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東都アロエ

中根市之丞がひそかに?

永井玄蕃頭がアクセスランキング上位にのぼってから、
なにげに注視している、うちのブログアクセスキーワードランキング。

ここ数日、異変が!(笑)

2位 永井玄蕃頭 (8位にも永井玄蕃)


3位 中根市之丞



うちってなぜか1位はだいたいひこにゃんだったりするのですが(爆笑)、
3位に悲劇の御使番中根市之丞が浮上です。

うちのブログでは家老(死亡時には用人)千原栄さん絡みで
紹介しただけなのですが、
その主君中根市之丞が世間では注目されているようです。

注目ついでに捕捉。

28歳の若さで殺害されてしまった中根市之丞には子がなかったので、
元治元年7月13日、徳川公儀は「非常に死せるを憐れみ」格別の配慮で
仮養子渡辺錬次郎をして中根家を継がせたそうです。
死後の仮養子なんて通常ではありえませんが、この場合は事情が事情なので。
(だってもう、立派な殉職ですから)

さてこの2位の永井と3位の中根には共通点があります。
それはどちらも長州訊問使(詰問使)になったこと(笑)。
永井なぞは2度も行かされましたですから。
(2度めは別の人のほうがよかったと思うのですが。木村芥舟さんのいうように
水野痴雲さんとかネ)
その永井が長州について語っている珍しい記録があります。
肥後藩京都留守居役上田久兵衛の藩庁宛書簡(慶応元年10月20日)にあります。
(宮地正人編『幕末京都の政局と朝廷』P193)

一体長防之御征伐を手近く申せハ、
親之仇二追々廻り逢ひ、不手際ニて討損シ候共、
迚も不討ニ済候訳ハ無之候


温厚な永井にしても、
長州は親の仇も同然らしい(笑)

永井の場合、肥後の上田久兵衛のさぐりをはぐらかすことも
あるので、ハッタリか?とも思えるけれど、ハッタリにみせかけて
本音を言うこともしばしばの人なので、言葉どおりには受け止められないけど、
まったくの嘘でもないので、ややこしい。
しかし幕臣のなかにくすぶる本音はこういうものだったような気がします。
(その割にあのやる気のない討伐軍はどゆこと!?ですけど・笑)

江戸の切り絵図にみえる、あの完膚無きまでにさら地にされた元の長州藩藩邸跡
をみれば、徳川の怒りや憎しみはコワイほどよくわかりますけどネ(汗)。



てゆーか、中根市之丞さんが注目されるのはよいけれど、
ワタクシとしては千原栄(44歳)の篤き忠義の心のほうがむしろ、
大好物なんだけど・・・・・・。
千原栄と中根市之丞の物語なんて、
歌舞伎にしたら、かなり泣けそうですよ~~~~。
(想像してすでにほろり・・・笑)
Commented by kazuo at 2010-10-20 23:50 x
中根市之丞の事を取り上げて頂き、子孫として御礼申し上げます。幕末史が単なる英雄列伝ではなく、社会科学的に分析されることを願っております。
Commented by はな。 at 2010-10-21 10:45 x
kazuoさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
中根市之丞について、いささか中途半端な取り上げ方で、申し訳ありませんっっ。
仰いますとおり、いまだに維新の勝者の歴史ばかりがもてはやされており、明日への道に迷う現代の日本にとって、それはあまり良いこととは思えません。
明治元年からすでに140年。
幕末に起きた出来事を、勝者・敗者と分けるのではなく、平等な観点から冷静に分析する時期にきていると思います。そしてそこにみえてくるものに、将来の日本に役立つヒントがたくさん詰まっているようにも思えます。
by aroe-happyq | 2010-10-18 10:39 | ほんの世間話 | Comments(2)