東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

カテゴリ:広く幕末ネタ( 115 )

今日も寒波・・・・・・。
今年はずっと寒くて、なかなか遠出(歩いていくつもりだったので、遠出・笑)
ができませんでしたが、このままでは3月になってしまうので、
ついに、
「明治12年明治天皇御下命人物写真帖4500余名の肖像」 展@三の丸尚蔵館
いってまいりました。


公式サイト→こちら


本日は東京マラソンの日にて、都内は交通規制があるので、
それを避けるために、皇居東御苑には北桔門から入園。

本当は梅林坂の満開時期を待っていたのですが、
いつまでたってもあたたかくならなかった・・・・。

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半分くらいかな・・・・咲いていたのは・・・。

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見物客さんはたくさんいたのですが、いかんせん寒いのだっっ。

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さて、いよいよお写真を見に!

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これまた休日なので、けっこう人出がありました☆

わたしの最大目標は、もちろん!

勝海舟&榎本武揚こと 
二大海軍卿!のお写真!!


それから箱館脱走連のみなさん、長崎海軍伝習関係者などなど。
・・・ま。圧倒的に可能性の低い人達狙いなんで、あんまり期待はしてなかったけど。

ええと、展示はパネルと、写真帖の生展示の二種類でした。

結果から申しますと、二大海軍卿はパネル展示、
生写真展示は、大鳥圭介氏(しかも2種類!!!)を拝見♪

・・・・・・・・識っている人の生写真があっただけで、マジでラッキーです(笑)。

榎本さんのは前にも見たことがあったお写真でしたが(海軍卿の頃の男前写真)、
勝さんのも含めて、ホントは生でみたかったなーと。

そういえば、パネルには高須4兄弟がいた!
(四ッ谷荒木町4兄弟・・・・。なんか最近、よくみかける気がする)

それから大久保一翁さんもいた!

ちょっと意外だったのは、写真帖唯一の外国人がシーボルトの息子さんだったこと。
(パネル展示のほうで、出てました)
イギリス人とかドイツ人のお雇いさんがどっさり出てくるものと思っていたら、
この人選には驚きました。


・・・・・・ま、わたしが興味があった人々は、そんなところかな(笑)。
当たり前のことですが、薩長系とか公家っちが多かったっす。


冷たい突風がふくなか、次の目的地の日比谷の図書館へ。
(そっちでたくさん収穫があったので、満足の遠出でした)

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あんまり風が強くて、波立つお堀(笑)。

その景色からぐるっと、振り向けば。

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東京駅の正面です☆



さて、結論を申しますと、

「明治12年明治天皇御下命人物写真帖4500余名の肖像」 展@三の丸尚蔵館

ですが、

大鳥圭介ファンのみなさん、


行くなら今でしょ!


今でしょ!!



以上でした♡
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by aroe-happyq | 2013-02-24 19:39 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

ドラマ「清水次郎長」

今日は旧正月の元旦。
まだまだ寒いですが、暦としては「新春」に突入。
春が待ち遠しいですっっ。

ちょっとここのところ、ブログを書くスイッチが入らなくて、
ほったらかしでスイマセン~~。
でも、どーでもいいことだと、書けちゃうから不思議ですっっ

というわけで、どーでもいい内容の記事、始まります(笑)。

CSで放送中の、ふるーい時代劇(1971年製作)、
竹脇無我主演の「清水次郎長」をなんとなーくみております(笑)。
(このドラマについて、くわしくはwikiってみてくださいまし♪)
全52話。まるで大河並み!なので、どこまで続くかはわかりませんが!

脚本に葉村彰子名のほかに、向田邦子の名があって
なんとなく「寺内貫太郎一家」的な、のほほんとしたムードで
歴史のなかの次郎長の血で血を洗う激しい生涯を知っていると
かなりファンタジーな世界なのですが、
テンポがいいし、なかなか面白くて・・・・やめられません。
(主題歌も竹脇が唱っていて、なんとも音がハズレまくるのですが
それさえのどかだわーと思える不思議な魔力・笑)
だんだん仲間が集まって、集団ができていくわけですが、
侠客の集まりにしてはどこかほっこりしていて、
清水一家の大家族ドラマ+チャンバラという王道の娯楽ドラマです☆

