2007年 04月 17日
立花種恭の老中日記の世界②~パークスと我慢くらべ
英公使パークスは、元来粗暴短気の性質、いわんや頃日、
皇国にきたりて我が国体事情を知らず。ゆえに暴言をふるひて延期をこばみ、
みずから上陸して京都へいたり、天皇陛下へ御直談におよび、
今度開港の儀そのほか数条を心のままに許可を得んとするにあり。
引用がながくなりましたが、かなりパークスに対しては厳しいのです。
実はこの日、立花サンにとっては大変な一日でした。
状況を説明すると、この当時、家茂は上洛中でしたが、
英国やフランスなどの艦隊が大阪へと押し寄せ、延期つづきの通商条約の勅許と、
神戸開港の許可を迫っていました。その回答期限がまさにこの9月26日だったのです。
当然、孝明天皇が勅許を出す様子もなく、当日をむかえてしまい、
立花は英国艦を訪れ、パークス、アメリカ公使代理スネル、オランダの・・・・長い名前すぎて割愛(汗)・・・・・彼らと会って、まずは10日の猶予をほしいと申し出た。
英公使パークス、たちまち声を発して喋々(ちょうちょう)の異論につのり、
いかがとも聞きいるべきの体、さらにこれなし。
すでに、再四、五におよびて、吾思えらく、勢いかくのごときにては、
もはや吾が命運盡きたり。
この上はこの場において屠腹(とふく)をなし、国に殉ずるのほかなし。
・・・実はこのつづきがあって(長いので省略)、
自分が腹を斬るだけでは悔しいのでパークスの首を討ち取ってから死にたいが、
全権公使を殺せば日本が危うくなるのでそれもできず、遺憾である・・・・と思いながら、
死なばやと内心に決し、両眼を閉じ、彼の言も答えず。
吾、一言せず。黙すること数刻!
パークスは突然、
「待つべし、待つべし、十日の延期!心得たり」
と一言発せり。
・・・・・・間一髪で立花サンは命拾いをした。
これ、吾が大難事中の一なり。
立花サンに限らず、こんなやりとりをしていては徳川と、
パークス・・・・ひいては英国とは、互いに仲良くはなれませんね。
客観的にみて、相性があいそうにあいません(笑)。
英国はほぼ間違いなく、薩長とのほうがキャラ的に・・・相性ぴったり♪
またこういう場にフランスがいないというのも、ロセス的にはポイントUPでした。
(どうもこの日記読んでいると、ロッシュというよりロセス・・・)
こんな偶然な状況もあって、フランスは徳川とどんどん接近していくのです。
(その愛の顛末(爆)の現場はまたいずれ!)
・・・・・・とその前に、前後して申し訳ありませんが、
ちょっと飛びすぎたので、次回は少し前の家茂上洛のところへ戻ります。