人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログトップ

東都アロエ

文久3年 神奈川奉行VS 慶喜 パート2 【追記あり】

パート1にあたる記事は、こちら

一年以上も前の記事に突如、続きができたのは、まったくの偶然にもうひとつ史料と
めぐりあったからであります(笑)。

1のほうは浅野側の談話ですが、2のほうは同じことを慶喜が伝えた書簡でして、
びみょうに両者の描写が違うので、これはおもしろい!と思いまして紹介する次第です。

今回の書簡史料は、『小笠原壱岐守長行』(近代デジタルライブラリーで公開中→こちら
この本の201Pに、その書簡が載せられております。

宛先は在京の板倉&水野老中。
慶喜としては東帰したときの様子を伝えようと思って書いたようです。
(ただ、こののちほどなく、将軍後見職を辞めるという流れがあることを頭に置いて読んだ
ほうがいいかもしれない書簡です(笑))

そのなかで、
(文久3年5月)八日八時前、金川(神奈川)へ着、其より同所奉行を呼出、

イギリスとの生麦賠償問題の経緯をたずねたりして、
その後慶喜が(それが使命なので)賠償金支払い拒否、そして鎖港談判実行の話に及んだところ、

両人大に怒気を含、如何成訳に而攘夷の御請致し帰府いたし候哉と種々及議論候故、
京師の御模様委細に相話、此度は是非とも攘夷不被遊而は御請の証も難相立、
御職掌へ被対御済不被遊候旨段々及説得候処、
たとへ上(家茂)の御身は如何様被為成候とも皇国の御ためにはかへられずと
更に取敢不申、猶及議論候処、此上強而攘夷被遊候に於而は
小子(慶喜)を差殺候もの必出来可申旨申聞候


となったという。

ポイント①は、浅野談話では語られていませんが、


両人大に怒気を含


となんだか最初からブチ切れていた様子だったこと。

浅野談話では、部屋の外には攘夷派の猛者で溢れかえっているので、
あまり大きな声を出さないほうがいいと慶喜に注意されていたにもかかわらず、
開港開市への熱い想いとこの数ヶ月に及ぶ賠償談判のストレスからか、
ついつい大きな声になってしまったのかも??

そしてポイント②は、
たとへ上(家茂)の御身は如何様被為成候とも皇国の御ためにはかへられず

これは浅野談話では「君家の禍害は君家の禍害にとどまりて、
日本不実・不信の名実は、わが皇国の安危存亡に関わるものなり

にあたる所だと思いますが、
慶喜書簡だと、「日本のためなら家茂の御身がどうなってもいい」という、
さらにセンセーショナルな言い回しになっています(笑)。

そして最大のポイントはその③。

此上強而攘夷被遊候に於而は
小子(慶喜)を差殺候もの必出来可申旨申聞候


これ以上、攘夷をすすめるならば、あなた(慶喜)を刺し殺そうとする者が
必ず現れる、とはっきりと脅迫された、というのです(笑)。

いろいろ慶喜の本とか史料をみてきましたが、
こんなに露骨に慶喜と対面している状態で、暗殺をほのめかすような脅迫をやらかした場面を
みたことがありません。神奈川奉行たち、なかなかツワモノであります。

それにしても、
浅野談話とは随分と違う雰囲気だったことが慶喜書簡では語られております。

慶喜書簡のほうが5月17日の書簡ということで、生々しいわけであり、
浅野さんは明治以後、公爵徳川家の家令となって、そのあとの談話でもあり、
まさか徳川家の人をブチ切れ状態で、脅迫しましたとは語れないし、
ひょっとしたら数十年たって、浅野のなかでは美しい思い出になっていて、
そういう都合の悪い記憶はなくなっていたのかもしれません(笑)。

ただ、慶喜もほうもこののち、後見職を辞めるわけ(20日に辞表提出)で、
「関東でこんなたいへんな目にあっているのだ」調の書簡演出がなかったかというと
さてさて、そのあたりは疑問だらけでございます。

どっちの言い分をとるというよりも、どちらの言い分の中庸をとっておけば、
このあとの厠へ立つ慶喜公のかっこいい演技(笑)はそのままいけそうなので、
(やはりこの部分は本当であってほしい一番のポイントかと(爆))
今のところは、そういうことにしておこうかと思います。
ただこれはわたしのただの私見ですので、みなさまそれぞれに、
解釈なさっていただければ幸いです☆
なにせ、解釈の自由こそが、こういう史料と接する醍醐味でありますから♪

(以下余談)
実は、浅野談話では神奈川奉行が浅野&竹本になっていますが、
慶喜の書簡だと浅野&山口になっています。

で、いろいろ調べた結果、山口信濃守が同行したことがわかりました。
『横浜市史』資料編5 260Pをみると、
この日、神奈川にいるのは浅野&山口なんです☆

とはいえ、『慶喜公伝』には浅野しか登場せず、もうひとりの神奈川奉行は出て来ません(笑)
だって、ずっと一人で喋り続けていたので・・・・・。
山口の影はめちゃめちゃ薄い・・・・・。
Commented by 奈桜 at 2015-02-18 08:25 x
おはようございます!はな。さん♪
うわぁ…朝から見ちゃって
これは一日、仕事になりませんぞ。
ありがとうございます!
ちょっと時間をかけてじっくりと
読み味わいたいと思います。
いやいやいや…この辺りの人間関係とかも
まだまだ分からない事だらけだなぁ…
と言う思いなう。
Commented by はな。 at 2015-02-19 19:27 x
奈桜さん、こんばんは!

ちょっと久々になってしまった、慶喜公記事。
奈桜さんに楽しんでいただけているなんて、
こちらこそ嬉しいです☆

この時期の登場人物はとてつもなく多いですっっ。
わたしもすべて把握できているかというと、できていません!(笑)
(だから、慶喜さんをちゃんとドラマにすると2年かかるのですっっ)

ただ、このダブル神奈川奉行たち、
この文久3年春に、慶喜公が京で開国派過ぎて、攘夷派のわからず屋を相手して
いたら神経衰弱になって松本良順に治療された事件は知らないらしい・・・・。
京と江戸、情報の共有がされていない、かなしみがあります。

Commented by 奈桜 at 2015-02-19 22:30 x
はな。さん、こんばんは。
本当にいつも素敵な慶喜公記事をありがとうございます。
おっしゃるとおり、彼をとりまく人物は
たくさん居すぎまして、彼しか見えない
大馬鹿ヤロウの私めは、どうして良いやらオロオロする
ばかりなんですが、こうしてはな。さんが
「ほら、こんなのどうよ」とばかりに
投げかけてくださるのは、もう涙ちょちょぎれるほど
嬉しい限りです。感謝感謝。
実は、某一橋家に詳しそうな方々の講座などで
話を聴いていても、この場面(賠償金支払い)は
基本、スルーなんです!ことごとく。
(美賀さんが徳信院にヤキモチ焼く話とかはするクセに~)
なので!はな。さん!
これからもどうぞ宜しくお願いします~!
ついていきますぅ~^^
Commented by はな。 at 2015-02-20 18:19 x
奈桜さん、こんばんは♪♪

慶喜公ファンになられたら、
正直、ほかの人びとはかすんでみえなくなるのは必定(笑)。
星の輝きでいえば、慶喜さんだけ超一等星ですから(あるいはポラリス!)。
そして調べる情報がこの方ひとりだけで10人分ぐらいあるので、
そこでさらにほかのみなさんを知ろうとすると体力持ちませんから、
もう、その他大勢はうちのブログに委せておいてください(と大口をたたいてみる(笑))♡

そして一橋家にお詳しい方でも、やはり生麦賠償一件はスルーですかっっ。もったいない~~!!
「図書はまだ来ぬか」は慶喜公の「残しておきたい名台詞18番」のひとつだと思うのですが~~っっ
よ!一橋!!とつい、神奈川宿の宿舎の外から、大向こうさんしたくなりますのに(爆)。

とはいえ、この時期、幕末史の流れ的には、
舞台はもう京都に移っちゃっているんですよねっ。
幕末アイドル志士などが、京に集結しているし(汗)。まぁ、有名だからといって歴史の役に立ったかというとそれはまた別の話なのですが(笑)。
わたしは地味でも無名でも日本のためにがんばった江戸留守組を応援していきたいところです。
(・・・・あ、永井尚志は京都なんだけど(爆笑))
by aroe-happyq | 2015-02-17 14:34 | 外国奉行ズ | Comments(4)