきっかけは、弘化4年に彦根藩に相州海防警備の幕命が下ったこと。
超名門大名として京都守護の密命をこうむった家柄を自負してきた井伊家にとって、
たかが海防警備というのは、侮辱のなにものでもなかった。
当時世子だった直弼は憤激して、阿部正弘に対して後々までこの件を根に持った。
しかも警備についた当初、彦根の警備がショボかったため「赤備え」を「お祭り備え」
と揶揄されたという(この警備に関しては直弼が藩主になって徹底して改められるに至る)。

島津斉彬など「外様」大名と親交を深める阿部に対し、ますます井伊は反感をもち、
溜間詰グループの一部と共に阿部政権に圧力をかけはじめる。

・・・とここまではほかの本でも眼にする内容なのですが。

この本では『井伊家史料』から「堀割一件」という事件が紹介されております。

小浜藩主酒井忠義(元京都所司代)の発案で、敦賀と湖北の間に運河を
新設するか否かが問題となった。
許可へと動いたのが、阿部正弘と彼らの抜擢した有能な官吏たち、
そして運河ができることによって彦根を通る北国街道の衰退を阻止したい、
つまり運河反対の井伊直弼とそのグループが対立する。

結論からいうと、この運河は安政4年12月に完成にいたりました。
途中、安政2年には阿正弘は溜間詰の圧力で老中次席におりましたが、
この年、勘定奉行松平近直、川路聖謨、水野忠徳、目付岩瀬忠震や大久保忠寛らは
かわって首座についた溜間詰の堀田正睦を完全シカトし、
また井伊直弼に一切進行状況が漏れないように、運河実現を成し遂げてしまう。
その「機密」の徹底はすさまじいもので、勘定方にも目付にも井伊派がいたにも
かかわらず、井伊側に一切が漏れず、従って井伊直弼は圧力をかけて阻止する
ことがまったくできなかったという。
(恐るべし、阿部派官吏の鉄の結束!他の案件ではあんなに仲違いしているのに・笑)
そんな井伊直弼が嫌いだったのね、みたいな。


安政の大獄というと、将軍後継者問題と条約調印(勅許なし)問題が原因
とされていますが、まさかこんな事件が隠れていたとは!
・・・・・・井伊直弼個人的にはこの「堀割一件」かなりキてたみたいです。
(堀割+調印問題というダブルで井伊に目をつけられた岩瀬が「死罪」にしたい
ぐらい憎まれてもしょうがないかもしれない。なにせ器の小さい男だもの、直弼さん)


この本は大獄のいわば本題の「将軍後継者問題」についても
朝廷側の史料を丁寧に紐解いて解説しているので、すごく面白いです!!!
そちらはぜひぜひ本のほうで味わっていただきたいです。
(一橋派がなぜ京都から戻ってきてのんびりしていたかも、よーくわかりました!
もう勝ったものと思っていた・・・・・・のね、みたいな)

安政政治史、なかなかダイナミックです。
(このあと、直弼君の大獄のおかげで幕政がショボくれてしまいますので余計に?)
そして阿部の抜擢した、
勘定奉行松平近直、川路聖謨、水野忠徳、目付岩瀬忠震や大久保忠寛は
(注:永井とか堀さんは地方に赴任ちう)
やはり出来る男たちなんですね☆
そして彼らが大活躍した安政2年~3年頃
(ワタクシが勝手にゴールデンエイジと名付けている日々です)
にますます興味津々です。


最後に一言、毒。

・・・・・・人物叢書書いた人にまでダメだしされる井伊直弼って、マジでダメくない?・笑
Commented by 早々 at 2010-08-23 15:01 x
井伊直弼 どうも好きになれない人物でしたけど、本当に器が小さいですね。阿部正弘の名宰相振りが否が応でも目立ちますね。
Commented by M子 at 2010-08-23 21:53 x
暑い中、面白い記事ありがとうございました!勉強になります~。

伊井直弼の狭量の部分が幕府崩壊を早めたような気がしますね結局。
あれぐらい剛直な人じゃないと激動のときは乗り越えられないのは分かりますが、
自分の嫌いな人物を自分がいかに取り込めるかが難局を乗り切れる
分水嶺になる見本みたいだなーと思いました(作文んん?)
Commented by はな。 at 2010-08-24 10:14 x
早々さん、おっしゃるとおり誰がどう弁明しても、井伊さんの度量の狭さは明白のようです(笑)。
阿部正弘も欠点もあるし完璧ではありませんが、器は大きい人で、一国を動かす宰相としての器量をそなえていたと思います。
Commented by はな。 at 2010-08-24 10:31 x
M子さん、楽しんでいただけて嬉しいです☆
>あれぐらい剛直な人じゃないと激動のときは乗り越えられない
この本とは離れますが、当時の政治中枢以外の人々(たとえば長崎にいた勝さんとか・笑)は井伊大老の出現に大いに期待していたりしていて、世論と実際の政治の現場との温度差を感じました。でも政治って意外にこういうものなのかもしれません。

ただ・・・人付き合いが悪く、人前で演説もできないかわりに、名門風を吹かせて「自分が立たなきゃ幕府は終わる」みたいな勝手な使命感を持ち、こっそり大奥や奥に多数派工作をかけて支持を広げ将軍を囲い込み、しかし柳営の官吏から「無能」呼ばわりされていた、そんな大老はできれば登場してほしくなかったなぁと・・・。ついついため息がでちゃいます(涙)。
そして安政の大獄では橋本左内も吉田松陰も、まさか死罪になるなんて思いもしていなかったとのこと(量刑によると流罪レベルと踏んでいたよし)。彼らは完全にとばっちりをくらったので、本当に気の毒です~~~っっ。
by aroe-happyq | 2010-08-21 11:37 | 外国奉行ズ | Comments(4)