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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

カテゴリ:広く幕末ネタ( 113 )

まさかの長州ネタでございます(笑)。

今年の夏、ひょんなことから知りました、赤禰武人サン。
おそらくわたくしにとって、最初で最後の「やっと居たよ、まともそうな長州の人」です(笑)。
しかし「まとも」ゆえに裏切り者にされ、石持て追われる身となる、不運の人でもあります。

心理学では少しでも知識が深まると、好感度が増すものだそうですが、
今回、赤禰武人を知って、ますます長州とか高杉晋作が嫌いになったことは
最初に書いておきたいと思います(笑)。理由はおいおいに・・・・。
(ほかの人達は・・・・薩摩とか、井伊直弼なんかも、識るたびに可愛く♪思える
ようになって、好感度が増しているのに、ここだけ・・・・どーしてだらう!?)

で、その赤禰(根)武人とは・・・・・。

天保9年、周防桂島の村医松崎三宅の子として生まれる。
(長男説やら、次男説がある。でも他家に養子にいくところをみると次男っぽい?)
通称は門平、幹之丞。
11歳で、僧月性の時習館に学んで、その後、松下村塾に入る。
20歳の時、浦家の臣、赤禰忠右衛門の養子になり、士分となり、赤禰武人と名乗る。
安政の大獄では獄につながれたり、いろいろあって、
江戸では、英国公使館焼き討ちのメンバーになったり、スパイ活動したりとヤバイ橋も渡り、
攘夷血盟には、久坂玄瑞や高杉晋作らとともにその名を連ねた。

その後、奇兵隊結成に加わり、第三代総管に就任(部下は山県有朋)。
翌年、四国連合艦隊による下関砲撃事件を経て、赤禰武人は攘夷は不可能だと悟る。
さらに長州内の正義派(倒幕派)やら俗論派(恭順派)などの醜い対立をみるにつけ、
思う所があって、奇兵隊総管を辞して、故郷に帰ります。
この休暇で、さまざま思い巡らし、開眼したようです。

ところが後任の山県がどうもダメダメで、
赤禰武人は再び奇兵隊に連れ戻されしまうのでした。

奇兵隊に戻った赤禰武人は「開眼」したため、前とは打って変わって、
長州は戦争をしてはならない、と内戦回避のために奔走をはじめる。
するとそこへ、俗論派に命を狙われ他国へ渡っていた高杉が戻ってきて、
赤禰を妨害するわけです。

そのときの高杉の演説ですが、これがすごい(笑)。
奇兵隊の同志を前に正論派の勢力回復は今しかない!、とここまではいいとして、
次に「赤禰に騙されるな」的な演説をぶった・・・・のですが。
その理由に、赤禰はそもそも士分じゃない、とか、弁舌はどんどんヒートアップしていき、
「(赤禰武人は)大嶋郡の土百姓じゃないか」と、
自分(高杉)は毛利家の家臣だ、こんなに高い身分の自分と、
土百姓の赤禰武人の言う事とどちらが信用できるか、おのずとわかるだろう!?
とまぁ、つい本音が出ちゃった。
(正確には赤禰は周防桂島の村医の子なんだけどさ)
これには、演説を聴いていた奇兵隊のお百姓さん達がドン引き・・・・・・。
なんせ、奇兵隊のお偉いさんが隊の創設精神をなにげに否定してしまうという珍事が
起きたわけですから(爆笑)。
(そしてこういう口先だけのぺらい差別男が大嫌いなワタクシのなかで
高杉晋作は永遠にブラックリストに刻まれることになりました(笑))

結局、赤禰武人の努力は水泡に帰してしまい、藩内では正論派が勢力を盛り返す。
このおかげで、高杉一派から裏切り者扱いされ、赤禰は大坂へ落ち延びます。

不幸は重なるもので、赤禰武人は大坂で幕吏に捕まってしまい、
京の六角獄につながれます。八ヶ月も。

その獄中で、再度の長州征伐が行われるときくや、『急務五箇条』という意見書を書き、提出。
幕府と長州の戦いを回避し、内戦を行わないことで、諸外国のつけいる隙を与えないよう、
自分は長州の人々を説得したい、というような内容でしたが
この赤禰の意見書が、大目付永井主水正尚志の目にとまります。
永井は赤禰に「長州との和睦に協力してくれるとは本当か」と問うと、
「自分が長州へ行って説得する」という。
では頼むということになって、
慶応元年、長州尋問のため広島へ向かう永井主水正と新選組近藤勇や
伊東甲子太郎などに随行して、赤禰武人は旅立ちます。
道中、赤禰武人は近藤や伊東と随分交流を深めたのだそうな。

