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東都アロエ

カテゴリ:幕臣系(老中など)( 37 )

久々の阿部家の記事です。

といっても、語るのはわたしではなく、幕臣情報のプロフェッショナル、氏家幹人氏のブログ(歴史REALWEB)です☆

というわけでリンクはらせていただきます→件のブログ記事

どうも正弘さんの先祖さまこと阿部対馬守正邦は男が惚れちゃうタイプの美青年だったよし。しかも相手はストーカータイプのやばい人たちばかり(笑)。
まぁ、江戸初期は衆道が当たり前の時代ですから、仕方がないとはいえ……。一度ならず二度までも、危害を加えられそうに。

阿部家は代々とはいいませんが、たまーに美しい当主が現れるおうちだったのですね♪

しかし、正弘さんも江戸初期に生まれなくてよかったかも。幕末は衆道が廃れていてよかった……。

という、平凡な感想で締めくくりたいと思います(BLと幕末ってやっぱり、なんかそぐわないので、コメントし辛いっす)。






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by aroe-happyq | 2016-08-16 14:53 | 幕臣系(老中など) | Comments(6)

Eテレで毎週火曜日午後11時から放送中の
「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」ですが、
いよいよ!阿部正弘が登場です☆

2015年1月20日(火)
午後11:00~午後11:45(45分)


番組サイト→こちら

この番組、ゆるさがイヤミでなく、ふわっとしたところが割と好きで
ちょいちょいみているのですが(今年初回の松陰の回はスルーしますた。時間の無駄だし・笑)、
阿部ちゃん取り上げてくれるのを待っていたのですよ♪

番組紹介は以下のとおり。

テーマは「常識をひっくり返せ!」。
幕末の老中・阿部正弘に注目。阿部は「鎖国が常識」という時代にあって、
いち早く開国の必要性を痛感。ペリーが来航すると、巧妙にじょうい派を懐柔し、開国へと導いていく。
この時代に阿部がいたからこそ日本は諸外国とのあつれきや戦争を起こすことなく、
そして植民地化を避けつつ、その後の近代化の基礎を作ることができたと評価する研究者も多い。
光が当たりにくい幕臣の功績を掘り起こす。


阿部正弘は、水戸斉昭と親しいだけあって、どちらかというと攘夷派なわけです。
それを自分の考えは置いといて、開国の方向へ舵をきった決断の裏には
余人が計り知ることのできない大きな苦悩があったようです。
古今東西、自分の考えを政治にそのまま反映させようとする政治家が多いなか、
多くの意見に耳を傾けることのできる阿部のような人は希有でしょう。

有名のようでそうでもない(笑)阿部伊勢守なので、まだよくご存じないという方には、
知恵泉をぜひご覧いただきたいと思います☆

それにしても、

光が当たりにくい幕臣の功績を掘り起こす


の一言がなんともほろ苦い次第ですが、
幕末の徳川家臣たちの外交面での功績は本当に輝くばかりです。
今年もまたいいかげんな大河ドラマで、テロ集団アゲアゲの偽りの幕末史がばらまかれて
おりますが、だからこそ、これからこつこつと「幕臣の功績」を掘り起こしていきたいものです。
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by aroe-happyq | 2015-01-13 09:23 | 幕臣系(老中など) | Comments(0)

BSプレミアムで放送中の「英雄たちの選択」。
いつも、もう少し掘り下げてほしいのになあぁぁという残念感いっぱい、
ツッコミ所満載で見ているのですが(だから時々の視聴)、
その番組に、阿部伊勢守が登場!(笑)
(って、さも自分で発見したっぽく書いてますが、またまたOさんに
教えていただいた次第。いつも本当にありがとうございます!!>私信)

幕末外交の評価がUPしていて、それが真実なだけに、本当に嬉しいかぎり
ではあるのですが、どういうわけか、BS衛星放送の世界なんですよね~~~~。
地上波でもギリギリでETV止まり。一日も早く、
NHK総合でバーン!!と取り上げて欲しいものです。
(あ!安倍NHKと化している昨今じゃ、そりゃ無理か!?だって長州アゲアゲだもんな(笑))