次郎長モノといえば「次郎長三国志」という映画シリーズもありましたほどで、
(ここでいう三国は駿河国、遠江国、三河国の三国を指しているそうですが)
任侠モノでは三国志やら水滸伝やらがちょいちょい引用されます。
このドラマもそういう流れにのっていて、
三国志やら水滸伝に馴染みあるワタシとしては、
なにげに見やすいです(笑)。

なにせこの竹脇無我演じる次郎長親分が、
まるで「三国志演義」の劉備そのものなんでございますよ~~~~(爆)。
(ま、「水滸伝」の宋江ともいえるんですけど~~~~っっ)
「渡世人」=「博徒」といわれるぐらい、賭場のあがりで生きていくのに
「賭場はひらかねぇ!」「世間様に顔向けできないことはしない」
とか、ありえないきれい事を言い出す人なんです(笑)。
(だからこのドラマの次郎長一家はいつもビンボーなんです)
でもそのありえないきれい事を、爽やかな竹脇さんが言うと
無理がなくて、自然な感じで清々しい!(笑)

どんな風な奴かというと、
隣町の大親分が亡くなるときに、息子が不出来なので
次郎長に久能山神社の縁日を仕切る権利書(これがすごい利権を生むお宝という設定)
を譲ろうとするのにですよ、「これは受け取れません」って、清々しく断る。
大親分(←死にかけているんですけどネ)がそれでもと頼むと、爽やかに微笑んで、
「では3年間御預かりいたします。そのあいだに息子さんを立派にして、
これをお返しいたしましょう」て言い出すんですよ。
(もちろん子分たちは「あ~なんで受け取らないんだ、親分ーっ」って顔してるんですけど)
これってもうもう!
マジであのウザイ演義の劉備&水滸伝宋江じゃん!!(爆笑)
って、もう大受けです。

でも少し前のドラマの主人公って、
こういうやせ我慢+正義漢タイプが多かったよなぁーと思うと、このウザキャラは
主人公の王道だったってことなんですよね、って改めて実感。
・・・・近年のドラマって、こういう道徳系キャラが主人公じゃないから
なんだかもう、新鮮!斬新!(爆)。
久しぶりにみると、すんごく懐かしくって、
たまにはこういうのもいいなぁぁぁぁと思います。

でもその子分どもも、「親分、生まれた日は違うけど、死ぬときゃ一緒だ!」
って言ってる、三国志演義で水滸伝な奴らなんですけども(笑)。

この子分衆もいまは大御所の俳優さんがフレッシュ&キュートに演じていて、
明るくて良い奴らなんです☆
大政=大木実(写真が残っている実際の大政に似ている)、
森の石松=あおい輝彦、桶屋の鬼吉=田辺 靖雄(このコンビが絶妙)、
小政=松山省二、追分三五郎=近藤正臣、大瀬半五郎=里見浩太朗、
法印大五郎=南利明などなど。

で、ここで問題なのが、黒駒勝蔵(演じるは若き露口茂!かっこいい!)。
いわば、主人公の好敵手というキャラなんですが・・・・・。
それがどういうわけか、1話目から「清水の、俺と一緒に組まねぇか」とか
「俺たちならうまくやれそうだ」とか、
しつこく、しつこく、しつこく誘いかけてくる(笑)。
そのたびに、次郎長に爽やかな笑顔で
「いいえ、それはやめておきましょう」とか「お断りいたします」とか
何度も振られ続けるんですよ。

・・・・デジャブを感じてしまいました。
なんか、こういうキャラを、みたことがありますんですよ。
ええ、もう・・・・・みたなんてもんじゃないくらい、忘れられない、あの人物!
ズバリ、NHK人形劇三国志の曹操です(爆)。
(この場合、三国志演義の、ではなくあくまでもNHKの、です)
人形曹操もことあるごとに人形玄徳に振られてたっけ・・・・・。

でも勝蔵は上記の曹操よりも卑劣漢です(笑)。
さきほどの久能山の利権問題では次郎長をマジで謀殺しようとしたし。
ビッグビジネスがからむと、次郎長よりも利権のほうが重要な人みたいです(笑)。
しかし基本的な勝蔵は一緒に組もうといいつつ、
ことある事に次郎長を追いつめるような陰謀に陰で加担して、
次郎長のピンチになると、さらっと助けに来たり・・・・・と複雑なキャラなのです。

歴史のなかの勝蔵は、官軍に利用されるだけされて
無残に捨てられ死んでいった、それはもう気の毒な最後だったので、
フィクションのなかでは、せめて楽しく(次郎長を追いかけ回すことが楽しいかは不明だが)
生きていってほしいと思います(涙)。

ま、次郎長は歴史のなかでは、波乱の人生ではあったものの、
明治になって山岡鉄舟と出会ったり、徳川家が駿府にやってきた大好運もあって、
きちんと畳の上で大往生しましたので、フィクションで少し弄ばれても
いいんじゃないかということで(笑)、
このほんわか王道ドラマ、まだまだ楽しんでいこうと思います。
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by aroe-happyq | 2013-02-10 19:11 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
来年の大河は会津出身の女性主人公ということで、
会津関連本が本屋さんでもたくさんならんでいます。
朝ドラみたいなタイトルからしてドン引きなので(ってもう随分前に書きましたネ)、
来年の大河に触れるのはこの記事が最初で最後だと思います☆
(んー、いちおう視聴予定なのですが、わたしの贔屓筋とはほとんど関わらない
はずなので書くこともなかろうかと。
でもあまりに「おいおい」な事が出てきたら書くかもです(笑))

ただ、ひとつも記事なしでは、同じ東国者として仁義なさすぎ・・・・と
いうことで、今回はドラマでも登場するはずの会津藩の蘭癖さんたちに
ささやかなエールを送りたい!という趣旨の記事であります。

で、いよいよ祝砲のお話です。

祝砲に関しては、wikiで確認いただくとして(笑)。
幕末日本における祝砲についての史料はほとんどありません。
有名なところは咸臨がアメリカに到着した際に「祝砲」をうった
話でしょうか。
そのせいか、このおりの祝砲を日本の最初のものだとする
勝海舟や咸臨スキーの手による本があります。

ところがサンフランシスコ入港時の咸臨丸が最初ではありません。

これよりも数年前、安政5年7月 18日(1858年8月26日)。
日英通商条約調印の日、江戸は品川第二御台場で、
日本初の祝砲が、寸分も違えることなく、完璧に発射されました。

第二御台場というと、会津藩の持ち場。
そうなんです☆
つまり、会津藩のみなさんがこの大役を見事にこなされたのでありました!

といっても残念ながら会津さんだけが目立ったわけではありません。
このときのセレモニーは、日英通商条約調印後、
英国から贈られる王室用遊覧船エンペラー(新造船)の引き渡し式
だったりするので、祝砲+エンペラー号試乗会という
二本柱の大イベントだったのでありました。
(なので「+α」と題しましたです)

しかし!この調印後のセレモニーは、けして失敗は許されない、
日本のプライドがかかった、この日の最大のミッションでした(笑)。
つまり、祝砲担当の会津藩受け持ち台場と、
エンペラー号試乗担当の築地軍艦繰練所が、
互いの持ち場をよく守り、見事にクリアしたわけです☆

このときの英国との交渉は、わが愛する5人の初期外国奉行揃い踏みの
初仕事ということ、英国側の訪日録や書簡記録が
手に入りやすいこともあって、昔からの重要な関心事でありました。
うちのブログでも何度か連続企画をやったりしてまいりました(笑)。
ちなみにその日についての過去の記事→こちら

昨年ごろ、さらに深く調べようと思い立ったところ、
英国側の史料には書かれていなかった祝砲の担い手が誰(藩)なのか
わかった次第です。
(けっこう、いやかなり!!!手間がかかりました~~)
なぜいままで誰も触れてこなかったのか?
やはり幕末外交が明治政府(つか現行の日本政府にもね)により、
不当な評価しか与えられてこなかった弊害でしょうねっっ。
しかし!近年その評価が見直されていることもあり、
これからの幕末外交史研究に期待したいところです。


