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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

安積塾に出入りする意外な人物 ~安積艮斎授業録ヨリ

先日伝記本を紹介した松崎慊堂からするとずっと若手で、
しかも天保~安政にかけての大人気学者が安積艮齋です。
門人の数は二千人余。
私塾は神田駿河台小栗屋敷内にあり、二本松藩儒者、昌平坂学問所教授
と大忙しの人生でした☆

今回図書館で読んだのは、安積艮斎顕彰会編『安積艮斎門人帳』。
以前、田中正能「安積艮斎門人帳」(『郡山地方史研究』16号~21号)で
天保11年までの門人はチェックしたのですが、私が知りたいのはそれ以降の
時代なので、今回改めて書籍となったものをチェックしたのでした。
門人帳は天保11年以降は現在のところないようで、
やむおえず授業録というもので安政までをみてみたのですが。


今回は安積塾に出入りする意外な人物を紹介したいと思います。

○安政元年 (月日は不明)

  久留米在古飯村
  与吉次男      高松勝次郎



箱館のドクトル高松凌雲の兄、
衝鋒隊隊長 歩兵差図役頭取の古屋佐久左衛門さんです。
英学を学ぶ前の勝次郎さん、漢学の基礎を固めておられたようです。


○安政三年 七月廿日

  牛込門外
  川路左衛門尉嫡孫
              川路太郎
              同 敬次郎
  川路氏用人
   松村量右衛門忰
              松村健之丞



太郎ちゃん・・・・弟と共に、超英才教育中???
まだ幼いし、学問塾への出入りは早くないですか??(笑)
でも用人の息子付きなら川路聖謨じいじ(←と太郎ちゃんに呼ばれている)も
安心なのか・・・・。


○安政五年 十月十八日

    長州藩士
           高杉晋作
             書生寮


珍しいところでビッグネーム登場です。
このころは江戸に遊学中でしょうか。
「書生寮」というのは昌平坂学問所書生寮のこと。
ここは旗本以外の諸国から江戸へ学びにやってきた秀才たちの寮。
ただこの当時、この書生寮こそが若者の攘夷論者生産拠点で、
ここに所属するとほぼもれなく過激な攘夷論者になってしまうという
困った場所でした。学問所自体が洋学所(蕃書調所)にごっそりと
人材をもって行かれて以来、弱体化していたので書生寮のこうした
動きを取り締まることができなかったようです。


○安政六年 二月廿三日

    長崎     福地源一郎



・・・・たしか福地の懐古談によれば、安積塾に入って、
門人たちに吉原に連れてかれて・・・・どっぷり浸かってしまったとか(笑)。
(大都会の落とし穴ですな・・・・・)

この授業録には福地のプロフィールがあり、
「安政四年 矢田堀景蔵に従って江戸へ出府」となっております。
・・・・・長崎奉行水野忠徳と一緒に安政元年に江戸へ来た、と
聞いていたので、またまた調査が増えました(笑)。



以上でした。
こういう面々が神田駿河台、今の明治大学附近をぶらぶらしていた
のであります☆
(昌平坂学問所とは徒歩6分弱の距離です)

ちなみに永井岩之丞(尚志)や堀省之助(利煕)木村勘助(喜穀)なども
弘化年間にその名がありました。
岩瀬忠震は安積のいわば同僚(学問所教授)なので、
授業は受けにきません(笑)。

今回は授業録の面々を紹介しましたが、門人帳のほうは
さらに華麗な面々が登場します(ただひ天保11年以前の人々)。
いつの日かそちらも紹介できればと思います。
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Commented by きりゅう at 2008-04-20 11:09 x
こんなところで太郎ちゃんの名前を見ようとは!
はな。さん、ありがとうございます。
川路のじいじ(^^)は、教育爺さんなので、
太郎ちゃんも大変だったことでしょう。
Commented by はな。 at 2008-04-20 11:25 x
そうなのですよー、まさかの太郎ちゃん&敬次郎ちゃんたちの
登場でした。
図書館で思わず「おっ。」とつぶやいてしまいました。
しかし、じいじに期待をかけられすぎた太郎ちゃんの苦労は
まだ始まったばかり・・・(笑)。
by aroe-happyq | 2008-04-20 10:37 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

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