というわけで、日本史上でも、絶妙な調整力があり、かなり腕の良い「宰相(老中首座ですけど)」
なのに、知名度はあるよーな、ないよーな、微妙な位置にいる阿部正弘。

番組内容は、「弱腰外交」とされたペリーとの交渉は、
なかなか良い着地点(ペリーは通商条約を結びたかったのに、下田、箱館の2開港と
お付き合いしてもいいですヨという、ただの和親条約止まりにした点)で、
そして正弘は前任者の水野老中が蛮社の獄、後の井伊大老が安政の大獄という
言論統制をやったなか、彼だけは情報公開、人材発掘を行った・・・・・等々のお話でした。

番組中にあるように、蒸気軍艦で乗り付けて、新式大砲を江戸市中へ向けたりして、
西洋の最新技術を江戸湾にみせつけ、ドヤ顔で交渉を有利にしようとしたペリーさんですが。
実際には、ペリー艦隊目玉の蒸気軍艦はほかの艦隊への転属期限が迫っていて、
(だから真冬の荒波を越えて、無茶な航海をして2度目の交渉にやってきたのですが)
しかも、ペリーがアメリカを出た時の大統領はすでに選挙で敗北し退陣し、
アメリカ政府からは日本への発砲許可を得てなかった・・・・・・・・という超崖っぷちで、
もし日本側が切れて、総攻撃をかけてきたら、ペリーさん負けちゃう~~という
状況だったわけですが、それを日本側に覚られぬよう、そして相手をマジ切れさせない
スレスレラインで、強硬なキャラクターを演じ切っていたんだよ、というペリー側の事情も、
ちょこっと説明しておくと、阿部家の儒学者江木鰐水が、ペリーに接近して
「ペリーは落ち着き払い・・・(略)・・・・話すときの声は温かい」というレポートを
出していたという「新発見」(と番組ではいうが、うーん、そこそこ知れてた話です・笑)
が生きてきそうなもの。だって、ペリーのガラスの仮面がやや剥がれていて、
日本側に「あの交渉の席での赤鬼キャラのペルリって、作ってるんだネ」ってバレちゃってた?
って、盛り上がれたのだけど。

あと、そのペリーとの交渉を担当した、
応接掛筆頭の林大学頭復齋(鳥居耀蔵の弟さんです)がここ数年、評価されているのも
嬉しいです。この番組でもその路線でした☆

と、だらだら書いていてもしょうがいない(笑)。
うちのブログとしては、この番組で阿部さんについて興味をもってくださる方に、
より深く知っていただけたら幸い!ということで、過去の阿部さん記事を紹介します。


☆人柄の一端がわかる杉の談話↓
杉亨二の語る、阿部勢州という人→こちら

☆アメリカとの交渉後の苦悩を物語るエピソード↓
阿部伊勢守の愚痴と武威→こちら


それから、今回の番組の黒船来航前の準備について、
新書で読めるので、参考図書としてご紹介↓

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予告されていたペリー来航と幕末情報戦争
岩下哲典 著
アマゾン→こちら

使えない長崎奉行、適当な海防掛りたちの
「オランダの情報なんて当てになりません」と
いう返答に、それでも、
なにか準備できないか!?と頭を悩ます、
阿部正弘。








でもでも、番組のラストのほうで、「もし阿部正弘が安政4年に死ななかったら」
なんていう、禁断の「歴史もしも」のドリームストーリーを語っていて、
そこだけでも、見ていて楽しかったです!!!!!!

そのもしもの話で、懸案事項だった「朝廷との調整」ですが、それはもう、
島津斉彬が(たぶん正弘が生きていたらこの人も安政5年に死ななかったと思うので)
「わたしにお任せあれ」と言ってましたので、西郷どんとがんばってくれていたはず。
ただ、番組中で語られなかった、将軍継承問題。これがネックになりそうなんですよネ。
家慶将軍とは揺るぎなき信頼を得ていた阿部ですが、家定将軍がねーー。
家定公は阿部を信頼したいのだけど、ちょっとないがしろにされている感は否めず、
国政に深く関わらせてもらえない不満が募っていたので、それが阿部長期政権となると
どうなっていたか・・・・・・。ある日いきなり正弘罷免!とかされそうで(汗)。
その逆に、慶喜将軍の誕生が早まった可能性もあるのですが。
(私の理想としては、慶喜のあとに家茂将軍って流れなんですヨ)

そういう心配を除けば、阿部がいるかぎり、わが愛する岩瀬忠震♡も、永井尚志♡も、
堀織部正♡も、第一線で活躍を続けただろうし、「不平等条約」問題も、そもそも日本国が
国レベルをどんどん下げられて、植民地対応になったのだって、薩摩と長州が攘夷戦争
なんかやらなきゃ起きなかった問題なので(だから明治になって木戸とか大久保が条約
問題で悩んだって、徳川のせいじゃねえ、自業自得って話)なかっただろうし。
関税が日本に有利なら、商機はたくさんできたことでしょうし、国はもう少し豊かになったかも。
(なにより、岩瀬駐米公使とか、永井駐仏公使なんかが実現していそうで、考えただけでも痺れます)
講武所も、当初の設立目的どおり、西洋式砲術メインの洋式陸軍の調練をできただろうし
(井伊が出て来て、古くさい武術道場にされる事もなく)、
海軍の創設も、もっと迅速にできたことでしょう(涙 だんだん泣けてきた)。

そうなると近代国家への衣替えが遅れたかも、という心配があるかもですが、心配ご無用!
阿部正弘は西洋の議会政治についても、杉亨二から聞いていて、興味を持っていました。
天保前後にナポレオンブームがあって、西洋通のあいだでは、
「今の政治がダメになったら、共和制にすればいいさ」というのが流行だったぐらいなので、
阿部のもと、その西洋通の人達が活躍の場をもっと与えられていたら、
申し訳のうございますが、薩長土肥の志士とか貧乏公家?みたいな?そういう輩による、
明治維新的な変革もですね、むしろ、血を流すことなく、するするっといけちゃったかも(笑)。
少なくとも、王政復古クーデーターズよりも、ずっと前から準備を始めていたのは、
間違いないです、ハイ。

なんて、考えると、阿部さんの早すぎる死は、実にもったいない話でございましたなぁ☆
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by aroe-happyq | 2014-02-28 17:39 | 幕臣系(老中など) | Comments(6)

先日、記事でお知らせしたいわき市で開催中の安藤信正展。
友人のN.Oさんがさっそく来場されて、
リーフレット&出品リストを送ってくださいました☆ 
(N.Oさん、ありがとうございます! >私信)

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まず、お知らせしなくてはならないのは、図録はない!ということです。

というのも、会場が1階ロビー特設会場というだけありまして、
今回出品数が全40点
そして安藤公関連の出品数は肖像画(↑うえの表紙のネ)を含めて9点です。
(オイレンブルグ関連は6点です☆)

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で、安藤公が書かれた書や絵などもありまして、上の画像の、

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↑こちら、
安藤公が少年のときに描かれた「鶺鴒(セキレイ)」というタイトルの水墨画ですって!
・・・う、うまいっっ

でも、史料スキーとしては、上のリーフレットには出ていませんが、

「手留」8巻

にはげしく食いついてしまいました!!!

リストにあった解説の一部ですが・・・

安藤信睦(信正と改名する前の名前)が、安政5年8月2日奏者番寺社奉行兼帯から
若年寄に任ぜられた日以降の、毎日の勤務の状況を詳細に書き留めた日記。
執筆者は城中で主君に側についていた用人か右筆と思われる。
「手留」というものは、元来主君の勤務上の備要メモとして、
家臣が書き留め、主君はこれを懐中にして持ち歩いたもので、何人もの違った筆跡で
書かれている。老中をはじめ役人たちは皆所持していたもので、通常の日記類とは異なる。
・・・(略)・・・・


ちょうど手留の解説もしてくださっていたので、あわせて載せてみました。
(そうなんですよね、老中とか偉くなると専門の書き手さんがいるんですヨ。
目付とかそのあたりは自分で書いて所持してるんです♪。
現代のシステム手帳とかタブレットなどの代わりみたいなものでしょうか♡)

この手留~~~~っっ、いつか翻刻になりませんかねーーっっ
安藤公が若年寄、老中として活躍していた時代って、
幕末政治史においてもかなりのターニングポイントでして、
堀田老中政権、井伊大老時代という幕末外交史においても重要な頃なので
その時代の柳営の御用部屋の様子が、即出史料以外で浮かびあがると
かなり研究なども進むのではないかと思います☆

