2012年 04月 30日
派遣されたのは侍医の柏原学而でした!
随分前に幕末ドクターの記事で、
近藤勇伏見狙撃事件のあと、慶喜の指示で派遣された医者は
松本良順ではない、では誰だったのか?という疑問を投げかけた件。
東大史料編纂所サイト内の
維新史料綱要DBに「近藤勇」でアクセスしたさい、あっさりと判明しました(笑)
18日 新選組隊長近藤勇昌宣、伏見街道において狙撃せられ負傷す。
徳川慶喜これを聞知し、侍医を遣わし又自用の寝具を給与す。
だそーです。
慶喜の侍医は柏原学而(がくし)なので、この人が派遣されたというわけですね。
・・・・・なんかおまけに寝具まで持っていかせたとかで、
慶喜的には随分とまた、近藤をいたわって対処しているようです(笑)。
(近藤さんは慶喜の寝具にねちゃったんですね・笑)
そういうわけで、松本良順ではなかったことがハッキリとわかりました☆
(そもそも良順センセは江戸にいたので、伏見に行くのは不可能なんですけどね)
・・・・・・というか、柏原学而の大活躍がどうも良順の伝説のかげに
隠れすぎているように思うんですけど・・・・・。
なんだか、不公平ですな~~~~~。
(いつもこんな展開が多い、幕末史・・・・・・)
そういえば、近藤勇さん、正式には「隊長」なので
「局長」ではなく「隊長」と呼んでやってください♪
(「隊長」のほうが「局長」と称するよりも、よりグレードが高いらしいです)