東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

カテゴリ:広く幕末ネタ( 115 )

ここ数日風邪引いて寝込んでおりまして、更新滞っております~~~。

でもなんだか「いろはにほへと」はみちゃったのです。

総裁、どーなっちゃうんだろーーーと。
主人公はどーせ、うまくまるくおさまるんだろうから、
総裁はどーなるんだろーかと。

そしたら。
・・・・・覇者の首がポロッと取れた!(爆笑)
あまりのあっけなさに腹が痛い~~~っっ。

で机にぱたっと倒れたまま、榎本総裁はクランクアップ、みたいな(爆)。
そのまま最後まで、その後の五稜郭は語られず!!放置!!!

戦いは終わり、秋月は海外にいく、ところでラスト。
「坂本さんのかわりに」世界を見にいく・・・・・らしい。
いや、秋月くん、語学もできないと、ただ見にいくだけじゃそれはただの観光よ!
見にいくだけじゃだめなの、学んでいらっさーいね。

そしてこのアニメの結論は、

坂本龍馬は偉かった!

以上。


・・・・・勝サンのもとへ送られた何通もの手紙はいったいどこへいったのでしょうね・・・。


広げられた大風呂敷、ついにたたまれず。

ま、最初から薄っぺらな設定だったし、こんな予感はしていた。
でもアニメとしては最後まで絵がこわれなかったので、
まずまずよかったんじゃないかと思います。

それに歴史はこのアニメに描かれた世界より千層倍はおもしろいのだ♪
ちょっとでもこれをきっかけに歴史に興味を示してくれればシメシメというものです。
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by aroe-happyq | 2007-04-08 09:56 | 広く幕末ネタ | Comments(2)
ちょっと前に測量界の偉人、小野友五郎さんの名をテレビでみたせいか、
久しぶりに中公新書の『小野友五郎の生涯』を外出の合間に読み直した。

これを購入したのは長崎伝習所にはまったころで、
そのため目をギンギンに読んだ箇所は
やはりそのあたりだったわけで、
読み直すと意外と忘れている箇所がいくつもあった(汗)。

・・・で忘れていたなかに、

Ⅵ 米国再航ー即製軍艦の買付け
の章の「お荷物随員・福澤諭吉」という項がありまして。

小野友五郎さんがアメリカに例の「ストンウォール」買い付けにいったときのことです。

福澤さんが、英会話がロクにできないのに「できる」といって
通訳として随行員に加えてもらったあたりは、まぁ・・・亜米利加に行きたいのね、
で済まされるのだが、出発地横浜にて福澤が為替を組む役目だったが、
ニューヨークについたら現金化できない、雑用係に彼が雇ったチャールズに
金を持ち逃げされる、日本から米国大統領への贈り物を含めた荷物の
荷揚げ交渉に(英語出来ないから)手間取り、そのせいで
謁見の日に小野たちが大統領に贈り物を渡せなかったり・・・・・・とんと使えない男なのだ。

「福澤は他の団員と違って、使節団の重要な使命も団員としての責任も自覚しておらず」
とこの本の著者の藤井さんは書いているが、この続きがもっとすごい。

しかも今回の使節団にもぐりこんだ目的は大量に自分の書物を買いつけ
にいくためで、その買い物に奔走していて他の仕事をあまりやろうとしない。
小野はそれではと、幕府で必要な本もついでに購入してくれというと、
仕入れ値で購入した書籍を正規料金で清算・・・つまりふっかけようとする。
それだけではなく、私的な買い物を公金で清算する始末。
そして他の人は私的購入品は別荷物にして運賃を払ったのに、
福澤は私的な書物を公金で購入した荷物に紛れさせて、
荷物の運賃をごまかそうとした。
こんなことが度重なり、日本へ戻った小野友五郎は福澤を訴え、
自らも監督責任を感じて、進退伺いを出した。
後に福澤が友人に語ったところによるとこのときの公金横領額は15000ドル。
この本では「15000ドルは、ダールグレン大砲2台分」といっている。

・・・・・立派な公金横領犯です、福澤さん。しかもセコイ横領犯(爆)。

で、この訴えはどうしたかというと、このすぐ後、徳川は瓦解してしまったため、
それどころではなかったというわけで、命拾いしたわけですね、諭吉さん。

かえって小野友五郎のほうが、徳川瓦解のおり、朝敵だのなんだのと罪をかけられ、
牢獄に入れられてしまったのですから、世はまさに理不尽なり、です(汗)。

このとき、「ストンウォール」の御代も、3分の2しか払えず、
残りは後払いにしたこともあって、
榎本海軍副総裁があれだけアメリカ公使に交渉したにもかかわらず、
結局は西軍(官軍)側に持ってゆかれてしまいました・・・が。
・・・・邪推かもしれないですけど、諭吉(もう呼び捨て)が大砲2台分も使い込みせず、
せめて4分の3払えていたら、
・・・・・榎本艦隊にストンウォールが加わっていたかも!?(爆)

それにしても友五郎さんは理性あるお方です。
もし自分がこの使節団の団長だったら、
帰りの太平洋で諭吉さんを海に捨ててきちゃいますもの、マジで(笑)。

前々から福澤さんが人物として底の浅いというふか、
セコイことは史料を読んでいてうすうす感じてはいたのですが、
それどころではなく、犯罪やってるし・・・・・・(涙)。
これで人物鑑定師の木村芥舟と親友だというのだから、世の中わかりましぇん。
(木村さんも騙されていたのか?(笑))

本の読み直しってとてーも大切だと身に染みました。
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by aroe-happyq | 2007-03-29 10:43 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
さすが東京写真美術館
写真と名が入るだけあって、去年の写真展と違い、複製パネルではなく、元の写真が
たくさん展示されておりました(それだけでかなり幸せ☆)。
予想外にベアト写真が少なかったのですが(ベアト写真を多く所蔵する横浜開港記念館でもこういう写真展を数年に一度は開催してほしい!)、いくつか「おお!」がありました。

まずは国内で撮影された最古?といわれる、
ペリーが連れてきたブラウン撮影の「田中光儀」像。安政元年とあります。
ただの写真ですが最古といわれると、ちょっと感激?

さてさて続いて、木村摂津守喜毅(又の名を木村芥舟)の、
桐の箱にはったガラスの写真(アンブロタイプというらしいデス)を発見!
本でおなじみの若き日の写真ですが、じーっとみるにつけ、
江戸の真ん中の御浜御殿で育ち、将軍家慶にも幼い頃から可愛がられていた、
つまりは都会派で洗練された環境に育ったわりには・・・・・イモっぽさ全開・・・・。
でも愛嬌のある顔で、岩瀬ほか諸先輩に可愛がられたのも頷けますが(爆)。

二回目の遣欧使節団の写真もずらっとありました。
田辺太一や池田筑後守などおなじみな顔もみつかりました。
池田さんは別の写真をみたとき、東幹久似だと思ったものですが
この写真では意外にあっさり味顔でした。

いろいろあって小さい人物写真も充実してはいたのですが、
なぜか豊臣秀吉、雪舟、北条時頼・・・・の絵を撮影したものがあり、
これってブロマイド????渋いチョイス・・・・・・。
その近くで徳川慶喜を発見!裏側をみてみると、
「徳川舊将軍慶喜」と表記されていました(爆)。旧将軍かぁ・・・・。

