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東都アロエ

目付報告書の不思議

どーしても調べなくてはならない事があり、
久々に『井伊家史料』を漁りました。
井伊さん家所蔵の文書なので、安政4~6年ごろの
一橋派はもちろん岩瀬や永井、堀などについても
素敵な悪口といいますか、悪意に満ちた裏情報が垣間見られて
それなりに面白かったりします。
ま、いちばんヒヤヒヤするのは岩瀬肥後守の無防備すぎる、
発言集でしょうか(笑)。目付筆頭となった岩瀬さんですが、
配下の徒目付に井伊派がいるとも知らず(爆)、
まーいろいろ喋っている。
気さくで天真爛漫なアラフォー男はお茶飲みながら、
井伊直弼批判にはじまり、将軍継嗣に決まった慶福のおこちゃま批判
等々、たぶん周囲を爆笑の渦にしながら、ギリギリトークを炸裂しています。
(でそれがみーんな井伊家に筒抜け、みたいな)
・・・・・これを読むと、のちの岩瀬の「御役御免、扶持取り上げ、永蟄居」という
重い罪は少しわかるのですけど、こーゆう爆弾トークをしてない永井はどーして
岩瀬と同罪なのか、どうも釈然としない・・・・・といういつもの疑問はまだまだ未解決(笑)。

さて、今回はその永井玄蕃頭尚志が安政4年当時、まだ目付だったころに
井伊直弼に提出した目付報告書について。

正式には『井伊家史料』5の114、「7月24日 徒目付中野祐之進並黒田節兵衛上申書」
という文書。
この徒目付の報告書を、目付の永井玄蕃頭が自分で書き写したものを井伊直弼に提出し、
それが井伊家に残っているというものです。

内容は、安政2年に建設がきまった「深川越中島調練場」工事に関して、
関係役人に不正があるのではないかという疑惑に関する調査報告です。
(結論からいうと、役人たちは潔白だったのですが)
なぜ井伊家に?かというと、この調練場建設の掛りだったのではないかと。

しかし工事が滞ったようで、そのため役人が疑われたのですが、
原因は工事請負を落札した中川伊兵衛が、その後の江戸地震やなんやらで
損金を出し、当初の計画どおり工事ができない状況になった、よし。
で、工事の計画を一部変更して続行したようで、調練場はその後無事に完成し、
家定将軍の臨幸などもあったり、また明治以降は陸軍に使われてました。

で。内容はさておいて、この報告書なんですけど。

小普請方

 石方
 鍛冶方 請負人

 中川伊兵衛
    巳歳四十二

  宿所 本宅 橋場町
      妾宅 お玉が池



あのですね、工事の不正疑惑事件の報告書なのに、

妾宅 お玉が池

って、あるんですけど、この情報って必要なんでしょうかネ??(笑)
この家で談合とかしたわけでもないから、別にいらないし。
本宅の場所だけ書けば済む話だと、思いませんか??

目付のカタイ文章のなかに「妾宅」とか出てきたものだから、
思わず吹き出してしまいましたです。

いや、それだけ目付の調査は正確を期すものなのでしょうけれど。

しかしです。
こんなに公的文書で妾宅が公表されちゃうものなんですね~~。
江戸時代ってホント、プライバシーないっすっっ。

今回は翻刻を読んだだけですが、井伊家には
永井氏の達筆なる文字で書かれている報告書があると思うだけで
ちょっとおかしい。
だって、キレイな字で「妾宅」ってあるんだろうし(笑)。
by aroe-happyq | 2012-03-24 10:53 | 幕臣系(目付とか) | Comments(0)