2009年 07月 01日
永井家ファミリー
本行寺の永井ファミリーのお墓をどどーんと紹介します。
2年前に一度、阿部伊勢守の命日のついでに行ったことがあるのですが、
その当日はあいにくの雨でして。
いくつか撮り忘れがでていたので、
いつかは再訪せねばと思っていたのであります。
で、先日ちょっと時間があったので、行ってきました。
前回の記事はこちら
前回まったく気がつきませんでしたが、
門の横にしっかり「史跡 永井尚志墓・・・・」って出てました。
霊園住まいの岩瀬墓とは大違いの好待遇ですっっ(笑)。
実はこの本行寺、太田道灌の孫が創建とかで、「太田」関連のお墓も多数あります。
しかし!それに匹敵するぐらい、永井家(大本家&本家&旗本永井家)のお墓も
たくさんあることに今回気づきました。
本家のお墓ゾーンにも行き、なにか情報はないかと探ってみました。
そのなかの一人に永井尚服(美濃加納藩主)がいます。
この人は慶応3年には若年寄と会計奉行を勤め、
京都で永井尚志と共に将軍慶喜を支えた人です。
板倉家からの養子ということもあり、分家の永井尚志とは気があったようです。
・・・・・碑文もなく、とくになにも収穫なし(涙)。
さて、お寺の墓地のもっとも奥、突き当たりに永井分家ファミリ-のお墓があります。
まずは史跡にも指定されている、尚志さんから紹介しましょう!
真ん中に尚志さん、両側には先妻の永井尚徳の娘さん(病没)と後妻さんが
並んでおります。
お墓のデザインについては榎本武揚さんの案なども
あったようですが(記事はこちら)こちらに落ち着いたようです。
前回の写真で不鮮明だったのがこちらの墓碑↓
いつもよそ様の碑文を書いてばかりの永井さんの碑文をかいたのは、
向山栄・・・向山黄村さんだったようです。
幕末にフランスに行っていた人で、永井とはたいへん親しかったよし。
永井夫妻のお墓の真ん前には、一人息子の謹之助さんが眠っております。
学問吟味丙科及第。18歳で受験するとたいてい「丙」ですね(笑)。
荒井さんも榎本さんもしかり。
なにせ永井家の一人息子。大切に育てられたと思いますが、
残念なことに文久3年に数え年19歳で亡くなってしまいました。
しかも新婚さんだったようで、奥様(こちらも20歳台で亡くなった)の名も。
その時、尚志は京都町奉行。謹之助も京にいたようで、そこで亡くなったようです。
尚志は嘆き悲しんで、しばらく立ち直れなかったようです。
(姉小路暗殺犯が奉行所内で自害した件で当時永井奉行は閉居をくらっていて
ちょうど仕事が休みに)
前にも記事にしましたがこの凹んだ永井を勝麟太郎が訪問しております。
小笠原図書の上方派兵事件で大坂は大騒ぎになっていたので、その善後策の
「密議」にやってきたのですが、勝さん、少しは慰めてくれたでしょうか(笑)。
さて話を戻しましょう。
永井尚志の隣には、養母永井成子さんのお墓が、前にどーんと出た形でありました。
天保にすでに亡くなったのですが、たいへん有名な歌人だったようで、
お墓の両側面に代表的な歌が彫られております。
とてもきれいな字です。
さて、文久2年亡くなる寸前まで永井家当主だった、永井能登守尚徳さん。
奥様のお墓と並んだ位置にある、側面まっしろの実に簡素なお墓です。
あまり史料はありませんが、少ない史料から偲ばれる人柄がすてきで、
勝手ながらファンでございます☆
さて、最後は尚志養子の岩之丞さんです。
慶応3年に三好家から養子になった岩之丞さんは、
義父に従い箱館に行き、捕虜生活をおえて、法律を学び、
明治政府に仕えて判事になりました。
当時は名判事として有名だったそうです。
ちなみにこの岩之丞の娘さんが、三島由紀夫の祖母にあたります。
永井尚志の命日ということで、永井ファミリーをあらためて紹介してみました。
個々については今までもいろいろと記事にしてきたので、過去ログを探してみてくださいね!
・・・・・このまえ、岩瀬の墓参にいったら、思いがけなく永井の史料をみつけたので、
これで岩瀬の史料がなにかみつかるといいなぁ☆(笑)
こちらの本行寺は谷中きんざ商店街の入り口にあります。
谷中せんべい屋さんや佃煮中野屋さんなど老舗がそばにあったりして。
(今回は中野屋さんで佃煮を買いました。・・・・・私の好みのお味でオイシイのです♪)
谷中ぎんざ商店街をぶらぶら。下駄やさんで下駄がほしくなりましたが、
持ち合わせがなかったので、次回ということで(笑)。
このあたりの和菓子屋さんにはかならず「ところ天」があって感激です。
さいきん、うちの近くの店はなんだか気取った新作和菓子なぞに力をいれて
ところ天がどんどん消えているので、ここにくると落ち着きます(笑)。
谷中はねこが多いのですが、この日もたくさんのんびりと歩いてました。
あまり長居をするとマジで住みたくなるので、そのまま根津へと散歩にいきましたです(笑)。
見つけたのですが、同名異人でしょうか?どうもこの方に関しては無知そのものでして。
>本行寺から寛永寺まで
けっこういい距離ありますよね☆なかなか歩きがいのあるコースでした。
旗本永井家は家族一同寄り添うように並んでいて、ラッキーだと思います。墓地を切り売りする寺が多いので、一カ所に寄せ集められてけっこうカワイソウな姿になった旗本家が多いので(涙)。
永井さんは孤児同然でしたので、子供の頃一生分の寂しさを味わったため、それ以後は寂しくないように天の運が定まっていたのかもしれません(笑)
>雑司が谷で岩瀬肥後守
まさに大正解です!雑司ヶ谷霊園におります。
5月11日(西暦とはいえこの御日にちは…)の記事で紹介しておりますが、数度目のご挨拶にいったばかりです(笑)。
こちらは本人と養父ぐらいしかみあたらず。ちょっと寂しい感じです。