2007年 08月 01日
2回目の八朔
徳川マニアにとってはささやかな祝いの日???(爆)。
そして気がつけばブログをはじめて一年たってしまいました(笑)。
飽きっぽい性格のわたくしが思いがけず2度目の八朔を迎えることができたのは、
徳川家臣の、しかも歴史に名もなき人々の、あまり立派ではない部分を中心に、
(愛をもって)紹介してきたかなりマイナー路線の当ブログを、
暖かい目で見守ってくださった、
今この文を読んでくださっている皆さまのおかげ☆
ありがとうございます!!!
10年以上も雨ざらしのなか、
都会の劣悪な環境でもしっかり生き抜いているうちのアロエのように、
しぶとく?みずみずしく、元気に続けていきますので、
これからもどうぞよろしくお願いします☆
1周年おめでとうございます★毎回、ここでしかなかなか知ることの出来ないような、面白い情報や人物の紹介で楽しませてもらってます。
これからも頑張ってくださいねw
1周年おめでとうございます。
私は、福岡県最南端の大牟田市という所に住んでいるのですが、江戸時代は三池藩領域でした。こちらで三池藩最後の藩主・立花種恭のことを(面白おかしく)取り上げていただき大変感謝しております。地元でもほとんど忘れ去られている人物ですので、知名度アップにつながればと願っております。
さて、昨日のエントリーで彰義隊の話題が上っておりましたが、種恭の「老中日記」の慶応4年2月26日条に、本多敏三郎なる者から種恭に対し彰義隊隊長への就任要請があったというようなことが記されています。もし、この要請を種恭が受け入れていたら一気に歴史の表舞台へ登場、といったところだったんでしょうが…。兎にも角にも、彼が後世にこのような日記を残したことに感謝するばかりです。
長くなりましたが、これからもはな。さんの渋~いセンスに期待しておりますので大変でしょうが更新がんばってください。(出雲守もたまには登場させてやってください(笑)
大牟田にお住まいの方から書き込みをいただけるなんて、1年やってきてこんなに嬉しいことはありません!
郷土の偉人立花種恭さんをちょっとコミカルタッチで紹介してしまいましたが、楽しんでいただけたようで、正直ホッとしております(笑)。
最初は徳川瓦解の際に若年寄をつとめた立花さんの日記から新たな幕末情報をと思ってコピーしたのですが、読み始めたら、そこはかとなく漂う立花さんの素晴らしいユーモアセンスの虜になってしまいました。また新しい史料と出会いましたら、立花さんはいつでも再登場していただきたい人物です♪
>慶応4年2月26日条
ちょっとここのあたりスピードUPで飛ばしてしまったのですが、確かに彰義隊へのお誘いがあったのですよね!立花さんが強運なのはこういうときに断ってしまう偶然(笑)です。そのために英雄にはちょっとなれなかったですが、そんな立花さんの生き方にとっても惹かれます☆
立花さんに限らず、知られざるさまざまな人々を紹介していきますので、よかったらこれからも遊びにきてくださいませ。コメントもお待ちしております♪
じつは、こちらのブログには1ヶ月ほど前にたどり着きまして、楽しく拝見させていただいておりました。これまでもコメントの機会をうかがっていたのですが、開設1周年記念ということで昨日初めてコメントさせていただいた次第です。
これからも私がついていけるような話題がありましたら、コメントさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。