2011年 05月 20日
巣鴨散策① 辰五郎墓~慶喜邸
きっかけは数年前に購入した『女聞き書き 徳川慶喜残照』を
久々に読み返したため(笑)。
前に読んだときは初心者だったため、慶喜のことよりも
ここに書かれている大名の暮らしに興味があったのですが、
今回はがっつりと慶喜情報を再確認。
明治期の慶喜を知るにはホントにたよりになる一冊です♪
でこの本で気になった箇所があったので、さっそく巣鴨へ♪
スタートは都営三田線「西巣鴨駅」。
A4出口エレベーターで地上に出て、
かつての大都映画巣鴨撮影所跡(現・朝日中学校ほか)の塀に沿って
巣鴨方向へ進みます。
最初に目指すは、盛雲寺。
こちらには新門辰五郎さんのお墓があります☆
場所は墓地入って右です。
元の名は中村金太郎。飾り職人の忰でしたが、
のちに「を」組の町火消しにして新門の御門番の町田仁右衛門の婿養子になって
町田辰五郎、つまり通称新門の辰五郎が誕生。
若い時分は侠客として、血気盛んで喧嘩早かったのか、
いろいろ騒動を起こし、江戸追放になったりしたのですが(笑)
大親分としてどっしりした頃、いきさつは諸説ありますが
一橋家と縁が出来て、やがて一橋慶喜が京に滞在するようになると
子分(150人とも200人とも)を従えて入京。
『藤岡屋日記』が伝えるところによると、入京の際、
三条大橋で《毛やり》を披露して、京の人々の評判になったとか(笑)
慶喜からは「オヤジ」と呼ばれ親しまれました。
また辰五郎の娘お芳は慶喜の局となったことも有名ですネ
戊辰の年に慶喜に従って上野、水戸、静岡へ移る。
それから数年して東京へ戻り、明治8年に没しました。
(享年は75とも83とも)
『人生の快楽』大内青巒著(大正5年)
『侠客伝』博文館編集局編 (明治43年)を参考にしました
で、オヤジさんに挨拶したんだから、娘さんにも挨拶できないかなーと。
こちらは盛雲寺にほど近い、善養寺。
こちら、辰五郎さんの養家町田家のお墓。
ここに、
法林妙市信女
俗名町田いち 明治43年
行年62才 12月1日歿
という町田いちという人が眠っています。
実はこの町田家のお墓がみつからなくて自分的には初!
お寺の人にヘルプを頼んでしまったのですが(笑)、
そのお寺の人によると「確証はないのですが、この人が辰五郎の娘
といわれていますよ」とのこと。
『女聞き書き 徳川慶喜残照』にこんな一節があります。
「いち」という字もつづりようによっては「芳」ともなるし、
御前(慶喜)ならそれくらいの茶目っ気もありますもの。
歳も合いますしね。(P157)
い
ち
と縦書きすると、「芳」っぽい???(爆)
たしかに慶喜ならやりかねない!!!
そもそも本名でお局さまにはなりませんから、「芳」というのは
一橋家の奥での名前ともいえないくもない。
ということで、勝手ながら辰五郎さんの娘さんとして
手を合わせてきました!
で、この後、いろいろと回って散策的には最後の地でしたが、
辰五郎さんとその娘さんとゆかりがあるので、
ここで紹介しまーすの、巣鴨慶喜邸。
(次回のぱーと2の人々とそれほど接点もないし・笑)
JR巣鴨駅のすぐそば。ローソンの前!(笑)
(つか、チャリンコが邪魔で写真がうまく撮れないし~~~~~)
静岡から東京へ戻ってきて、最初に慶喜が住んでいた
巣鴨邸跡。かなり大きい屋敷だったようです。
水戸からたくさんの梅をもってきて植えたことから、梅屋敷と
呼ばれていたとか☆
東京の郊外でのんびりとした土地で慶喜も気に入っていたようですが、
鉄道がすぐそばにできるときいて、
騒音を嫌って引っ越していったそうです(笑)
というわけで、巣鴨はおばあちゃんの原宿というだけでなく、
不思議と辰五郎や慶喜のゆかりの地でありました♪
次回は江戸の有名人もたくさんいる、巣鴨散策第2弾デス!
実は、杉亨二の墓も、巣鴨近くにあるんですよ。とげぬき地蔵から歩いて5分ほどの、染井霊園です。
とげぬき地蔵に行ってお守りを買って、お線香を買って、地蔵そばを食べて、飴屋さんで金太郎飴を買って、そして染井霊園まで散歩して、最後に杉亨二の墓参り、というのが我が家のお彼岸定番コースでした。
杉家の菩提寺は本郷に別にあるんですが、当家には、杉亨二がお坊さんと喧嘩したため、夫妻だけこの本郷の墓に入らなかった(一説には入れてもらえなかった、とも)という話が伝わっています。……本当なんだかどうだか、大いに怪しいですけど。(笑)
……杉亨二は、徳川慶喜とは特に縁はないんですけどね。駿河には大勢の幕臣と一緒に行ったそうですが、それくらいです。
巣鴨ときいて懐かしくなったので、つい。失礼しました。
実は染井霊園にも行ったのですが、「北海道」の名付け親の松浦武四郎のお墓を訪ねて……そのまま脇道へそれて田沼意次の墓へふら~~~っと行ったきり霊園に戻らず、巣鴨駅に行ってしまいましたっっ。
ホントは杉亨二さんのお墓のある場所の番号もチェックしていたのに(笑)
(いちさんのお墓を探すのにたいへんで、ちょっと今回は霊園散策はギブアップでした・爆)
>杉亨二がお坊さんと喧嘩したため、夫妻だけこの本郷の墓に入らなかった
そんなお話があるのですかっっ(笑)
事の真偽はさておき、貴重なお話を教えていただきありがとうございます!!