広島へ到着すると、赤禰武人は「釈放」ということで自由の身となります。
それだけではなく、『急務五箇条』の内容が高く買われ、岩国や長府、そして萩の藩主にも
「幕府との戦いを回避するよう、高杉たちを説得してくれ」と期待されるのです。
しかし、すでに藩主の思惑とは違い、藩内では幕府と戦う覚悟を固めており、
赤禰武人は近藤や伊東と岩国への入国を試みるのですが、拒否されてしまう。
拒否されるだけならまだしも、「新選組と交流するなど、お前は幕府のスパイだな」と
いう嫌疑をかけられてしまい、お尋ね者に。

近藤たちと別れ、藩内に潜伏した赤禰武人は、まだ説得できると信じていました。
(こういう流れになったので、近藤たちの作戦も失敗になったわけです(笑))

そこで故郷の親類を頼りますが、追っ手が迫ると、
自刃するよう勧められてしまうのです(トホホ)。
しかし「ここで死んでは誤解されたまま終わってしまう。この上は裁きの場にて、
自らの清明をのべ、我が主張のいずれに間違いがあるのか、問いただしたい」
というと自ら縛につきます。
高杉などの正義派が盛り返している藩内なので、取り調べなどもいわば元仲間と関係
のある人が行うわけです。「話せばわかる」と思ったのでしょう。
なにせ元奇兵隊の第三代総管ですから、仲間はたくさんいただろうし。

ところが、まったく弁明を行う場も与えられず、そのまま処刑と決してしまうのでした。
(昔の仲間じゃねぇか、少しぐらい話を聞いてやりゃいいだろ、と理解不能の呆れた結末(笑)。
てか、まったく聞く耳を持たないという、料簡狭さがこわいよ(汗))

処刑前夜、赤禰武人は悔しさゆえに啜り泣いたそうです(さもありなん)。

赤禰武人処刑の報をきいた藩主毛利元周は馬を飛ばして止めようと
しますが、時既に遅かった、ということです。
(藩主への報告ってそんなに後回しなの?と首を傾げてしまうのですが)
この時、赤禰武人は28歳でした。

しかし、この後がまた酷い・・・・・。

処刑された赤禰武人の遺骸から腸を引きずり出して鳥に喰わせ(鳥葬か!?)、
遺骸そのものは通行人に踏みつけさせるよう、埋めたとか。
晒された首だけは何者かが持ち去ったそうで、行方知れずです。

そして、明治の終わりの頃。
赤禰武人の名誉を回復させようという運動が起ったそうな。
帝国議会で了承されるところまでこぎつけたのですが、
元部下の山県有朋が
「下関砲撃事件で赤禰武人は敵前逃亡した」ゆえ、認めないと発言。
とうとう名誉回復の話は頓挫したそうです。
(赤禰の後任を果たしきれなかったクセに随分と偉そうだよな(笑))

ようやく赤禰武人の墓が建てられたのは平成7年のことだそうです。

長州のなかで、ようやくちゃんと時節を読めていた人がいたことは
すごく嬉しいというか、ああ、同じ日本人らしいぞと安心した次第ですが(笑)、
しっかし奇兵隊内部ってドロドロすぎて怖ひ・・・・・。
青春モノみたいなさわやかなタッチで語れんぞ、こいつら・・・・(汗)。

どうするんだろう、来年の大河(笑)。みないから、どうなってもいいけどサ。
(嗚呼、官兵衛面白いのにもうじき終わっちまうのかよ~~~)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きっかけはお察しのとおり、永井公の広島行きの調査でした(笑)。
ですが、知れば知るほど赤禰武人さんが気の毒になり、
旗本中根市之丞サマを惨殺した鬼畜・奇兵隊の一員ではありますが、
どうしても紹介したくなった次第。

※御使番中根公や一行の惨殺事件についての記事はこちらこちら

長州ネタは最初で最後だと思いますが、
長州の賢人、赤禰武人さんのお話でした。


【おもな参考文献】
『松下村塾の人びと』 海原徹著 ミネルヴァ書房

この本では、高杉演説のくだり、すごーく書きにくそうに描かれていて
長州ファンにとっても、この現実は厳しいものだったのだな、と納得でした。
(アンチファンのわたしでさえ、初見では対処に困ったもの(笑))

