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東都アロエ

永井尚志が生まれた日~旧暦シリーズ8

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文化13年11月3日は、1816年12月21日になります。

というわけで、今月3人目は永井さんです。


あらためてみると、文化年間生まれ・・・・・・。
江戸後期の最高潮の文化文政期に幼少時代を過ごし、
天保・弘化という不景気へまっしぐらの時代に青春を過ごし、
ようやく腕を振るう壮年期は幕末期真っ只中。
そして晩年は明治を生きたというわけですね。
目立つようで目立たず、静かな人ではありますが、
かなり壮絶な人生を送った永井さんです。

ようやく読める状態にした漢詩集をちょっとずつ読んでおりますが、
・・・・・・そうした壮絶さを感じさせない(笑)、江戸の文人らしさに溢れていて、
実に風流で、美しい世界です。

安政の大獄で岩瀬忠震や川路聖謨などと共に政界を追われ、
「永蟄居」になりますが、この自宅謹慎の数年間に堀織部正、岩瀬忠震という
友人たちを次々に亡くしました。まさにどん底の数年でした。
・・・ふつうなら、病になってしまいそうですが、泣きながらも
この人には大好きなお酒と詩があったため、健康でいられたようです(笑)。

再登用されるのは、文久2年の夏ですが、
漢詩集をみていると、すでにこの年の春には自由に外出できるように
なっていたらしく、どこへいったかと思えば、親友の岩瀬忠震が息を引き取った
向島の「墨荘」こと、岐雲園に通い詰めております(笑)。
友人を偲び、岐雲園で詩作に耽り、
帰りは月の下、ゆっくりと墨堤を歩いたようです(笑)。
(すっかり気にいったようで、晩年ここに住むのも頷けます(笑))
このときすでに50歳。・・・・・時代の最前線に行くなどまったく思っていなかった
節がみえますが、京都町奉行職の話がきてしまいました。
どうも拝命されるまえ、相談という形で話がきていたようで、
そのときの心の揺れが「讀出師表」という漢詩に見え隠れしています。
(三国志をご存知のかたは、ここで思わず「ぷぷっ」ときますでしょう(爆)
諸葛亮の「出師表」を読みかえしたらしいです・・・・つか、京都は
永井にとって敵地???なのか、みたいな)

でもそんな京都でも観光地はほぼ制覇し、壬生の宿舎でも「壬生寓居」という
詩をつくっております。
彼もまたどんなときでもエンジョイしてしまう、江戸旗本ズの一人でした。
そして動乱のなかでも、風雅な心を忘れないマイペースさ。
このマイペースさが永井さんの強さでもあります。
by aroe-happyq | 2007-12-21 11:36 | 旧暦シリーズ | Comments(0)