東都アロエ

asiabaku9.exblog.jp

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

本日、永井尚志の命日でありますので。

本日は、永井尚志さんの命日(明治24年7月1日没)です。

今年は、没後、126年ですね。

永井さんについては、ほぼ毎年、7月1日前後の記事で、何かしらネタにしてきましたし、
とくに新しいネタはないのですが、「星のとりで」1巻を読んでおりまして、
表紙カバーをとった、中の漫画(こんなところにまで、描き下ろし。なんて愛がいっぱいな作品♪♪)をみていたら、

中島三郎助&永井玄番のところに、「永遠の少年」と書いて、「おやじ」とルビが振ってありまして、

「そうなんです!!!ホントにそうなんです!」と激しく同意しておりました。


中島さんは少し大人だけど、永井さんは、幾つになっても「夢見る少年おじさん(晩年はおじーちゃん)」です(爆)。

学識もあり、かなり高徳な人物にもかかわらず、恐るべきバイタリティと、諦めない心の根幹には、
生涯にわたって、少年が住み続けていたように、思います。

(だから、息子か!?ぐらい歳の離れた、ぶっとんだ個性の若者たちと、いつまでも話が合うんですよね)


少し前に、『昨夢紀事』だったでしょうか、一橋VS紀州の将軍継嗣問題のまっただ中のあたりを読み返していたのですが、
永井さんの暴走が、派手すぎてヤバイです。思い込んだら、まっすぐ、命も顧みず、飛び込む40すぎのおっさんがいました。

当時、勘定奉行になっておりまして、安政5年のはじめの頃です。
盟友の岩瀬忠震が、堀田老中に附いて、上洛中。
永井は、老中衆に、「一刻もはやく、一橋公を御養君と定め、公表してください!!!」と、詰め寄ってしまうのでした。

当たり前ですが、勘定奉行だろうと、こんな話を、老中にしては、切腹モノのアウト行為です。
これを聞いた、井伊掃部頭が(まだ大老ではないのですが)、「なんたる無礼」と切れてまして、
これが、永井の大獄での処分の本当の理由だったよし。

でも永井たちの焦りは、安政~文久年間を調べるほど、よーく理解できてしまいます。
家茂さんの時代に、どんどん京やら西国が強くなってきて、徳川の威勢が弱くなっていきます。
これらは、家茂さんの責任ではありませんが、もしも、彼が25才以上だったら、状況が大きく変わっていました。
だから、一橋派の、「先に慶喜公、その次に家茂公」という将軍の順番の主張は、当を得ていたと。
上洛先で起きた、数々の家茂さんの悲劇を思うと、永井たちの「即戦力求む」の考えは、間違っていなかった……と思う次第です。
(名君の資質がある、家茂少年の成長を待ちたかったので。あんなに若死にさせるなんて、本当に惜しかったです)

いつも、理由あっての大義ある暴走ですが、永井尚志は、けっこう、繰り返していた気がする。
そのパワーの原動力が、「少年魂」かと。これ、岩瀬忠震や、島津斉彬にもありましたね(笑)。

だいたい、50過ぎて、蝦夷に行きます???
このおじさん一人が、箱館脱走軍の平均年齢を上げてるのですよ。
いくら、釜さんにお願いされても、「もうじじいだし」って、ご辞退しそうなものです。

でも、行っちゃう!
そして、脱走軍の保護者として、釜さんと共に、責任をしっかり負おうとする。
この尚志少年おじさんは、なかなか、男気もあります。



[PR]
Commented by きりゅう at 2017-07-05 08:53 x
弁天台砲台で桑名藩のために相馬を新選組局長に命じ、さらに降伏を説得するあたり、心は少年でも、やはり歴戦の政治家だな~と、その大人な判断に惚れ惚れします♡ 永井のじいさんがいなかったら、きっと弁天砲台は全員討ち死にしていたでしょうからね~。

あ、いや、中島さんが大人でないって意味ではなく……笑。でも、中島さんは与力で技術屋で、政治の中枢にいたことないですもんね。その差が最期の判断に与えた影響は大きかったんだろうな~。
Commented by はな。 at 2017-07-05 18:47 x
弁天台場での、永井翁の活躍はもうちょっと評価して貰いたいんですよねっっ
味方のみなさんに降伏を説得しながら、さくっと敵方と談判して、停戦にもっていくあたり、
(停戦→降伏の流れが、とてもスムーズといいますか)
さーすーが!慶喜の側近、老練なる名外交家♪って、惚れ惚れするんですけど、
まぁ、メインは五稜郭ですから(涙)。なかなか知られていなくて。

きりゅうさんの仰るとおり、永井翁がいなかったら、弁天台場は全滅だったと思います☆

少年の心を持つ、じーさまは、大坂城でわざわざ待っていてくれた板倉さんに「ご辞退」申し上げ、
開陽に乗らず、あえて若者たちとの苦難の江戸東帰を選ぶ人なので、
蝦夷に行ったのも、若い彼らを一人でも多く生き残らせなくては、との想いもあってだと。
獄中暮ししていた頃、「旧幕府の幹部だった永井の首一つで、榎本たちは放免」
との世間の噂が立ったときも、むしろ、永井としては、それこそ本望だと思っていたのではと考えます。

それはさておき、
中島さんは、名テクノクラートで、政治家ではないので、永井とはまた別ですネ。
充分、素敵な大人です♪
by aroe-happyq | 2017-07-01 19:02 | 外国奉行ズ | Comments(2)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq