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東都アロエ

村垣淡路守公務日記より 堀父子の気配り

再度登場してしまいました、箱館奉行村垣さんの日記です。

といっても今回はほんの小ネタ・・・・。

『幕末外国関係文書附録之4』収録の「村垣淡路守公務日記之12」まで読み進んで
まりました。
箱館に勤務のままの安政5年正月から、
同年9月20日に品川に帰るまでが12巻目の内容です。

11巻目の終わり、安政4年の12月に堀織部正が江戸に帰ってしまってからは、
どちらかというと堀と一緒に組み立てたプランを調整しながら進めていく、
残務お仕事が多いようでした。
のんびりとした日々・・・・という印象ですが、
そこで公務日記を占めるには江戸からの情報のメモです。
とくに相棒の堀織部正は公文書と一緒にいっつも手紙を添えてきて、
居残り村垣の寂しさを紛らわせあげております(笑)。

そんななか、安政5年正月12日の日記に、

・・・(略)・・・・・
○織部一名表状、
同人十二月朔日、仙台領小渕浦出航、去ル五日浦賀著船、
同六日夜亥上刻、品川著船、
同八日上陸帰著之旨、船中日記添申来ル

宅状ニ箱、十二月二日・同十二日一同来ル、所々より状来ル、
水野筑後十二日、田安家家老
永井玄蕃勘定奉行、御勝
・・・・(略)・・・・・・・

○土岐摂州より、寒中状一、菓子一折
○堀伊豆より内状一、のり十帖到来


というメモがあります。
この当時は江戸で12月中旬で起きた情報が一ヶ月かかって箱館にもたらされて
いたようです。
堀織部が江戸に着いたというしらせが、船中日記(読みたいっす)とともに
もたらされております。
書状だけではなく、菓子やのりなども届きます(笑)。

次のメモは人事異動の情報で、
江戸の蕃所調所で交渉中のハリスにつっかかった?ことで
条約交渉の支障になる(以上は岩瀬の言葉より)ので家老へ移動になった水野忠徳と、
その後任として勘定奉行に永井尚志がなった・・・という知らせでした。

菓子を送ってきた土岐摂州というのは勘定奉行のひとりですが、
さて次がポイントでして、
この堀伊豆というのは大目付堀伊豆守のことで・・・・・・・・・、
堀織部正のお父さんなのでありました。

「うちの不肖の息子が先月までお世話になりまして本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします」
・・・・・・・・・・というような手紙だったのではあるまいか????
などと勝手に想像すると、かなり愉しいです(笑)。

堀織部正は婿でもなんでもなく、お父さんの実子で、
堀家の親子&家族は木挽町でずっと同居のままでした。
堀伊豆のお年は不明ですが、60歳前後???だとしても、
40過ぎの息子はまだまだ子供・・・・・、きっと箱館勤務になるたびに
ハラハラしているのでしょう。
(堀織部の気性を考えると、家族はハラハラしっぱなし?)
無事に江戸に戻ってきた息子をみて、
心から村垣さんに感謝していたのではないでしょうか(笑)。

そして村垣さんも、当時の箱館では貴重だったらしいのりを
ごばんと一緒に食べながら、お仕事に励んだわけですね☆


ほほえましい、相棒関係・・・それも家族ぐるみのお付き合い♪です。



ところで、昨夜の「なんでも鑑定団」をみてしまいました。
やっぱりさすがです、坂本龍馬さん!!
書状一通が底値で1600万円とわ!!!!
幕末の大スターは違うわ~~~と思わず唸ってしまいました☆
by aroe-happyq | 2007-09-26 10:41 | 箱館または釜さん | Comments(0)