会津藩はそもそもペリー来航前から江戸湾警備担当藩のひとつで
薩摩や佐賀のような蘭癖藩(爆)ではないですが、
西洋砲術、軍学に触れざるおえない立場にありました。
品川台場ができると、第二台場が持ち場となり、ますます西洋学
の必要性が高まり、安政4年には会津藩校日新館内に蘭学所も設けられました。
日本初の祝砲を担ったのはその1年後ということになります。

この日本初祝砲物語ですが、けっこうドラマチックです。
安政5年の日英通商交渉に詳しい方々(おもに外国奉行ファンだけですが)
は、交渉中にこの祝砲を行なうか行なわないかで、
日英双方のあいだで、けっこう揉めていた経緯はご存じのはず(笑)。

アメリカのハリスとの通商交渉時にも議題にあがりましたが、
日本側は、かなり正確に間をとって空砲を打つ、という未体験の「祝砲」が
万が一失敗したら・・・・ということで難色を示して、
一度もやってこなかったのです。
英国使節エルギン卿はアメリカへの対抗心から、
ひとつでも、ハリスが日本でなし得ていないことを、この交渉中にやりたかった。
なにせペリーよりも江戸湾の奥に停泊したくて、いきなり品川へ乗り込んできたし、
遊覧船を日本側に贈呈するセレモニーを江戸湾でやりたいとか、
ホント、いろいろ言ってきたわけです。
(アメリカよりも遅れて日本に交渉にきた分、江戸湾で派手にイベントをやって
大英帝国の存在をアピールしたかったのですネ)
そのなかでも祝砲は、一説ではイギリス海軍が発祥ということもあってか?!、
とにかく英国側は「日本初」の祝砲にこだわりました。
新造船引き渡しセレモニー開催は早々に決まったのですが、祝砲だけは外国奉行も
うーむむと首を縦にふらない。そこでエルギン伯はあんまり交渉内容にくわしくない、
老中との会見の場でこの「祝砲」問題を持ち出し、老中に承諾させてしまうのでした(笑)。

これをうけての安政5年7月16日付の「老中達」は以下のとおり。
(『續徳川実紀』より)

備後守 大目付江

近々英吉利より献貢之蒸気船御請取相成候につき、
品川御台場ならびに彼国船々にて空砲相放候筈に候事


これが18日のセレモニーの2日前!だったのですが、
会津藩留守居役・外島機兵衛が、
公儀の御目付津田半三郎から正式に祝砲を打つべし(笑)との命を
うけたのは、なんとまぁ、その翌日、つまりセレモニーの前日のことでした。
(ちなみになぜ会津藩の第二台場が選ばれたのかは不明。いちおう砲術の技能が
良かったからだと・・・・思いたいです(笑))

普通ですと前日に祝砲やれっていわれても、そんなものすぐにできるものでは
ないのですが、このときの会津藩江戸チームは事前にこの情報を
キャッチしていたと思われ(こういうときに留守居役の外交力、情報収集力が問われますが、
優秀なる外島機兵衛さんのことなので、そのあたりはバッチリ☆だったかと思われます)、
こっそりと練習していたのではないでしょうか!
でも、品川沖は漁場なもんで、ガンガン空砲訓練すると地元の漁師さんから
苦情が出ちゃって、あんまり練習ができない(←時代劇に出てくる封建社会じゃありえない、
民意優先の世界。でもこれが現実なんです。時代劇っていいかげんなんですのヨ)
・・・・なのでこっそりのつもりがなくても、
ひそかに練習せざるおえない環境だったのです(汗)

いろいろバタバタしたわけですが、会津藩は
公儀の無茶振りに見事にこたえた、というわけです☆
(ね?なかなかドラマチックでございましょ??)

で、どういう手順で行なわれたのか、その記録も探しあてることが
できましたのでここに堂々公開!