このほか、国会図書館の検索でひっかかった細かい資料等々。
なかなか赤禰さん情報がなくて、たいへんでした(細かい調査は現在進行形)。
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by aroe-happyq | 2014-10-08 11:39 | 広く幕末ネタ | Comments(12)
四ッ谷荒木町そばにある、新宿歴史博物館で開催中の
「高須四兄弟」展に行ってきました☆

博物館特別展サイト→こちら

それほど大きな展示スペースのある博物館ではないので、
大きな展覧会ではありませんが、
高須家初心者のわたしにとっては、けっこう充実した内容でした。

容保公、定敬公は経歴などわかっているほうですが、
あとの2人について、尾張藩主をかわりばんこに継がれたりして、
ちょっと頭のなかでぼんやりしている点があったのが、このほど解決できて
たいへん勉強になりました。

とくに昨年、生麦事件について調べていた頃、
上洛した家茂のかわりに、京からお留守番に江戸へやってきて、わけもわからぬままに
生麦賠償交渉に巻き込まれてしまう、気の毒な尾張公に同情愛がわいたのですが、
そのおりの御殿様は次男さんのほうなのね、とか(笑)。
(次男さんとは、尾張茂徳のほう。のち玄同、そして一橋茂栄になる人です)

そ、それから長男さんの尾張慶勝のコーナーで知ったのは、
水戸のみならず、尾張家までが延宝4年以降、尊皇家だったこと。
御三家中、二つもかよ(紀州も微妙だしな)とくると、徳川家を味方してくれる身内は
御三卿と会津家だけってこと!? 
・・・・・・いえ、これは慶勝の行動をみてればわかってはいたけど。
そして江戸開城時には「この裏切り者め」と旗本御家人にえらく憎まれていたのも、知ってたけど。
でも延宝年間(綱吉が将軍になった頃。つまり、8代将軍をめぐって紀州と尾州が競うずっと前)
から「朝廷のミカタ」だったと知ると、なんともショック。

ところが、図録の論考(これまた、実にしっかりしていて素晴らしい文章ばかり)によると、
慶勝公は、関東人として強い矜持を持っていたのだとか。
(戊辰時の旗本御家人が聞いたらマジ「じぇじぇじぇ」だとおもふ(笑))
ま、関東人というか、四ッ谷荒木町人といいますか。生まれ育った土地が大好きだったようです。
(・・・・たしかにお墓も新宿区にある!)

とまぁ、いろいろと四兄弟について知ることができて楽しかったです。

たったひとつ。展示されている容保公のお写真のところに「イケメン大名」とか貼ってあるのには
ちょっと笑ってしまいました。いや、今更だし・・・・・。
もうこの方が美しいのは万人が知っていますワって(笑)。
でも、わたくし・・・・・告白しますと、その容保公のナナメ2メートル前ぐらいに置かれていた、
でっかく引きのばされた、煙管をもってポーズをとってる慶喜サマのポスター並みの大写真に
改めてみとれてしまいました(爆)。ああ、「イケメン将軍」って(汗)。
(忙しいなか、わざわざ資治通鑑とかならべて、あーでもないこーでもないと撮影したすべてが素敵)

さて、ここで四兄弟とはちょっと離れたところで、びっくりしたのは、
四ッ谷御先手組組屋敷・・・・・・・。
慶勝公が撮影した、実家の高須家から養家の尾張上屋敷方面のお写真に写っていたのです。
ふつう、与力や同心の組屋敷というと、八丁堀の町方同心・与力の組屋敷の感じを
イメージするじゃありませんか。
そ、それが・・・・この高須家と尾張家に挟まれたエリアにある御先手組組屋敷は、
茅葺きの農家(戸建て)が庭(か畑のなか)に点在している形式で、どーみても、
江戸の武家が住んでいる屋敷にはみえず・・・・、ただの農家。
(実際にお見せしたいのですが、図録から撮影しようとしたらどうも映りがわるくて)
四ッ谷御先手組組屋敷って、池波正太郎の「鬼平」ではレギュラー同心たちの住まい
という設定ということもあって、忠吾ん家ってこんなダサいのか・・・・・・と(笑)。

小さい規模ではありますが、四兄弟の育った高須屋敷についても地元らしさを発揮して、
珍しい地図などもいろいろ展示しており、また図録もしっかり作られていて、
見応えのある、良い展覧会でした☆

帰りには、ついでに高須屋敷だったエリアをちょっと散歩しました♪
(博物館内、常設展示入り口の机に四ッ谷エリアマップが置いてありました。
これをみれば、迷わず策の池にもいけるかと思いますヨ)

ちなみに、高須屋敷内にあった策の池等々の以前の記事は→こちら
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by aroe-happyq | 2014-09-18 11:01 | 広く幕末ネタ | Comments(8)
先日、久々に横浜開港資料館へ行きました。
お買い物ついでに、開催中の展示もみてきたのですが、肝心の日記がまだ翻訳中
とのことで、中間報告っぽい内容でした。
早く完成して、しっかりした展示がみたいものです。

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横浜に行く少し前、笠原 潔著『黒船来航と音楽』 (歴史文化ライブラリー)吉川弘文館
を読んだので、資料館外のあたりをちょっとぶらつきながら、
来航時の想像をして楽しみました。

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上記の本によりますと、当時、アメリカの軍楽隊が演奏したアメリカ国歌は
今、私たちが大リーグなどでよく耳にする『星条旗』ではなく(←こちらは昭和6年ぐらいからだとか)
『ヘイル・コロンビア』という曲が仮国歌と定められていたそうです。

ちなみにこんな曲です↓



なんか、19世紀っぽい、おとなしめで古風なテイストですよね☆
(なにせ仮国歌。まだまだ新しい国でーす感がでている気がします(笑))

で、『星条旗』という曲ももう存在していたのですが、こちらはもっぱら国旗掲揚時限定
だったそうです(なので、もちろん国旗を掲げた際、日本でも演奏されたそうです)。

なので幕末ドラマなどで、『星条旗』全面推しの作品は、いささかイメージ先行すぎで、
不勉強としかいいようがありませんネ。

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そんな音楽を、↑このあたり、海から交渉場所まで、軍楽隊が演奏して上陸したわけですね。


『黒船来航と音楽』 には、もっといろんな曲が演奏されたと書かれております。

いきなり押し掛けてきた外国の、いわば異国の音楽をですね、
交渉担当の林大学頭や、伊沢美作守、鵜殿などなどはどう聞いたのか。
ちょっと感想を聞いてみたいものです。
(宴会ではバンド演奏に乗って、ちょっとフィーバーしちゃった日本人もいた模様ですが(笑))
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by aroe-happyq | 2014-08-20 10:07 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
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新宿を歩いていたら、こんなポスターを見かけました☆

四ッ谷にある、新宿区立新宿歴史博物館で開催するそうですヨ!


新宿区立新宿歴史博物館特別展予告ページ→こちら

【会 期】9月13日(土)~11月24日(月・振)
【時 間】9:30~17:30(入館は17:00まで)
【会 場】新宿歴史博物館 地下1階 企画展示室
【休館日】9月22日(月)、10月14日(火)、10月27日(月)、11月10日(月)
【観覧料】一般300円(常設展とのセット券は500円)、中学生以下無料
※団体割引:20名以上で1名150円


こちらの博物館はまさに高須家のあった、四ッ谷荒木町そばにありますので、
お帰りの際は、ちょっと高須家を偲びながら、散策などがおススメです。
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by aroe-happyq | 2014-08-15 18:23 | 広く幕末ネタ | Comments(5)
なんでも番付にしてしまう、江戸時代。

大名旗本の人々も番付にされておりました(笑)。

それが「文久2年 東西くらべ 為国家」であります。

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ここのブログ・・・・ポチっと画像を押すと大きな画像が出るとかいう便利な仕組みでないので、
スイマセンっっ、かなり読みにくいかと存じますっっ(これでもかなり大きめに加工してみたのですがっ)。

この番付(写しが現存しているのですが)、福井市春嶽公記念文庫に所蔵されているそうです。
ここにUPしたのは、『徳川慶喜とその時代展」の古い図録から・・・・だったりします。
(なので不鮮明なんですっっ。カメラで撮影してみたのですが、ページの隅っこだったもので)
なぜ春嶽公のお手元に保存されたかは、見ればもう納得ですね(爆)!

