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東都アロエ

立花種恭の老中日記の世界②~パークスと我慢くらべ

ちょっと先に飛んで、慶応元年9月26日

英公使パークスは、元来粗暴短気の性質、いわんや頃日、
皇国にきたりて我が国体事情を知らず。ゆえに暴言をふるひて延期をこばみ、
みずから上陸して京都へいたり、天皇陛下へ御直談におよび、
今度開港の儀そのほか数条を心のままに許可を得んとするにあり。


引用がながくなりましたが、かなりパークスに対しては厳しいのです。

実はこの日、立花サンにとっては大変な一日でした。

状況を説明すると、この当時、家茂は上洛中でしたが、
英国やフランスなどの艦隊が大阪へと押し寄せ、延期つづきの通商条約の勅許と、
神戸開港の許可を迫っていました。その回答期限がまさにこの9月26日だったのです。
当然、孝明天皇が勅許を出す様子もなく、当日をむかえてしまい、
立花は英国艦を訪れ、パークス、アメリカ公使代理スネル、オランダの・・・・長い名前すぎて割愛(汗)・・・・・彼らと会って、まずは10日の猶予をほしいと申し出た。

英公使パークス、たちまち声を発して喋々(ちょうちょう)の異論につのり、
いかがとも聞きいるべきの体、さらにこれなし。
すでに、再四、五におよびて、吾思えらく、勢いかくのごときにては、
もはや吾が命運盡きたり。
この上はこの場において屠腹(とふく)をなし、国に殉ずるのほかなし。


・・・実はこのつづきがあって(長いので省略)、
自分が腹を斬るだけでは悔しいのでパークスの首を討ち取ってから死にたいが、
全権公使を殺せば日本が危うくなるのでそれもできず、遺憾である・・・・と思いながら、

死なばやと内心に決し、両眼を閉じ、彼の言も答えず。
吾、一言せず。黙すること数刻!


パークスは突然、
「待つべし、待つべし、十日の延期!心得たり」
と一言発せり。


・・・・・・間一髪で立花サンは命拾いをした。

これ、吾が大難事中の一なり。


立花サンに限らず、こんなやりとりをしていては徳川と、
パークス・・・・ひいては英国とは、互いに仲良くはなれませんね。
客観的にみて、相性があいそうにあいません(笑)。
英国はほぼ間違いなく、薩長とのほうがキャラ的に・・・相性ぴったり♪

またこういう場にフランスがいないというのも、ロセス的にはポイントUPでした。
(どうもこの日記読んでいると、ロッシュというよりロセス・・・)
こんな偶然な状況もあって、フランスは徳川とどんどん接近していくのです。
(その愛の顛末(爆)の現場はまたいずれ!)

・・・・・・とその前に、前後して申し訳ありませんが、
ちょっと飛びすぎたので、次回は少し前の家茂上洛のところへ戻ります。
by aroe-happyq | 2007-04-17 10:30 | 幕臣系(老中など) | Comments(0)