・・・(略)・・・・夕7つごろ、公儀御役人外国奉行、
異船乗り込み候節、赤旗を振り、
御台場にて受けすぐさま空砲5発ずつ、3度砲発都合15発に御座候。

(『坐漏紀聞』より)

※読みやすくブログ用に工夫しておりますので、
当然のことですが、このままコピペして大事なレポートやお仕事に
ご使用されると大惨事になりますので、かならず原文に当たって下さいませ。
(原史料に当たると本当に素晴らしい発見があるものだと、
最近改めてその大切さを噛みしめて居る次第です)

ちなみに、『エルギン卿遣日使節録』では21発と書かれています☆(笑)

会津側の史料のどこかに、この日の記録(日記とか書簡)があると
いいですね~~~♪
(って、そこから先は調べるつもりはないらしい自分(笑))

それよりも!!!!(ここからはちょっと「+α」な話題へ)
この赤旗振った人は誰でしょうね~~~?(笑)
「異船」ことエンペラー号へ乗り込んだ「公儀御役人外国奉行」は
外国奉行と目付、通訳だったのですが、
この布陣だとやっぱり外国奉行が担ったと思いませんか?
だとしたら、です。
この日、めちゃめちゃおめかししていたという(笑)、
外国使節に「日本海軍提督」とか「海軍司令官卿」とか
呼ばれていた永井玄蕃頭の可能性が濃厚???
それとも外国奉行筆頭なので、水野筑後守??
とにかくかっこいいですねーー!!!どっちでもいいから、
見てみたいですね!そのお姿!
(誰か~中継してーっ(爆))

日本側の祝砲のあと、英国側の艦船からも祝砲返しが行なわれ、
その後、矢田堀景蔵以下、榎本釜次郎等々の築地軍艦繰練所チーム、
つまり日本人オンリーによるエンペラー号の試乗会となり、こちらも大成功しました☆
(これはもう何回か記事にしたので、ここでは割愛)

それもしても、です。
このときの会津藩祝砲チームのプレッシャーはハンパなかったと思います。
というのも安政5年夏、藩主の容保公は参勤交代のため、国許にいたのです。
つまり留守居役が命令を受けてましたが、
本当にお留守番チームでこのミッションを乗り越えたのです!
主君のいないときだからこそ失敗は許されない、というたいへんな覚悟だったと
思います。
(ならぬものは、ならぬのです!の真面目な会津だけに余計・・・・・・かと)

会津藩というと、京都守護職になってからのイメージが強すぎますが、
実はこうして日本初祝砲をやった優秀な蘭学チームがあるとか、
井伊直弼暗殺後、水戸藩とのあいだを取り持って彦根VS水戸戦争を
防いだとか、いろいろ素敵でワイルドなエピソードがあるんですよねーっ♪♪
(会津藩が上洛後、京都洋学所を設けていたことも、あまり映像作品には出て
こなかったし)
攘夷の牙城の京都に「洋学」所を作ってやったぜ~、って、
御所に洋装で行ってやったぜ~の慶喜とならぶくらいの、
かなりワイルドさんですよね(爆) ←さすが一会桑チーム!!

この祝砲問題は、初期の日英外交史に華をそえた素敵なエピソード。
もう会津藩が幕末外交と縁遠いなんて、いわせないぜ!ってことです(笑)。

最近の大河ドラマには期待しないようにしていますが、
上記のような、いままで知られていなかった「白虎隊だけじゃない会津藩」(笑)の魅力が
少しでも語られたらいいですね。
だってほら、八重パパって砲術師範(たしか高島流砲術)ですもんね!
蘭学所や京都洋学所がはじめて、日の目をみるはず!!!?
(ずーっとホームドラマだったら、出てこないかも(爆))

というわけで、外国奉行と築地の軍艦繰練所のやつらを追って
いたら、会津藩とばったり出くわした(笑)という、
そんな記事でありました。

More
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by aroe-happyq | 2012-11-24 13:59 | 広く幕末ネタ | Comments(2)
原作の「天皇の世紀」は大佛次郎のライフワークだった
壮大な幕末史伝。
史料を駆使して、幕末の真実を描きだそうという意欲作・・・・
だったけど作者の死により未完となった作品とのこと。
まだ原作は読んでいませんが、かなり幕臣が登場するそうなので
いつかは読まなきゃと思う作品です☆

さて、この作品は1971~73年にかけて、民放で映像化され、
第1部がドラマ編、第2部がドキュメンタリー編として製作されたよし。
CSではこの夏、この両方を放映する、との報をきいて
楽しみにしていたところ、ついにドラマ編がはじまりました。

第1回 「黒船」

タイトルどおり、幕末の幕開け、ペルリがやってきたところから
はじまりました。

・・・・・・・・・・・1回をみた結論からいいますと、
当時はさすが史料を駆使、描かれた幕末の真実!だったかも
しれませんが、その後にさらに研究が進んだ今となっては
とっても「ふつう」にフィクションでした(笑)。

たぶん当時はペリー側の史料(航海記ね)とか、
そういうのも新鮮だったんでしょう・・・・・けど、
このドラマは(原作は知りませんが)、
けっこうフィクションとして遊んでます。

たとえば、この1回目の日本側主人公は阿部伊勢守(as 若き田村高廣)
と川路左衛門尉聖謨(as 木村功)ですが、
ぶっちゃけ川路、いろいろやりすぎだし(笑)。
わかりやすくしたらこうなっちゃいました、なのでしょうが
こんなに1回目のペルリ来航時に、川路は大活躍してないんじゃ・・・・・(笑)。

「さすが史料を駆使、描かれた幕末の真実!」のドラマでしたら
1998年大河ドラマ「慶喜」のほうが、このあたりの描き方は優れてると
思います~~☆
ま、70年代のドラマとしたら、ほかはかなりハチャメチャ時代劇の時代
ですから、頑張っていたと思いますけど~~~。

ただ・・・・・・・・。
70年代なので、ペリーほか外国人たちの雰囲気が、
わが愛する「モンティ・パイソン」の時代なもんで、
なんだか、顔立ちが似ているキャストが多くてですね、
今にもなにか、ギャグに走り出すんじゃないかとついつい思って
しまう、ペリー側のおかげで、なにかシリアスになりきれないものが(笑)。
(これはわたしの勝手な視聴姿勢の責任です)

それから、中島三郎助がせっかく出てくるのですけど、
演じるのが藤岡重慶さんなもんで、「あしたのジョー」のおやっさん
じゃありませんか。これがまた・・・・・濃~~~~~い三郎助で・・・・・・・・。
ペリー艦で大砲の絵を描きまくるとか、ディナーの呼ばれて、
西洋の食べ物にがっつくキュートな様子とかナイス!な場面が多いのですが058.gif
でもおやっさんなんですっっ。

実はとっても期待していたので、
しょっぱなから肩すかしをくらった感じですが、
でもね、この後、岩瀬とか出てくるし、
それからひそかに木村摂津守as津川雅彦というキャスティング
がどうなるのか等々、楽しみはあるので、たぶん全話みちゃうことでしょう(笑)。


真実の幕末ドラマって割には、外国奉行の登場が少ないのが
なにより不満ですけどねッ015.gif
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by aroe-happyq | 2012-07-17 10:06 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
今回は for イバハチファンの皆様企画です。

中根香亭の『香亭遺文』内にある
「尺振八君の伊庭八郎を救いたる始末」にて

(八郎は)幼年より読書を長谷部旅翁(甚弥と称す。学問所教授方を
勤め後静岡に歿す)に学び・・・・・・


と出てくる長谷部甚弥(旅翁)について。
なかなかこの人の情報ってナイんでございますが。

未熟なわたくしにいつも貴重な情報を寄せてくださる方に
成瀬哲生「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について」
を紹介いただきましたところ、
そのなかに長谷部が登場しましたので、
伊庭ファンの皆様に謹んでご報告いたします。

こちらの論文→ および (PDFファイルです)

で、名簿によると
嘉永4年に甲府徽典館学頭に赴任したのが永井岩之丞(のちの玄蕃頭尚志)&長谷部甚弥
でありました(笑)。

というわけで、名簿にちょこっと長谷部情報が出ていたので、
ご紹介します。

高七十表七人フチ  西丸御徒抱山中又兵衛組     
長谷部甚弥
下ヤ 御徒丁  名満連  号謙菴

嘉永4年当時ですが、御徒町に住んでいたよし。
伊庭八郎少年の住まいとはそれほど離れていませんネ

それから長谷部甚弥と師弟関係ということは、
(江戸時代の学問の師弟関係はとても絆が深いのでございます)
長谷部と徽典館繋がりの乙骨耐軒とも
するする~っと繋がりがみえてきそうです☆

伊庭八郎サンはさすが学問所近くにお住まいです。
学問所内の濃ゆ~い文人ネットワークのなかに
さりげなくハマッておいでだったようです。
そして同時に中根香亭のように八郎パパに剣術を習っていたという
繋がりもあり、要するに下谷界隈の人的交流は文武双方向だったのでしょう。

ううむ、まだまだ江戸のネットワークの解明は深すぎて、道半ばでござる(笑)
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by aroe-happyq | 2012-06-16 11:01 | 広く幕末ネタ | Comments(16)
この前、お花見ついでに噺家の圓朝&四代圓生師弟ゆかりの地ツアーを
上野~谷中でやってきたおり、圓朝の墓に調査にまいったわけですが、
圓朝おトモダチの山岡鉄舟の墓がすぐそばにありまして。
少し前に高橋伊勢守(泥舟)を調べていたおりに知りました件について
記事にしてみようと思い至った次第です☆

徳川慶喜の股肱の臣こと原市之進は慶応3年8月、
京都二条の官舎にて、結髪中に暗殺されてしまいます。
犯人は幕臣依田雄太郎・鈴木豊次郎。
鈴木は老中板倉の屋敷前にて切腹、依田は追手に殺害されて、事件は幕を閉じました。


が、この事件。
実行したのはこの2人ですが、暗殺をそそのかしたのが山岡鉄舟&高橋泥舟義兄弟
らしいのであります(笑)

『昔夢会筆記』第10にそのあらましが書かれていますが、
長いので、ものすごく掻い摘んで紹介しますと、
当時(慶応3年夏)、江戸では新懲組が血気盛んに活躍し、
それとは別派で壮士党という山岡や高橋たち、幕臣の「尊王攘夷」グループ
がありました。
彼らは同じく「尊王攘夷」だったはずの元水戸藩士原市之進が
慶喜の側近となるや、尊王開国に走ったとえらく怒っていました。
(慶喜と側近の平岡円四郎のせいで「開国」に染まったのであります・笑)
しかも兵庫開港を率先して進めている、という話も聞こえてきた。
尊攘派にとって帝の住む京のすぐそばの兵庫開港だけは絶対に許せなかったのだとか。

そんなとき、当の原市之進から壮士党の関口某へ手紙がきたのだそうな。
原と関口は知り合いで、原は関口の才を惜しんで「京へきて働いてみないか」
と親切な勧誘をしたのだったが。実はこれが「きっかけ」になってしまう。
誘われなかった(爆)壮士党のほかのメンバーはただでさえ原に対して不信感がある
のにこれでイライラが爆発。そこでいろいろな内輪もめがあって(ここは省略)、
山岡や高橋たちが同志たちに「YOUたち、原を斬っちゃえば」的なことを言い出す。
・・・・・どうも彼らはその場の勢いでの発言だったらしく、そんなに真剣に
言った感じではなかったらしい。
ところが「おおさ!!俺たちが斬ってくる!!」と依田らが京へと飛び出していってしまった。
ホントに出掛けちゃったことを知った一同が集まって、
もう箱根をこえているだろう。とても間に合うまい008.gif
山岡「大丈夫だろうよ。原はとにかくあれだけの人だから、まず五人や
六人の警衛はあるだろう。彼等がが三人くらい行ったってちょっとむつかしい。
とてもいけまいから、まぁ放っておけ
017.gif
などと無責任&テキトーに言ってそれきり気にもとめてなかったようなのですが(おいおい)。
なんと見事にやりとげちゃった、みたいな(汗)。

そんなことで原さん殺されちゃったんですよ~~~(涙)。057.gif

山岡&高橋、なんてヤバイ義兄弟なんだ!!

松本佳子著『原市之進 ー徳川慶喜のブレーン』によると、
水戸のほうの史料によると、暗殺首謀者説は細分化されていて、
そのなかには、自分も原のように目付になりたかった高橋泥舟の嫉妬説
などもあるらしいですが、槍一本の武闘派の高橋が目付になりたいと思うか?
というあたりは甚だ疑問であります。
でも結局は山岡&高橋の関与はまったく否定していません(笑)。

冒頭に書きました山岡の墓の脇には小さい碑が建っていて、
そこには壮士党のメンバー、もちろん暗殺者・依田雄太郎・鈴木豊次郎の名も
ありますけどネ。どーみてもこの暗殺事件と山岡は無関係ではないっす(笑)。


