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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

ジャーナリスト 矢田堀鴻【追記&訂正アリ】

幕臣とりびあ第一弾☆

意外な経歴・活動をしていた幕臣をとりあげるこの企画!
果たして第二弾はあるのか!?(笑)

で、今回は徳川海軍総裁こと矢田堀鴻。

昌平坂学問所で優秀な成績をおさめ、書物奉行、
そして長崎海軍伝習所へ入所後、軍艦頭取、海軍教授、軍艦奉行など
ひたすら海軍畑を歩んだ人。
(それが本人の望んだ人生かどうかは定かではありませんが、
学問所の先輩の岩瀬や永井に見込まれてしまったので・・・・(笑))

で、明治以後は沼津学校で教鞭をとり、その後は海軍や工部省
に出仕。どうも明治新政府の水にあわず・・・・晩年は不遇であった、
とされる人物であります。

つまりずっと官職人生であったと。

ところが、別件で明治時代の新聞、朝日や読売、
毎日(現在の毎日ではなく横浜毎日系列)
そして郵便報知などを調べていたら、意外な経歴が出てきました。

官職を退いた(時期は不明)矢田堀さん、
友人の栗本 鋤雲が主筆をつとめる「郵便報知新聞」で
編集の仕事をやっていたのでした。
(郵便報知新聞 明治20年12月21日 記事より)

明治10年代になってから、英語の辞書や『海上衝突予防規則平假名附及航法図』などの
専門書を出版しているので、そうした合間に栗本を手伝っていたのかもしれませんね。
ひょっとすると、郵便報知新聞の記事のどこかに矢田堀さんの書いたものが
紛れているのかもしれませんっっ。
すごくきっちり仕事されるタイプなので、誠実で正確な記事を書きそうです♪

ただ、死去したときの肩書きは「逓信省管船局司検官(東京職工学校兼務)」で、
郵便報知新聞を辞めて、再び官職に戻っておりました。

ちなみに亡くなったのは明治20年12月(享年59歳)ですが、
逓信省の仕事についたのはこの年の3月でした。←下記訂正をご覧下さいまし
(つまり新聞社勤めは明治20年3月までということになります)
なぜ逓信省かというと・・・・・この当時の逓信大臣が榎本武揚だったことと
深~~~く関係していると思われます。
矢田堀さんの性格からお察しすると、自分から榎本に「仕事くれ」って
いいそうにはない。なんとなくですが、「逓信省にいい人材がいないから来て!」
と誘いそうなのは榎本さんのほうっぽい(爆)。
(なにせ「人たらし」として名高い、先輩に甘え上手の榎本さんですから(爆))

でも管船局司検官というのはまさに適任なので、榎本大臣もなかなかお目が高いデス。
ただ、3月から働きはじめて、その後体調不良で療養中に急に悪化して亡くなってしまった
ので実働期間はあまり長くなさそうなのが、もったいない。

こうしてみると巷説にあるように、
官職を退いて大酒をくらい、囲碁ばかりしていたイメージ(笑)
はどうも実像とは違うようで、実際の矢田堀さんもほかの江戸侍のテクノクラート同様、
ずいぶんアクティブな人生を送られていた模様です。
ただ、明治以降はこの人の知識(海軍や航海法ほか)が
充分に世の中の役に立つような立場で仕事ができなかったのは確かなことで、
それをして「不遇」と称されるのかもしれません。
ただ、後世には榎本と比べて不遇だったとしたがる向きがあるのも確か。
フィクションをのぞいて、そういう勝手な解釈はご本人に失礼ですよねっっ

それから戊辰の年に、駿府へいった矢田堀海軍総裁、箱館へいった榎本海軍副総裁
ですが、この二人・・・・・というかおしなべて江戸旧幕直参は明治になっても仲が良いですね♪
なんだか、西国志士仲間さんたちは割と同郷同士でも袂を分かつパターンをおみかけ
しますが、徳川藩士(笑)はなんだかんだといいつつ、そうならない。
どうも当時のほかの地方よりも、現代日本人よりも、友情が深いみたいです(笑)。
普通、矢田堀と榎本なんて袂を分かちそうですけど、そうならない江戸っ子侍気質が
あっしは大好きです☆
(その分、劇的なドラマになりにくい人達なんですけどネ)

以上、「ジャーナリスト 矢田堀鴻」は明治の東京に存在していた!でした。

【追記&訂正】

別件で明治の官員録を調べていたところ、
明治20年3月、4月、5月と・・・・逓信省に矢田堀さんの名がない!
ということに気づきました。
「郵便報知新聞」や「横浜毎日新聞」の矢田堀さんの葬儀記事の経歴紹介をもとに
上記記事を書いたのですが、元の職場の書いた記事だし、間違いはないだろうと
思ってウラをとってなかったのですが、いやいや官員録先に見ておけば良かった(笑)。
明治20年1月の官員録では矢田堀さん、しっかりお勤めになっておられますので、
(いつから入省したかはまた次回!)
逆にですね、明治20年3月に辞めれたのかと思われます。
ということは体調がすぐれなかった時期が長かったのかもしれませんので、
実にお気の毒なことです。
ということで、
矢田堀さんは明治20年3月には辞めていた、と訂正させていただきます☆
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Commented by Aki_1031 at 2012-03-14 22:10 x
うわーい☆
久々の矢田堀さんネタだ~!(嬉)
やはり旧幕臣…というか、特に海軍繋がりは縁が深いですよね。
なんだかんだでつかず離れずの間柄で先輩のことを
忘れていない釜ちゃんが可愛い♪
ワタシも釜ちゃんの方が気を利かせて?矢田堀さんを
勧誘したのではないかと思います。
「不遇」のニュアンスは色んな解釈の仕方があるかと思いますが、
矢田堀さんご自身としてはそう悪くない人生だった…と
考えていたと信じたいところですね☆
やっぱ、ほら江戸っ子だし(笑)。
Commented by はな。 at 2012-03-15 10:05 x
Akiさん、矢田堀ネタに食いついていただきありがとぉぉぉぉです!
(いまいち矢田堀さんの人気に自信がないのでっ・笑)
>海軍繋がりは縁が深いですよね。
海の男の友情はハンパじゃないなーと思います☆
ま、とくに徳川海軍は釜さんみたいな〈人情に篤い系の男〉が
上にいるので、余計に結束が固いのかも(笑)。
ずっと前にご一緒した矢田堀についての講演で、明治になっても
釜さんと矢田堀が手紙のやりとり(といっても、最新の機織り機を一緒に見に行かない?という釜さんからのお誘い文だったと記憶してますが・爆)はしていた事はわかっていましたが、同じ逓信省にお勤めとわ!ってことで、その友情の深さを確認できて、ちょっとホッとしました(笑)。

>そう悪くない人生だった
ワタシもそう思っています。なんだかそうして人生を振り返る暇もなく、
なにかしらに打ち込んでいそうな人達・・・・それが江戸のおたく・・・いえいえ、テクノクラートだと思うので(笑)。
Commented by アルク at 2012-03-15 11:28 x
なんて素敵なとりびあ~!矢田堀さん、亡くなる直前まで忙しくされてたんですね。
1人の人間の人生を知る為にはとんでもない労力が必要なのに上辺だけをチョイとつまんだような、安易なイメージで書かれている場合も多くて惑わされてはいけないなあと常々反省しております。
特に歴史ジャンルは「せめてもうちょい調べろよ!」なテキトー本も多いし(^^;)
これは第2弾も期待せずにはいられません(笑)


関東ではまた地震が頻発してなんだか落ち着かない日々ですが、はな。さんもどうかお気を付けくださいね~!
Commented by はな。 at 2012-03-15 18:32 x
アルクさん、いらっしゃいませ~~☆
>矢田堀さん、亡くなる直前まで忙しくされてたんですね。
そうなんですよね♪♪還暦直前ですが、働いておられたようです。
(そもそも江戸時代、武士には年金も定年もない(笑)ので、
こういうライフスタイルで問題なかったと思われます)

>上辺だけをチョイとつまんだような、安易なイメージで書かれている場合も多くて
ホントに多いですよねっっ。
矢田堀さんに関しても、なんの本だか・・・・複数の本で、
晩年は不遇で世捨て人っぽく書かれていて
、けっこう最近までそれを信じていました(汗)。
刑事ではありませんが歴史も「現場100回」のつもりで、
なるべく当時に書かれたものを収集しないといけないな、
と反省しきりです。
そういうとき、明治の新聞はかなり有効なのですが、
その人物が明治まで存命でないとなかなか記事が出てこない
というマイナスポイントがあります(笑)。

>関東ではまた地震が頻発
昨夜も久々に緊急地震速報が鳴って、超ビビリました(笑)。
ただ日本じゅうが揺れやすい状態だそうなので、怪我などしないよう、みんなで気をつけてまいりましょう~~☆

by aroe-happyq | 2012-03-14 11:47 | 長崎伝習所系 | Comments(4)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


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