東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

ロンドンニュースに登場する水野筑後守

これでもか♪とその人物の様子が外国新聞や滞在記に描写
されて記憶される人物もいれば、まったくそうでない人もいる。

外国奉行筆頭水野筑後守忠徳は、どちらかというと
外国人の記録にその人物の様子があまり残されていないほうの一人です。

やっと登場したか!のゴンチャロフの『日本渡航記』では

もう一人の奉行水野筑後は悧巧そうな顔でもないのに、
怒ったような表情をしていた。


とこんなにあっさりバッサリである。


そんななか、ひょんなところで水野さんをみつけました☆

金井圓訳『描かれた幕末明治
      イラストレイテッドロンドンニュース日本通信1853ー1902』雄松堂


の10P。

イギリス提督スターリング率いるイギリス艦隊が
クリミア戦争中ということで、プチャーチン率いるロシア艦隊を
追いかけて、長崎へ入港したおりの、ニュース。
(新聞では1855年1月13日号ということになっている)

ようやく交渉体制が整い、スターリング一行が上陸、
西役所(※この本では立山役所と書いているが、上陸地点から役所までの
記事の描写をみると、ドー考えても西役所なのだ・汗)
での長崎奉行水野筑後守&目付永井岩之丞と会見した、その時の記事。

知事(長崎奉行のコト)は水野筑後守という名であった。
彼は物静かで、聡明で、顔立ちのいい男で、36歳ぐらいだが、
どちらかといえば中背以下である。
彼は二言三言低いおだやかな声で彼の足許にいる卑賤の者に話しかけた。



水野さんって、
物静かで、聡明で、顔立ちのいい男で、
低いおだやかな声の人だったんですね!


水野さんはお写真を拝見したことはありましたが、
どういう風に話すのか、とかそういうのがわかりませんでしたので、
ロンドンニュースよ、ありがとう!と言いたいです。
(隣にいた永井のほうはスルーです・爆)


ちなみにこのスターリングとの談判は、
誤訳が誤訳を呼んで(笑)、どーいうわけか日英協約まで結ぶことになり、
互いに「良い仕事した」感で終わったという・・・・・・、
不思議な日英の関係史の1ぺージめとなりました(笑)。

 
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Commented by 酒井隠岐守腰元 at 2011-10-19 13:44 x
はな。さん、こんにちは。
お写真を拝見してものびのびにしていた水野さまをお勉強致しました。
>物静かで、聡明で、顔立ちのいい男で、低いおだやかな声の人だったんですね!
勉強のしがいもあるというもの(笑)
ペリーの払った洋銀を金銀座で分析させ、銀素材として1ドル=1分銀とした水野筑後守を老中らがしっかり援護しきれていれば、幕末の物価高も小判流出ももっと抑えられ、幕府の屋台骨も毀れずにすんだかもしれません(号泣)
ハリスとオールコックが手強い水野さまを敵視するなら、公使と対応できるべく外交担当若年寄に引き上げていれば、蹂躙されずにされずにすんだかもね、担当老中の間部くん。

>誤訳が誤訳を呼んで(笑)
で、スターリング提督と応対したのはオランダ通詞?もしかして唐通事?ってあたりもそそられます(笑)
Commented by はな。 at 2011-10-19 17:57 x
酒井隠岐守腰元さん、こんにちは!
>水野筑後守を老中らがしっかり援護しきれていれば
文久以降の老中は・・・・・・どちらかというと使えない人ばかりで、
とくに間部さんは会計帳簿の見方も知らないトホホさんです。
(これが家宣公の腹心間部詮房の弟の子孫かと思うと、まったくもって不甲斐ない・爆)

>オランダ通詞?もしかして唐通事?
素敵な語訳を始めてくれたのは、スターリング側の通訳の「音吉」さんでした。この人は尾張の漁師で少年期に漂流し、イギリスの保護のもと、アメリカの交渉のカードとして日本へ帰国しようとしたこともありましたが、異国船打ち払い令の時代で、モリソン号の船長が手際が悪く、音吉と仲間たちは祖国から砲撃されるという悲しい結果に。以来上海で妻子を持ち、暮していたそうです。スターリングに雇われて長崎に来たわけですが、事情を知った水野筑後守に帰国を促されましたが、上海へ帰っていきました。この彼の微妙~な通訳のおかげで日英協約は成立しました(笑)。
Commented by 酒井隠岐守腰元 at 2011-10-20 13:58 x
さっそくのご教示ありがとうございます!!!
ものすご~く、腑に落ちました!
スターリング提督にとっては棚からぼた餅(?)な展開(笑)
おかげで外交官と後世に紹介され・・・・・・かも。
肩書きが大佐、少将、提督って散見できたのですが、「スタートレック」や「エロイカより」ファンなものでちょっと嬉しかったりして(笑)

水野筑後守及び報告の書状を見たお歴々がこのさい露と英を拮抗させるのも一手かと打ち合わせ、なんて妄想するとわくわくします。
だって後年、対馬に居座ったロシア勢を英国艦隊に追い払わせたりしてるもん(笑)・・・・・・って前島密くんが言ってました。

水野さま、うまいこと誘導したんでしょうね~。
水野筑後守と幕臣のお歴々、大人な展開だと思いました!!
音吉さん、ナイス!
Commented by mizuno_clan at 2011-10-20 14:30
はな。さん、ご無沙汰しておりました。
久方ぶりの水野筑後守忠徳登場ですね。
それにしても「悧巧そうな顔でもないのに……」と「聡明で……」とでは、描写が全く正反対で戸惑います。大学の図書館に『描かれた幕末明治』『日本渡航記』ともに所蔵されていますので、来週閲覧してきます。貴重な資料をありがとうございました。
∞ヘロン
Commented by はな。 at 2011-10-20 17:59 x
酒井隠岐守腰元さん、納得いただけてなによりです♪
実は交渉の途中でスターリングは「なんかおかしいゾ」と展開がヘンなので怪しんだそうですが、音吉さんがどんどん語訳に真実味を加えていったので「ま、いっか」となったようです(笑)。
日本側は最初に提示された英国側の希望を江戸へ送ってその返事を待ったりしてるので・・・・・・途中で「間違いでした」では困るし(爆)。
結局、まともな日英交渉はエルギン卿が来られてはじめて開始されたようなものなので、このときはコレでよかったのではないかと。
「アジアで暴れん坊」の英国艦隊が大人しく長崎を去ってくれて、江戸の阿部正弘なども殊の外喜んで、長崎の交渉担当の水野&永井に直筆のお褒めの言葉を下さっちゃったほどなので、みんな八方丸く収まってめでたし♪でしたネ!(笑)
Commented by はな。 at 2011-10-20 18:07 x
∞ヘロンさん、お久しぶりです!
なかなか水野さんの史料に出会えないので、5人の外国奉行ファンとしてはようやく水野さんの話題を記事にできて本当に嬉しいです(笑)。

>「悧巧そうな顔でもないのに……」と「聡明で……」とでは
ゴンチャロフの記録と今回の記録とでは1年も離れていないのに、こんなに違いがあるのはどういうわけか、謎です。
ただゴンチャロフのおりは交渉担当が江戸から派遣されていた川路聖謨と筒井政憲でしたので、水野奉行としては二人の交渉を固唾をのんで見守っていた・・・のでちょっと怒ったような険しい表情だったのかもしれません。
スターリングのおりはまさに交渉担当首席でしたので、客人を歓待する長崎奉行として、本領を発揮できたのかも???
などなど、比較するといろいろ想像できておもしろいですね。
by aroe-happyq | 2011-10-17 18:20 | 外国奉行ズ | Comments(6)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


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