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東都アロエ

原市之進暗殺の蔭に山岡&高橋あり

この前、お花見ついでに噺家の圓朝&四代圓生師弟ゆかりの地ツアーを
上野~谷中でやってきたおり、圓朝の墓に調査にまいったわけですが、
圓朝おトモダチの山岡鉄舟の墓がすぐそばにありまして。
少し前に高橋伊勢守(泥舟)を調べていたおりに知りました件について
記事にしてみようと思い至った次第です☆

徳川慶喜の股肱の臣こと原市之進は慶応3年8月、
京都二条の官舎にて、結髪中に暗殺されてしまいます。
犯人は幕臣依田雄太郎・鈴木豊次郎。
鈴木は老中板倉の屋敷前にて切腹、依田は追手に殺害されて、事件は幕を閉じました。


が、この事件。
実行したのはこの2人ですが、暗殺をそそのかしたのが山岡鉄舟&高橋泥舟義兄弟
らしいのであります(笑)

『昔夢会筆記』第10にそのあらましが書かれていますが、
長いので、ものすごく掻い摘んで紹介しますと、
当時(慶応3年夏)、江戸では新懲組が血気盛んに活躍し、
それとは別派で壮士党という山岡や高橋たち、幕臣の「尊王攘夷」グループ
がありました。
彼らは同じく「尊王攘夷」だったはずの元水戸藩士原市之進が
慶喜の側近となるや、尊王開国に走ったとえらく怒っていました。
(慶喜と側近の平岡円四郎のせいで「開国」に染まったのであります・笑)
しかも兵庫開港を率先して進めている、という話も聞こえてきた。
尊攘派にとって帝の住む京のすぐそばの兵庫開港だけは絶対に許せなかったのだとか。

そんなとき、当の原市之進から壮士党の関口某へ手紙がきたのだそうな。
原と関口は知り合いで、原は関口の才を惜しんで「京へきて働いてみないか」
と親切な勧誘をしたのだったが。実はこれが「きっかけ」になってしまう。
誘われなかった(爆)壮士党のほかのメンバーはただでさえ原に対して不信感がある
のにこれでイライラが爆発。そこでいろいろな内輪もめがあって(ここは省略)、
山岡や高橋たちが同志たちに「YOUたち、原を斬っちゃえば」的なことを言い出す。
・・・・・どうも彼らはその場の勢いでの発言だったらしく、そんなに真剣に
言った感じではなかったらしい。
ところが「おおさ!!俺たちが斬ってくる!!」と依田らが京へと飛び出していってしまった。
ホントに出掛けちゃったことを知った一同が集まって、
もう箱根をこえているだろう。とても間に合うまい008.gif
山岡「大丈夫だろうよ。原はとにかくあれだけの人だから、まず五人や
六人の警衛はあるだろう。彼等がが三人くらい行ったってちょっとむつかしい。
とてもいけまいから、まぁ放っておけ
017.gif
などと無責任&テキトーに言ってそれきり気にもとめてなかったようなのですが(おいおい)。
なんと見事にやりとげちゃった、みたいな(汗)。

そんなことで原さん殺されちゃったんですよ~~~(涙)。057.gif

山岡&高橋、なんてヤバイ義兄弟なんだ!!

松本佳子著『原市之進 ー徳川慶喜のブレーン』によると、
水戸のほうの史料では、暗殺首謀者説は細分化されていて、
そのなかには、自分も原のように目付になりたかった高橋泥舟の嫉妬説
などもあるらしいですが、槍一本の武闘派の高橋が目付になりたいと思うか?
というあたりは甚だ疑問であります。
でも結局は山岡&高橋の関与はまったく否定していません(笑)。

冒頭に書きました山岡の墓の脇には小さい碑が建っていて、
そこには壮士党のメンバー、もちろん暗殺者・依田雄太郎・鈴木豊次郎の名も
ありますけどネ。どーみてもこの暗殺事件と山岡は無関係ではないっす(笑)。


さて、以上のあらまし部分は『昔夢会筆記』会場で明かされた話なので、
当然この話は慶喜翁も聞かされるわけです。

公 なるほどそういうわけであったか。関係人の名は密かに聞いたよ
(ここまで青字部分は『昔夢会筆記』より引用)

詳しいあらましはこの時が初耳だったようです(笑)。
大切な側近の原市之進を殺させたなかの一人、高橋泥舟は
慶応4年の幕府瓦解以降、上野や水戸で、もっとも信頼して身近においた警護隊長だった
・・・・・・なんてこともあったので、慶喜的にはかなり複雑な心境だったことでしょうネ。

こういういいかげんなノリで、人ひとり(しかも重臣ですけど)が
暗殺されてしまう。幕末とはなんとも荒れていた時代でありますなぁ(としみじみ)。

ところで、この原市之進事件にはおまけがついています。
原亡き後、後継に誰を据えるか、という話になったとき、
なんと新選組局長近藤勇の名があがったとか。
もちろん実現しませんでしたが(笑)、
(だって近藤さんが慶喜の諸葛亮孔明って・・・そりゃムリでしょ・爆)
誰か推挙したか知りませんが、慶応3年夏頃の京都において、
近藤勇の名は我々が知る「新選組のおはなし」に出てくる近藤さん以上のグレードが
あったっぽいことはこの件をみても明らかデス。
京都政界における近藤勇の立ち位置について、早く解明されることを願いつつ、
つまらない理由で命を落とした原市之進(享年38才)さんのご冥福をお祈りしたいと
思います。
Commented by enokama at 2012-04-30 00:00
こんばんは!
僕は原市之進が小松帯刀との強いパイプがあったのに
幕臣らに暗殺されてしまったのが、後々の流れを考えるともったいない
との内容の本でこのことを知りました(家近さんの文章だったと思う)

ほんと、きっかけは勢いで行ってしまったってことですが
多くの書籍では「山岡、高橋の関与」ってなってしまいますからね(苦笑)
気になっていた事件でしたんで
詳しく書いていただいて、ありがとうございます!
Commented by enokama at 2012-04-30 00:02
後、追記ですけど井上清直さんが「陽だまりの樹」第4回に出てました。
でも、ちょっと違うかなとも思いますが(苦笑)
Commented by はな。 at 2012-05-01 11:23 x
enokamaさん、こんにちは!
>原市之進が小松帯刀との強いパイプがあった
原は小松をはじめ、さまざまな方面に顔が広く(なにせ旗本の壮士党にまで知り合いがいたほど・笑)、この人がいたころは幕府(おもに慶喜将軍周辺)も他藩と意見交換もさかんでしたので、ご存命だったら慶応3年後半の歴史はちょっと違ったものになっていたかもしれません。
この原といい、平岡円四郎といい、実に惜しい人物を失いました(しかもどちらも暗殺理由がくだらなすぎる)。
ただ、原市之進が存命だったら、原に嫌われていた勝海舟は出番なし!の憂き目にあっていましたが(爆)。
思えばたいへんに危険な男・山岡鉄舟も、原がいたら明治帝の侍従なんていう大役にはまずありつけなかったことでしょう。

>井上清直さんが「陽だまりの樹」第4回に出てました。
BSプレミアム時代劇はまったく興味がなくなってしまいましたが、
できれば井上さんには出てほしくなかったですネ。
このチャンネルの時代劇、ダメダメすぎなので~~~~(笑)。
Commented by やぶひび at 2012-08-31 07:06 x
はじめまして。下手人の二人は、小千葉道場の門弟で、水戸藩に出仕。千葉さな子の父が道場主で、鳥取藩に出仕して、地方巡視していたとか。千葉さな子も慶喜の日記を盗みだして、龍馬に渡したとか。
Commented by はな。 at 2012-08-31 10:08 x
やぶひびさん、はじめまして!
>下手人の二人は、小千葉道場の門弟で、水戸藩に出仕。
原市之進に面会の歳、下手人たちは水戸の者だといっておりましたそうです。

ほかにも面白そうなお話ですが、拙ブログを見にこられる方は
歴史好きの方々が多いので、ここで知った情報を独自に検証されることもありますので、
出展などを明記きていただければなおありがたいです☆
Commented by やぶひび at 2012-09-03 00:13 x
こんばんは。出典は、阿井景子「龍馬と八人の女性」です。
千葉さな子の章から。戎光祥出版。
http://www.ebisukosyo.co.jp/books/history_hatininnojosei.html
Commented by はな。 at 2012-09-04 10:08 x
やぶひびさん、出典をお知らせいただきありがとうございます!!
by aroe-happyq | 2012-04-26 13:55 | 広く幕末ネタ | Comments(7)