東都アロエ

asiabaku9.exblog.jp

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

3年。

3月11日という日にこういう記事を書くと、
なんだか「節目だけ」感がありすぎて、
なんとも複雑な気持ちになります。
でも忘れたふりをするつもりもないので、
やっぱり書いちゃいます。

私などは3年経って、記憶が薄れるどころか、
ますますしっかり心に刻まれ、深くいろいろ考える事が多くなりました。
震災前から始めたウォーキングのおかげで、このところ、
足がますますたくましく成長しているように、
3年(と半年ぐらいかな。←足のほうですが)という月日は、
こんなにもなにかを変えることができる、長いともいえる歳月です。

3年経ったからこそわかる事、見えてくるものがたくさんあります。
2年目と違うのは、
希望の光がみえていても、実際にその光が届かない。
届くのに時間がかかりすぎている。
どうもそういう事がはっきりと見えてきた1年だったような気がしています。

それでも、少しずつ復興が前に進んでいるということには
間違いない。でももうちょっと速いといいのにな、と思います。


この1月に Eテレで放送した
「 戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第5回福島・浜通り」
を見ました。
双葉町等が福島第一原子力発電所を、安全性に不安が拭いきれないまま、
受け入れ、そして増設につぐ増設の「悪循環」に陥っていく、
戦後60年以上の福島・浜通りの歩みが紹介されていました。
原発は本当に安全なのか、という疑問を、双葉町の人は、
東電よりも、中央政府、そして政治家(田中角栄とか、その時代の重鎮が出てた)に
何度もぶつけたけれど、根拠のない安全神話で誤魔化され(と私は見ていておもった)、
そうした陳情のたびにお金が町に注がれ、増設が決まっていく。
ほかの原発も、きっとこうして原子炉が増やされていったのだろうけれど、
それぞれの電力会社よりも、やはり中央政府と政治家(自民党政権だったわけですが)
の責任はどうなんだろうか、などと、この番組で戦後政治と原発設置の
密接な関係をみてしまうと、やはり考えてしまいます。
福島第一原発が建設され、次々に増設されていくのを、
不安のなかで見守ってきた(そうせざるおえなかった)、元双葉町の町長だった方は
震災数日後、避難所で亡くなられたそうです。
その時、どんなに無念だったことでしょう。
これから、どういう災害があるかはわかりませんが、それに関連して、
もう二度とそんな無念の想いを抱いて亡くなっていく日本人を出さないよう、
願うばかりです。
[PR]
Commented by 赤べこ at 2014-03-11 23:25 x
安政江戸地震の記録などを見ると、幕府は地震発生後、すぐ被災者支援に動きだしたようですね。
炊き出し開始、お救い小屋設置、救援米の配給など、通信機器もない江戸時代のほうが今の政府より対応が早かったというのはどういうことなのでしょう…?
太平洋戦争時に起きた大地震が、国民の士気を落とすという理由で報道もされず闇に葬られたことを思うと、明治以降の政府(もちろん今のも含めて)は、国民にとって本当にいいものだったのか疑問に思います。…あのころ(江戸時代)に帰りたい…かも。
Commented by きりゅう at 2014-03-12 10:58 x
東日本大震災から3年、阪神淡路から19年目の今年ですが、今回特に思ったのが日本人は自然災害の地震に対しては強いんじゃないか、ということです。身内を亡くした方や家を失った方など、復興の遅さにさまざまなジレンマもあろうかと思いますが、それでも1歩ずつ進んでいる感じがします。
ただ大きく違うのが「フクシマ」です。
原発に関しては、やはりどうしても人災という思いがぬぐえません。自然災害と折り合いをつけて生きてきた日本人が初めてぶつかった大災害という気がしてなりません。
頑張っていれば、もと通りではないけれど、でも必ず元通りに近い状態にまではなって行くよ、とはいえない福島の現状に、ただの自然災害とは違う思いをつのらせずにはいられません。
でも自分に何ができるかというと、何もできない現状なのですが、ただただ二度と同じことは起こらないでほしいと祈るだけです。
Commented by はな。 at 2014-03-13 19:43 x
赤べこさん、こんばんは!

江戸は超火災都市なので、政府(公儀)は
炊き出しやお救い小屋の設置手配などに慣れているという事と、
市民の自治がしっかりしており、家賃からの積立金が大家の元で
プールされていて、長屋が壊れればすぐに再建できる仕組みがありました。
(1ヶ月後には新居に移れたという長屋もあったそうです。大家が豪商の場合、
新居用の材木まで備蓄しているという、備えは万全という場合の話ですが)
武家のほうが可哀相で、屋敷が壊れれば自腹か借金での再建なので、
むしろ町家よりも復興復旧が遅かったといいます。
こうして江戸は災害対策万全だったわけですが、よく考えると、それだけ
火災が多かった、恐ろしい都市だったともいえます。
「一生に一度は凄い火災に遭う」とどこかの旗本がぼやいてましたが、
こういうぼやきを読んでいると、
災害対策に不馴れというのも、ひとつの幸せかも・・・・などとも考えてしまいます。
Commented by はな。 at 2014-03-13 19:45 x
きりゅうさん、こんばんは。

仰るとおり、東日本大震災は「人災」による福島の事故が本当に大きいです。
日本人だけでなく、世界的にも初めて経験する事故でした。
この先、どうやって収束していくのか、その道筋すらぼやけていて、
見守るしかできない身としては、不安でいっぱいです。
だからこそ、二度と同じようにならないでほしい。
いつかはかならず起る、東海や南海のほうの大地震への対策を
お願いだから万全にして~~~~っと、
神社に出会うたびに、手を合わせています。

by aroe-happyq | 2014-03-11 19:33 | ほんの世間話 | Comments(4)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq