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東都アロエ

文久2年の終わりの、外国奉行の率直すぎる発言②

パート①から、4ヶ月経っちゃいました~~~~~っ。

ええと、前のは→こちらです

今回も引用させていただくのは、
『幕末のフランス外交官 初代駐日公使ベルクール』
(アラン・コルナイユ著 矢田部厚彦編訳 ミネルヴァ書房)です。

時期は、会談記録から、1863年2月(文久2年12月)。
当時、14代将軍徳川家茂の上洛準備が本格化し、将軍を京で出迎えるべく、
老中小笠原長行や、将軍後見職一橋慶喜があいついで、上洛していました。

そのころ駐日公使ベルクールと外国奉行竹本甲斐守正雅は何度か極秘会談をしていて、
ベルクールは率直にかたる竹本に日本の政治情勢を細かく質問していた。

しかし前回紹介したような「徳川の敵は薩摩と長州です」の率直発言は、
竹本が老中と相談のうえで、おこなった政治的な発言なのですが、
今回のは・・・・竹本の個人的な見解にしか思えず、前回紹介の率直発言と
その性質が異なるようにしか思えません(汗)。

というわけで、ほんのささいな質問からはじまった、竹本さんの暴走をお楽しみください(笑)。
(以下、『幕末のフランス外交官 初代駐日公使ベルクール』165P~)

ベルクール「しかし幕府の役人によれば、京都での一橋の使命は、問題解決のために
       将軍が与えたものであるという。
       とすると彼(慶喜)は、将軍の友、それも心から許せる友ということになる」

ベルクールさんは東洋についてかなり知識を持った人で、知日派といっても過言ではなかった。
なので、この人からすると、日本の情勢の改善を願っておこなった発言だったのですけど、
これが竹本の心のなかの思わぬ地雷を静かに踏んでしまったのでした・・・・・・。

先方(竹本)「一橋は、使命を帯びて上洛するのではない。彼は、将軍から命令されたから上洛
       したのであって、彼は京都滞在を利用して彼自身の利益のための謀略に専念するかもしれない。
       彼は、将軍にとってうわべだけの友だからである」


今どきの流行の言葉でいえば、突然、フランス公使の前で慶喜のことをディスりはじめたのだ!(笑)

たしかに慶喜は家茂の心から許せる友ではないし、うわべだけの友といえるかもしれない。
しかし「使命を帯びて上洛するのではない」とか「京都滞在を利用して彼自身の利益のための謀略に専念」
までいってしまうと、もはや名誉毀損問題ではあるまいか!?

竹本甲斐守は、率直な発言をする人だが、このように誰かを悪くいうことは極めて少ない。
(やや、小笠原長行にも、かな(笑))。
いったいどうしたんだ、竹本!と思ったのだが、
それは彼の経歴をみれば、頷けるものでありました。

竹本正雅プロフィール(号:蘇軒)

文政9年(1826)生まれ。
天保14年 部屋住より小納戸(布衣)。
弘化2年 西丸小性 諸大夫
嘉永6年 本丸小性
嘉永7年 中奥小性
安政5年 小普請組支配 
安政6年 外国奉行 、神奈川奉行兼帯
文久2年 大目付 外国奉行兼帯


と、これをみてお分かりかと思いますが、弘化2年から安政5年まで、
13代将軍家定の小性まっしぐらだったんです!
この人の主君はおそらく永遠に家定公でありましょう!!

おぼえておりますでしょうか、拙ブログのこの記事→こちら

御美麗ではなかった家定は、「超・超・超」御美麗の慶喜の姿に、
キャーキャー騒ぐ大奥女中たちを眺めて、
「言わなくてよいことを口にする」と苦々しくつぶやいておりましたそうですが、
竹本正雅は、まさにその家定のそばで、主君とともに悔しさに耐えていたわけです。
主君が慶喜嫌いなのに、小性の竹本が好感を抱くわけありませんね(汗)。

こうした経歴から「反一橋派」でしょうし、家茂将軍の心から許せる友なんて言われると、
つい昔の恨めしき想いがぶり返してしまったのでしょう。

なので、竹本はなお暴走します(笑)。

ベルクール「一橋が長い行列と大量の武器を従えて東海道を行くのを見たが、
       衛兵の数は三千ないし四千で、その大半は洋装していた」

ベルクールの住んでいる、フランス公使館は神奈川宿の甚行寺にあったので、
公使は東海道を行く慶喜の上洛行列を見物したらしい。

洋装していたネ、ってそんな軽い好奇心での発言だったのだが、
これがまた竹本の地雷を踏んだらしく、思いも寄らない返答がかえってくることになる。

先方(竹本)「一橋の行列が通るのをご覧になったというのはそのとおりかもしれない。
       しかし彼は、わが国の一般原則に倣って大名行列するよりも、海路を好むと言われている。
       同じ日、老中小笠原が京都へ行くために蒸気船で大坂へ向かったのを思い出していただき
       たい。小笠原の側近の人々のなかに大きな外衣を着た人物が確認されており、
       その人物に対して、小笠原が特別丁寧に敬意を払っていた。そこから、この人物は
       一橋慶喜だったのであり、彼はその宿敵である井伊掃部頭の家領を陸路通過するのを
       避けたのだろうと言われている」


たしかに慶喜の海路上洛話は噂ではあったみたいなんですけど、
今のところ、陸路で行ったことになっていますよね。
つまり、竹本は正確な情報ではないことを、外国公使に話してしまっているわけです。
(普段は冷静沈着で、たいへん優秀な外国奉行なんですよ!竹本さんって!)
しかもこの竹本情報での慶喜は、ついに井伊さん(故人)と宿敵に
されちゃっていますが、大丈夫なんでしょうか??
ちなみに、ここで確認のとれている正しい情報は、
慶喜さんが、海路好き、というか蒸気軍艦に乗りたい人という情報だけな気がするのですが、
竹本さん、本当に大丈夫なのでしょうか(笑)。
(これでいくと、ベルクールのみた行列にいた慶喜は影武者になっちゃうってことですよね?
・・・・まぁ、乗物に乗ってたら誰が乗っていても、わからないけど)

ここでベルクールさんは、なにか察したのか、ちょっと話をかえてみようと「小笠原も京都に行った
のですよね」と竹本に振ってみた。

しかし、これもなんだかいけなかったようなのです・・・・・(笑)。

先方(竹本)「彼も天皇に呼び出されたのである。彼は大名でもないのに、
        身分の低い地位から外国事務総裁という要職に取り立てられた人物である。
        朝廷は、京都に到着した将軍に浴びせる訊問の基礎になる情報を
        小笠原から嗅ぎ出せると思っているのだろう」


うわーっ、小笠原さんも、竹本さんにディスられちゃいました。
これじゃ完全に朝廷の犬扱いです(笑)。
文久2年6月に、島津久光が勅使の大原と江戸へやってきて、家茂に対して
政治改革を迫りましたが、それによって政事総裁職になった一橋慶喜はもちろん、
外国事務総裁になった小笠原も、
竹本さんはどうやら、お気に召さないようであります(笑)。

ベルクール「ということは、将軍は自分の蒸気船を使って、多分京都で彼を裏切るだろう、
       一橋に老中を随行させたことになる」

ちょっとびっくりしつつも、ベルクールはヘンなスイッチの入った竹本から、
思わぬ日本の裏情報が聞けて、それはそれでラッキーと判断したのか、
そこから攘夷大名について、たくさん質問攻めにしていった。
(でも、慶喜から話題が離れたので、いつもの竹本に戻りました)

このやりとりを読むまで、
文久2年12月のはじめ、上洛御用、そして一橋刑部卿随行員として京へ行く支度を
していたはずの大目付竹本甲斐守が突如、上洛御用御免となり、外国事務に復帰した一件は、
いろいろな本に出ているように「対英交渉に手練れの竹本を今後の生麦賠償問題のために
江戸に残すことにした」という説を信じていたのですが、
それならそもそも上洛御用にしないだろうし、急遽大目付岡部駿河守が代役で
慶喜の世話役として上洛することになるものおかしい。
慶喜が嫌いな竹本さんは、上洛御用に決まってからの数週間、上洛御免になるように
なにかしらの運動をして、どーにか江戸に留まるようにもっていったのか、
あるいは一橋家のほうから、竹本じゃなくて慶喜さんと意見の合う(ともに開港開市派)の岡部
にかえて、と老中筋にかけあったのか、いずれにせよ、そういう理由のような気がしてきました。
(でも慶喜ファンとしては、岡部に代わってよかったです。だって、岡部だったからこそ、
上洛して神経衰弱になった慶喜に、江戸から旧知の松本良順を呼んで大胆な方法で早期治療
をやってのけましたでしょ。竹本だったら、・・・・・・うーむ、ノーコメント(笑))

そして、こののち、生麦賠償問題で大活躍する竹本甲斐守ですが、
賠償交渉の全権委員として、京から小笠原図書頭が江戸へやってくると、
とたんに、生麦交渉の場から姿を消し、イギリス公使たちに心配をかけたのでした。
(イギリス公使たちは、数年前に外国奉行の堀織部正がプロイセンとの交渉から消えたとたん、
切腹してしまった例を思い出して、竹本の身を心配した次第)
でも、これも、いろいろな本で、小笠原と賠償金の支払い方法で対立し、それきり竹本は交渉委員を
クビになった・・・・・という説がありましたが、さてはてそれもどうでしょうか。

竹本甲斐守、ひょっとしたら、嫌いな人と一緒に仕事なんかできないので転属させてもらえますか、
といえる、当時では珍しく、老中たちにNOと言える男だったのかもしれません。
(ちなみに、竹本はこののち京へ行きますが、小笠原があの率兵上京事件で御役御免になると、
さっそうと外交交渉の場に、復帰するのです(笑))

竹本甲斐守は、外国奉行としてたいへん優秀な人で、このあとも
長らく外交を担うことになります。
ひとつの役職に長くいると、とかく出る杭として、良い評価をもらえないらしく、
竹本のことも、当時の人物評でけっこう賛否両論ですが、
とにかく激務で体調をこわしても、働き続ける姿は実に立派で素晴らしい方です。

慶応4年まで留守居をつとめて、徳川瓦解ののち、江戸で隠居生活をするわけですが、
最期がお気の毒。
明治元年10月、治安が悪かったせいでしょうか、
にわかに自宅に押しいった強盗によって、殺害されてしまうのでした。享年43歳。

この竹本正雅については、論文ですが、
竹本正尚「外国奉行 竹本淡路守」(『古文幻想』1号)
松平千秋「旗本こぼれ話 外国奉行竹本正雅と幕末外交1~3」(『大日光』72~74号)
に詳しく書かれております。
興味をもたれた方はぜひチェックしてみてくださいませ。

わたしは初期外国奉行ファンですが、後期外国奉行では、浅野氏祐とともに、
この竹本正雅のファンです☆
浅野は史料を読んでいても、けっこう喜怒哀楽をみせてくれるのですが、
竹本はいつも隙のないほど完璧な人で、いまいち人柄がみえなかったのでした。
でも、このフランス公使とのやりとりで、慶喜嫌い、小笠原もついでに嫌いらしい!?
そしてその件では我を忘れて暴走するんだ♪かわゆい、という竹本の一部分を覗くことができて、
なんとも嬉しくて(笑)、ついつい記事してしまいました。

なので、どうかこの記事だけを読んで、竹本を判断しないでくださいね!
いつもはこんなに感情的に語るタイプじゃなんですよ~~~っ
すごくきっちりとお仕事する人なんです☆
(ううむ、これでフォローできているといえるのだろうかっっ)


ただ、いきなり慶喜について思いがけない返答をくらったときの、ベルクールの表情がどんなだったか、
かなり興味津津です(笑)。
Commented by 奈桜 at 2015-12-24 00:02 x
待ってました!!!
お久しぶりです、はな。さん。
本当にあっちゅー間に年末ですね。
そかそか。ある意味慶喜さんは命拾いしたのかもですねっ(笑)
だけど、陸路上洛は初回なのに
洋装…って、マジですかっ?
なんだかそこのところはガテンがいきやせんが
いや、でも、しかし。
面白いお話でした!ありがとうございます♪
(てか、自分でも本を読みなさいよって話なのですが(苦笑))
松平千秋さん…私の師匠は彼と直接会って話を聞いてまして
その時の四方山話、いつかお伝えできればと
思うだけは思っております←
(纏めてないんですよぅ泣)
師走の慌ただしさと寒気の折り
はな。さんにおかれましても
お身体ご自愛のうえ、お健やかに新年をお迎えくださいましね。
Commented by はな。 at 2015-12-24 09:39 x
奈桜さん、お久しぶりです☆

パート2を今年中に更新できてホッとしております(笑)。

慶喜さん、ご本人のまったく関係ないところで、勝手に嫌われて
気の毒でございます(涙)。
(しかしこの方ほど大物となると、ある部分は致し方ないのかもしれませんが)

ベルクールが洋装といっているのは、筒袖系のなんちゃって洋装だと思われます。
文久2年に陸軍が創設されたばかりだし、まだフランス伝習のほうも本格化は
していないし、当時は攘夷が吹き荒れていたので、ガチ洋装で京都なんぞに
いったら、それだけでトラブってしまいそうですもの。

今年は暖冬でなんか妙な気候ですが、
もうじき寒波がくるようですし、奈桜さんも風邪など召されませんよう、
お気をつけになって、穏やかにお正月を迎えられますように!
Commented by 赤べこ at 2015-12-25 17:20 x
竹本正雅さまっ!
一気にファンになってしまいました~♪
ワタクシはコテコテの南紀派ですので、竹本さんには親近感てんこ盛りです!
新年を前に良い情報をありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたしまする~♡
Commented by はな。 at 2015-12-26 14:19 x
赤べこさん、こんにちは☆

あらまッ!コテコテの南紀派なんでございますね!(笑)

竹本さんの場合、ガチの家定派なのかもしれませんが、
反一橋派であることは、100%間違いなさそうです。
(外国方、わりと一橋派系がおおいので、そのため、
竹本は孤高の人だったのかもしれません)

なにはともあれ、本年中素敵なコメントをたくさんお寄せいただき、
地味な拙ブログに華を添えてくださり、誠にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします☆

ではでは、よいお年を!
Commented by 赤べこ at 2016-02-05 08:36 x
おはようございます。
昨日、横浜開国資料館で「幕末・明治のプロイセンと日本・横浜」展を見てきました。
その中に、シーボルトあて外国奉行書翰が2通ありまして、その中に↑竹本さんの名が!
いままでなら「ふ~ん」だったはずなのに、こちらの記事のおかげで昔の友だちに会ったような気分で、すごくテンションが上がりました♪
1粒で何度でもおいしい記事をありがとうございます♡
Commented by はな。 at 2016-02-05 10:15 x
赤べこさん、こんにちは!

横浜の展覧会、行かれましたか!
この展示、国立歴史民俗博物館で開催されたものの幕末~明治のみ展示、
という美味しい企画なんですよね♪(ほかの時代のドイツにはそんなに興味なし)
千葉のほうは行きそびれてしまったので、こちらは絶対に行きたかったりします(笑)。

いや~~~竹本さんのお名前、ありましたか♡
外国方の在任期間が長いので、これからもけっこういろんなところでこの名、
そしていとこの竹本隼人正のほうも、みかけるかもしれません。

ちょっと知っている名前があると、古い友人に再会したみたいで嬉しいですよね(笑)。
この資料館には常設ブースに木村摂津守喜穀の名刺(英語表記も有り)があって、
行く度に「お久しぶりです」と挨拶してしまいます。
Commented by 赤べこ at 2016-02-05 10:42 x
>そしていとこの竹本隼人正

ありゃ…もしや…!?
昨日は「竹本」の文字を見た瞬間、
「竹本キターっ!」
と、舞い上がってしまい、守名をよく見てなかったかも……orz
後日確認しに行ってまいります(トホホ)。
(木村さんの名刺はバッチリ見ました♡)
Commented by はな。 at 2016-02-05 17:59 x
隼人正もけっこう働いているので、ありうるかもしれませんネ☆

たまにふたり揃ってる場合もあり、W竹本バージョンもありますデス。
(外国側からすると、「どっちの竹本さん?」てけっこうややこしいかも(笑))
by aroe-happyq | 2015-12-23 14:30 | 外国奉行ズ | Comments(8)