英雄 松平春嶽  

とあるわけなので、
見た瞬間、家臣一同&ご本人も喜んで「永久保存!!!!」と決定されたかと(笑)。
(おかげでこんな発禁モノの番付が現代にまで伝わっているのでした☆)

また、慶喜展に出展されて、関東にいながら目にすることができたのも、

寛仁 一橋刑部卿

と春嶽さんのとなりにあったから♪だということで。


いや、わたしがUPしたのは実はここからが本題なのであります~~~~っっ

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③ーBの、ももいろ部分をご覧下さい!!!

中央の一番すみから、

才□ (読み取りできず) 岩瀬肥後守

  永井玄蕃頭

□□ 江川太郎左衛門  

どーです!!!素敵な3ショットですよね♪
(どうも、向かって右側・・・・春嶽や慶喜側はわりと、番付製作者にとって(笑)好印象メンバー
のようです。なにせ「赤心報国」らしいし。一方の反対側は・・・・(汗))

永井の「地」のうえがもし「意」の字だとしたら、意地というわけですが、
文久2年で、永井=意地で当てはまるとしたら・・・・・。
永蟄居処分が終わり、名誉回復&軍艦奉行復帰した夏頃、岡部駿河守経由で
入手した薩摩の内部告発を、永井が速攻で政事総裁職の春嶽に通報し、
島津久光の威光を笠に着て威張っていた薩摩の家来某氏が処分された件?
(このブログで前にも紹介しましたが、アンチ薩摩の大名旗本に永井さんはえらく
讃えられたので・・・。そんなこんなで京都町奉行などになったり・・・・。これかな??)

同じ段に、井戸石見守も確認できます。

②ーBの中央には、 老体 筒井肥前守の名も。


さて、問題は向かって左側です。おもに①-A段です。

國 井伊掃部頭
は、良いとして(爆)。

同じく売國メンバーとして、安藤対馬守

とか、大□ 阿部伊勢守

がですね、姦佞 間部下総守などと並んでいるのは
いかがなものでしょうかっっ(ちょっと辛いーっっ)。

その下の段、②ーAには、不覚 川路左衛門尉なんかも、
どーしてかと(川路が不覚をとったのは、安政4年、京での中川宮の一件のみですけど。
しかも中川宮・・・・この番付のど真ん中に、青蓮王ってこれ同一人物ですよネ・笑)
・・・・筒井が右側にいるのに、なぜ川路~~~~~っっ(涙)

青蓮宮のみならず、松平薩摩守や水府景山卿(って水戸斉昭のことデス)が
中央メインで、勧進元ときているという・・・・この番付をつくった人の立場がイマイチ
わからないのですが、かなりの事情通だということはわかります。
(ま、春嶽公を英雄って持ち上げすぎ~っ!って声が聞こえなくもないですが・笑)

それにしても、こんなに堂々とご政道批判ともとられない番付が出回るなんて、
文久頃になると、本当に御公儀の力が弱っていたのだなーと、
そんなときに頑張っていた、若き将軍家茂公が気の毒でなりませんっっ。
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by aroe-happyq | 2013-08-23 10:02 | 広く幕末ネタ | Comments(4)
半蔵門のJCIIフォトサロンで、
~幕末・明治の写真展~ フェリーチェ・ベアトが見た日本 Part1」展が開催中です☆

開催期間は、 2013年8月6日(火)~9月8日(日)です。

今回は当館所蔵のベアト作品の中から、前編として、来日した外国人向けのお土産として
販売されたアルバムを中心に、ベアトが得意としたパノラマ写真5枚を含む、
約90点を展示いたします。


JCIIフォトサロンサイト→こちら

今回は外国人用のお土産写真がメインとのことですが、
ベアトの写真は江戸末期~明治の日本を良く撮影してくれていますので、
まだベアトの写真集をお持ちではない方、当時の日本の様子をみてみたい♪
という方には、無料でもありますし、かなりおススメの展示です☆
(パート2もたいへん気になりますが・笑)



もう少し後の明治の東京については、
9月14日から江戸東京博物館のほうで「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」展もありますので、
あわせて(といっても開催時期はダブっているわけではなひ・・・・)見ると
いろいろ楽しめることと思いますので、こちらについてもリンク貼っておきます。
江戸博のサイト→こちら
主催の朝日新聞による公式サイト→こちら
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by aroe-happyq | 2013-08-20 17:50 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
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レンズが撮らえた幕末日本の城 《永久保存版》

來本 雅之  編著

三浦 正幸 小沢 健志  監修

山川出版社

アマゾン→こちら




山川出版社の「レンズが撮らえた」シリーズの最新刊。

北は五稜郭から、南は首里城まで134城を写真で紹介。
掲載されている城のリスト→山川出版社のサイト


感想はたったひと言。


圧巻です!!


よくぞここまでいろいろな城の写真をひとつの本にまとめてくださった!
(しかも比較的手に取りやすい価格でっっ)

実は発売当初、人間らしくない生活をしていたために出遅れてしまい、
なくなってしまって、なんと2刷待ちでした(笑)。

例えば江戸城の写真などは、あちこちに所蔵されていて一堂に会することのない
写真たちがどーん!とまとめて掲載されています☆

今までちいさいサイズでしかみたことのなかった、現・防衛省の地にあった、
尾張藩江戸上屋敷の写真も大きい写真でじっくり眺められます♪

明治期に撮影されたなかには、ボロボロの姿で写っている城もありますが、
名古屋城など、戦災前までその姿をとどめていた城には壮麗な姿の写真が多く、
なんと立派な・・・と歎息するばかりです。

復元された天守閣のお城もあちこちでありますが、
やはりといいますか、
コンクリとかで復元(というか一部にはがっつりアレンジも)されたものよりも、
ホンモノのほうが、風格があっていいですね♡

連日、暑い日が続いていますが、
ちょっと頭がぼーっとしたときなんかに、この本をめくって
脳内だけでも涼しい風を感じています(笑)。

お城好きの方はもうご存じの本だと思いますが、
幕末好きの方にも、オススメの一冊なので、ちょっと紹介してみました☆
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by aroe-happyq | 2013-07-13 19:37 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

岩子と桜

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お花見のおり、
浅草寺に行った目的は、
こちらの瓜生岩子(うりゅう いわこ・1829-1897)像に会いにいくためでした☆

先日まで存じ上げず、申し訳なかったわけですが、
ステキすぎる幕末明治の女性です。

福島喜多方の油商の家に生まれ、若い頃は身内の不幸が続いて苦労したそうですが、
後半生は社会慈善活動に尽くし、日本のナイチンゲールと呼ばれた人です。
10代のころ、会津藩医の山内春瓏という叔父さんを手伝ったという下地が
あったこともあり、戊辰戦争では傷兵たちを敵味方の区別なく救助し看護、
また会津の子供達の救済にも奔走。
その後は窮民貧児救済活動を全国に拡大、
東京でも渋沢栄一の要請により養護院の世話係長に就任して活躍されたとか。
野口英世の母も岩子の協力で産婆の資格を取得したとのこと。
明治29年には、女性初の藍綬褒章を受けています。

喜多方ホームページ→こちら


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こちらの銅像は過労で亡くなって4年後、明治34年浅草公園内に建てられたそうです。


「傷兵たちを敵味方の区別なく救助」というと、
尊敬してやまない箱館戦争の高松凌雲ドクトルを思い出しますが、
会津戦争のおりに、まして女性の身でなされたという岩子さん、
本当に心から尊敬します。

喜多方ではたいへん有名な方だそうですが、
(逆に、最近まで山本八重のことを知らなかった・・・・とTVで喜多方の方がおっしゃってますた・笑)
こんなに立派な女性は日本の偉人のひとりとして、
もっと日本じゅうで知らなきゃいけませんネっっ

その前に、まずはSPドラマでもつくりませんか、某公共放送サン(笑)。
わたしはどーしても今の大河の主人公(と兄とか藩とか)に感情移入ができないんですよぉぉ。
岩子さん主人公なら、できそうなんだけどなーーっ。


実はこの写真を撮るのにすんごく苦労したんです。
岩子像を見に、訪ねてくる人が後をたたず、その合間をぬって
ようやく写真におさめたのでした。
(タイトルつけたわりには、ここの桜はまだ6~7分咲きで目立たなかったのですが・爆)

瓜生岩子さん、東京でもけっこう人気です♡
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by aroe-happyq | 2013-03-24 20:04 | 広く幕末ネタ | Comments(2)
今日も寒波・・・・・・。
今年はずっと寒くて、なかなか遠出(歩いていくつもりだったので、遠出・笑)
ができませんでしたが、このままでは3月になってしまうので、
ついに、
「明治12年明治天皇御下命人物写真帖4500余名の肖像」 展@三の丸尚蔵館
いってまいりました。


公式サイト→こちら


本日は東京マラソンの日にて、都内は交通規制があるので、
それを避けるために、皇居東御苑には北桔門から入園。

本当は梅林坂の満開時期を待っていたのですが、
いつまでたってもあたたかくならなかった・・・・。

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半分くらいかな・・・・咲いていたのは・・・。

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見物客さんはたくさんいたのですが、いかんせん寒いのだっっ。

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さて、いよいよお写真を見に!

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これまた休日なので、けっこう人出がありました☆

わたしの最大目標は、もちろん!

勝海舟&榎本武揚こと 
二大海軍卿!のお写真!!


それから箱館脱走連のみなさん、長崎海軍伝習関係者などなど。
・・・ま。圧倒的に可能性の低い人達狙いなんで、あんまり期待はしてなかったけど。

ええと、展示はパネルと、写真帖の生展示の二種類でした。

結果から申しますと、二大海軍卿はパネル展示、
生写真展示は、大鳥圭介氏(しかも2種類!!!)を拝見♪

・・・・・・・・識っている人の生写真があっただけで、マジでラッキーです(笑)。

榎本さんのは前にも見たことがあったお写真でしたが(海軍卿の頃の男前写真)、
勝さんのも含めて、ホントは生でみたかったなーと。

そういえば、パネルには高須4兄弟がいた!
(四ッ谷荒木町4兄弟・・・・。なんか最近、よくみかける気がする)

それから大久保一翁さんもいた!

ちょっと意外だったのは、写真帖唯一の外国人がシーボルトの息子さんだったこと。
(パネル展示のほうで、出てました)
イギリス人とかドイツ人のお雇いさんがどっさり出てくるものと思っていたら、
この人選には驚きました。


・・・・・・ま、わたしが興味があった人々は、そんなところかな(笑)。
当たり前のことですが、薩長系とか公家っちが多かったっす。


冷たい突風がふくなか、次の目的地の日比谷の図書館へ。
(そっちでたくさん収穫があったので、満足の遠出でした)

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あんまり風が強くて、波立つお堀(笑)。

その景色からぐるっと、振り向けば。

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東京駅の正面です☆



さて、結論を申しますと、

「明治12年明治天皇御下命人物写真帖4500余名の肖像」 展@三の丸尚蔵館

ですが、

大鳥圭介ファンのみなさん、


行くなら今でしょ!


今でしょ!!



以上でした♡
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by aroe-happyq | 2013-02-24 19:39 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

ドラマ「清水次郎長」

今日は旧正月の元旦。
まだまだ寒いですが、暦としては「新春」に突入。
春が待ち遠しいですっっ。

ちょっとここのところ、ブログを書くスイッチが入らなくて、
ほったらかしでスイマセン~~。
でも、どーでもいいことだと、書けちゃうから不思議ですっっ

というわけで、どーでもいい内容の記事、始まります(笑)。

CSで放送中の、ふるーい時代劇(1971年製作)、
竹脇無我主演の「清水次郎長」をなんとなーくみております(笑)。
(このドラマについて、くわしくはwikiってみてくださいまし♪)
全52話。まるで大河並み!なので、どこまで続くかはわかりませんが!

脚本に葉村彰子名のほかに、向田邦子の名があって
なんとなく「寺内貫太郎一家」的な、のほほんとしたムードで
歴史のなかの次郎長の血で血を洗う激しい生涯を知っていると
かなりファンタジーな世界なのですが、
テンポがいいし、なかなか面白くて・・・・やめられません。
(主題歌も竹脇が唱っていて、なんとも音がハズレまくるのですが
それさえのどかだわーと思える不思議な魔力・笑)
だんだん仲間が集まって、集団ができていくわけですが、
侠客の集まりにしてはどこかほっこりしていて、
清水一家の大家族ドラマ+チャンバラという王道の娯楽ドラマです☆

次郎長モノといえば「次郎長三国志」という映画シリーズもありましたほどで、
(ここでいう三国は駿河国、遠江国、三河国の三国を指しているそうですが)
任侠モノでは三国志やら水滸伝やらがちょいちょい引用されます。
このドラマもそういう流れにのっていて、
三国志やら水滸伝に馴染みあるワタシとしては、
なにげに見やすいです(笑)。