わたしなどは、御用部屋の様子を伺って楽しむただのマニアなので(笑)、
いつか研究のおこぼれにあずかることができれば、ありがたいことです。
(だって安政5年~6年て、初期外国奉行にとってはまさに正念場。それに
安藤老中と口論して自刃した堀織部正の最後の頃の様子もこの手留で、
もっとわかるかもっっ(涙)・・・・そもそも安藤公、外交交渉や堀さんの一件などで
世間にえらく誤解されたし(←これも坂下門の変の原因のひとつなんですよ)、
150年たって、そろそろ真実がわかってもよいかと存じます)


いろいろわかることがたくさんあると思うので~~~ぜひ翻刻をーっ!



おっと!ほかにももちろん安藤家コレクションなどなども☆

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このあたりは茶道具や工芸に詳しい方におまかせいたしますっ(おいおい!)

でも美術館での開催なので、本来ならこちらのほうがメインといっても
過言ではないのかもしれません。
(わたしがときめく関連は郷土資料館とか、博物館での開催が似合う系(汗))

というわけで、
この展覧会は6月2日まで開催(入場無料)中です。
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by aroe-happyq | 2013-04-24 10:47 | 幕臣系(老中など) | Comments(0)

いわき市に住んでいる友人から素敵なチラシを送っていただきました♪

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いわき市立美術館サイト→こちら

日独交流150年記念

安藤信正展~オイレンブルグ家との交流 安藤家コレクション

会期:4月20日~6月2日


今年は福島といえば会津藩ブームですが、
わたしのように柳営開明派旗本&徳川海軍ファンからすると、
いろいろ馴染み深いのはむしろ、
磐城平藩藩主にして、老中首座の安藤公のほうです(笑)。
(会津とは、京都で永井尚志が絡んだくらいなもんで・・・・)

そういうわけで、その安藤公の展覧会と聞いて、うお!馳せ参じようと
一瞬テンションがMAXにあがったのですが、

会場/1階ロビー特設会場

というのをみて「て・・・展示室使うほど、多くないってことね?」と
いたって冷静になりました次第。

ちなみに展示内容の一部は、
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こういう感じらしいです♪
(はじめてみた!安藤公の書かれた字!!! なんか・・・・阿部正弘っぽい。
老中首座になる人はこういうものすごく上手いわけではないけど、
太くて強い字を書かれる傾向があるのだろうか?(笑))

それから画像のなかの、お皿!
安藤家(今は16代当主がおられるんですね!)と
オイレンブルグ家とのあいだに交流があり、その友好プレートだそうです♡


そんなわけで、お近くにお住まいの安藤公ファンのみなさん、
ぜひぜひお立ち寄りくださいませ☆
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by aroe-happyq | 2013-04-14 09:51 | 幕臣系(老中など) | Comments(9)

某ドラマであっけなくF.O.してしまった阿部さんについて
その人物像についての証言を記事にいたします。
(ステキな阿部さんを堪能したので、なんだかちょっと阿部祭り再燃♪)

日本における統計学の祖といわれる杉亨二氏は、
もとは勝麟太郎塾の人でしたが、その後阿部正弘の蘭学教授として
福山藩に仕えた時期がありました。
そういう繋がりで『杉亨二自叙伝』等で阿部正弘に蘭書を教えた時の
印象などを記しておりますが、『旧幕府』の史談会でもその様子を
披露しております(内容はほぼかぶってます)。

というわけで『自叙伝』よりもより長い、
史談会バージョンで阿部という人の様子を紹介したいと思います。

More(長いのでたたみます)
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by aroe-happyq | 2010-12-09 19:49 | 幕臣系(老中など) | Comments(0)

阿部伊勢守の愚痴と武威

それは久々に『阿部正弘事蹟』のコピーを読みかえしていたときのこと。
第12章日本ノ開国ト正弘其の一のP143に、
こんな阿部伊勢さまのぼやきがありました。

米艦既に去るの後、一夜正弘老臣に謂いて曰く、
「今回浦賀の顛末此の如し、
嗚呼時勢の変遷国家の盛衰は古来免れざる所なりと雖も、
幕府今日の衰退は恐悚の至に堪えず。
文化中魯国使節長崎に来たりて通商を乞うや、我の許容を待ちて
滞留半歳余に及べり。其間船中の武器は皆之を我に納めて保管し、
而して終に許容を得ること能わずして空しく帰去せり。
是れ今より僅かに五十年前の事なり。
常時と雖も我国實は武備充實せるにあらず。
泰平既に久しく、人心游惰に流れ、国中疲弊せり。
然るに我国尚此の如きの武威を有せり。
其後僅か五十年、国勢変じて強弱の差此の如きに至る・・・・・・(略)・・・」


