2011年 05月 22日
巣鴨散策② 江戸の有名人たち
善養寺の前の道をひたすら巣鴨駅方向へ歩いていくツアーでありました。
まずは、本妙寺へ
門のところに!
いきなり遠山の金さん、ご登場-!
ではあるのですが、
ここは金さんだけでなくけっこうな有名人のお墓があるのです。
そして!!!
この墓参者に優しい、丁寧な地図!!!!
で墓地に入ると、これまた至れり尽くせりな表示→とか↑とか!!
なんて有り難い!!!本妙寺は素敵すぎます♪
で、もちろん、この人から。
日本最初の通詞ではありませんが(通詞の歴史はとっても長くて深い)
多吉郎さんです!!!
外国奉行ファンとしてはこの人にどれだけお世話になっているか!!!
感謝の気持ちをようやくお伝えできました(って遅い!って感じですけど・汗)
で、次は遠山家へ。
どちらかというと金さんの息子さん(遠山金四郎景纂)
に感謝をしたかったのであります。
というのも、嘉永7年正月に岩瀬修理が目付に任命されたとき、
同時に遠山金四郎景纂も目付になって以来、同期ということもあり
親しいやりとりが生まれていました。
(岩瀬家と遠山家のあいだで、西瓜やなにやら贈りあったり・笑)
永井岩之丞(尚志)が長崎に目付として赴任後、
岩瀬が下田に出張しているあいだなど、
永井からの目付宛に同封の私的な手紙は
景纂を通して、永井家に届けられたり……いろいろお世話になったのでした(笑)。
きっと岩瀬は景纂から、いまだに謎の金さん(父・景元)の刺青がどうだったかとか
聞いていそうです(爆)。
しかしこの景纂さんは
安政2年8月27日、城内で急病となり、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
43才という若さで、実にもったいない!!!のであります。
しかし残された、『遠山金四郎日記』の安政初年のパートは
目付ファンにはたまらない、彼らのささやかな日常が
垣間見られるかけがえのない史料です(翻刻あり)。
ところがです!!!
それどころではなくなってしまいました!!!
金さん墓が地震でこんなことにっっ
遠山家墓所自体も細かく壊れていて、立ち入り禁止にっっ
景纂さんだけでなく、
遠山金四郎一家にお見舞いの気持ちで手を合わせてまいりましたっっ
こうなってくるとほかの有名人も心配に。
とくに接点もないので、参るつもりはなかったのですけど(笑)、
千葉先生はご無事でした。
さて、そのまま染井霊園へ向かいました☆
ここもなかなかの迷宮ぶりっっ。
目的地にたどり着けるだろうかっっ、みたいな(笑)
冒険家、そして「北海道」の名付け親こと、
松浦武四郎さんです!
(1種ロ10号 2側)
安政の堀織部正利煕が箱館奉行であった頃、
松浦さんは箱館奉行所に勤めていたこともあり、
これまた勝手に縁を感じて、いつかはこちらに参りたいと思って
おりました。
実はほかに桑名藩主松平定敬公(1種イ4号2側)ほか
いろいろたずねたいところはありましたが、
ついつい横道にそれてしまいました(笑)
こちら霊園すぐそばの勝林寺。
こちら、かの田沼意次公のお墓であります☆
寛政前後については詳しくないのですが、
ちょっと気になる人。
だいたい、後世あまり評判のよくない人のほうが
ホントは割といい仕事をしているケースが多いようなので
田沼さんも評価的にはあまり恵まれていない人として、
ほんのささやかにご挨拶(笑)
ホントはここで染井霊園の迷宮に戻ろうかとも
思ったのですが、こちらの霊園はまたここだけの目的で
あらためて来よう!と思っているので、いずれまた次回としました。
で、そのまま巣鴨駅を越えて慶喜公の邸宅跡をみて(①のほうで紹介済)、
今回の散策は終了といたしました(笑)。
少し体が鈍っていて、これしきで疲れてしまいました。
ううむ、ちょっとリハビリせねばと反省、反省でありました。
長崎で代々幼き頃よりオランダ語を叩き込まれて勉強していた方々に失礼だろうが~~!
「日本最初の英語通辞」……う~ん。これも微妙だしな~。
「日本で外国人たちに一番有名な通辞」でどうでしょう?(^^)
近頃なんだか田沼意次さまが気になります。
♪重商守義だよ 僕は好きだな ♪
♪幕府の財政 いつも火の車 ♪
いやぁ 危険な歌です、一度聞くと二日は鼻唄しちゃう。
ずっぽりはまってリフレイン!
ごちそうさまです(笑)。
森山多吉郎さまのお墓、ご無事でなによりです。
日本の外交をしょって立たれた森山さま、過労死されてもおかしくない状況、度々ですよね。
老けてみえるが、堀さまよりも若いんだよぉって。
長崎奉行だった遠山景晋さまの文を目にして、くーっかっこいいとしびれたことがありました。
光りを放射してくるような、凄みと理がありました。
ど素人にも比較的わかりやすいので、惚れたかも。
好きな幕臣上位五人のうちに入る、かも。
そういやぁ、この人も好きだったとリストが長くなるばかり(笑)
墓参シリーズ、ありがたいです。
>「日本最初の通辞」
こちらの柱は本妙寺さんのオリジナルなので、
わかりやすい目印に免じて許して差し上げましょう(笑)
「幕末随一の通訳」とかなんとか…だったら、
なんとかおさまりそう??
田沼さん、気になっておいでとか!
同志がいてくだすって有り難い!!!
>森山さま、過労死されてもおかしくない状況、度々ですよね。
そうですよー
どんなに体調不良でも条約交渉は待ってくれません(涙)。多吉郎さんもたいへんでしたっっ
>長崎奉行だった遠山景晋さまの文
長崎の博物館で字を拝見し、おおお~~!!これがかの有名な「金さんパパ」か(爆)と。
(東京よりもどちらかというと長崎で大切にされている、金さんパパだったりします・笑)
>リストが長くなるばかり(笑)
同感です!!
どんどん増えています(爆)
でも時代がバラバラでだんだん収集がつかなくなってきておりますっっ
レザノフへの教諭書の草案は奥右筆の屋代弘賢さまでありましたか・・・金さんパパは申し渡した方なのね。
はな。さんお勧めの『徳川後期の学問と政治』、すっごい濃い専門書なので、図書館から借りだしたものの最初のほうをチラ見で放っておりました(汗)。
『武士の評判記』のほうが薄くて、よみやすいんだもん(笑)。
意次さまへの愛情を感じられるし、なんて、えへっ。
なので、図書館で長崎奉行関係を検索。
今借りている本を読み倒したら金さんパパに一歩近づく所存。
目の前の「能吏な幕臣=いい男」というエサにいちいち食いついてしまうのは悲しいサガ?
それとも業が深いの? ♪淺井じゃないけど! ♪
いやいやただの食いしん坊!
>『徳川後期の学問と政治』
うおおお!!チャレンジされておられますか♪♪
たしかに難しい本ですが、開明派旗本ファンには避けて通れぬ道ですので(笑)、ぜひぜひ読破されるよう、祈ってますっっ
>武士の評判記
この本が楽しいのでしたら、ぜひぜひ!!
よしの冊子の、原文(翻刻ありますから♪)のほうをオススメいたします!!!
赤裸々な武家事情が、なんかもうすごいですからっっ(笑)
どんどん食いつくてまいりましょう~~!
史料のなかから知られざる旗本ズの素顔に出逢えたときの快感は、満漢全席のフルコースよりも美味でございますもの☆