なにせこの竹脇無我演じる次郎長親分が、
まるで「三国志演義」の劉備そのものなんでございますよ~~~~(爆)。
(ま、「水滸伝」の宋江ともいえるんですけど~~~~っっ)
「渡世人」=「博徒」といわれるぐらい、賭場のあがりで生きていくのに
「賭場はひらかねぇ!」「世間様に顔向けできないことはしない」
とか、ありえないきれい事を言い出す人なんです(笑)。
(だからこのドラマの次郎長一家はいつもビンボーなんです)
でもそのありえないきれい事を、爽やかな竹脇さんが言うと
無理がなくて、自然な感じで清々しい!(笑)

どんな風な奴かというと、
隣町の大親分が亡くなるときに、息子が不出来なので
次郎長に久能山神社の縁日を仕切る権利書(これがすごい利権を生むお宝という設定)
を譲ろうとするのにですよ、「これは受け取れません」って、清々しく断る。
大親分(←死にかけているんですけどネ)がそれでもと頼むと、爽やかに微笑んで、
「では3年間御預かりいたします。そのあいだに息子さんを立派にして、
これをお返しいたしましょう」て言い出すんですよ。
(もちろん子分たちは「あ~なんで受け取らないんだ、親分ーっ」って顔してるんですけど)
これってもうもう!
マジであのウザイ演義の劉備&水滸伝宋江じゃん!!(爆笑)
って、もう大受けです。

でも少し前のドラマの主人公って、
こういうやせ我慢+正義漢タイプが多かったよなぁーと思うと、このウザキャラは
主人公の王道だったってことなんですよね、って改めて実感。
・・・・近年のドラマって、こういう道徳系キャラが主人公じゃないから
なんだかもう、新鮮!斬新!(爆)。
久しぶりにみると、すんごく懐かしくって、
たまにはこういうのもいいなぁぁぁぁと思います。

でもその子分どもも、「親分、生まれた日は違うけど、死ぬときゃ一緒だ!」
って言ってる、三国志演義で水滸伝な奴らなんですけども(笑)。

この子分衆もいまは大御所の俳優さんがフレッシュ&キュートに演じていて、
明るくて良い奴らなんです☆
大政=大木実(写真が残っている実際の大政に似ている)、
森の石松=あおい輝彦、桶屋の鬼吉=田辺 靖雄(このコンビが絶妙)、
小政=松山省二、追分三五郎=近藤正臣、大瀬半五郎=里見浩太朗、
法印大五郎=南利明などなど。

で、ここで問題なのが、黒駒勝蔵(演じるは若き露口茂!かっこいい!)。
いわば、主人公の好敵手というキャラなんですが・・・・・。
それがどういうわけか、1話目から「清水の、俺と一緒に組まねぇか」とか
「俺たちならうまくやれそうだ」とか、
しつこく、しつこく、しつこく誘いかけてくる(笑)。
そのたびに、次郎長に爽やかな笑顔で
「いいえ、それはやめておきましょう」とか「お断りいたします」とか
何度も振られ続けるんですよ。

・・・・デジャブを感じてしまいました。
なんか、こういうキャラを、みたことがありますんですよ。
ええ、もう・・・・・みたなんてもんじゃないくらい、忘れられない、あの人物!
ズバリ、NHK人形劇三国志の曹操です(爆)。
(この場合、三国志演義の、ではなくあくまでもNHKの、です)
人形曹操もことあるごとに人形玄徳に振られてたっけ・・・・・。

でも勝蔵は上記の曹操よりも卑劣漢です(笑)。
さきほどの久能山の利権問題では次郎長をマジで謀殺しようとしたし。
ビッグビジネスがからむと、次郎長よりも利権のほうが重要な人みたいです(笑)。
しかし基本的な勝蔵は一緒に組もうといいつつ、
ことある事に次郎長を追いつめるような陰謀に陰で加担して、
次郎長のピンチになると、さらっと助けに来たり・・・・・と複雑なキャラなのです。

歴史のなかの勝蔵は、官軍に利用されるだけされて
無残に捨てられ死んでいった、それはもう気の毒な最後だったので、
フィクションのなかでは、せめて楽しく(次郎長を追いかけ回すことが楽しいかは不明だが)
生きていってほしいと思います(涙)。

ま、次郎長は歴史のなかでは、波乱の人生ではあったものの、
明治になって山岡鉄舟と出会ったり、徳川家が駿府にやってきた大好運もあって、
きちんと畳の上で大往生しましたので、フィクションで少し弄ばれても
いいんじゃないかということで(笑)、
このほんわか王道ドラマ、まだまだ楽しんでいこうと思います。
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by aroe-happyq | 2013-02-10 19:11 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq