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東都アロエ

徳川後期の学問と政治 昌平坂学問所儒者と幕末外交変容

タイトルをみた瞬間、以前こちらでも取り上げた疑問が一気に解決できそうな、
嬉しい予感のした一冊。
でもちょっと厚くて、お高いので二の足を踏んでおりましたが、
古書店でみつけちゃいました☆

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眞壁 仁 著
徳川後期の学問と政治 昌平坂学問所儒者と幕末外交変容

名古屋大学出版会







やっと読み始めたところなのですが、
ジャンルでいえば「思想」と「史学」とどちらの方向からもつぶさに調べられていて、
(ちょっと想像しただけでも、とんでもなく苦労された事と思います)
しかも素人のワタシにもわかりやすく書かれていて、本当に有難き一冊です。

幕末初期外交(勝手に命名。ペリー来航から安政6年ごろまで)を担った
海防掛は老中・若年寄を除けばほぼ全員が昌平坂学問所出身者。
その彼らは幕末外国関係文書を読んでいても、慎重、積極などの違いはあっても
「開国」を強く意識しており、ペリー騒動で慌てて・・・というよりはそのずっと前から
しっかりと心の準備ができていたように思われていたので、
それらの源泉は昌平坂学問所にあるのだろうなぁ・・・・とは漠然と考えていたのですが、
答えはなかなかみつかりませんでした。
この本にはちゃんとワタシのほしかった答えが書かれています。

梅澤先生の論文を読んだぐらいでは初心者にはとうてい理解できるものではなく、
マジで困っておりましたから、どんなに嬉しいか(涙)。

そして、岩瀬や永井などのとんでもなくさばけた江戸っ子侍たちが
より立派な大人(爆笑)になれた学問所の秘密もわかったらなお嬉しい。
(この本では岩瀬蟾州と号のほうで表記されているのも、ちょっと嬉し♪
ちなみに蟾州(せんしゅう)の「蟾」とはカエル・・・・・・号までおちゃめな男)

学問所出身者で占めていた外交部門が、安政の大獄で彼らが
一掃されちゃってからの外交は・・・・立花日記をみただけでも、たいへんマズイ。
おかげで安政五カ国条約は不平等条約にまで堕ち、
今にいたるまで語られ続けております(涙)。
学問所出身か否かの差はたいへんに大きかったわけですが、
なにがどう違うのか、もこの本でわかりそうです♪


・・・とまぁ、まだ読み始めですが、我慢できなくて紹介いたしました(笑)。
by aroe-happyq | 2007-05-26 10:47 | | Comments(0)