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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

カテゴリ:広く幕末ネタ( 111 )

今回は for イバハチファンの皆様企画です。

中根香亭の『香亭遺文』内にある
「尺振八君の伊庭八郎を救いたる始末」にて

(八郎は)幼年より読書を長谷部旅翁(甚弥と称す。学問所教授方を
勤め後静岡に歿す)に学び・・・・・・


と出てくる長谷部甚弥(旅翁)について。
なかなかこの人の情報ってナイんでございますが。

未熟なわたくしにいつも貴重な情報を寄せてくださる方に
成瀬哲生「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について」
を紹介いただきましたところ、
そのなかに長谷部が登場しましたので、
伊庭ファンの皆様に謹んでご報告いたします。

こちらの論文→ および (PDFファイルです)

で、名簿によると
嘉永4年に甲府徽典館学頭に赴任したのが永井岩之丞(のちの玄蕃頭尚志)&長谷部甚弥
でありました(笑)。

というわけで、名簿にちょこっと長谷部情報が出ていたので、
ご紹介します。

高七十表七人フチ  西丸御徒抱山中又兵衛組     
長谷部甚弥
下ヤ 御徒丁  名満連  号謙菴

嘉永4年当時ですが、御徒町に住んでいたよし。
伊庭八郎少年の住まいとはそれほど離れていませんネ

それから長谷部甚弥と師弟関係ということは、
(江戸時代の学問の師弟関係はとても絆が深いのでございます)
長谷部と徽典館繋がりの乙骨耐軒とも
するする~っと繋がりがみえてきそうです☆

伊庭八郎サンはさすが学問所近くにお住まいです。
学問所内の濃ゆ~い文人ネットワークのなかに
さりげなくハマッておいでだったようです。
そして同時に中根香亭のように八郎パパに剣術を習っていたという
繋がりもあり、要するに下谷界隈の人的交流は文武双方向だったのでしょう。

ううむ、まだまだ江戸のネットワークの解明は深すぎて、道半ばでござる(笑)
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by aroe-happyq | 2012-06-16 11:01 | 広く幕末ネタ | Comments(16)
この前、お花見ついでに噺家の圓朝&四代圓生師弟ゆかりの地ツアーを
上野~谷中でやってきたおり、圓朝の墓に調査にまいったわけですが、
圓朝おトモダチの山岡鉄舟の墓がすぐそばにありまして。
少し前に高橋伊勢守(泥舟)を調べていたおりに知りました件について
記事にしてみようと思い至った次第です☆

徳川慶喜の股肱の臣こと原市之進は慶応3年8月、
京都二条の官舎にて、結髪中に暗殺されてしまいます。
犯人は幕臣依田雄太郎・鈴木豊次郎。
鈴木は老中板倉の屋敷前にて切腹、依田は追手に殺害されて、事件は幕を閉じました。


が、この事件。
実行したのはこの2人ですが、暗殺をそそのかしたのが山岡鉄舟&高橋泥舟義兄弟
らしいのであります(笑)

『昔夢会筆記』第10にそのあらましが書かれていますが、
長いので、ものすごく掻い摘んで紹介しますと、
当時(慶応3年夏)、江戸では新懲組が血気盛んに活躍し、
それとは別派で壮士党という山岡や高橋たち、幕臣の「尊王攘夷」グループ
がありました。
彼らは同じく「尊王攘夷」だったはずの元水戸藩士原市之進が
慶喜の側近となるや、尊王開国に走ったとえらく怒っていました。
(慶喜と側近の平岡円四郎のせいで「開国」に染まったのであります・笑)
しかも兵庫開港を率先して進めている、という話も聞こえてきた。
尊攘派にとって帝の住む京のすぐそばの兵庫開港だけは絶対に許せなかったのだとか。

そんなとき、当の原市之進から壮士党の関口某へ手紙がきたのだそうな。
原と関口は知り合いで、原は関口の才を惜しんで「京へきて働いてみないか」
と親切な勧誘をしたのだったが。実はこれが「きっかけ」になってしまう。
誘われなかった(爆)壮士党のほかのメンバーはただでさえ原に対して不信感がある
のにこれでイライラが爆発。そこでいろいろな内輪もめがあって(ここは省略)、
山岡や高橋たちが同志たちに「YOUたち、原を斬っちゃえば」的なことを言い出す。
・・・・・どうも彼らはその場の勢いでの発言だったらしく、そんなに真剣に
言った感じではなかったらしい。
ところが「おおさ!!俺たちが斬ってくる!!」と依田らが京へと飛び出していってしまった。
ホントに出掛けちゃったことを知った一同が集まって、
もう箱根をこえているだろう。とても間に合うまい008.gif
山岡「大丈夫だろうよ。原はとにかくあれだけの人だから、まず五人や
六人の警衛はあるだろう。彼等がが三人くらい行ったってちょっとむつかしい。
とてもいけまいから、まぁ放っておけ
017.gif
などと無責任&テキトーに言ってそれきり気にもとめてなかったようなのですが(おいおい)。
なんと見事にやりとげちゃった、みたいな(汗)。

そんなことで原さん殺されちゃったんですよ~~~(涙)。057.gif

山岡&高橋、なんてヤバイ義兄弟なんだ!!

松本佳子著『原市之進 ー徳川慶喜のブレーン』によると、
水戸のほうの史料によると、暗殺首謀者説は細分化されていて、
そのなかには、自分も原のように目付になりたかった高橋泥舟の嫉妬説
などもあるらしいですが、槍一本の武闘派の高橋が目付になりたいと思うか?
というあたりは甚だ疑問であります。
でも結局は山岡&高橋の関与はまったく否定していません(笑)。

冒頭に書きました山岡の墓の脇には小さい碑が建っていて、
そこには壮士党のメンバー、もちろん暗殺者・依田雄太郎・鈴木豊次郎の名も
ありますけどネ。どーみてもこの暗殺事件と山岡は無関係ではないっす(笑)。


さて、以上のあらまし部分は『昔夢会筆記』会場で明かされた話なので、
当然この話は慶喜翁も聞かされるわけです。

公 なるほどそういうわけであったか。関係人の名は密かに聞いたよ
(ここまで青字部分は『昔夢会筆記』より引用)

詳しいあらましはこの時が初耳だったようです(笑)。
大切な側近の原市之進を殺させたなかの一人、高橋泥舟は
慶応4年の幕府瓦解以降、上野や水戸で、もっとも信頼して身近においた警護隊長だった
・・・・・・なんてこともあったので、慶喜的にはかなり複雑な心境だったことでしょうネ。

こういういいかげんなノリで、人ひとり(しかも重臣ですけど)が
暗殺されてしまう。幕末とはなんとも荒れていた時代でありますなぁ(としみじみ)。

ところで、この原市之進事件にはおまけがついています。
原亡き後、後継に誰を据えるか、という話になったとき、
なんと新選組局長近藤勇の名があがったとか。
もちろん実現しませんでしたが(笑)、
(だって近藤さんが慶喜の諸葛亮孔明って・・・そりゃムリでしょ・爆)
誰か推挙したか知りませんが、慶応3年夏頃の京都において、
近藤勇の名は我々が知る「新選組のおはなし」に出てくる近藤さん以上のグレードが
あったっぽいことはこの件をみても明らかデス。
京都政界における近藤勇の立ち位置について、早く解明されることを願いつつ、
つまらない理由で命を落とした原市之進(享年38才)さんのご冥福をお祈りしたいと
思います。
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by aroe-happyq | 2012-04-26 13:55 | 広く幕末ネタ | Comments(7)
幕末ブロガーでもある漫画家のkotoさんの作品「銃華 ~幕末函館異聞~」
第1話PCで無料試し読みがよーやくできるようになったようです!


コミックカワイイサイト「銃華」→こちら

PCで読む場合はサンプル版というほうをクリック♪
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by aroe-happyq | 2012-03-12 17:50 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

「黒船」 【追記あり】

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昨年の秋、アマゾンにDVDをオススメされたので(笑)、それじゃ観てみるかーと
レンタルしてみましたのがこの「黒船」(邦題)。原題は「異人と芸者」(笑)。

「黒船」だとなんのこっちゃですが(昔から邦題のセンスって微妙なのね)、
お話はタウンゼント・ハリスとお吉の「ふれあいの物語(←劇中ナレーションによる)」です。
でもお吉の設定が下田奉行が送り込んだ監視役だったので、
それほどベタベタした関係にもならず、ほどよい感じのハリスとお吉です。
(ま、歴史の資料によれば、病中のハリスのもとに3日しかいなかった吉さんですけどネ)

※以下、それほどネタばれなし

なにせ主演は、かのジョン・ウェイン(as ハリス)!

五ヶ月にわたる全編日本ロケ(おもに京都&奈良)!

台本監修に衣笠貞之助

そして制作年は1958年!日本映画の華麗な時代です。
(この時代につくられたバブル的時代劇映画、ストーリーはさておき、もう~~大好きです!)
これでもか、のモブシーンの多さ!!!セットの広さ!!!
(下田シーンのエキストラさんたちの飾らない着物姿がリアルで素晴らしい)
もう二度と日本では作れますまいっっ

というわけで、開発前の日本の風光明媚なロケ地は最高!衣装もまとも!
(お吉だけなんだかヘンだったのですが、裃は申し分ない!←松竹全面協力のおかげ)
ものがたりも多少は無茶してますけど(でもあり得るフィクションです・笑)、
「ラストサムライ」のようなインチキさはありません☆

しかし、この映画の魅力はなんといっても、ジョン・ウェインをかるく喰ってしまっている、

下田奉行役の山村聡
の存在感&かっこよさに尽きます!!


歴史的にはハリスが下田にきたときは岡田備中守(井上信濃守清直は在府下田奉行)
なのですが、ここでは田村左衞門守というオリキャラです。
・・・・・なぜオリキャラかは最後の展開で「なるほど」となります。

主人公はハリスなので、これを格好良くみせなきゃならない事情で
時々下田奉行として「あんたどこへいってたのさ」になりますが、
山村聡の場合、黒い裃つけて立っているだけでまずOK!
座っているだけでノープロブレムでした(爆)
しかもこの下田奉行、英語しゃべれちゃうんです!素敵なんです!(笑)

・・・・・と褒めまくっていますが、
もちろんこの映画、絶賛しているわけではありません。
不満も多々あります。

まず・・・・・ヒュースケンがおじいちゃんなんですの(号泣)。
これは冒頭からショックでした~~~~~。

「将軍」が顔が白塗りの少年でした(汗)。

岩瀬も誰も海防掛が出てきません!

それから・・・・日米通商条約が、あまりにもあっさり締結しちゃうのであります。
それもハリスの用意したものを丸呑み状態だし!
(戦後それほど経っていないから、こういうイメージも受け入れられてしまうのか?)
交渉しろーー、談判してくれーーっっ、
井上&岩瀬は何処だ~~~~~~っっ(大号泣)。

といいつつも、なんだかんだツッコミながら、
楽める作品でした。
(1時間45分というのも手頃かな??)

レンタル屋さんで「あと1枚なに借りよう」と迷ったときにはぜひこの「黒船」を
見てみてくださいね!
(わざわざ借りにいって「つまんないぞー」って怒っても責任はとれません(笑)。
あくまでついてに観て下さいまし)

【追記】

予告編をみつけました→こちら

なぜか下田奉行所には日本語がビミョウな下役がいたり、
老けすぎているヒュースケンが衝撃ですが、
でも山村聡のお奉行、なかなかでございましょ??(笑)
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by aroe-happyq | 2012-01-18 10:22 | 広く幕末ネタ | Comments(6)

徳川慶喜&獅子の時代

11月にCS時代劇専門チャンネルで大河ドラマ「徳川慶喜」が
再び放送することはすでに記事にしておりましたが・・・。

まさか、同じ11月に大河ドラマ「獅子の時代」もほぼ同時に
放送されるなんて・・・っっ

なんて、濃い11月!
(正確にいうと12月、そして来年1月まで)

ちなみに

慶喜は、11月1日から毎日(月~金)午後&午前2時

獅子の時代は、11月7日から毎日(月~金)午前&午後10時


時代劇専門チャンネルサイト→こちら


両方みようとすると、頭のなかが大渋滞を起こしてしまいそうな・・・?(笑)
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by aroe-happyq | 2011-10-13 19:57 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
品川歴史館特別展

 品川御台場
    - 幕末期江戸湾防備の拠点-
  

10月9日~11月23日開催

品川歴史館サイト→こちら



台場好きとしては、ぜひとも足を運ぼうと思っております☆
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by aroe-happyq | 2011-10-04 14:12 | 広く幕末ネタ | Comments(2)
今夜、午後6時55分から放送のTBS系「飛び出せ科学くん!」
では、1854年(安政元年)安政東海地震の津波をうけ、
下田の海に沈んだロシア・プチャーチン提督のディアナ号の深海調査の模様を
放送するよし☆
(とこう書くとなんですが、たまたまこちらのブログを訪れた方も
おられるかと思いますのでひと言。もちろんプチャーチンさんは生き延びましたです・笑)


なんとなくタイタニックな気分で(笑)、
深海に眠るディアナ号の今の姿が現れるのを待ちたいです♪

もともとこの番組、深夜の頃から好きでしたが、
まさかディアナ号をやってくれるとは!

ありがたいことですっっ


【以下追記】

で、みました!

民放の週末のゴールデンタイムに
プチャーチンや川路聖謨の写真がどーんと出たのは
嬉しいが細かく事実関係と違っていることが・・・・。

プチャーチンはペリー来航から一年後に日本に来たわけではなく、
わずかひと月遅れで、長崎に来航しました。

徳川ジャパン(笑)の外交方針である「外交事務は長崎でおこなう」というルールを
しっかり守って、しかも長崎で交渉が始まるのを半年も待ってくれた、
実に紳士的なプチャーチン提督でした。
どっかの山出しの、強行に江戸湾へ踏みこんできたペリーとは大違いです(笑)。
なのに、どーゆーわけか下田でも函館でも、なんでもペリー、ペリーって(爆)。
幕末当時、外交交渉担当者たちのあいだで、
どんだけプチャーチンの好感度のほうがペリーより高かったことか!

番組的にはついにディアナ号のゆくえは掴みきれませんでしたが、
きっと第二弾があると信じています!

はやく見つかれ、ディアナ号~~~~~♪
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by aroe-happyq | 2011-09-10 10:09 | 広く幕末ネタ | Comments(12)
東京・半蔵門のJCIIフォトサロンで開催中の
写真展「幕末明治を生き抜いた人々」に行ってきました☆

「幕末・明治維新を生き抜いた人々」

2011年8月2日(火)~8月28日(日)
10:00~17:00
毎週月曜日(ただし、祝日の場合は開館)
無料

JCIIフォトサロンサイト→こちら

幕末の動乱期から明治政府が誕生するまでの、
激動の時代を生きた人々の肖像写真、約160点をご覧いただく。

日本に開国を迫ったペリー提督をはじめ、福沢諭吉や岩倉具視など、
欧米諸国を周った使節団、徳川慶喜、松平春嶽、伊達宗城、島津久光、
山内容堂など、尊王攘夷運動や下関戦争、大政奉還などに関わった人物、
明治天皇をはじめとする皇族、そして、木戸孝允、後藤象二郎、大隈重信、
大久保利通、伊藤博文、山形有朋、勝海舟といった幕末期に日本を動かし、
その後明治政府の官僚や政治家となった人々の肖像写真を展示。

この他、大変希少な大判石版画「ペリー提督一行、下田へ上陸の図」や、
使節団が描かれた当時の英字新聞、安政4年(1857)に西郷隆盛と高杉晋作、
平野次郎の似顔絵が描かれた謎の手配書や、
現在日本人が撮影された最古の写真とされる、嘉永3年(1850)に嵐に遭い漂流し、
アメリカの船に助けられサンフランシスコで撮影された栄力丸の乗組員「利七像」も、
当時の英字新聞と共に展示する。


(以上、サイトより)

で、上記↑の説明ではハッキリいって「薩長土興味なし、やめとこかー」
って思っていたのですが、近くに用事ができてしまって
「ついでに無料だし。行ってみようか」と軽い気持ちで行ったらですよ!

ワシントン海軍造船所見学の記念写真(万延元年)では、
村垣範正が!

香港で撮影された文久2年の写真には、
森山多吉郎が!

なにより凄かったのは展示ラスト近くの、
勝海舟&榎本武揚が!
各3枚ずつ連続展示

(これで図録購入決定!でした・笑)

など予期せぬ出会いが待っておりました。

とくに釜サンはですね、
かの有名な箱館での写真と、
明治10年代撮影?のブロマイドな写真とのあいだに、
明治7年 ロシアで撮影した海軍のモール付、肘かけてます写真があり、

つまり比較的壮年の、
バトラー釜さん時代(顎ひげがほぼなく口髯だけの時代・爆)の
かっこいい!!&「できる男は違うね」の男前写真が
3連続ですから~~~~♪♪♪

宣伝のところに名前がないわりに、
まさにごっつあんです!!!!な榎本さん写真展示だったんですよ!!

そこに勝海舟3連続が一緒!
(やっぱりこの人達、扱いがいつも一緒なのね、みたいな・爆)

それから明治高官コラージュの展示でも、
なぜが並みいる薩長ズを押しのけ、
ど真ん中に榎本武揚!その隣の大鳥圭介!!
があったりしまして。
(これを作った人はきっと江戸っ子に違い有るまい)

このほか、松本良順とか、遣欧使節使の写真とか、
遣欧使節悲劇の正使池田長発(帰国後、開国推進を唱えて「頭がおかしい」扱い
され石高も削られてしまった)のレア写真などなど、
なかなか楽しい展示でした☆

逆に宣伝にあるような西国連中の写真のほうが展示的にとってつけたような、
よくある写真ばかりで新鮮さがなかったような???

そういう徳川方面ではないほうで、笑撃な展示がありました。
宣伝にもあった「謎の手配書」です!
(思わず図録を撮影しちゃいましたですよ)

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・・・・・・これ。やる気がなさすぎる・・・・・・・・・。

この高杉氏はあまりに可哀相すぎる・・・・・・。

この手配書を片手に、探索人が蕎麦屋に入ったとして、
もし目の前でこの3人が蕎麦食ってても、
絶対に手配書の人物と特定できやしません(笑)。

一体誰がどういう情報をもとにこの顔を描いたのか、
聞いてみたいもんです(笑)


などなど、無料では申し訳ないぐらい、堪能しました。


近くに用事というのは、国会図書館で利用者カードを落としてしまい、
それを引き取りに参ったのでした(笑)。
赤坂見附から図書館、そして内堀を眺めて半蔵門の写真展へと歩きました。
この日はお盆休みで交通量も少なく、空気もよいほうだったので
思わずさらに半蔵門から新宿まで歩いてしまいました(気温34度)。
少しは江戸の人の健脚に近づけたかな?と思いましたが、
まだまだ甘い!とか言われそう(爆)です☆

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コレ↑は三宅坂からみえる皇居(旧江戸城)の石垣。
震災で壊れた(とTVで報道があった)箇所、いまだ修復に進展なし。

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お堀の水が例年になく、きちゃなひ。
きっと、更迭とかゆって一千万円も乗せてもらうとか(笑)、
国難のさなかに仕事をやる気のない議員だらけとか、
汚れた霞ヶ関や永田町をみていると、堀の水も澱んでしまうのだね(爆)。

三宅坂からの桜田方面への眺めは、江戸名所のひとつ。
贔屓のあの人もこの人も生涯で一度はかならずここを歩いている、
と感じられる場所ですが、今はジョギングする人が多くて
おちおち感慨に耽っていられないのが困りものです(笑)。

写真展を見学のあとは、ぜひお堀散歩をおススメします☆
(熱中症にはくれぐれもお気を付けて~~!)
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by aroe-happyq | 2011-08-14 11:11 | 広く幕末ネタ | Comments(7)
いよいよ続編がはじまりました☆

楽しい日曜日の夜が復活です♪

………bsの「血風録」ですが、楽しみにしていたのに、
やっぱ司馬ちゃんとはとことん合わないみたいで、
1話途中(途中かよ!みたいな)でサヨナラしてしまいました(汗)。
(司馬遼のなんか女々しい男キャラについついイラッとくるのはなぜ!?(笑))


で、「仁 -JIN-」ですが。

やっぱり面白い!!!ですね!!!

1話目から、脚気登場!!


待ってました!!!

仁センセイには、かねてより「脚気」を治す薬を
作っていただきたかったのですが(笑)、
もう、のっけからやってくれちゃいました☆

……仁の前作のときに騒いでましたが、
仁先生にはぜひとも、14代将軍家茂公を救っていただきたく!!
脚気を治していただきたく!!!
(元治元年ではまだ脚気じゃないけど)
西郷どんの虫垂炎なんか、どーでもいいから(爆)

なんて思っていたら、脚気のお薬がなんと!!


安道名津 あんどーなつ

スイーツ好きの家茂公にぴったり♪(笑)

この人には長生きしてもらいたいんですよーーっっ。
将軍らしいこの若者が「大樹」として居てくれるだけで、
それだけで徳川方はみんなハッピーなんですよ~~~。
(「慶喜」科目を学んで身に染みた結果です・笑)

ま、このドラマのストーリー的に家茂さんはスルーかもですが、
タイムスリップできるものなら、こっそり家茂公の枕元に
この「安道名津」の山をプレゼントしたいものです☆

なんてことを考えながら、1話を楽しみました!!!

そして。
まさかTHEBOOMのMIYAさんの近藤勇を見ることになろうとは(笑)
(THEBOOMのファンしてました・爆)
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by aroe-happyq | 2011-04-19 10:52 | 広く幕末ネタ | Comments(9)

江戸後期のイケメンとは

まだまだ『江戸のエロスは血の香り』から。

ホントは家慶の男色の記事を書いたのですが、UPボタン押したら
記事が消えてもーたので、それはまたいずれ。
(家慶の呪いか!?・笑)

さて、江戸後期(幕末~明治初期まで含む)のイケメンの条件って
気になりますよね!
なかなかそういう分析を目にすることがなかったのですが、
この本ではそのあたりも取り上げておりました。

嘉永初期に鈴木桃野なる旗本(学問所教授もつとめたインテリ)の本のなかに
いわく、好い男の条件とは。

男の美しい盛りは21,22歳。
身長は低いほうがよい。
肌は白すぎるより、清潔で艶があるほうがよい。
目つきや口元、鼻の形などがあまり女っぽいのはかえってよくない。
なにより人に好感を抱かれる顔立ちが一番。
ヒゲはうすく、頭髪はすっきりと清潔。


つまり、白すぎてもいけないけど(病的な白さはNG)、健康的な程度の色白で、
女性的な優しさとすっきり爽やかな男性らしさをそなえ、
女からも男からも好かれるタイプがこの時代の「いい男」らしいです。
(さらに江戸ッ子は粋で洒落がきかないと、ですよね)

なにより驚いたのは、背が高いよりむしろ低いほうがいいんですね!???

そして「女からも男からも好かれるタイプ」というのも江戸らしいかも。
でもこれってなかなかムズカシイよーな。
女に優しくて、友人たちにも「アイツ、いいよなぁ」って言われるには
顔だけでなく、相当人間もできてないといけなさそうです。
現代のイケメンより、ずっとイケメンの条件のハードルは高い!

これをみて、皆さんのご贔屓の「アノ人」は
この条件を満たしているでしょうか~~~~~~????


当ブログ的には岩瀬蟾州はもちろん条件にかなっていると思いますが、
背が小さくていいなら、たとえば色白の勝麟太郎さんなど、自称イケメンさんですが、
「ああ、なるほどー」と納得しなくちゃいけないなーとか、
ほかにも増えそうです(笑)。
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by aroe-happyq | 2010-12-06 14:50 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq