東都アロエ

asiabaku9.exblog.jp

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

カテゴリ:広く幕末ネタ( 111 )

先日、久々に横浜開港資料館へ行きました。
お買い物ついでに、開催中の展示もみてきたのですが、肝心の日記がまだ翻訳中
とのことで、中間報告っぽい内容でした。
早く完成して、しっかりした展示がみたいものです。

d0080566_9471643.jpg


横浜に行く少し前、笠原 潔著『黒船来航と音楽』 (歴史文化ライブラリー)吉川弘文館
を読んだので、資料館外のあたりをちょっとぶらつきながら、
来航時の想像をして楽しみました。

d0080566_9513355.jpg


上記の本によりますと、当時、アメリカの軍楽隊が演奏したアメリカ国歌は
今、私たちが大リーグなどでよく耳にする『星条旗』ではなく(←こちらは昭和6年ぐらいからだとか)
『ヘイル・コロンビア』という曲が仮国歌と定められていたそうです。

ちなみにこんな曲です↓



なんか、19世紀っぽい、おとなしめで古風なテイストですよね☆
(なにせ仮国歌。まだまだ新しい国でーす感がでている気がします(笑))

で、『星条旗』という曲ももう存在していたのですが、こちらはもっぱら国旗掲揚時限定
だったそうです(なので、もちろん国旗を掲げた際、日本でも演奏されたそうです)。

なので幕末ドラマなどで、『星条旗』全面推しの作品は、いささかイメージ先行すぎで、
不勉強としかいいようがありませんネ。

d0080566_1002748.jpg

そんな音楽を、↑このあたり、海から交渉場所まで、軍楽隊が演奏して上陸したわけですね。


『黒船来航と音楽』 には、もっといろんな曲が演奏されたと書かれております。

いきなり押し掛けてきた外国の、いわば異国の音楽をですね、
交渉担当の林大学頭や、伊沢美作守、鵜殿などなどはどう聞いたのか。
ちょっと感想を聞いてみたいものです。
(宴会ではバンド演奏に乗って、ちょっとフィーバーしちゃった日本人もいた模様ですが(笑))
[PR]
by aroe-happyq | 2014-08-20 10:07 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
d0080566_14103232.jpg


新宿を歩いていたら、こんなポスターを見かけました☆

四ッ谷にある、新宿区立新宿歴史博物館で開催するそうですヨ!


新宿区立新宿歴史博物館特別展予告ページ→こちら

【会 期】9月13日(土)~11月24日(月・振)
【時 間】9:30~17:30(入館は17:00まで)
【会 場】新宿歴史博物館 地下1階 企画展示室
【休館日】9月22日(月)、10月14日(火)、10月27日(月)、11月10日(月)
【観覧料】一般300円(常設展とのセット券は500円)、中学生以下無料
※団体割引:20名以上で1名150円


こちらの博物館はまさに高須家のあった、四ッ谷荒木町そばにありますので、
お帰りの際は、ちょっと高須家を偲びながら、散策などがおススメです。
[PR]
by aroe-happyq | 2014-08-15 18:23 | 広く幕末ネタ | Comments(5)
なんでも番付にしてしまう、江戸時代。

大名旗本の人々も番付にされておりました(笑)。

それが「文久2年 東西くらべ 為国家」であります。

d0080566_18265517.jpg


ここのブログ・・・・ポチっと画像を押すと大きな画像が出るとかいう便利な仕組みでないので、
スイマセンっっ、かなり読みにくいかと存じますっっ(これでもかなり大きめに加工してみたのですがっ)。

この番付(写しが現存しているのですが)、福井市春嶽公記念文庫に所蔵されているそうです。
ここにUPしたのは、『徳川慶喜とその時代展」の古い図録から・・・・だったりします。
(なので不鮮明なんですっっ。カメラで撮影してみたのですが、ページの隅っこだったもので)
なぜ春嶽公のお手元に保存されたかは、見ればもう納得ですね(爆)!

英雄 松平春嶽  

とあるわけなので、
見た瞬間、家臣一同&ご本人も喜んで「永久保存!!!!」と決定されたかと(笑)。
(おかげでこんな発禁モノの番付が現代にまで伝わっているのでした☆)

また、慶喜展に出展されて、関東にいながら目にすることができたのも、

寛仁 一橋刑部卿

と春嶽さんのとなりにあったから♪だということで。


いや、わたしがUPしたのは実はここからが本題なのであります~~~~っっ

d0080566_14124034.jpg


③ーBの、ももいろ部分をご覧下さい!!!

中央の一番すみから、

才□ (読み取りできず) 岩瀬肥後守

  永井玄蕃頭

□□ 江川太郎左衛門  

どーです!!!素敵な3ショットですよね♪
(どうも、向かって右側・・・・春嶽や慶喜側はわりと、番付製作者にとって(笑)好印象メンバー
のようです。なにせ「赤心報国」らしいし。一方の反対側は・・・・(汗))

永井の「地」のうえがもし「意」の字だとしたら、意地というわけですが、
文久2年で、永井=意地で当てはまるとしたら・・・・・。
永蟄居処分が終わり、名誉回復&軍艦奉行復帰した夏頃、岡部駿河守経由で
入手した薩摩の内部告発を、永井が速攻で政事総裁職の春嶽に通報し、
島津久光の威光を笠に着て威張っていた薩摩の家来某氏が処分された件?
(このブログで前にも紹介しましたが、アンチ薩摩の大名旗本に永井さんはえらく
讃えられたので・・・。そんなこんなで京都町奉行などになったり・・・・。これかな??)

同じ段に、井戸石見守も確認できます。

②ーBの中央には、 老体 筒井肥前守の名も。


さて、問題は向かって左側です。おもに①-A段です。

國 井伊掃部頭
は、良いとして(爆)。

同じく売國メンバーとして、安藤対馬守

とか、大□ 阿部伊勢守

がですね、姦佞 間部下総守などと並んでいるのは
いかがなものでしょうかっっ(ちょっと辛いーっっ)。

その下の段、②ーAには、不覚 川路左衛門尉なんかも、
どーしてかと(川路が不覚をとったのは、安政4年、京での中川宮の一件のみですけど。
しかも中川宮・・・・この番付のど真ん中に、青蓮王ってこれ同一人物ですよネ・笑)
・・・・筒井が右側にいるのに、なぜ川路~~~~~っっ(涙)

青蓮宮のみならず、松平薩摩守や水府景山卿(って水戸斉昭のことデス)が
中央メインで、勧進元ときているという・・・・この番付をつくった人の立場がイマイチ
わからないのですが、かなりの事情通だということはわかります。
(ま、春嶽公を英雄って持ち上げすぎ~っ!って声が聞こえなくもないですが・笑)

それにしても、こんなに堂々とご政道批判ともとられない番付が出回るなんて、
文久頃になると、本当に御公儀の力が弱っていたのだなーと、
そんなときに頑張っていた、若き将軍家茂公が気の毒でなりませんっっ。
[PR]
by aroe-happyq | 2013-08-23 10:02 | 広く幕末ネタ | Comments(4)
半蔵門のJCIIフォトサロンで、
~幕末・明治の写真展~ フェリーチェ・ベアトが見た日本 Part1」展が開催中です☆

開催期間は、 2013年8月6日(火)~9月8日(日)です。

今回は当館所蔵のベアト作品の中から、前編として、来日した外国人向けのお土産として
販売されたアルバムを中心に、ベアトが得意としたパノラマ写真5枚を含む、
約90点を展示いたします。


JCIIフォトサロンサイト→こちら

今回は外国人用のお土産写真がメインとのことですが、
ベアトの写真は江戸末期~明治の日本を良く撮影してくれていますので、
まだベアトの写真集をお持ちではない方、当時の日本の様子をみてみたい♪
という方には、無料でもありますし、かなりおススメの展示です☆
(パート2もたいへん気になりますが・笑)



もう少し後の明治の東京については、
9月14日から江戸東京博物館のほうで「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」展もありますので、
あわせて(といっても開催時期はダブっているわけではなひ・・・・)見ると
いろいろ楽しめることと思いますので、こちらについてもリンク貼っておきます。
江戸博のサイト→こちら
主催の朝日新聞による公式サイト→こちら
[PR]
by aroe-happyq | 2013-08-20 17:50 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
d0080566_19125798.jpg

レンズが撮らえた幕末日本の城 《永久保存版》

來本 雅之  編著

三浦 正幸 小沢 健志  監修

山川出版社

アマゾン→こちら




山川出版社の「レンズが撮らえた」シリーズの最新刊。

北は五稜郭から、南は首里城まで134城を写真で紹介。
掲載されている城のリスト→山川出版社のサイト


感想はたったひと言。


圧巻です!!


よくぞここまでいろいろな城の写真をひとつの本にまとめてくださった!
(しかも比較的手に取りやすい価格でっっ)

実は発売当初、人間らしくない生活をしていたために出遅れてしまい、
なくなってしまって、なんと2刷待ちでした(笑)。

例えば江戸城の写真などは、あちこちに所蔵されていて一堂に会することのない
写真たちがどーん!とまとめて掲載されています☆

今までちいさいサイズでしかみたことのなかった、現・防衛省の地にあった、
尾張藩江戸上屋敷の写真も大きい写真でじっくり眺められます♪

明治期に撮影されたなかには、ボロボロの姿で写っている城もありますが、
名古屋城など、戦災前までその姿をとどめていた城には壮麗な姿の写真が多く、
なんと立派な・・・と歎息するばかりです。

復元された天守閣のお城もあちこちでありますが、
やはりといいますか、
コンクリとかで復元(というか一部にはがっつりアレンジも)されたものよりも、
ホンモノのほうが、風格があっていいですね♡

連日、暑い日が続いていますが、
ちょっと頭がぼーっとしたときなんかに、この本をめくって
脳内だけでも涼しい風を感じています(笑)。

お城好きの方はもうご存じの本だと思いますが、
幕末好きの方にも、オススメの一冊なので、ちょっと紹介してみました☆
[PR]
by aroe-happyq | 2013-07-13 19:37 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

岩子と桜

d0080566_18274675.jpg


お花見のおり、
浅草寺に行った目的は、
こちらの瓜生岩子(うりゅう いわこ・1829-1897)像に会いにいくためでした☆

先日まで存じ上げず、申し訳なかったわけですが、
ステキすぎる幕末明治の女性です。

福島喜多方の油商の家に生まれ、若い頃は身内の不幸が続いて苦労したそうですが、
後半生は社会慈善活動に尽くし、日本のナイチンゲールと呼ばれた人です。
10代のころ、会津藩医の山内春瓏という叔父さんを手伝ったという下地が
あったこともあり、戊辰戦争では傷兵たちを敵味方の区別なく救助し看護、
また会津の子供達の救済にも奔走。
その後は窮民貧児救済活動を全国に拡大、
東京でも渋沢栄一の要請により養護院の世話係長に就任して活躍されたとか。
野口英世の母も岩子の協力で産婆の資格を取得したとのこと。
明治29年には、女性初の藍綬褒章を受けています。

喜多方ホームページ→こちら


d0080566_1850519.jpg

こちらの銅像は過労で亡くなって4年後、明治34年浅草公園内に建てられたそうです。


「傷兵たちを敵味方の区別なく救助」というと、
尊敬してやまない箱館戦争の高松凌雲ドクトルを思い出しますが、
会津戦争のおりに、まして女性の身でなされたという岩子さん、
本当に心から尊敬します。

喜多方ではたいへん有名な方だそうですが、
(逆に、最近まで山本八重のことを知らなかった・・・・とTVで喜多方の方がおっしゃってますた・笑)
こんなに立派な女性は日本の偉人のひとりとして、
もっと日本じゅうで知らなきゃいけませんネっっ

その前に、まずはSPドラマでもつくりませんか、某公共放送サン(笑)。
わたしはどーしても今の大河の主人公(と兄とか藩とか)に感情移入ができないんですよぉぉ。
岩子さん主人公なら、できそうなんだけどなーーっ。


実はこの写真を撮るのにすんごく苦労したんです。
岩子像を見に、訪ねてくる人が後をたたず、その合間をぬって
ようやく写真におさめたのでした。
(タイトルつけたわりには、ここの桜はまだ6~7分咲きで目立たなかったのですが・爆)

瓜生岩子さん、東京でもけっこう人気です♡
[PR]
by aroe-happyq | 2013-03-24 20:04 | 広く幕末ネタ | Comments(2)
今日も寒波・・・・・・。
今年はずっと寒くて、なかなか遠出(歩いていくつもりだったので、遠出・笑)
ができませんでしたが、このままでは3月になってしまうので、
ついに、
「明治12年明治天皇御下命人物写真帖4500余名の肖像」 展@三の丸尚蔵館
いってまいりました。


公式サイト→こちら


本日は東京マラソンの日にて、都内は交通規制があるので、
それを避けるために、皇居東御苑には北桔門から入園。

本当は梅林坂の満開時期を待っていたのですが、
いつまでたってもあたたかくならなかった・・・・。

d0080566_1965676.jpg


d0080566_1975520.jpg


半分くらいかな・・・・咲いていたのは・・・。

d0080566_1994053.jpg


見物客さんはたくさんいたのですが、いかんせん寒いのだっっ。

d0080566_19105249.jpg


さて、いよいよお写真を見に!

d0080566_19114496.jpg


これまた休日なので、けっこう人出がありました☆

わたしの最大目標は、もちろん!

勝海舟&榎本武揚こと 
二大海軍卿!のお写真!!


それから箱館脱走連のみなさん、長崎海軍伝習関係者などなど。
・・・ま。圧倒的に可能性の低い人達狙いなんで、あんまり期待はしてなかったけど。

ええと、展示はパネルと、写真帖の生展示の二種類でした。

結果から申しますと、二大海軍卿はパネル展示、
生写真展示は、大鳥圭介氏(しかも2種類!!!)を拝見♪

・・・・・・・・識っている人の生写真があっただけで、マジでラッキーです(笑)。

榎本さんのは前にも見たことがあったお写真でしたが(海軍卿の頃の男前写真)、
勝さんのも含めて、ホントは生でみたかったなーと。

そういえば、パネルには高須4兄弟がいた!
(四ッ谷荒木町4兄弟・・・・。なんか最近、よくみかける気がする)

それから大久保一翁さんもいた!

ちょっと意外だったのは、写真帖唯一の外国人がシーボルトの息子さんだったこと。
(パネル展示のほうで、出てました)
イギリス人とかドイツ人のお雇いさんがどっさり出てくるものと思っていたら、
この人選には驚きました。


・・・・・・ま、わたしが興味があった人々は、そんなところかな(笑)。
当たり前のことですが、薩長系とか公家っちが多かったっす。


冷たい突風がふくなか、次の目的地の日比谷の図書館へ。
(そっちでたくさん収穫があったので、満足の遠出でした)

d0080566_19242514.jpg


あんまり風が強くて、波立つお堀(笑)。

その景色からぐるっと、振り向けば。

d0080566_1927385.jpg


東京駅の正面です☆



さて、結論を申しますと、

「明治12年明治天皇御下命人物写真帖4500余名の肖像」 展@三の丸尚蔵館

ですが、

大鳥圭介ファンのみなさん、


行くなら今でしょ!


今でしょ!!



以上でした♡
[PR]
by aroe-happyq | 2013-02-24 19:39 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

ドラマ「清水次郎長」

今日は旧正月の元旦。
まだまだ寒いですが、暦としては「新春」に突入。
春が待ち遠しいですっっ。

ちょっとここのところ、ブログを書くスイッチが入らなくて、
ほったらかしでスイマセン~~。
でも、どーでもいいことだと、書けちゃうから不思議ですっっ

というわけで、どーでもいい内容の記事、始まります(笑)。

CSで放送中の、ふるーい時代劇(1971年製作)、
竹脇無我主演の「清水次郎長」をなんとなーくみております(笑)。
(このドラマについて、くわしくはwikiってみてくださいまし♪)
全52話。まるで大河並み!なので、どこまで続くかはわかりませんが!

脚本に葉村彰子名のほかに、向田邦子の名があって
なんとなく「寺内貫太郎一家」的な、のほほんとしたムードで
歴史のなかの次郎長の血で血を洗う激しい生涯を知っていると
かなりファンタジーな世界なのですが、
テンポがいいし、なかなか面白くて・・・・やめられません。
(主題歌も竹脇が唱っていて、なんとも音がハズレまくるのですが
それさえのどかだわーと思える不思議な魔力・笑)
だんだん仲間が集まって、集団ができていくわけですが、
侠客の集まりにしてはどこかほっこりしていて、
清水一家の大家族ドラマ+チャンバラという王道の娯楽ドラマです☆

次郎長モノといえば「次郎長三国志」という映画シリーズもありましたほどで、
(ここでいう三国は駿河国、遠江国、三河国の三国を指しているそうですが)
任侠モノでは三国志やら水滸伝やらがちょいちょい引用されます。
このドラマもそういう流れにのっていて、
三国志やら水滸伝に馴染みあるワタシとしては、
なにげに見やすいです(笑)。

なにせこの竹脇無我演じる次郎長親分が、
まるで「三国志演義」の劉備そのものなんでございますよ~~~~(爆)。
(ま、「水滸伝」の宋江ともいえるんですけど~~~~っっ)
「渡世人」=「博徒」といわれるぐらい、賭場のあがりで生きていくのに
「賭場はひらかねぇ!」「世間様に顔向けできないことはしない」
とか、ありえないきれい事を言い出す人なんです(笑)。
(だからこのドラマの次郎長一家はいつもビンボーなんです)
でもそのありえないきれい事を、爽やかな竹脇さんが言うと
無理がなくて、自然な感じで清々しい!(笑)

どんな風な奴かというと、
隣町の大親分が亡くなるときに、息子が不出来なので
次郎長に久能山神社の縁日を仕切る権利書(これがすごい利権を生むお宝という設定)
を譲ろうとするのにですよ、「これは受け取れません」って、清々しく断る。
大親分(←死にかけているんですけどネ)がそれでもと頼むと、爽やかに微笑んで、
「では3年間御預かりいたします。そのあいだに息子さんを立派にして、
これをお返しいたしましょう」て言い出すんですよ。
(もちろん子分たちは「あ~なんで受け取らないんだ、親分ーっ」って顔してるんですけど)
これってもうもう!
マジであのウザイ演義の劉備&水滸伝宋江じゃん!!(爆笑)
って、もう大受けです。

でも少し前のドラマの主人公って、
こういうやせ我慢+正義漢タイプが多かったよなぁーと思うと、このウザキャラは
主人公の王道だったってことなんですよね、って改めて実感。
・・・・近年のドラマって、こういう道徳系キャラが主人公じゃないから
なんだかもう、新鮮!斬新!(爆)。
久しぶりにみると、すんごく懐かしくって、
たまにはこういうのもいいなぁぁぁぁと思います。

でもその子分どもも、「親分、生まれた日は違うけど、死ぬときゃ一緒だ!」
って言ってる、三国志演義で水滸伝な奴らなんですけども(笑)。

この子分衆もいまは大御所の俳優さんがフレッシュ&キュートに演じていて、
明るくて良い奴らなんです☆
大政=大木実(写真が残っている実際の大政に似ている)、
森の石松=あおい輝彦、桶屋の鬼吉=田辺 靖雄(このコンビが絶妙)、
小政=松山省二、追分三五郎=近藤正臣、大瀬半五郎=里見浩太朗、
法印大五郎=南利明などなど。

で、ここで問題なのが、黒駒勝蔵(演じるは若き露口茂!かっこいい!)。
いわば、主人公の好敵手というキャラなんですが・・・・・。
それがどういうわけか、1話目から「清水の、俺と一緒に組まねぇか」とか
「俺たちならうまくやれそうだ」とか、
しつこく、しつこく、しつこく誘いかけてくる(笑)。
そのたびに、次郎長に爽やかな笑顔で
「いいえ、それはやめておきましょう」とか「お断りいたします」とか
何度も振られ続けるんですよ。

・・・・デジャブを感じてしまいました。
なんか、こういうキャラを、みたことがありますんですよ。
ええ、もう・・・・・みたなんてもんじゃないくらい、忘れられない、あの人物!
ズバリ、NHK人形劇三国志の曹操です(爆)。
(この場合、三国志演義の、ではなくあくまでもNHKの、です)
人形曹操もことあるごとに人形玄徳に振られてたっけ・・・・・。

でも勝蔵は上記の曹操よりも卑劣漢です(笑)。
さきほどの久能山の利権問題では次郎長をマジで謀殺しようとしたし。
ビッグビジネスがからむと、次郎長よりも利権のほうが重要な人みたいです(笑)。
しかし基本的な勝蔵は一緒に組もうといいつつ、
ことある事に次郎長を追いつめるような陰謀に陰で加担して、
次郎長のピンチになると、さらっと助けに来たり・・・・・と複雑なキャラなのです。

歴史のなかの勝蔵は、官軍に利用されるだけされて
無残に捨てられ死んでいった、それはもう気の毒な最後だったので、
フィクションのなかでは、せめて楽しく(次郎長を追いかけ回すことが楽しいかは不明だが)
生きていってほしいと思います(涙)。

ま、次郎長は歴史のなかでは、波乱の人生ではあったものの、
明治になって山岡鉄舟と出会ったり、徳川家が駿府にやってきた大好運もあって、
きちんと畳の上で大往生しましたので、フィクションで少し弄ばれても
いいんじゃないかということで(笑)、
このほんわか王道ドラマ、まだまだ楽しんでいこうと思います。
[PR]
by aroe-happyq | 2013-02-10 19:11 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
来年の大河は会津出身の女性主人公ということで、
会津関連本が本屋さんでもたくさんならんでいます。
朝ドラみたいなタイトルからしてドン引きなので(ってもう随分前に書きましたネ)、
来年の大河に触れるのはこの記事が最初で最後だと思います☆
(んー、いちおう視聴予定なのですが、わたしの贔屓筋とはほとんど関わらない
はずなので書くこともなかろうかと。
でもあまりに「おいおい」な事が出てきたら書くかもです(笑))

ただ、ひとつも記事なしでは、同じ東国者として仁義なさすぎ・・・・と
いうことで、今回はドラマでも登場するはずの会津藩の蘭癖さんたちに
ささやかなエールを送りたい!という趣旨の記事であります。

で、いよいよ祝砲のお話です。

祝砲に関しては、wikiで確認いただくとして(笑)。
幕末日本における祝砲についての史料はほとんどありません。
有名なところは咸臨がアメリカに到着した際に「祝砲」をうった
話でしょうか。
そのせいか、このおりの祝砲を日本の最初のものだとする
勝海舟や咸臨スキーの手による本があります。

ところがサンフランシスコ入港時の咸臨丸が最初ではありません。

これよりも数年前、安政5年7月 18日(1858年8月26日)。
日英通商条約調印の日、江戸は品川第二御台場で、
日本初の祝砲が、寸分も違えることなく、完璧に発射されました。

第二御台場というと、会津藩の持ち場。
そうなんです☆
つまり、会津藩のみなさんがこの大役を見事にこなされたのでありました!

といっても残念ながら会津さんだけが目立ったわけではありません。
このときのセレモニーは、日英通商条約調印後、
英国から贈られる王室用遊覧船エンペラー(新造船)の引き渡し式
だったりするので、祝砲+エンペラー号試乗会という
二本柱の大イベントだったのでありました。
(なので「+α」と題しましたです)

しかし!この調印後のセレモニーは、けして失敗は許されない、
日本のプライドがかかった、この日の最大のミッションでした(笑)。
つまり、祝砲担当の会津藩受け持ち台場と、
エンペラー号試乗担当の築地軍艦繰練所が、
互いの持ち場をよく守り、見事にクリアしたわけです☆

このときの英国との交渉は、わが愛する5人の初期外国奉行揃い踏みの
初仕事ということ、英国側の訪日録や書簡記録が
手に入りやすいこともあって、昔からの重要な関心事でありました。
うちのブログでも何度か連続企画をやったりしてまいりました(笑)。
ちなみにその日についての過去の記事→こちら

昨年ごろ、さらに深く調べようと思い立ったところ、
英国側の史料には書かれていなかった祝砲の担い手が誰(藩)なのか
わかった次第です。
(けっこう、いやかなり!!!手間がかかりました~~)
なぜいままで誰も触れてこなかったのか?
やはり幕末外交が明治政府(つか現行の日本政府にもね)により、
不当な評価しか与えられてこなかった弊害でしょうねっっ。
しかし!近年その評価が見直されていることもあり、
これからの幕末外交史研究に期待したいところです。


会津藩はそもそもペリー来航前から江戸湾警備担当藩のひとつで
薩摩や佐賀のような蘭癖藩(爆)ではないですが、
西洋砲術、軍学に触れざるおえない立場にありました。
品川台場ができると、第二台場が持ち場となり、ますます西洋学
の必要性が高まり、安政4年には会津藩校日新館内に蘭学所も設けられました。
日本初の祝砲を担ったのはその1年後ということになります。

この日本初祝砲物語ですが、けっこうドラマチックです。
安政5年の日英通商交渉に詳しい方々(おもに外国奉行ファンだけですが)
は、交渉中にこの祝砲を行なうか行なわないかで、
日英双方のあいだで、けっこう揉めていた経緯はご存じのはず(笑)。

アメリカのハリスとの通商交渉時にも議題にあがりましたが、
日本側は、かなり正確に間をとって空砲を打つ、という未体験の「祝砲」が
万が一失敗したら・・・・ということで難色を示して、
一度もやってこなかったのです。
英国使節エルギン卿はアメリカへの対抗心から、
ひとつでも、ハリスが日本でなし得ていないことを、この交渉中にやりたかった。
なにせペリーよりも江戸湾の奥に停泊したくて、いきなり品川へ乗り込んできたし、
遊覧船を日本側に贈呈するセレモニーを江戸湾でやりたいとか、
ホント、いろいろ言ってきたわけです。
(アメリカよりも遅れて日本に交渉にきた分、江戸湾で派手にイベントをやって
大英帝国の存在をアピールしたかったのですネ)
そのなかでも祝砲は、一説ではイギリス海軍が発祥ということもあってか?!、
とにかく英国側は「日本初」の祝砲にこだわりました。
新造船引き渡しセレモニー開催は早々に決まったのですが、祝砲だけは外国奉行も
うーむむと首を縦にふらない。そこでエルギン伯はあんまり交渉内容にくわしくない、
老中との会見の場でこの「祝砲」問題を持ち出し、老中に承諾させてしまうのでした(笑)。

これをうけての安政5年7月16日付の「老中達」は以下のとおり。
(『續徳川実紀』より)

備後守 大目付江

近々英吉利より献貢之蒸気船御請取相成候につき、
品川御台場ならびに彼国船々にて空砲相放候筈に候事


これが18日のセレモニーの2日前!だったのですが、
会津藩留守居役・外島機兵衛が、
公儀の御目付津田半三郎から正式に祝砲を打つべし(笑)との命を
うけたのは、なんとまぁ、その翌日、つまりセレモニーの前日のことでした。
(ちなみになぜ会津藩の第二台場が選ばれたのかは不明。いちおう砲術の技能が
良かったからだと・・・・思いたいです(笑))

普通ですと前日に祝砲やれっていわれても、そんなものすぐにできるものでは
ないのですが、このときの会津藩江戸チームは事前にこの情報を
キャッチしていたと思われ(こういうときに留守居役の外交力、情報収集力が問われますが、
優秀なる外島機兵衛さんのことなので、そのあたりはバッチリ☆だったかと思われます)、
こっそりと練習していたのではないでしょうか!
でも、品川沖は漁場なもんで、ガンガン空砲訓練すると地元の漁師さんから
苦情が出ちゃって、あんまり練習ができない(←時代劇に出てくる封建社会じゃありえない、
民意優先の世界。でもこれが現実なんです。時代劇っていいかげんなんですのヨ)
・・・・なのでこっそりのつもりがなくても、
ひそかに練習せざるおえない環境だったのです(汗)

いろいろバタバタしたわけですが、会津藩は
公儀の無茶振りに見事にこたえた、というわけです☆
(ね?なかなかドラマチックでございましょ??)

で、どういう手順で行なわれたのか、その記録も探しあてることが
できましたのでここに堂々公開!

・・・(略)・・・・夕7つごろ、公儀御役人外国奉行、
異船乗り込み候節、赤旗を振り、
御台場にて受けすぐさま空砲5発ずつ、3度砲発都合15発に御座候。

(『坐漏紀聞』より)

※読みやすくブログ用に工夫しておりますので、
当然のことですが、このままコピペして大事なレポートやお仕事に
ご使用されると大惨事になりますので、かならず原文に当たって下さいませ。
(原史料に当たると本当に素晴らしい発見があるものだと、
最近改めてその大切さを噛みしめて居る次第です)

ちなみに、『エルギン卿遣日使節録』では21発と書かれています☆(笑)

会津側の史料のどこかに、この日の記録(日記とか書簡)があると
いいですね~~~♪
(って、そこから先は調べるつもりはないらしい自分(笑))

それよりも!!!!(ここからはちょっと「+α」な話題へ)
この赤旗振った人は誰でしょうね~~~?(笑)
「異船」ことエンペラー号へ乗り込んだ「公儀御役人外国奉行」は
外国奉行と目付、通訳だったのですが、
この布陣だとやっぱり外国奉行が担ったと思いませんか?
だとしたら、です。
この日、めちゃめちゃおめかししていたという(笑)、
外国使節に「日本海軍提督」とか「海軍司令官卿」とか
呼ばれていた永井玄蕃頭の可能性が濃厚???
それとも外国奉行筆頭なので、水野筑後守??
とにかくかっこいいですねーー!!!どっちでもいいから、
見てみたいですね!そのお姿!
(誰か~中継してーっ(爆))

日本側の祝砲のあと、英国側の艦船からも祝砲返しが行なわれ、
その後、矢田堀景蔵以下、榎本釜次郎等々の築地軍艦繰練所チーム、
つまり日本人オンリーによるエンペラー号の試乗会となり、こちらも大成功しました☆
(これはもう何回か記事にしたので、ここでは割愛)

それもしても、です。
このときの会津藩祝砲チームのプレッシャーはハンパなかったと思います。
というのも安政5年夏、藩主の容保公は参勤交代のため、国許にいたのです。
つまり留守居役が命令を受けてましたが、
本当にお留守番チームでこのミッションを乗り越えたのです!
主君のいないときだからこそ失敗は許されない、というたいへんな覚悟だったと
思います。
(ならぬものは、ならぬのです!の真面目な会津だけに余計・・・・・・かと)

会津藩というと、京都守護職になってからのイメージが強すぎますが、
実はこうして日本初祝砲をやった優秀な蘭学チームがあるとか、
井伊直弼暗殺後、水戸藩とのあいだを取り持って彦根VS水戸戦争を
防いだとか、いろいろ素敵でワイルドなエピソードがあるんですよねーっ♪♪
(会津藩が上洛後、京都洋学所を設けていたことも、あまり映像作品には出て
こなかったし)
攘夷の牙城の京都に「洋学」所を作ってやったぜ~、って、
御所に洋装で行ってやったぜ~の慶喜とならぶくらいの、
かなりワイルドさんですよね(爆) ←さすが一会桑チーム!!

この祝砲問題は、初期の日英外交史に華をそえた素敵なエピソード。
もう会津藩が幕末外交と縁遠いなんて、いわせないぜ!ってことです(笑)。

最近の大河ドラマには期待しないようにしていますが、
上記のような、いままで知られていなかった「白虎隊だけじゃない会津藩」(笑)の魅力が
少しでも語られたらいいですね。
だってほら、八重パパって砲術師範(たしか高島流砲術)ですもんね!
蘭学所や京都洋学所がはじめて、日の目をみるはず!!!?
(ずーっとホームドラマだったら、出てこないかも(爆))

というわけで、外国奉行と築地の軍艦繰練所のやつらを追って
いたら、会津藩とばったり出くわした(笑)という、
そんな記事でありました。

More
[PR]
by aroe-happyq | 2012-11-24 13:59 | 広く幕末ネタ | Comments(2)
原作の「天皇の世紀」は大佛次郎のライフワークだった
壮大な幕末史伝。
史料を駆使して、幕末の真実を描きだそうという意欲作・・・・
だったけど作者の死により未完となった作品とのこと。
まだ原作は読んでいませんが、かなり幕臣が登場するそうなので
いつかは読まなきゃと思う作品です☆

さて、この作品は1971~73年にかけて、民放で映像化され、
第1部がドラマ編、第2部がドキュメンタリー編として製作されたよし。
CSではこの夏、この両方を放映する、との報をきいて
楽しみにしていたところ、ついにドラマ編がはじまりました。

第1回 「黒船」

タイトルどおり、幕末の幕開け、ペルリがやってきたところから
はじまりました。

・・・・・・・・・・・1回をみた結論からいいますと、
当時はさすが史料を駆使、描かれた幕末の真実!だったかも
しれませんが、その後にさらに研究が進んだ今となっては
とっても「ふつう」にフィクションでした(笑)。

たぶん当時はペリー側の史料(航海記ね)とか、
そういうのも新鮮だったんでしょう・・・・・けど、
このドラマは(原作は知りませんが)、
けっこうフィクションとして遊んでます。

たとえば、この1回目の日本側主人公は阿部伊勢守(as 若き田村高廣)
と川路左衛門尉聖謨(as 木村功)ですが、
ぶっちゃけ川路、いろいろやりすぎだし(笑)。
わかりやすくしたらこうなっちゃいました、なのでしょうが
こんなに1回目のペルリ来航時に、川路は大活躍してないんじゃ・・・・・(笑)。

「さすが史料を駆使、描かれた幕末の真実!」のドラマでしたら
1998年大河ドラマ「慶喜」のほうが、このあたりの描き方は優れてると
思います~~☆
ま、70年代のドラマとしたら、ほかはかなりハチャメチャ時代劇の時代
ですから、頑張っていたと思いますけど~~~。

ただ・・・・・・・・。
70年代なので、ペリーほか外国人たちの雰囲気が、
わが愛する「モンティ・パイソン」の時代なもんで、
なんだか、顔立ちが似ているキャストが多くてですね、
今にもなにか、ギャグに走り出すんじゃないかとついつい思って
しまう、ペリー側のおかげで、なにかシリアスになりきれないものが(笑)。
(これはわたしの勝手な視聴姿勢の責任です)

それから、中島三郎助がせっかく出てくるのですけど、
演じるのが藤岡重慶さんなもんで、「あしたのジョー」のおやっさん
じゃありませんか。これがまた・・・・・濃~~~~~い三郎助で・・・・・・・・。
ペリー艦で大砲の絵を描きまくるとか、ディナーの呼ばれて、
西洋の食べ物にがっつくキュートな様子とかナイス!な場面が多いのですが058.gif
でもおやっさんなんですっっ。

実はとっても期待していたので、
しょっぱなから肩すかしをくらった感じですが、
でもね、この後、岩瀬とか出てくるし、
それからひそかに木村摂津守as津川雅彦というキャスティング
がどうなるのか等々、楽しみはあるので、たぶん全話みちゃうことでしょう(笑)。


真実の幕末ドラマって割には、外国奉行の登場が少ないのが
なにより不満ですけどねッ015.gif
[PR]
by aroe-happyq | 2012-07-17 10:06 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq