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東都アロエ

中根雪江による、永井玄蕃頭の印象【追記あり】

前の記事で勝サンが登場したので、
勢いで久々の永井玄蕃頭ネタが登場です。

このブログでいままでいろいろな人物評を紹介してきましたが、
永井の評判って、案外少ないんです。
永井が誰かを評しているのはあるのですけど・・・・。

どういう人だったかを知るには、
ぽつぽつ史料を拾っていくしかないのですが、
今回は松平慶永(春嶽)の懐刀こと、
中根雪江(名は師賢)が語る史料を紹介。

はじめて、中根が勘定奉行永井玄蕃頭に面会して
話した印象をレポートしています。

今日初て鴻臚(勘定奉行のこと。つまり永井のこと)に見えたるに
一面舊識の如くにて底意なく物語らるる洒落温籍の風采多聞に違はすと
心窃に感服せり。
諺に飛鳥も落るとかいへる當路威権強盛の有司の物数ならぬ愚輩をかく人
かましく物せらるるも
皆是公の御盛徳の微臣に及へるなりと辱き事いふも更なり・・・・


                  (『昨夢紀事 3』P104P)


永井の印象ポイントとしては、
一面舊識の如くにて底意なく物語らるる
洒落温籍の風采
が重要です(笑)。

初めて会う相手を緊張させない、まことに気さくな人。
腹になにも貯めていない、正直さ。

そして忘れてはいけないのが、「洒落」かつ「温籍」。
気遣いは完璧で、誰にでも優しく、
心はたいへん生真面目で熱く、ピュアな人なのですが、
産湯こそ江戸でつかっていませんが(三河生まれ。3才以降江戸暮らし)
江戸産に負けない、江戸侍。
温厚でお人好しにみえるけど・・・・・・都会で揉まれているので
案外現実的でしっかりした人。
そして岩瀬の相方にふさわしいハイレベルな洒落センス(笑)。
というような人物であったことが想像でなく、
中根の話でより人物像に迫れるような気がします。

気さく・・・という情報は、
かなり前の記事で紹介したと思いますが、
西周伝の「和蘭紀行」(西周全集3に収録)のなかでも語られています。
原文はカタイ漢文調なので、簡単に内容をまとめますと、
西周が海外留学したいと思って友人の津田真道とともに、
永井玄蕃頭邸に直談判にいくと(※永井は軍艦奉行になってた頃)、
永井はすぐに面会に応じたとか。
本来なら長い挨拶をしなくてはならないところを、
(礼儀に厳しい武家社会なので挨拶はとても大切でした)
永井は対面所にやってくるなり、
「亜米利加に行きたいと思って来たのだろ?」と言って
すぐに願いを聞き届けたとか。
(西はそのざっくばらんな様子に感動を覚えたらしい・笑)

というような西からの情報と、
それから中根の証言を得て、ますます人物像が固まってきます☆

こういう人あたりの良さは外国奉行にぴったりでしたネ。

【追記】
某大河でちょうど会津侯が京都守護職に就任し入京していましたが、
三条大橋でそれを出迎えた京都町奉行のひとりに永井がいました(笑)。
これ、まさに会津さんの京都守護職就任の二次被害だったりします。
安政の大獄のとばっちりで永蟄居をくらった永井は前年の文久2年夏に
名誉回復、軍艦奉行に復帰したのですが・・・・・。
その直後、松平慶永(春嶽)にしつこく京都町奉行就任を勧誘されまして、
義父尚徳の病状もおもわしくなくて、悩んでいたのですが・・・・。
慶永サイドから「会津侯は永井が京都町奉行になるなら、京都守護職就任を
考えなくもない、とおっしゃっている」といわれてしまいます。
会津侯がそんなことを言ったかどうかは不明ですが(んな永井のことなんて知らんでしょうに)、
そういわれてしまうとしがない旗本としては抵抗できず、
やむおえず承諾しちゃったのでした(爆)。
ドラマには出てきませんが、こんなところにも春嶽の被害者が
いることを知っておいていただけますと、幸いです☆


さて、せっかく「昨夢紀事」コピーをひっぱりだしたので、
次回も前々から記事にしたかった、水野忠徳さん情報です☆
(てへへ、久々に外国奉行ネタが続く♪)
by aroe-happyq | 2013-02-18 18:04 | 外国奉行ズ | Comments(0)