2008年 02月 11日
堀織部正のめでたいお話の記録~村垣日記、再び
行方不明になってしまい、ようやく最近になってみつかった次第。
(なぜか井伊家史料のなかに混ざっておりました(爆))
というわけで、村垣日記、再度登場ーーー。
堀織部正(箱館奉行・外国奉行兼任)さんについては、
以前の記事で家族構成などなどお伝えしておりました。
「剛爽雄烈」「英毅果断」な人といわれ、
ややストイックなイメージがあるものの、
七男五女の父でもありました(男子は夭折が多いので実際にはこれより少ない)。
さて、いつもお世話になりっぱなしの
『村垣公務日記』15(幕末外国関係文書附録6収録)
にこんな記録が・・・・・・・・。
安政6年 正月10日 快晴
一 (外国奉行)詰番 (水野)筑後守、外調 ・・・(以下略)・・・・・
一 織部妻昨夜出産、 女子出生、御届申上候旨案内有之
正月11日 快晴 西風寒し
(・・・略・・・・・)
一 織部産穢御免之儀助へ談し置、明日出候趣也
堀織部正、42歳。
正月4日に北国御用(前年9月から出張)から戻ってきたばかりでした。
そして、10日に何人めか不明ですが、女の子のパパになったよし。
いや、パパより奥様のほうがたいへんですよー。
ちょっと夫よりも若くったって、30台後半でございます。
しかも何人目・・・・・???
だけど、ちょっと哀しい事実に気がついてしまいました。
堀織部正さんはこの翌年の秋に切腹自害をなさってしまうので、
このとき生まれた子はお父さんの顔をあんまり記憶してないのではないかと。
せつのうございます