そして自分としての今回の写真展の最大のヒットは、
やはりベアトの「愛宕山から江戸武家屋敷町を望むパノラマ写真」でした!
うちにあるベアト写真集だと小さくて、よーくみえなかったのですが、
館内は空いていたし、穴があくほど眺めてきました。
手前に辻番などあって、整然と並ぶ武家屋敷にうっとりしていて・・・・・・
屋根になんだか、へんなものが・・・。
むむむ、あちこちの武家屋敷の屋根に物干し台(と後世では呼ぶもの)がある~っ!!!
そこまで続く梯子のような階段が手すりつきで一階から続いているので、
緊急用ではなく、日常で使っていたようですが、なんとなく堅苦しいイメージの
武家ワールドとこの物干し台はちぐはぐで可笑しい!
・・・・やはりよくかわかない洗濯物を干していたのか!?(写真からは確認できず)
ここで月見酒とかこっそりやれそうだが、帰りに酔って階段から落ちそうだ・・・・。
ホント、ここでなにをしたんだろう、江戸の侍さんは!?(わくわく)

それから驚きなのは、刑場さらし首写真・・・・・。
ちーさい写真ながら、三人ばかりがさらされておりましたです。

あとは日本に来たらガイジンが買うよーな観光用染付け写真、
市井の個人の肖像写真が多数・・・・・。
ワタシはうっかりよく確認しなかったのですが(あるいは展示を途中で換えるのかな?)、
この写真展のために出された研究報告書の展示リストには、
近藤勇さんや松本良順さんの名前もありました。

報道記録写真としては、明治24年の中部地方の地震被害を伝える写真や
西南戦争で負傷した兵士の写真など、多数ありました。
地震の写真には赤十字社が現地で救護する写真もあり、明治24年にすでに
活躍している姿に(立役者のひとりが松平乗謨だったりするので)感動が・・・。

やはり写真はよいですね。その時代の雰囲気が伝わってくるような
良い錯覚に陥らせてくれます。

そのままマグナム写真展まで行きたいノリでしたが、
予定の都合でかなわず。
帰りに1階のミュージアムショップに寄ったら、
たまたまですが、ベアトの「愛宕山から江戸武家屋敷町を望むパノラマ写真」ポスター(爆笑)
が売り切れでした!近々再入荷だそうですが、ポスター!!!って。

すでにちょっと触れましたが、正午あたりに行ったのですが、
けっこう空いておりました。平日のこの時間ならベアトパノラマ、じーっと堪能できます!


夜明けまえ
知られざる日本写真開拓史Ⅰ 関東編

東京美術館 ~5月6日まで。
群馬県立館林美術館  6月30日~9月9日まで。
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by aroe-happyq | 2007-03-15 19:02 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
今日二回目の更新になってしまった・・・・。
なぜかアマゾンの自分用のおススメコーナーにこのお知らせがあったので、
いちおうメモっておきます(爆)。

名刀コレクションモデル 武外伝 新撰組 第弐弾
(このサイトの『武』のところデス)

でもこの旗、ちょっといいなぁ(笑)。←名刀シリーズだというのに


実は。
自分はこのシリーズの番外編?の
「帆」シリーズの第二弾をずーーーーーっと待っているのです。
第一弾は出遅れて、黒船をわずかに入手したにとどまりましたが。
二弾目はぬかりなく、チェックするつもりですっっ。
(ちなみに「倒幕」シリーズではアームストロング砲をゲットしてしまいました。
どこへいこうとしているのだ、自分は・・・・・・・・)

もしも。
「帆」の第二弾で、
もしかして、もしかして軍艦開陽とかあったら箱買いでもなんでもしちゃう所存!(笑)

「帆」シリーズの第二弾、どうかよろしく!
(スイマセン、タイトルと趣旨の違う叫びで終わってしまって)
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by aroe-happyq | 2007-02-28 14:20 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
スイマセン。半端な年で。

たまたまこんなサイトをみかけたものですから。

つまり来年が150年目なわけです!