50年前の文化年間のロシア使節長崎来航といえばレザノフのときですね。
思わず一瞬目を疑ったのは、

其間船中の武器は皆之を我に納めて保管し

という阿部公の発言。

え?ろしあ使節の武器を全部取り上げちゃったんですか!?
(もちろんお帰りの際にはお返しします)
そりゃ・・・・・・すごい(てか、無茶な)。

というわけで、岩波文庫の『日本滞在日記』(レザーノフ著 大島幹雄訳)を
読んでみました。

すると長崎検使&阿蘭陀商館長ドゥーフ立ち会いのもと、
レザノフとこんなやりとりがありました。

「あなた方は火薬を渡さなくてはなりません」
「同意いたしましょう」
「銃やサーベル、剣などすべての武器も渡してください。あなたの剣だけは
そのままでもいいでしょう」


でこの後レザノフは抵抗を試みますがドゥーフに説得され・・・・・・
実はレザノフの日記にはこの顛末は書かれていません。
しかし訳注があり、
日本側の記録では、武器を渡すことについては、ロシア側が
すぐに納得したとある。『通航一覧』巻275


日本側だけの記録かと思ったら、しばらくあとの日記のところで、
なかなか内海に入れてくれない日本側にレザノフが切れちゃって、

「(略)・・・明日入港できなければ、銃や火薬をそのまま置いたまま、
錨をあげることになるだろう」


武器の引き渡すところは屈辱すぎて書けなかったのだろうが、
ここでレザノフついつい日記に武器を渡してしまった事実を書いちゃってます。

ということは阿部伊勢のぼやき、本当だったということがわかりました(笑)。
恐るべし文化年間の長崎外交・・・・・・。
(おなじく文化年間にはかのフェートン号事件もあるので長崎はたいへんだったのですが)

わずか50年前には使節の武器を一時保管して取り上げることもできたのに、
ペリーにはさんざん武備を馬鹿にされ(浦賀台場の炮台とか、思いきり笑われたそうで)
あげくに国書を受け取らされちゃってさ、とトホホと愚痴る阿部公のお気持ち
お察しいたします。

ちなみに武威とは広辞苑によりますと、
「たけだけしい力。武力の威勢。威武。」とのこと。

文化年間の日本に武威があったというより、
蒸気というパワーを持つ前の西洋にはまだ武威が足りなかったと
いうことでしょうか。
思えばペリーも蒸気船をなるべく艦隊に加えようとやりくりしておりました。
(ペリーも、内輪事情を知るとけっこうムリしていて痛々しいぐらいなんですが)
たしかに当時の蒸気は「たけだけしい力」といえそうです(笑)。
そして外交を有利にするには武威が欠かせないことをよくご存じだったのでしょう。
・・・・・・それにレザノフのさんざんな顛末を知っていたとしたら、
長崎には絶対にいかないと言い張ったペリーの心情もわかります。
武器を取られ、半年も待ちぼうけを食らわされたあげく交渉失敗で帰国の
レザノフにはなりたくない、と思ったのかも!?
とはいえ、このレザノフの日記が公開されたのは1990年代以降のこと。
(日露外交に影響するので非公開にしていたよし)
噂ぐらいで知っていたのかな??ペリーさん。

ちなみにこのレザノフの日記、なにが面白いって完全にレザノフ側に味方して
いる長崎通詞のみなさんの発言でありますが、それはまた今度ということで(笑)。

で、阿部伊勢の発言に話は戻って。
この愚痴、さらに延々続くのですが(結局は自分が力不足なばっかりに・・・とか、
辞めたくても代わりに立つ人物がいない、とか)最後には改革だ、新政だと
ポジティブな伊勢公に復活して終わります(笑)。

このペリー来襲(夏の巻・笑)の屈辱をバネにして、
大型船建設解禁や、蒸気船購入、台場建設、海軍創設構想など
阿部改革のスローガンのひとつ「海防第一」が実行されていくのですが、
その前段階で、延々愚痴る阿部伊勢守もまたオツでございます(爆)。
(結局そこに落ち着くのである)
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by aroe-happyq | 2009-10-16 11:08 | 幕臣系(老中など) | Comments(2)

先日、とてもとても久しぶりにお会いした人に、思い切って
現在幕末の秘境にはまっている旨をカミングアウトしたところ、
偶然にもいわき市の方だったことから、こんな素敵なものを
送っていただいちゃいました☆

本当にありがとうございました>私信

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太平楼ホームページ→こちら

この献上カステラは、安藤家十代信正公による将軍縁組の功績にちなみ
良縁が頂けるよう吉菓子として製造させていただいているものです。


幕末外交にあたった老中のなかでは一番の切れ者といわれた、老中首座安藤対馬守。
掘織部正の切腹事件→そのニセ遺言状で攘夷派にあることないこと書かれ、
坂下門外ではあやうく殺されかかった悲運の政治家ですが、
当ブログではかなりの人気者デス♪
その安藤公が、地元で大きな銅像がたっているだけではなく、
カステラまで出されているなんてっっ!。
安藤信正公、地元に愛されて続けております♪♪(パチパチ)

信正公だけでなく、

茶席にカステラという粋なはからいは 安藤公に始まるものであリます。
↑こちらの安藤公は4代信友公のことですが、
安藤家はなかなかハイカラで粋な当主が多かったようですね♪

で、さっそくいただいたのですが、美味しかったです!!!
甘すぎず、さらりと上品なカステラでした。
プレーン&抹茶どちらも美味でした~~~~♪
先日の元祖カステラと異なる味わいで、ザラメも気にならず、お茶席にもピッタリな
お菓子です。


実は久しぶりにお会いしたその日には、
偶然にも「水曜どうでしょう」の列島対決で有名になった
家伝ゆべしをお土産にいただきまして、
たまたまワタクシめがどうバカ東京藩士だったため、えらい騒がしく
してしまいました(笑)。
ゆべしは甘くて、素朴で、あっという間にいただいちゃいました。
でも食べながら、どうしても藤村Dの姿が目にうかんでしまいまして
おかしくて困りました・・・・・・・(爆)。
しかし。TVのごとくあんなにガツガツ食べるものではなく、少しずつ味あわないと
すぐおなかいっぱいになる感じでした。やはりあのD、人間じゃない・・・・。


いつの日か、安藤家ゆかりのいわき市を訪れて、とくにアノ大きな銅像を
みてみたいと思います♪
(「老中めぐり」の順番的にはまず、ニョ阿部正弘の地元から・・・ですが(笑))
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by aroe-happyq | 2009-07-18 10:48 | 幕臣系(老中など) | Comments(0)

どうでもよいですが、今年の冬は寒いですねっっ。
ラニーニャが発生中だそうですが、それも関係あるのでしょうか。
(気象庁は関係ないといっているらしいですが)
あまりに寒さの反動で、せめて気分だけでも夏になってやろうと
沖縄のジーマミー豆腐や海ぶどう等々をゲット。
レジで「海ぶどうは寒さにたいへん弱いので暖かいところで保存してください」
といわれて、自分もまた海ぶどうと同じです、
と心のなかでつぶやいてしまいました(笑)。

さて、『露伴全集』5に収録されている「幕末の政治家」のなかの、
大名編です。


○安藤対馬守

薄皮だちの色美しき人にて、きりりとしたる細き眼、むさからぬ眉つき、
薄あばたは鼻の上に見えたれど男ぶり好く、
清癯(せいく)ともいうべき身体の裃つきよく、細髷にて、
顔に間の抜けたるところ無く、如何にも粋にてどこやら三味線引き
とでも云いたき風あり。
されば威厳というものには乏しけれど、
物の理解はさもさも敏(はや)げに、高く澄みて透(とお)る声にて
ややはや口(こと)に物言いたもうさま、
おろかなる眼には怜悧聡明の人と見えたり。
歩むにも遅々とせずシュッシュッと歩みたまえり。


さすが三美男政治家のひとり!
岩瀬よりも細かい描写は、こりゃ安藤さんは露伴パパのお気に入り???
この人もシャキシャキとした感じだったようです。
しかも粋な雰囲気だったようで、なかなか素敵っっ。

○色白く、きりりとした瞳で、眉も涼しく、男ぶりがよい。
○細髷で、裃が似合うほそい体つき。
○三味線引きというような、粋な雰囲気がある。
○そのため、威厳には乏しい。
○物分りよく、高く澄んだ、よくとおる声。やや早口。
○歩くときも早い。

続いて、美しいこの方を紹介。

○松平肥後守

京都守護職を勤めたまいたる会津侯は、面色青く瓜実(うりざね)顔にて、
無骨にはあれど大髻(おおたぶさ)見事に、
ひげのあと真っ青に、昴々(こうこう)然として面ふり仰ぎ見たまうことなど
絶えてなきかと思われ、容儀端正に寂然と坐したまえる態(たい)、
いかにも殿様らしく上品にて、美しきまつげの長きは、
少しうつむきて居たまうが常なればにや、人の眼につきぬ。
身長はやや低き方か、物言いも静かにて容儀と相応せるよう聞こえたり。


「髻」というのはもとどりのことだそうです。
美しく上品な様子はすでに写真などで世に知れておりますが、
ひげはやや濃いめ?
しかし、なんとはなしに少女マンガの王子さまのような美しさを持った方ですね。
禁裏に人気があったのも頷けます(笑)。
光源氏のコスプレしたら、似合いそうですっっ。

○青白く、うりざね顔。上品でおしとやか。
○まつげは美しく長い。少しうつむき加減に居ることが多い。
○背は高いほうではないが、物言いも静かで、容儀端正。

さて、ここからはだんだん・・・・・美しさはナシの方向へ突入(笑)。

○松平春嶽

門地は高き人なれど威やや乏しく、身の丈は普通、やせ形にて
面の色青白く、殿様らしくも見ゆれど俗にいう思案顔または愁い顔ともうべきか、
細おもての頬こけ、自然に口尖りて見ゆ。
つき袖せずして袖の中段あたりに手を下げ居給うとおぼしく、
打見たるところそのために勢(いきおい)なき異な形に見え、
しかも少々前かがみにスーッと歩まるるさま、
おろかなる眼には威儀なく気迫薄げに見えたり。


露伴の筆のテンションがやや下がり気味っぽいですが、
口が尖がっている様子は写真どおりで面白いデス☆
まぁ、この人物には外国奉行ズファンとしては随分と迷惑をかけられましたので
これ以上はノーコメントといたします(笑)。
○高貴な出身のわりに威厳に乏しい。
○やせ形で顔色は青白い。思案顔で頬がこけ、口が尖ってみえる。
○いろいろみても、やっぱり威儀なく気迫が薄くみえる。


続いて、阿部伊勢守の次に老中首座になったこの人!

○堀田備中守

ふるき老中にて容貌風采の安藤対州にいたく反せるはこの人なり。
さすがに色などは黒き方ならねど、対州の如く粋ならぬのみか
殿様くさくもあらで、丸き身体つき、まずは丸き顔、薄からぬ唇、
丸くして小さい眼、悪く云はば団子鼻ともいうべき鼻、
すべて農夫なんどにあるべきかかりの容姿風采にて、
歩みざまも狂言師のすなる太郎冠者というものに似たるところあり。
おろかなる眼よりはただその野暮なるを見て、
優れたまえるところを窺うあたわず。
非相の論も無かるべからずと覚えたり。


川路さんと仲の良い人ですけど、けっこうヒドイ書かれ方ですっっ。
(川路系は幸田家ではお気に召さない?)
堀田さんですでに「古き老中」といわれてしまうだけに、
この「幕末の政治家」には阿部正弘公が登場しないのが残念です。

○肌の色は黒いほうではないが、殿様くささもなくイキでもない。
○顔も体つきもすべてが丸い。鼻も団子ッ鼻。唇は厚い。
○洗練されていない。野暮ったい。
○歩き方が太郎冠者に似ている。

さてさてトリは、井伊大老です。
この文が書かれた明治30年ごろ、
「開国始末」あたりから火がついたのか、井伊直弼=開国功労者
というブームがあったようでして。
その反動で、先日紹介した高橋宇一著「幕末之外交」などが
書かれることになったようです。
この露伴の文もちょっとブームに乗っていて、いちばん筆頭に登場するし、
文章も長いです。


○井伊掃部頭

幕末第一のすぐれ人、打見たるところ、
でっぷりしたる大柄の人にて首筋なんど普通の人より太く、
地腫(じば)れしたるようなる顎の張りたる赤ら顔、口小さからず唇やや厚く、
下がり尻ならぬ眼のうち威あり、頭髪濃からず、髷のハケやや細く、
髪つやつやと美しからず、おくれ毛あたり何となくもやもやなせる、
一体に男ぶり好(よ)き方ならねど、姿ゆたかにて、
わざとならず少し反身になり下腹を突き出して突き袖しつつ、
ノッシノッシと動(ゆる)ぎ出給うさま、天晴大丈夫らしく貫目あり。
声太くして濁(だ)みたる気味あり、語勢ゆるく物言い出でたまう態、
人をば動かすとも人には動かされざる風あり。
ここに奇なるは長州の毛利大膳太夫の容貌風采の、
掃部頭に似たることにて、同じようなる人のここにかしこに在りしは
作り物語にも無き事なるべし。


うちのブログを順にごらんいただいている方には、
井伊さんが「幕末第一の人」かどうかは、おわかりいただけていると
信じているところですので、
あえて井伊さんについて語ることは省略させていただきます(笑)。
しかしこの文を読んでいると、
「愛牛」とか「赤牛」とかいうあだ名とおりの容姿で、
ちょっと可笑しかったです☆

○大柄で、でっぷり。首も太い。
○赤ら顔で、唇厚め。眼はちょっと下がり尻系。
○頭髪薄め。髪にツヤはない。
○少し反身で、ノッシノッシと歩く。
○太いめだが、やや濁声。ゆっくりと喋る。
○長州の毛利大膳太夫と似ている。

以上でした☆
なかなか貴重で面白い、露伴さんの文でした♪
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by aroe-happyq | 2009-01-11 11:21 | 幕臣系(老中など) | Comments(8)

幕末之外交 いう本は

明治39年出版の本に『幕末之外交』というのがあります。
著者は高橋宇一。備後の方だそうです。

かつて幕末外交に関する本などでこの本のタイトルは何度か
みたような気がしたので、ちょっとみてみようかと、
国会図書館の近代デジタルライブラリーで検索したら、ありましたので読んでみた。

すると・・・・すると・・・・・・・・!!!!

これは幕末の外交の本である前に、

阿部伊勢守正弘公を猛烈に
褒めたたえる本でありました(笑)


フツー、幕末外交を好意的にみてくれる本は岩瀬忠震さんや川路聖謨などを
押してくるわけですが、高橋殿はそうではなかった。

とにかく阿部勢州、なのです。

いままで『阿部正弘事蹟』が最高の正弘ファンブックだと思っていましたが、
さにあらず!
このホン、相当にすごいです~~~~~~っっ。

緒言で高らかに宣言しております。

読者之を読めば一読の下自から幕末外交の始末と
勢州直弼の人物を知るべし
是此書の成る以所なり


そうなのです、この備後国生まれ(つまり福山藩ね)高橋殿は、
明治になってなぜか井伊直弼こそ開国の功労者
だという声があがってきたことに義憤を覚え、
旧主家の阿部正弘こそ開国の功労者だ、
井伊直弼なんて××の、△△△だーーーー!!
ということを世の人々に言いたかったらしい。

よってこの本では、その人格、行動、功績、容姿(爆笑)にいたるまで、
阿部正弘と井伊直弼が徹底的に比較され、
阿部勢州様がどれほど優れていたか、素晴らしい政治家であったか、が
明らかにされていくのであります。

勢州ファンの私としてはまさに至福の書。
ファンの皆さん、ぜひぜひ一読あれ!

素晴らしい、高橋宇一殿!!!049.gif049.gif
ステキな本を書いていてくれて、ありがとう~~~~~072.gif

冬になると寒さと暗い昼間に、すっかりブルーな気持ち057.gif
落ち込む自分なのですが(夏生まれには厳しい季節なのです)、
この本読んだら、ちょっと気持ちが晴れました058.gif
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by aroe-happyq | 2008-12-09 14:52 | 幕臣系(老中など) | Comments(2)