2010年 08月 29日
「子孫の語る榎本武揚」@幕末史研究会
3年前に武蔵野大学で榎本隆充氏の講演を聴いているので、
どうしようかな~~と迷ったのですが、結局行ってしまいました(笑)。
講演は、
・生い立ち~獄中時代
・官僚・閣僚時代
・晩年・向島時代
の三部構成でした。
内容は榎本武揚の書簡を中心にして、
「その時の武揚の心情」に迫ったもので、たいへん興味深く拝聴いたしました。
書簡は刊行されている書簡集のほか、所有されている未公開の書簡も含まれて
おりました。
(以前、kotoさんのブログでも書かれておりましたがロシア公使時代の
未公開書簡についてはひょっとすると刊行もあるようなお話でした)
さてなかでも面白かったのが向島時代のお話でした。
『華族』という本から、武揚次男の春之助揚武さんへのインタビューが
引用されてまして、
お家といえば、妙な習慣がありました。
土曜の晩には五稜郭のころの連中が20人くらい、しじゅう来ました。
それがそろいの浴衣をこしらえておきましてね、家に来るとその浴衣に
着かえる。昔の人は芸人が多くて、長唄やなんか得意ですから、
芸者を呼びまして、大槻如電なんて人が来て、踊るんです。
すごい!
・・・とんだサタデーナイトです!
つか、
そろいの浴衣とわ(笑)
・・・・・・さすが!!!としか言いようがないっっ。
やってくれますね!!五稜郭ズ!!!
そしてなにげに大槻如電・・・・・(爆)
ところで、『向島墨堤夜話』も引用されておりましたが、
むむ、榎本隆充氏にはこの本を読まれるまで向島榎本邸の場所をご存じなかったよし。
実は、すみだ郷土文化資料館の2F展示の地図にはかなり昔から
榎本邸の表示があり、また同館で販売されている「すみだ文化財マップ」(150円)
にもがっちり載っておりますデス☆
ちなみにそれをもとに訪ねた記事→こちら
ので、釜さんファンはこちらも参考にされて、訪ねてみてみてくださいまし♪
今回で2度、子孫の語る榎本武揚の講演を聴きまして、
ひじょうに面白かったのですが、しかしさらに知識欲が出まして、
そろそろ第三者の榎本武揚研究者が登場してくれないものだろうかと。
客観的な立場から考察された研究成果も聞いてみたい・・・・・・と思うのですが、
どこかにいないものだろうか!?釜さんマニアな研究者さんは!????(笑)
・・・・・・岩瀬や永井に関してはマジでいなさそうなので(号泣)、
せめて幕臣のスーパースター江戸っ子釜さんぐらいには
そういう研究者がいてほしいです☆
今回、修羅場&金欠で行けなかったKotoでございます(TT)
はな。さん来るなら、無理してでも行けば良かった~
そろいの浴衣‥
いい年のオッサ‥いえ、熟年男子達が、仲良しで良いことです♪
その雑誌、私も講座の時見せてもらったような。
あまり長く見ていられなかったので、鍋兄ちゃんの記事くらいしか覚えが有りませぬ(泣)
「第三者の釜さん研究者」ですけど、釜さん講座にいましたよ~
若いお兄さんで、確か箱館奉行所の除幕式にも参加しに行ったハズ。
『榎本武揚研究者』って、肩書きでした。
その内、はな。さんも遭遇されるんじゃないですかね。
私も漫画描かせて欲しくて、方々に働きかけてるんですけど、なかなか‥
同人ででもやっとけみたいな反応ばっかりです(ケッ☆)
でも負けない!
という訳で(?)
また近々メールお送りします(^^;)
>そしてなにげに大槻如雷
そ、それはもしかして大槻如電ではありませんか?漢学者の。
でも、だとしたら凄い!踊る大槻如電(笑)。
弟の文彦の視点だと、威厳に満ちた(=偏屈で)怖い兄というイメージですが、奇行癖があったとも言いますから不思議でもないのかも・・・。
>いい年のオッサ‥いえ、熟年男子達が、仲良しで良いことです♪
もうホントに☆
彼ららしいです!
>「第三者の釜さん研究者」ですけど、釜さん講座にいましたよ~
いやーそれは吉報です!!!
早くその方の研究が進み、講演をやってほしいです♪♪
>同人ででもやっとけみたいな反応ばっかりです(ケッ☆)
うむむ~~っっ。道は険しいかと思いますが、
kotoさん、応援していますよ!!
>如雷
ぎゃーっ。
コメントみるまで、「電」で打ったつもりになってました(汗)。
謹んで訂正させていただきました!
で、そうです、あの大槻盤渓のお子さんです!!!
踊れたのか!!と驚きました(笑)。
漢学者が踊り、釜さんは端唄を唄い・・・・・・ってまったくどんだけ楽しそうな宴会だよ!と思いました。
早速のレポ、ありがとうございます。
オッサンたちがそろいの浴衣でサタデーナイトフィーバー!
いや~、とっても楽しそうですね。
ホントに明るい人たちですねっ。チーム蝦夷!
釜さんエピソードは、政界も引退して悠々自適の生活をしていたせいか、向島時代のものが実に釜さんらしいというか、ほのぼのとしていて楽しいですね。
江戸ッ子のスーパースター釜さん、残念ながら関西方面ではほとんど取り上げられることがないので、講演会などは他人様のレポだけが頼りです~。
新たな釜さん研究者、未公開書簡集、どちらも楽しみに待ち望んでおります。
紹介されたエピソードはほぼ即出のものでしたので割愛させて
いただきました☆
>ホントに明るい人たちですねっ。チーム蝦夷!
この明るさが江戸の旧幕臣のパワーです(笑)。
>残念ながら関西方面ではほとんど取り上げられることがない
関東でもそうそうありません(涙)っっ。
細々と応援していくしかなさそうです~~~~。
そして、おかえりなさいまし。
わしです。
四代目の講演、レポートをありがとうございます。
>釜さんは端唄を唄い・・・・・・ってまったくどんだけ楽しそうな宴会だよ!
お屋敷の場所はピンポイントで判りましたが、当時の建物の様子、たたずまいが判りません。貧富の差が激しかった時代の事ですから、そりゃあそれなりにデカかったんでしょうが……。
さて、
今週の「わしブログ」に関連記事を書かせて頂きました。
勝手に引用しちゃいましたが、スミマセン。
ブログのほうも拝見させていただきました☆
ところでこちらのコメント欄で失礼いたしますが、
釜さんの端唄・都々逸・小唄の素養の下地は、獄中時代より前の、ひょっとして幕末に築地軍艦繰練所に勤めている際にすでに出来つつあったのでは?という気がいたします。
というのも繰練所のそば銀座8丁目あたりですが、金春芸者(のちに新橋芸者の核となる)が名を馳せた花街がありまして、柳橋のように旗本や町方與力・相撲などが御用達という格の高いほうからしますとやや格下ですが、その分リーズナブルに気取らずに遊べるところがありました。
繰練所の同僚・稽古人と共に銀座あたりの料理茶屋や船宿で懇親会など開催していても不思議ではありませんし、声と共にすごく耳のセンスも良いと思われる榎本さんなら、ちょっと聞きかじれば唄真似から入って、いつしか曲をマスターしてしまってもおかしくないような。
とはいえ「とんでもない、金春芸者なんか相手にするもんか、地元下谷の柳橋だよ」とご本人に叱られるかもしれないですケド。