東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

伊庭八郎の師、長谷部旅翁について

今回は for イバハチファンの皆様企画です。

中根香亭の『香亭遺文』内にある
「尺振八君の伊庭八郎を救いたる始末」にて

(八郎は)幼年より読書を長谷部旅翁(甚弥と称す。学問所教授方を
勤め後静岡に歿す)に学び・・・・・・


と出てくる長谷部甚弥(旅翁)について。
なかなかこの人の情報ってナイんでございますが。

未熟なわたくしにいつも貴重な情報を寄せてくださる方に
成瀬哲生「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について」
を紹介いただきましたところ、
そのなかに長谷部が登場しましたので、
伊庭ファンの皆様に謹んでご報告いたします。

こちらの論文→ および (PDFファイルです)

で、名簿によると
嘉永4年に甲府徽典館学頭に赴任したのが永井岩之丞(のちの玄蕃頭尚志)&長谷部甚弥
でありました(笑)。

というわけで、名簿にちょこっと長谷部情報が出ていたので、
ご紹介します。

高七十表七人フチ  西丸御徒抱山中又兵衛組     
長谷部甚弥
下ヤ 御徒丁  名満連  号謙菴

嘉永4年当時ですが、御徒町に住んでいたよし。
伊庭八郎少年の住まいとはそれほど離れていませんネ

それから長谷部甚弥と師弟関係ということは、
(江戸時代の学問の師弟関係はとても絆が深いのでございます)
長谷部と徽典館繋がりの乙骨耐軒とも
するする~っと繋がりがみえてきそうです☆

伊庭八郎サンはさすが学問所近くにお住まいです。
学問所内の濃ゆ~い文人ネットワークのなかに
さりげなくハマッておいでだったようです。
そして同時に中根香亭のように八郎パパに剣術を習っていたという
繋がりもあり、要するに下谷界隈の人的交流は文武双方向だったのでしょう。

ううむ、まだまだ江戸のネットワークの解明は深すぎて、道半ばでござる(笑)
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Commented by at 2012-06-17 22:48 x
はじめまして、8と申します。

幕末について調べる事がたまにあるのと、
20年来のFAYE迷なのこともあって、
いつも楽しんで読ませて頂いています。


2年ほど前から長谷部甚弥について調べていたのですが、
(正しくは、甚弥の弟子を調べています)
伊庭八郎の師匠とされている理由が漸くわかりました。
嬉しくておもわず書き込んでしまいました。


さて長谷部甚弥ですが、安政二年頃に甲府から戻ると、
小普請組、富士見宝蔵番などから学問所教授方に出向する一方、
下谷久保町で家塾を開いていたようです。

以上、簡単ですが御参考になれば。
Commented by はな。 at 2012-06-18 10:41 x
8さん、はじめまして!
コメント書き込みありがとうございます☆
幕末そして、FAYE迷とのこと♪♪
これからもどうぞよろしくお願いいたしますっっ

長谷部甚弥のお弟子さんをお調べとのこと!
なかなか江戸の文人関連を調査されておられる方と出会ったことが
ないので感激です~~っっ

そして長谷部甚弥に関する貴重な情報、ありがとうございました!
中根の文章では学問所教授方だった以外不明だったので、
たいへん助かりました!!

また何か気がつかれた点などありましたら、
(FAYEに関することなどでもでも☆)
お気軽に書き込んでくださいませ♪
Commented by at 2012-11-19 21:10 x
お久しぶりです。

前田匡一郎「駿遠へ移住した徳川家臣団 第三篇」という本に、
長谷部甚弥の記述がありましたので御紹介いたします。

旅翁 文化四年生 子息太郎(連克)(有渡郡村松村海長寺にて私塾を開く 明治四十年十月十日没六十四歳 義心院連克日堅い居士 墓静岡本覚寺)
文久三年御徒 慶応元年富士見御宝蔵番 学問所教授方出役 慶応四年儒者 明治二年小島奉行支配割付 同二年静岡学問所二等教授(漢文)
同四年有渡郡小鹿村に居住私塾三余堂義塾を開く
同十六年一月十八日没七十六歳 懺明院鑑行満連日悔居士 墓静岡本覚寺
   「静岡のひとびと・東豊田史」

だそうです。懺悔の間に挟まった戒名が凄いです。

ちなみに息子の太郎さんは、「昌平学科名録」によると元治二年の学問吟味に乙で及第しており、御父さんの肩書が
 富士見御宝蔵番本多喜八郎組
 学問所教授方出役
と紹介されております。

以上、ながながと失礼いたしました。
Commented by はな。 at 2012-11-21 10:27 x
8さん、こんにちは!
長谷部甚弥のさらなる詳細な情報をありがとうございます!!
>懺悔の間に挟まった戒名
なんだか壮絶なものを感じます。
こういう想いで亡くなった徳川家臣の人々はどれほどいることか(涙)。

そして。
長谷部甚弥も静岡学問所の教授だったのですね!
当時日本一とうたわれたというこの学校、沼津兵学校ともども、諸国から「留学生」(笑)がやってくるのも頷けます。

このたびはなかなか簡単に調べられない、まことに貴重な情報をお知らせくださり、感謝しております!!
江戸やら幕臣の情報はその多くが世に埋もれていて、手に届きそうでちょっとむずかしいところに置かれています。
(例えば前田氏の本は素晴らしい本ですが、大きな図書館にしかないとか等々)
こうして少しずつ、さまざまな人物の歴史がひもとかれ、繋がっていくことが大事なことだと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたしますっっ。


Commented by がらん at 2013-06-28 09:30 x
長谷部滿連を検索してこちらへ来ました。参考にさせていただきました。西日暮里の養福寺本堂前に彼の撰文した祖父尼先生墓碑銘というのが立っていますのでお知らせします(碑像マップに貼りました)
Commented by はな。 at 2013-06-28 18:17 x
がらんさん、コメントをお寄せいただきありがとうございます!
あわせて、碑像マップでの祖父尼先生墓碑の画像も拝見させていただきました。
日暮里はよく行くのでそばの西日暮里にあるとのことで今度行ってみます☆

この記事では長谷部甚弥こと長谷部滿連さんについて、
ほんのさわりだけ紹介させていただきましたが、
素晴らしいコメントを寄せていただきましたことが大きいと思いますが(おかげでたいへん充実いたしました)、
お役にたったとしたら、嬉しいかぎりです。
Commented by at 2013-07-08 22:38 x
お久しぶりです。

長谷部甚弥に興味のある人が沢山いて、嬉しい限りです。
嬉しいので、国立公文書館で読んできた、「御儒者勤方之儀申上
(多聞櫓16274)」の翻刻を貼りつけてみます。
林大学頭らが提出した書類で、長谷部甚弥の略歴と御儒者に取りたてられた理由が書いてあります。(/は改行、〔〕は割註)
長すぎたら削除してください。
Commented by at 2013-07-08 22:42 x
          学問所教授方頭取勤方
 高五拾俵三人扶持       長谷部甚弥
    他御役金百両       卯年六十二
 天保三辰年四月西丸御徒見習勤被仰渡 / 同八酉年三月西丸御徒役御抱入嘉永三戌年 / 十一月甲府〓(山冠に徴)典館学頭被仰渡同五子年 / 閏二月御用済帰府安政二卯年五月 / 学問所教授方出役被仰渡同四巳年 / 三月御徒明組江御抱替被仰渡教授方 / 出役是迄之通文久元酉年十二月学問所 / 教授方出役頭取被仰渡元治元子年三月 / 〔富士見/御宝蔵〕番被 仰付教授方出役頭取是迄之通 / 慶応三卯年正月〔富士見/御宝蔵〕番頭組とも / 一同御廃止ニ付勤仕並小普請入教授方 / 出役頭取是迄之通と被仰渡同年六月 / 学問所教授方頭取勤方被 仰付 / 教授方出役ヨリ当卯年迄十三ヶ年相勤 / 申候
Commented by at 2013-07-08 22:43 x
右甚弥儀教授方出役多年精勤仕其筋 / 格別御用立候者ニ御座候間身分御引立之儀 / 兼而奉願候儀ニ御座候然ル処先般御儒者 / 中村敬輔英国留学仕当節若山 / 壮吉塩谷甲蔵病死仕三人明キニ / 相成且又稽古人追々増益仕会業 / 其外格別相嶋何分手廻兼候間此程 / 壱人御儒者明跡江申上置候得共猶又 / 両人明キニ相成候間右両人明キ之処江 / 差向今壱人被 仰付候様仕度就而者 / 甚弥儀其筋御用立候者ニ而出役十三ヶ年も / 精勤仕候間御儒者勤方と被 仰付 / 百俵高ニ御足高御手当七人扶持被下置候様 / 奉願候左候ハバ甚弥儀多年精勤之 / 規模者申迄も無之外一同之風励ニも / 相成候間何卒厚御評議被下置候様 / 偏ニ奉願候右之趣当卯九月奉願候処 / 御儒者共勤向当節多端殊ニ来春 / 学問御試ニ付而〓御用筋差湊何分 / 人少ニ而差支候ニ付猶又此段申上候 / 以上
 卯(慶応3)  十二月
Commented by はな。 at 2013-07-09 18:19 x
8さん、国立公文書館で調べていらっしゃった貴重な長谷部甚弥の史料の翻刻文を打ち込んでくださり、本当にありがとうございます!!!
す・・・凄いです!
林大学頭の提出書という、ほぼ完璧な長谷部甚弥の経歴がこんなに詳細にっっ
このコメント欄だけでも、永久保存モノであります☆

