東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

米國使節乗舩之繪圖 追記あり

休日なので、画像でまったり♪したいと思います☆

いきなり旧字だらけのゴツゴツしたタイトルでしたが、
これが本日の画像のタイトルでなのですっっ。

『幕末外国関係文書之19』の冒頭に折りたたんで掲載されていたのが
この絵図です。


d0080566_14213939.jpg


絵にしては写真のようにリアルなのですっかり気に入ってしまい、
スキャンしてしまいました☆

d0080566_14225972.jpg


小船(バッテーラ)からけっこう長い縄梯子をのぼらないと船に乗り込めないらしい・・・・と
いうこの部分がとくに気に入ってしまい、ちょっと拡大してみました(笑)。

遠路はるばるアメリカから来て、浦賀沖で縄梯子にぶら下がる・・・・。
船員のみなさんのご苦労が胸にせまります。
(ビットルの来航時なんてしっしっと追い返されたわけで、さぞかしムカついたことでしょう(爆))


今、ちょうどケーブルTVのミステリチャンネルで
「ホーンブロワー」の放映が週一話ずつありまして、またまた海洋モノ好いております。
帆船時代の海軍モノはとても楽しいっっ。
蒸気帆船じゃなかったら、徳川海軍にもこんなにはまったかどうか(笑)。

そういえば長崎のフェートン号事件のフェートン号の艦長のぺリューについて
調べるのをすっかり忘れておりました(汗)。
「ホーンブロワー」に出てくるぺリュー艦長の一族だとは・・・睨んでいるのですが(笑)。
(というか、かなり本人っぽいのですが、あまり考えたくないといいますか(大爆笑))

※追記※
思い立ったら吉日・・・・というわけで、ぺリューについて調べ始めたら
3分で判明しました(爆)。

長崎のフェートン号(Phaeton)事件は1808年(文化5年)に起きたのですが、
艦長はFleetwood Broughton Reynolds Pellew(1789-1861)。

・・・・・続けて、son of Edward Pellew と書いてありますた・・・。

ホーンブロワーの上司のぺリューは、Sir Edward Pellew(1757-1833) 。

つまり、フェートン号艦長はこいつの息子だったか・・・・(涙)。

幕末に幕府とイギリスがどーしてもうまくいかなかったのは、フェートン号の暴挙の記憶
ゆえ・・・・・だという説もあるのです。
なんてことをしてくれたのかね・・・・ぺリュー息子・・・(爆)。

といいつつホーンブロワーのぺリュー艦長の大ファンです♪
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Commented by 黒船ポーハタン at 2007-09-26 12:02 x
はじめまして。幕末系のいろいろなブログを波乗りしていたらこちらのブログにたどり着きました。
実はこの記事で使用された画像、この絵(写真?)の一部の紙が家にあり、一体何時の、何の船の写真なのかと思っていたのですが、こちらの記事でようやく判明いたしました。
自分は幕末の黒船事件と帆船に興味があるため、どうもこういう画像に飛びついてしまうんです。突然のコメント失礼いたしました…。

読んでいてとても興味深い記事があり、楽しませていただきました。またお邪魔させてくださいね。
Commented by はな。 at 2007-09-26 14:30 x
黒船ポーハタンさん、いらっしゃいませ☆
拙ブログがお役に立ててなによりです!
この黒船の絵のスキャン元の『幕末外国関係文書』は1巻目から、黒船騒動です。
日本側の外交史料ですので、ペリー提督の日本遠征記と合わせて読むと面白いですし、ペリー一行がら贈られたものや船の絵もときどきモノクロですが、収録されておりますので、参考にしてみてください。

by aroe-happyq | 2007-09-24 14:41 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

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