ブログトップ

東都アロエ

雪江さんに語った、水野忠徳のかなりアウトな過去

前の紀事に続いて、『昨夢紀事』から。

水野筑後守忠徳はハリスと悶着をおこして、
田安家家老に移ってまもない安政5年正月以降、
松平慶永が率先しておこなっていた「一橋慶喜、将軍継嗣擁立運動」に
ハマってしまい(どちらかというとまんまと仲間に引き摺りこまれた・笑)、
慶永の懐刀の中根雪江と柳営有司(おもに永井尚志・爆)のあいだを
とりもつ役割に忙しくしていました。

当然、中根とよく会って話すようになっていたなか、
アノ水野さんにしては珍しいことですが、
若かりし頃の話を語ってきかせたそうな。

此人(水野)の師賢(中根のこと)に語られし事あり。余は・・・・
(『昨夢紀事3』 P354~)

この原文を小説タッチに整えた文章を海音寺潮五郎の本で
みつけたので、読みやすいと思いますので
そちらのほうを引用します。

拙者は三河以来の譜代でござる故、
何とかしてひとかどのご奉公をしたいものと志を立てたが、
貧乏で窮迫しているので何ともしようがない。
まずこれを何とかして、それからのことじゃと思い立った。
出世を心掛ける者は、普通には権門に出入りして顔を見知ってもらい、
お取り立てを待つのでござるが、拙者はそれを迂遠じゃと思うたから一切せず、
独自な方法をとった。ひたすらに内職にはげんだ。
傘を張り、提灯を張り、せっせと金を貯め、たまった金を権門への賄賂に使った。
二度三度と重ねているうちに、奇策をあやまたず、お使番を仰せつけられた。


ここから恐るべき「忠徳プロジェクト」が語られます(笑)。

ご承知であろうが、公儀役人は病気欠勤すること百日以上になれば
辞表を出さねばならんが、百日未満ならばそれにはおよばぬ規則でござる。
わしはお役付のお礼まわりをした後、当番をひとつつとめると、
すぐ病気欠勤のお届をして引きこもった。
それ故、馬を飼うこともいらんければ、中間や下女を雇うこともいらん。
お役高はそっくりのこる。
それはそのままに積みおき、また内職に精出してせっせとかせぎためた。
九十余日、百日に近くなったところで出勤し、
当番を一度つとめてまた病気欠勤の届を出して引きこもった。
役高手つかず貯蓄、内職かせぎだ。
こんどは世間のいろいろうわさし、親戚もかれこれ忠告や訓誡などしてうるさい
ことであったが、拙者は耳にもかけず、また九十余日で出勤。当番を一つつとめて
おいて、病気欠勤。もうあきれ返って誰も面と向かっていわん。
陰で「あんなことをしていては、いずれお咎めを受けるであろう」などと
ささやくばかりでござる。
しかし、幸い何のお咎めもなくすんだ。また九十余日で出勤したが、
こんどは大分金も出来ていること故、馬、馬具、供まわりなども
ずいぶん見事にして勤務が出来、豊かに賄賂を使う余裕もある。
それで今度は火付け盗賊改めを仰せつかった。
このお役目は勤務ぶりが目立つお役故、勤務に精励したところ、
お見出しにあずかって御目付に仰せつけられ、それから追々にお取り立てに
あずかり、今日の身分になりました。
はじめはずいぶん横着なことをしたものですわい

  (『悪人列伝4』 「鳥居耀蔵」海音寺潮五郎 より)

最後の一文は原文では「始の程は恐れある大膽(胆)を働きしなり」って感じです☆

それにしても、どうです!!!
この壮絶な内職地獄!
傘張りと提灯張りをどんだけやったのでしょうか!

そしてギリギリかつスレスレな勤務態度!
「百日に近くなったところで出勤」ってかなりヤバイでしょう!??
しかもそれを繰り返していたなんてーーっっ
「お役高はそっくりのこる」って給料ドロボーギリギリだぁぁぁ(笑)

「もうあきれ返って誰も面と向かっていわん」
って、さすが水野さん、なにもかも徹底的~~~~っっ(爆)
ハンパな覚悟じゃここまで出来まい!!(←賞めてます)

この話だけでは水野さんが完全にアウトな人になってしまうので、
そこまでやらねばならない背景をみてみましょう。

東京大学史料編纂所データベースでいつでもみられる、
『水野忠徳事蹟』によると、

水野の父は「放蕩人にて極困窮公事出入多し
ということで、水野家はずっと貧乏で、訴訟沙汰も多かったそうな。
さらに「甲子太郎(忠徳の若い頃の呼び名)強情ものにて、
相番中のこまりものなれば親の借金取よくしのぎ居
」たという。

勝海舟同様、お父さんのやりたい放題にかなり苦心した息子さんだったのです。
(って、これで言い訳になるかどーかわかりませんけど・笑)

ちなみに忠徳の役職年表(しかも本人作成。上記事蹟より)をみてみますと。

天保7年 小性組番士
天保14年 西ノ丸目付
弘化三年 使番
嘉永2年 先手組鉄砲頭・火附盗賊改
嘉永4年 浦賀奉行
(以下省略)

・・・・・水野が中根に語った話だと、火附盗賊改→目付といってますが、
正しくは火附盗賊改→浦賀奉行 デス。
(熱く語りすぎて、若干の記憶違いをおこしたものようです・笑)

で、ふたたび『事蹟』に戻ります。

この頃の評判学問にて御目付御用に立つものは水野計り
稀なることなりと然るに性質強情且堅た過て同勤のこまりもの


『事蹟』では目付(ここでは西ノ丸目付のことかと思います)同僚たちと
うまくゆかなかったので、目付を御免になって御使番になった、とあります。

この話はけっこう有名で、
今まで水野=強情者。それゆえに目付から使番にうつされたと
いうような話が知れ渡っていましたが、
水野本人が中根に語ったところによりますと、どちらかというと、
強情が問題ではなく、90日も休む「ズル休み」を繰り返していた
問題のほうが大きかったのではないかと思います(笑)。
(ふつう、アヤシイ病欠の場合、目付が自宅に調査にくるだけど、
水野さんはそれをクリアしたのだろうか。ま、ズル休みがばれたらクビなので
当然、クリアしたのでしょう(笑))

中根に語った「内職三昧」は使番時代をメインにしていましたが、
水野家の経済状態から鑑みるに、西ノ丸目付時代にもやっていたんじゃないかと。
(本丸目付にくらべて、同じ目付でも西ノ丸目付は暇なはずだし・・・・)

つまりは、強情とかいう以前に「あいつ、病欠ばかりしているんだけど」ってことで
同僚に嫌われていたのではないでしょうかネ。
そりゃ・・90日あまり休んじゃ、一回当番をこなして(月番のことかな?)、
また90日休む同僚って、どんだけ病弱!?それにしては元気そう、みたいな。
すんごくうろんな仕事仲間ってことになりますしね(爆)。

しかし天保~弘化時代って(老中首座は水野忠邦)賄賂天国だったんですねっっ。
だって水野忠徳さんは学問吟味で優秀な成績をおさめた
ちょっとした有名人なのに、その水野をしてもこのありさま。

では阿部正弘時代は、どうだったか?
賄賂を受けとらないことで有名だった阿部さんなので、
永井尚志や岩瀬忠震が目付になるころにはそういう金銭のやりとりは
あったとしても少なさそうです。
というのも、永井は本家の美濃3万石の永井家があるからまだしも、
岩瀬家などは・・・・・・とても裕福とはいえません。
目付にしてもらう金などありません(笑)。
(忠震も若いころ、扇子に絵を描く内職やったそーですし)
しかも、目付になりたくてせっせと傘張りをやりそうな岩瀬でもありません(爆)。
(永井の場合、ペリー来航直後、徒頭のおりに提出した「建白書」が
素晴らしい点が大きいと思います。ぶらかし論(@水戸斉昭)全盛のおりに
限定的とはいえ、貿易論を展開しています。しかも「ダメならやめちゃえばいいし」
って洒落てるんですヨ。これで目付に採用されたと思ってます♪)

ということで、行政のトップクラスの人たちの方針の違いで、
官吏たちは運命を翻弄されるのかもしれません。
水野忠徳は少しばかり早めに官吏としてスタートしたばかりに、
かなり危ない橋を渡ることになってしまい、
永井や堀、岩瀬、井上などはちょっと後発だったために、
そんなに賄賂の迷宮にはまらずに済んじゃったのではないでしょうか。
(みなさん、どう思われます???(笑))

以上、天下無双(@岩瀬)と言われた男、水野忠徳のスレスレ過去話でした☆
(しかし、よくこんな話、中根雪江に話したもんだわ・・・)
[PR]
Commented by 酒井隠岐守腰元 at 2013-02-25 15:54 x
はな。さん、こんにちは。
水野さまは傘や提灯を貼りながら経済の仕組みなぞ熟考されておられたのでしょうか。
奥方はいつか下女を雇える日がくると朗らかな口ぶりでコメをとぎ野菜を洗い、自家菜園されていたのでありましょうか。
賄賂をもらえる身分になりましょうと笑って励ましあっていたりして。

ちょっと博奕打ちな気質もお持ちな水野さまでしょうか。
カーリングなぞお上手にされたりして(笑)
悪人列伝と幕末の小笠原、ポチっと致しました。
鳥居さまも避けては通れず、ですし。
(井上馨はとばす予定)

肝のすわった男っぷり、なりふりかまわぬ行動力、幕府を上げて支援していれば金の流失ももっとなんとかなったのではと(泣)
Commented by はな。 at 2013-02-25 19:27 x
酒井隠岐守腰元さん、こんばんは!
酒井さんならきっと食いついてくださると信じておりました♪
(旗本ファンは少ないので、本気で心強いです☆)

>賄賂をもらえる身分になりましょうと笑って励ましあっていたりして。
そうした夢でもみながら家族一丸となって内職に励まないと、傘&提灯張りの報酬は上がりませんので、やっていたことでしょう(笑)。
(この話だけで1本映画できそうです。涙と笑いの感動作・・・・・!)

そうなんです!水野さまは博打打ち的な豪胆な方♪
「幕末の小笠原」を読みますと、小笠原でかなり無茶な冒険もしているし、家茂将軍を江戸へ奪還しようという計画をたてたりと、あまり死をおそれないタイプですよね(爆)。

今回の危険な内職プロジェクトをみて、
ますます水野忠徳公のファンになりました♡
(やはり、初期外国奉行は逸材揃いであります)

Commented by 酒井隠岐守腰元 at 2013-02-26 10:49 x
おはよーごさいますっ♡
>涙と笑いの感動作
いえいえ、そうはまいりませんっ(笑)
昨夜、ヘロンさまを訪問し水野さまご尊顔を拝しました。
周囲が手を焼く水野さま、ひとくせなんてもんじゃございません、よね。

妻女は従順とされますが、水野さまを支え切った奥方さま、ただおとなしいだけの、そんなわけござんせん。
江戸の闊達なおんなですから、気持ちは生き生きと働くと思います。
冠婚葬祭をまっぴらごめんと方針を定められたら、妻女はやりにくいと不満顔で、普通をとおせればどれほど楽かとため息もつきましょう。
それに気づいた夫は、城内での針のむしろぶりをもらし、大変さをアピールして妻をたぶらかすんです(笑)。
妻は説得されてあげれば不遇な夫も自信がつくだろうし、本来の考えごとや内職に集中できるから割り切ることにする、そこが愛!?
で、愛と野心と本音満載の問題作・・・・・・にしたいと(爆)。

夫の才が存分に発揮できるためとしても、守銭奴な生き方はかなり無茶だったでしょうねぇ。
と、つい奥方さま主体で考えてしまいました(汗)。
なんせまだ本が到着していないもんで。
Commented by はな。 at 2013-02-26 18:15 x
酒井隠岐守腰元さん、こんばんは~♪

>水野さまを支え切った奥方さま、ただおとなしいだけの、そんなわけござんせん。

水野さんの奥様の情報がないのをいいことに勝手に妄想しているのですが、わたしも酒井さんと同じ意見です☆
この亭主についていける方はやはりたくましくないと(笑)。

>愛と野心と本音満載の問題作
わはははは!なるほど!!なるほど!!!
たしかにそのほうが、水野家ストーリーらしゅうございます♡

幕末の江戸旗本の妻としては井関隆子をはじめ、川路さんや勝さんの奥様などが強烈な個性を発揮していて有名ですが、まだまだたくさんいそうですよね!

水野さんのご妻女の日記でも・・・・・出てこないものかしら(笑)。
(そのまえにもちろん、亭主である水野忠徳さんの日記がみたいのですけど・・・・・。今のところ雑録しかない・・・・)
Commented by 酒井隠岐守腰元 at 2013-03-03 01:03 x
はな。さん、こんばんは♡
水野さまご夫妻はご苦労なされたので賄賂を受け取ることを嫌ったのではないかと思います。
出世した夫がせっかくの賄賂を拒んだと申せば、それでこそと奥方は喜んでみせたと思います。
清廉と評判が高まればお仕事もしやすくなるというもの、優れたお方々に一目置かれ、仲ようしていただければありがたいと常々腹をくくっておりました。
そのくらいのこと言ってのける奥方と妄想しております、こらこら。
江戸にわりに近い知行地をいただいたことで、十分に満足し、貧乏になれているを幸いにして生活は質素を保ったのではないでしょうか。
お侍は生活苦しくてあたりまえな気がしますし。
賄賂よりなにか面白いお話しを喜ぶのが水野って変人夫婦路線を妄想中(笑)。

ご妻女の日記は根が貧乏なので紙代節約のためつけてはおられません、きっと。残念ですね。
薄化粧のいらぬほど美しい方だったに違いないとご機嫌をとりむすんで水野さまの奥方、一巻の終わりといたします(笑)。
Commented by はな。 at 2013-03-03 19:00 x
酒井隠岐守腰元さん、こんばんは☆

おっしゃるとおり、水野さんは賄賂はあまり好きではなさそうです。
長崎奉行をやると一財産築けるという話もありますが、そういう立場でもつっかえしてしまいそうです(笑)。
ただそんなことをしていると長崎奉行などは出張費&滞在費だけで破産してしまいますので、押しつけられる贈り物はとりあえず受けとっていたのではないかと(爆)。
そのぐらいは許容範囲ではないかと思います。

・・・・・などと妄想していますが、雑録をもう少しまじめに読んだら、なにか手掛かりがあるかもしれません。
(ついつい、長崎海軍伝習の情報ばかりを水野さんから仕入れようと、そういう目線だけでガツガツ読んでいる・・・・バチアタリですっっ)

水野の奥様の物語、たのしゅうございました♪
(二巻はないのでしょうか(笑))
Commented by 奈桜 at 2013-11-08 03:33 x
こんばんは、はな。さん(´∀`*)
調べものをしてたら、
またまた検索にひっかかりまして(笑)
立ち寄らせていただきました~♪
某w重子さんが「痴雲随筆」を
(字合ってるかな?)探してると
仰っていたので…。
いやぁ…はな。さんの旗本学の深さ
…全く恐れ入り奉りまするぅ
Commented by はな。 at 2013-11-08 14:27 x
奈桜さん、こんにちは!

>「痴雲随筆」
ちょっと・・・この名の史料に心あたりがなく(ど忘れかも・笑)
ちょちょっと検索したのですが、うーん・・・・みつかりませんでした(汗)。
水野さん、静かな余生を送るまえに亡くなられたので、随筆を書くイメージがわかないのですがっっ、
水野さんの書かれた記録というと、
本文にもある東京大学史料編纂所データベースで閲覧できる
『水野忠徳事蹟』かな??っと。
(重子さんのお役にたたず、申し訳ござらんっっ)


Commented by 奈桜 at 2013-11-08 19:14 x
はな。さん、こんばんは。
遡った記事へのコメント、
お許しくださいね。
そして、お返事くださって
ありがとうございます!

そうなんですよね、やっぱり…
私も辿り着けません
重子さんの勘違いかもですね。
しかし、彼女85歳にしてバリバリの
現役ですよ…凄いなぁ
ネットをお使いにならないから
はな。さんに会わせられないのが
残念でなりません。
Commented by はな。 at 2013-11-09 09:52 x
奈桜さん、おはようございます☆

河合先生、
85歳にして現役とは、本当に素晴らしいです。
新しい本・・・・・出ないかな~などと
まだまだ期待しております。

>はな。さんに会わせられないのが残念でなりません。
滅相もない、わたしの出る幕ではありません(笑)
奈桜さんと河合先生の深い慶喜公談義の場に、
わたくしなど、あまりにも不似合いすぎます~~っ(爆)。

しかしながら、それとは別に、よろしくお伝えくださいませ♡

by aroe-happyq | 2013-02-19 10:06 | 外国奉行ズ | Comments(10)