岩瀬肥後守や永井玄蕃頭や水野筑後守(ここで切ろうとしたがやはりあと二人)、
井上も堀も、というか徳川政権が(笑)、
右も左もわからない状態で外交談判に明け暮れ、だまし、だまされてつつ!?結んだ、
のちには不平等条約だのなんだのとケチョンケチョンにいわれたあの五カ国条約から!
(ケチョンケチョンに関しては、岩波新書の井上勝生著『幕末・維新』とか、当ブログで
紹介中の『五人の外国奉行』などなどなるべく最新の本をお読みになって、それが該当するかどうかご判断を仰ぎたいところです)

来年は当ブログ的には天下の祭り年になりそう??です。
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by aroe-happyq | 2007-02-15 14:58 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

国会図書館に行く。

仕事の調べもの・・・・・・という理由をつけて、今年初の国会図書館にいってまいりました。
調べものをしながら、本を請求し、雑誌を請求し、コピーにいき、雑誌はオンラインコピー
したり・・・・・・といつものごとく、落ち着いたかとおもうと動く!の繰り返しでしたが、
今日はとっても空いていて♪、サクサクと作業が進みました。
(論文シーズンはそういえばほぼ終わり?のはずなので、それもそうかと・・・・)

本日のメインの獲物(爆)は、『岡山県史』26巻に収録されている、
「艱難実録」というもの。

木村宛書簡の史料をコピーした際、同じ『横浜開港記念館紀要11号』のなかに、
西山武臣 「松山藩士の見た戊辰戦争」
という史料紹介があり、興味津々でこちらもコピらせてもらったわけで、
そこで紹介していたのが「艱難実録」だったのです。

これは松山藩主板倉勝静の家臣辻七郎左衛門の回想録。
朝敵となり北へ北へとむかう板倉の、箱館、そして蝦夷地脱出、自首を傍らでつぶさに
みていた回想で、当事者でない分客観的にみているので興味深い。
だけど板倉&小笠原は、「大名はいらない」榎本たちに冷遇され(爆)、そこのあたりは
忠実な家臣として涙涙の・・・・軽い恨み節が入っていて、厳しい榎本発言なども楽しめる。
で、その「艱難実録」の原文が読みたくなったわけでした。
(おいおいこちらも紹介していくつもりです)

それから、昌平坂学問所に関する論文4本などなど、なかなかの収穫でした。

自分で昔からささやかながら不思議な能力というのがあって(笑)、
ぱっと本をひらくと、探そうとしている項目にバッチリ当たること。
今日も寛政譜で、とある元禄時代のある人を探そうと、まずは索引で巻数を確認し、
その巻を適当に開くと、その名前の人にピンポイントで当たりました。よっしゃ!
ということで仕事の調べものがスムーズに進んだ分、趣味に時間を費やせました。

ただ、ひとつだけ失敗したのは、請求した紀要がまだ国会図書館に未納だったこと・・・・。
この紀要、たしか2004年なのですけど・・・・京都大学さん、もう何年たっているのでしょう。
待ってます・・・・。
だって、論文の後半(つまり(下)というやつです)が収録されているのに!

都立図書館も、なかったし(あるのですが途中で停止になったまま)。
ちょっとほかのところもいったら、2002年でとまっていた・・・・・・・。
国会図書館は2003年で止まっている。←なので(上)だけがうちにあるのだ!
かならず探してみせよう、ホトトギス!(爆)

*追記*
探していた紀要は、あっけなく
京都大学で電子無料公開していたので、PDFで保存しました。ホッ。
だけど93P・・・。プリントアウト・・・・。
(上)はB4コピー済なのに、こっちはA4。嗚呼、我的コピー収集美学が・・・。

ちなみにその論文とは、
高橋秀直「文久二年の政治過程」 京都大学文学部研究紀要42.43号掲載
でして、電子公開は、
こちらです。

岩瀬の史料がそろいつつあるところで、永井さんのことを調べていくと、
このあたり(文久二年)は押さえておかないといかんと思い、
今まで王政復古の論文をいろいろ拝見してきた高橋さんの論文にて教えを乞おうかと思いたった次第。
(上)を読みましたが、とても面白いです。
(さらに41、44にも高橋さんの論文があります!・・・・44号のは今日知りました♪)
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by aroe-happyq | 2007-01-29 19:01 | 広く幕末ネタ | Comments(2)
秋に都立中央図書館にまいりましたところ、人文コーナーの書棚で
偶然に出会ったのがこの本。
宮地さんの本は史料本であっても、初心者にもわかりやすく丁寧に
解説くださるのでなんとなく手にとったら!これがまたなんだかやめられない
感じになってしまったのですが、その日は東京国際映画祭の上映時間の合間を
ぬってコピーにきただけだったので、泣く泣くすぐにこの本と別れた。
年末にほんのちょっとだけ予算が余ったので、思い切って古本にて購入。

正式タイトルは長い!
『幕末京都の政局と宮廷~肥後藩京都留守居役の書状・日記から見た~』
(宮地正人 編解説 名著刊行会)

元冶元年から慶応元年まで京都留守居役をつとめた、
肥後の学者・上田久兵衛の書状と日記をまとめたもの。

肥後藩は朝幕融和運動をおこなっていた派で、しかも京都の最前線にいた
上田が運動実現のため奔走する様子とともに、この時期の京都の政局の様子も
伺えるとてもありがたい史料集だ。

正直、この時期の京都の動静を把握するのはかなり難しい。
というのも、多くの藩が入り乱れて、同時多発的に物事が進んでいるからだ。
まるでオペラやミュージカルで6人ぐらいが同時に歌っていて、
個々に歌う内容がわからない状態に似ている?
・・・なので、これを読んだからといってこの時期について100%の把握は
できないが、かなりヒントはもらえる。
まだじっくり咀嚼していないが、さらさらと読んだだけでも楽しい。

さて、ここでもあの男が登場する。永井主水正(当時は大目付)だ。
上田さん、永井さんと短い時間で仲良くなり、長州征伐などについても
よく話し合っているのだ。
どうでもいい話だが、上田に煙草をお土産にもらった永井はお礼に
さっと扇子に漢詩をしたためてプレゼントしている。さすが文人、風流だ。
(酒好きなのは有名ですが、煙管なんかをカンカンとやっちゃうんですね。
永井さんは。粋だなぁ・・・(笑))

ちょっと面白かったのは、この時期の京といえば新選組。彼らの名も登場するのだ。
慶応元年十月二十二日の項に、

朝柳井来、新選組武田観柳、伊藤甲子太郎、沖田総司来、北京ニ盧俊義アルヲ知ル故也、来客多忙、夕河添来、余醉倒、
(漢字は史料のまま)

・・・・・・・このいっけんするとありえないメンバーで上田に会いにきている(爆)。

いろいろなヒントをくれた上田だが、郷里にかえって維新をむかえ、
思ってもいない形で政権がかわり、無念の思いはいかばかりだっただろうかと
推察されるが、それを押し黙って静かに余生を過ごしてたが、
西南戦争のおり、西郷に味方したとの勝手な罪状で処刑されてしまう。
京では会っていたかもしれないが、明治になって、西南戦争のおりには
一度も会っていないと主張するも聞く耳をもたれなかったらしい。
天下安寧のために奔走した上田の扱いとしては、あまりに酷くはないか?政府軍よ。
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by aroe-happyq | 2007-01-06 11:11 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
年末に突然パソコンを買い換える羽目になって、
てんてこまいの数日ですっかり更新が滞ってしまいました。

旧パソとの最後の夜、ふと近所の図書館を検索したら、全巻そろいでこの本があった・・・・。
ないと思って国会図書館でコピーしたのに、・・・・トホホ。
さっそく借りてきて、暇をみつけては読みまくりました。
一部コピーのときと違って、全体をみると、徳川公儀の情報収集力が
なかなかすごいことを思い知らされました。
たまたま井伊家に残されていた安政年間のものなので、
大獄前後ということもあって、暗い話題ばかりの探索書ですが、
嘘を並べ立てるのではなく、裏づけをしっかりとっているし、
かなりプロ意識をもってこの報告書は作成されています。
(この情報を煮るなり焼くなりする手腕は老中や大老まかせだけど(笑))

たとえば、馴染みなのであげさせていただくと、作事奉行岩瀬忠震に関するレポ。
これはもちろん一橋派の岩瀬を、紀州派の井伊大老としてはどうにかして、
追い込んでやりたいために調べさせたもので、できるだけ「悪い噂」を探り
ださなければならない。ところが、かなり岩瀬家に入り込んで調べても汚職といわれるネタ
がなく、プライベートな問題ばかり。
徒目付たちは、そのあたり正直にありのまま報告している。
(ちょっと悔しそう?なムードさえ行間から匂うような(爆))
ほかの探索書を合わせて読むと、かなり正確なのだ。

で、やっぱり考えてしまう。
この探索書・・・・・阿部正弘時代のものはないのだろうか?
というより、その後の幕末のものでもいい、世相もわかるし、さまざまな地方の動向も
わかるのでどんどん発見されることを願ったりしますっっ。
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by aroe-happyq | 2006-12-31 10:13 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
『ペリー日本随行記』を読みました。

ペリーが自身で後にまとめた『ペリー日本遠征記』とは違い、随行員で日本はこれで二回目
の著者ウイリアムズの的確な観察が面白い本でした。

本当は中島三郎助のエピソードをひろって・・・・なんて思っていたら、
とんでもない文章が!!

福州(清国の大貿易港です。今の福建ですね)にいったら、
日本の小判とか、ほかの貨幣が流通、つまりそこで使えたというのです。

日本って鎖国なんてしていないじゃないの?
それって西洋(というかキリスト教の国)とあまりお付き合いしたくなかっただけで、
東洋ではフツーに交易していたわけですね。
清とは阿蘭陀とともに「通商」国としてのお付き合いがあったので、福州で通貨が使えても
おかしい話ではない。だけど、長崎限定だとばかりおもっていました。
つまり清に出かけていって商売をしていなかったものとおもっていたら、していたのですね。

たった二行だけど、ウイリアムズ、あなたも驚いたようだけど(笑)、
書き記していてくれて、ありがとう~~~。
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by aroe-happyq | 2006-12-10 10:53 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

井伊直弼が倒幕!?

アマゾンをみていたら、
このようなフィギュアコレクションが発売になっておりました。
武外伝~倒幕

そのなかに、な、なぜか井伊大老が!!!

開国派でもないのに、開国大老といわれ続けてきた彼が
今度は倒幕派???

だがしかし・・・・・これはある意味たいへん深い・・・・・!!

井伊直弼は根っからの反開国派、反水戸派、反阿部正弘派の筆頭の、超護幕派。
京都守護を主として家の仕事としてきた彦根のお殿様なので当然といえば当然の、
攘夷派(←水戸さんと仲が良さそうなものなのに)で、阿部の政敵であった。

なので井伊は大老になるや、せっかく阿部が築いた開国の礎を粉々に打ち砕き、橋本左内や岩瀬忠震(永井もつけくわえておく)など日本には大切な人材を潰して、
西洋式陸軍の訓練所として始めた講武所もただの町道場の公営施設のようにしてしまった。
つまりは安政の大獄こそが幕府瓦解の大きな要因とさえ思えてならないわけなので、
井伊大老こそは「倒幕」のスーパーヒーロー・・・・・ともいえなくもないのだ。

つまり、このフィギュアはたいへんに鋭い。

で、その井伊さんのフィギュアの内容が、

井伊直弼(来国光・娘の雛道具・直弼作蓋置)

というのがまた・・・・・娘の雛道具って(爆笑)。奥ゆかしいです。

酒は飲まず(飲めずであるが)、
伊勢物語を愛し、茶道に禅・・・・という風雅なご趣味の井伊サンらしい。
(この趣味みるだけでも、阿部正弘さんや岩瀬たちとは絶対に相容れない・・・・・)

そんなこといいながら、ついつい・・・・・。
福沢諭吉のアームストロング砲を買ってしまいました。
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by aroe-happyq | 2006-11-25 15:02 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq