東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

これもひとつの順聖公伝説 そのニ

前回はほんの軽くでしたが、
いよいよ・・・核心にせまってまいります。

ちなみにこの談話は大名と大名の行列のすれ違いのときの作法とか、
大名(といってもかなり大きな大名ですが)の登城の様子とかも
実に生き生きと語られているので、大名を知りたい方にもぜひ参考に
していただきたい、素晴らしい回想談です。

・・・でその行列の話から主君順聖公の話に戻ります。

○お供とのやりとり

寺師君(聞き手) 斉彬公はお供の方に小言などはござりませぬか

本田君 それはござりませぬ。何もご存じで自分で知って居られる事を
      お尋ねになる、それで困りました。

寺師君 そういう事はどういう手(手段)でお聞きになって御知りに
      なったものでござりますか

本田君  絵図とか皆そういうものは持って居られた



小言はいわないけれど、知っていることをわざと尋ねてお供を困らせる。
お茶目な人なのだ。


○大名っぽい趣味

寺師君 遊び場所に御出でになった事はござりませぬか

本田君 そういう事はござりませぬ

寺師君 御大名の御楽しみはどんなものでありましたか。
      茶はいかがであります

本田君 御楽しみは別にござりませぬ。能などは格別お好きでもござりませぬから。
     (茶について)そういう事も伺いませぬが、御馬は随分お好きな方で  
     ござりました。弓もござりませぬ。



西洋オタクな方なので遊興費はほぼ、読みたい洋書を買い、
それを渡辺崋山や勝麟太郎などの学者に翻訳してもらう費用などに
宛てていたようですし、あんな所やこんな所など「遊ぶ場所」には興味が
なさそうです。
そしてここでも父の斉興との趣味の違いが・・・・・。
斉興といえば、ペリーがきて大混乱の江戸で平然と大好きな能の会を
開いていたほど、ツワモノという前に「能中毒」なお方。
いっぽう、息子の斉彬は能が好きじゃない・・・・・・。
(そういえば川路聖謨もいってました。能はだらだらして退屈だ、と(笑))
こんなところでも気の合わない父子でありました。

茶道も興味なし・・・か。井伊さんとも話が合わないっっ(汗)。


さて、いよいよプライベートな話題へ突入です。


○気さくで、いたずら好き

寺師君 女中などの話でも気さくな方でいたずらをなさる事が上手の様子に
     承りますが

本田君 それはいたずらはなさる。私など渋谷(の下屋敷)に居る時に
      植木畑がある。午後になると(斉彬は)そのところの辺で運動に
      お出でになる。芋などが植わっている時分に芋虫を掴んで
      女中に遣ろうとする。キャッキャッといって(女中が)逃げる。
      それを追いかけて遣ろうとする。そういうことをなさる。



ひとつ確認しておきたいのは、
本田君が主君のおそばに仕えるようになったのは嘉永5年です。
斉彬公はすでに44歳。この回想はけして斉彬公若かりし時のお話では
ありません。幕末到来時の緊迫した当時のお話・・・・・なのです。
分別盛りのお年頃で、芋虫もって女中を追いかける・・・。
なんと愉快なご性格♪

しかしここでなせか寺師が突然、とんでもな話を持ち出すのです。


寺師君 湯殿が殿様と女中のと並んであって、其のあいだに潜りがある。
      女中は遠慮のないもので何十人も一緒に行く。
      銭湯同様で陰部を隠さぬ。隠すと異状があるというようになる。
      それで両方の湯殿のあいだに潜りがあって、
      盛りの時に潜りを這入ってお出でなされる。
      そうすると(女中は)逃げる。転げる。大騒ぎという。
      それで皆が(主君を)懼いというより、親しみ有り難いという
      方であった様子。

本田君 下には御憐憫の方で、渋谷に居られる時に大風が一度あって
      日の暮れてから青山の屋敷のところの裏門に火事があって
      当番の御小姓に火事を見て来いといってお遣わしになった。
      それがいっこうに帰って来ぬ。その時などはたいへんで
      表まで出てまだ来ぬが迎えでも遣れとかいって、
      始終騒いで居られました。怪我でもしはせぬかといって。



本田君の見事なフォローがなかったらどうなることでしたか!(笑)
もースレスレじゃないっ??ギリギリじゃない??
自宅だからよいけど、ヤバイっす、捕まるっすっっ(大爆笑)。
(ときどき寺師って・・・・すごいネタを投下してくるので油断できない人です)

こちらは本田君の談話ではないので、嘉永5年以前かもしれませんっっ。
もっと若い~~頃のお話でしょう、きっと☆ はははは。
(世子時代にこんなことやったら廃嫡になる??だったら43歳以降かな(爆))



以上、二回にわけてみてまいりましたが、
相当にお茶目なオヤジですね・・・・?????順聖公。
心優しい人柄も素敵です。
ですが、やっぱり薩摩隼人とは程遠い・・・・・明るくて軽快な江戸人(汗)。


このお茶目さを思い浮かべつつ、
『島津斉彬言行録』などを読むと、
よりいっそう味わい深い斉彬像が楽しめることでしょう。


このような本まで出ている、幕末の偉人の順聖公であっても
この感じっす。

「仁義」と「誠」のひと、阿部伊勢守にしても同じく江戸大名。
阿部伊勢も・・・・・・伝記ではそうとう神々しさがかもし出されておりますが
実際には、芋虫だったり、風呂場で「ばーっ」と登場したり。女中衆と
楽しい日々を暮らしている・・・そんな人かもしれない♪。
(そうあってほしいと思う自分はどうかしている?????(爆))


そしてますます斉彬公のファンになってしまいました☆(笑)


以上の史料は、『史談会速記録』269号(合本37 P53~)
           (談話者は本田孫右衛門) より。でした。


                            
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by aroe-happyq | 2008-03-06 11:22 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

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