2010年 11月 13日
市ヶ谷散歩 八幡~浄瑠璃坂~中根坂~試衛館
中根邸と近所ということで、久々に試衛館までいっちゃおうか!と
さらに林氏墓地も行こう♪と盛上がっていたのですが、
墓地公開の11月第1週は友人の披露宴出席の準備(ン年振りだったんですヨ、
そういう晴れの場に行くのが・笑)で散歩どころではなく、
やむおえず、墓地抜きコースで今週行ってまいりましたです☆
スタートは、市ヶ谷見附こと市ヶ谷橋。
市ヶ谷の地名の由来って、①市ヶ谷孫四郎の領地だった説、
②市が立ったので「市買」→「いちがや」となった説
なんてのがあるんですね! し・・・知らなかった~~(笑)。
この説明版にあるようにこのあたり、江戸のころから桜の名所で
市ヶ谷八幡&花見というのは定番コースでした。
でその八幡さまにご挨拶。
東京の地形の面白いところは、平坦な土地にいきなりこのように
崖か!?と思うほどの高台があるところ(笑)。
階段をのぼってなんとか、本殿がみえてまいりました。
写真では見切れておりますが、ここの鳥居は文化元年建造の銅鳥居で、
「八幡宮」という文字は酒井雅楽頭忠道の筆によるものとのことです。
また傷みがひどくて非公開ながら、太田道灌の「軍配団扇」があります。
ちなみにこんなに急な階段です(汗)。
ここから飯田橋方面へ靖国通りを歩くと、
ソニーミュージックビルの片隅に、それはあります。
つまりここは江戸の消防暑第一号というわけですね。
「明暦の大火」(1657年)のあとに、四代将軍家綱のよってつくられました。
定火消役の旗本、与力6人、同心30人、火消人足100人という組織で、
火事に備えてこの場所に詰めておりました。
ちなみに江戸には「定火消」のあと、「奉書火消」「大名火消」「町火消」
が増やされていったそうな。そりゃそうですね。1箇所じゃとても・・・・・・。
浄瑠璃坂といえば!!浄瑠璃坂の仇討です!!
江戸三大仇討ちのひとつ。
宇都宮藩家老奥平内蔵充(くらのすけ)が同僚の奥平隼人と刃傷沙汰を
起こして切腹。
その4年後寛文12年(1672)、これを恨みにおもった内蔵充の子源八が
仲間と共に隼人を討った、というものです。
「忠臣蔵」に比べると地味ですが、逆に大勢で徒党を組んでの赤穂浪士の
仇討ちのほうがいささかクレージーで(笑)、本来仇討ちというものは
浄瑠璃坂のこの事件ぐらいに「こそっ」としたぐらいがちょうどよいのであります。
鼠しか通れないぐらいの細い坂ということで、「鼠坂」というそうです。
浄瑠璃坂をのぼりきって、鼠坂を下りると、いよいよあのお宅です☆
中根坂。
そうです、あの中根市之丞のお屋敷があったから、中根坂。
中根市之丞については、こちらやこちら
幕府の使節として長州へ行き、当地で殺害された悲劇の青年旗本さんです。
こちらの中根さん。
いままで訪ねた旗本屋敷で最大級です!
さすが大身旗本!!!
坂に名前も付きますです。
(ご近所の尾張屋敷がまたバカでかいので、小さげにみえるのですが、
いやいや、ご立派な住まいでいらっしゃいます)
で、今はというと。
大日本印刷の中央部分になっております(笑)。
それにしても大きい~~~~~~~~~。
ちょっとしばし、立ち尽くしておりました。
で、ここからわりと近くのあの場所へ。
途中にある「長屋門住宅」。
長屋門とは武家屋敷やいわゆる豪農のお屋敷にみられる門の形式で、
門の両側が長屋になっている(そこには家臣や下男が住む)。
こちらは幕末の御殿医だった人の住まいだそうです。
現在でも住んでいる方がおりますので、そーっと撮影させていただきました。
で、この住宅のすぐ前。ファンの方ならこの写真だけでわかりますでしょうか♪
ちょっと横丁にはいると、そこは試衛館跡。
前回(2年前)にいったおりには新選組ののぼりなどが立っていたのですが、
ただいま建築中で、いやはやなんとも・・・・・・。
建築現場なので、ガードマンのおじさんが立ってて「史跡めぐりですか?」
とにこやかに尋ねられてしまひました(笑)。
奥のほうは、老人ホーム建設予定地みたいでした。
今回驚いたのは、中根邸と試衛館の距離。・・・・・・近かった・・・・・・。
間違いなく、市ヶ谷方面から戻ってくる試衛館のみなさんは中根坂を通ったり
しましたね(笑)。交流のほどはわかりませんが、ご近所さん感覚があった
と思われます。
ということは、中根市之丞の災難を京都で聞いた試衛館のみなさんは
「あの中根さんが・・・・・・。おいたわしいことだ」とショックを受けた
かもしれません。
しかもそれからしばらくして、大目付永井主水正の家来として、
長州糺問使の一員となるとは。
近藤勇も運命のいたずらに驚いたのでは(笑)。
以上で散歩はおしまいです。
尻切れトンボ感は否めませんが、林氏墓地(といっても再訪ですけど)
がないぶん、こんなかな~~~~と(笑)。
なにせこの界隈、ちょっと大通りに出ると、
旧尾張屋敷こと防衛省がありますので、APECのおかげでヘリは飛び交う、
警官はいっぱい、検問もある等々じつに物々しき様子でした。
そんななか、わたくし以外に史跡散歩に興じている人々がおりました。
浄瑠璃坂でガイド本をもって歩いている二人連れ、試衛館そばにおひとり。
お味方と出会い、なんとも嬉しい市ヶ谷散歩でした☆
中根坂は通りましたが、お恥ずかしいのですが中根市之丞ははな。さんのブログで初めて知った次第です。市谷八幡は通らず、兎に角試衛館だけを目的としたため、長屋門住宅もスルーでした。尾張藩が印刷局とは知らず、去年の事業仕分けを観に行きました。知らないことはおそろしいですね。通ったのにスルーしてしまうのですから。でもこのブログで勉強させていただいております。
ワタシも前に試衛館に行ったときは林氏墓地のついで(汗)だったので、あまり市ヶ谷を堪能しませんでした。
江戸の切り図絵をみて、中根さん宅があまりに大きかったのに驚いて市ヶ谷再訪を思い立った次第。思えば中根さんのおかげです(笑)。
いつでも行けると思うと、なかなか行かないという悪い癖がここにも出ておりますっっ。
今回の鶴岡八幡や浄瑠璃坂、中根坂を歩きながら「ここ、彼らも歩いていたんだな」と妙に試衛館ズのことを想いました。なんだかそういう息吹のある場所ばかりで。
そして坂が多いので、ただ歩くだけで足腰は確実に鍛えられる、市ヶ谷です(爆)。
さらに、こんな近いので、中根家家来の誰か一人ぐらい、試衛館に習いに来てなかっただろうか~とか、いろいろ想像しつつ(笑)。
>勝太先生が宗次郎連れて、とか(笑)肩車して、とか(笑)
絶対に観に行ってましたよねっっ!なにせ引き回しはかなりのイベントだったですし(笑)。帰りに菓子なんか買って帰ったりして。