この史料によりますと、長谷部甚弥は徳川瓦解時には御儒者だったのですね。・・・・といいますか、御儒者になったばかりだった(涙)。

8さん、眼福すぎてありきたりの言葉しか出てきませんが、素晴らしい史料をご紹介くださり、感謝感激です!!
今日ほどブログ続けてきてよかった、と思った日はありません!!重ねて御礼申し上げますっっ♡

(わたしもサボッてないで、がんばります~~っっ(汗))













Commented by at 2013-07-10 02:50 x
こちらこそ、長文の大量投下で失礼いたしました。
しかも〓の解説が間違ってるし…(山冠に徴とあるのは、山冠に徽の間違いですね)。汗顔の至りです。

ちなみに端裏には、タイトルと、差出人の名前(林大学頭 / 林式部少輔 / 坂井右近将監)の名前が書かれています。
Commented by はな。 at 2013-07-10 11:01 x
8さん、こんにちは!

滅多にお目にかかれない貴重な史料の翻刻をお寄せくださって、本当にありがとうございました!!
長文大歓迎です!!
わたしはどちらかというと、こんなにたくさん翻刻文をPCに打ち込まれて、眼精疲労だったり、腱鞘炎だったりを心配してしまいますっっ(時節柄、熱中症も心配ではありますが)。
昨日の御礼コメントのあと(興奮しすぎて余白出し過ぎだし・汗)、
改めてじっくりと噛みしめつつ、拝見させていただいています☆

徽と徴、わたしもしょっちゅう間違えてしまいます。
(頭のなかでは徽で変換のつもりが・・・・実は、というのが多いデス)

それから差出人の名前についてもお知らせいただき、感謝であります~~~っっ☆
Commented by at 2016-08-20 22:02 x
こんにちは。

昨日江戸東京博物館で開催中の山岡鉄舟の展示を見てきたのですが、明治2年の静岡藩の藩士一覧表に、学問所の3等教授として長谷部甚弥の名前がありました。

だからどうという訳でもありませんが、ご報告まで。
Commented by はな。 at 2016-08-21 19:27 x
8さん、こんにちは!

貴重な情報をお知らせいただき、
ありがとうございますっっ!!

山岡の展示に長谷部甚弥の名がありましたか!
(こういう小さな情報も、とても大切です☆)

来月江戸博いくので、
わたしもしっかりみてまいりたいと思います。
Commented by at 2016-09-30 01:20 x
こんにちは。

今年はよく長谷部甚弥の名前を見る年で、
現在たばこと塩の博物館で開催中の、
「目賀田種太郎展」でも長谷部が出ていました。

静岡学問所の教官を書いた刷り物に、長谷部甚弥の名前が出ていただけでなく、キャプションでも取り上げられていました。

なんでだろうと不思議に思っていましたが、展示中盤の目賀田の年賦に、「安政4年 幕臣長谷部某について漢籍を学ぶ」との記述が。伊庭八郎と目賀田は同門だったんですね。

この時目賀田は4歳。
私の調査している人物は安政3年入門なので一応兄弟子ですが、弟子入りした時には既に10歳を越えていました…
Commented by はな。 at 2016-09-30 17:20 x
8さん、こんばんは!

「目賀田種太郎展」で長谷部甚弥の名前がありましたか!
 しかも、

>伊庭八郎と目賀田は同門

だったとは。

それよりも目賀田さん、4歳で入門とはお早い。

またまた貴重な情報をありがとうございます!

そういえば、山岡展で、長谷部甚弥の名を確認してまいりました。
(ほかにもいろいろな人の名があって、ずーーっと眺めていました)

たばこと塩の博物館、移転してから行っていませんでしたが、
目賀田展、行きたいと思います。

by aroe-happyq | 2012-06-16 11:01 | 広く幕末ネタ | Comments(16)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq