東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

大坂夏の陣後、琉球に大坂から「位の高い」落人が潜伏?

昨日、直虎の予告をようやくみましたが、うわーー、なんだ三角関係とかで引っ張るの!?
戦国大河で恋愛ネタメインは、辛いものがあります(幕末もだけどね)……。
やばいな、「江」並みにつまらない戦国大河なのかも??
(真田丸の次にこれは。きついっすねぇぇぇぇ)

毎回、真田丸ロスを叫ぶ記事ばかりではあれなので、
今回はちょっと歴史に絡ませたファンタジーなお話を。

前から近世の琉球史が好きで(とくに外交面)、ちょこちょこ本を読んでいるのですが、
『目からウロコの琉球・沖縄史』(上里隆史著:ボーダーインク)にこんな話が載っています。

平戸のイギリス商館長リチャード・コックスは日記に「秀頼は大坂から落ち延びて、生きていると人びとが噂している」
と記録しています。コックスは作り話だと一笑で終えていますが、
徳川家はけっこう真面目に気にしていて、琉球に秀頼がいるのではないかと疑っていたようです。
徳川が台湾攻略のために、大坂夏の陣一年後に、軍船を派遣しますが、その真の目的は
琉球で秀頼を探索するためだと、人びとの噂になったとも。

1614年、ウイリアム・アダムス(三浦按針)は、シャムへ貿易に行く途中、
琉球に寄港した際、大坂から落ち延びてきた「位の高い人物」が首里に来たことを聞いています。

この当時、戦国の世から元和偃武といわれる平和の世へ移行中の日本からは、
10万人ともいえる、移住者が東南アジアへ渡っていたそうです。
豊臣方として戦っていた人たちが、傭兵として東南アジアへ多く渡ったとも言われています。

で、この「位の高い人物」が豊臣秀頼だとする説があるそうです。
(「豊臣秀頼琉球潜伏説」田中健夫『東アジア通交圏と国際認識』)

よく、豊臣方が薩摩に逃れた話はありますが、琉球のほうがさらに安全です。
それに当時の琉球は1609年に島津侵攻により、占領下にあり、
島津さえかくまう気があるなら、秀頼も真田信繁なども、じゃんじゃん琉球にかくまえてしまえます。
 
とはいえ、たとえかくまわれていたとしても、
頭のなかには、秀頼が那覇の海辺で、三線(さんしん)持って、「海の声」を唄っている図しか浮かばない(笑)。
……なんて、想像力が貧困なのかしらっっ。



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by aroe-happyq | 2016-12-22 11:51 | お知らせ | Comments(0)

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