さて、以上のあらまし部分は『昔夢会筆記』会場で明かされた話なので、
当然この話は慶喜翁も聞かされるわけです。

公 なるほどそういうわけであったか。関係人の名は密かに聞いたよ
(ここまで青字部分は『昔夢会筆記』より引用)

詳しいあらましはこの時が初耳だったようです(笑)。
大切な側近の原市之進を殺させたなかの一人、高橋泥舟は
慶応4年の幕府瓦解以降、上野や水戸で、もっとも信頼して身近においた警護隊長だった
・・・・・・なんてこともあったので、慶喜的にはかなり複雑な心境だったことでしょうネ。

こういういいかげんなノリで、人ひとり(しかも重臣ですけど)が
暗殺されてしまう。幕末とはなんとも荒れていた時代でありますなぁ(としみじみ)。

ところで、この原市之進事件にはおまけがついています。
原亡き後、後継に誰を据えるか、という話になったとき、
なんと新選組局長近藤勇の名があがったとか。
もちろん実現しませんでしたが(笑)、
(だって近藤さんが慶喜の諸葛亮孔明って・・・そりゃムリでしょ・爆)
誰か推挙したか知りませんが、慶応3年夏頃の京都において、
近藤勇の名は我々が知る「新選組のおはなし」に出てくる近藤さん以上のグレードが
あったっぽいことはこの件をみても明らかデス。
京都政界における近藤勇の立ち位置について、早く解明されることを願いつつ、
つまらない理由で命を落とした原市之進(享年38才)さんのご冥福をお祈りしたいと
思います。
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by aroe-happyq | 2012-04-26 13:55 | 広く幕末ネタ | Comments(7)
幕末ブロガーでもある漫画家のkotoさんの作品「銃華 ~幕末函館異聞~」
第1話PCで無料試し読みがよーやくできるようになったようです!


コミックカワイイサイト「銃華」→こちら

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by aroe-happyq | 2012-03-12 17:50 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

「黒船」 【追記あり】

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昨年の秋、アマゾンにDVDをオススメされたので(笑)、それじゃ観てみるかーと
レンタルしてみましたのがこの「黒船」(邦題)。原題は「異人と芸者」(笑)。

「黒船」だとなんのこっちゃですが(昔から邦題のセンスって微妙なのね)、
お話はタウンゼント・ハリスとお吉の「ふれあいの物語(←劇中ナレーションによる)」です。
でもお吉の設定が下田奉行が送り込んだ監視役だったので、
それほどベタベタした関係にもならず、ほどよい感じのハリスとお吉です。
(ま、歴史の資料によれば、病中のハリスのもとに3日しかいなかった吉さんですけどネ)

※以下、それほどネタばれなし

なにせ主演は、かのジョン・ウェイン(as ハリス)!

五ヶ月にわたる全編日本ロケ(おもに京都&奈良)!

台本監修に衣笠貞之助

そして制作年は1958年!日本映画の華麗な時代です。
(この時代につくられたバブル的時代劇映画、ストーリーはさておき、もう~~大好きです!)
これでもか、のモブシーンの多さ!!!セットの広さ!!!
(下田シーンのエキストラさんたちの飾らない着物姿がリアルで素晴らしい)
もう二度と日本では作れますまいっっ

というわけで、開発前の日本の風光明媚なロケ地は最高!衣装もまとも!
(お吉だけなんだかヘンだったのですが、裃は申し分ない!←松竹全面協力のおかげ)
ものがたりも多少は無茶してますけど(でもあり得るフィクションです・笑)、
「ラストサムライ」のようなインチキさはありません☆

しかし、この映画の魅力はなんといっても、ジョン・ウェインをかるく喰ってしまっている、

下田奉行役の山村聡
の存在感&かっこよさに尽きます!!


歴史的にはハリスが下田にきたときは岡田備中守(井上信濃守清直は在府下田奉行)
なのですが、ここでは田村左衞門守というオリキャラです。
・・・・・なぜオリキャラかは最後の展開で「なるほど」となります。

主人公はハリスなので、これを格好良くみせなきゃならない事情で
時々下田奉行として「あんたどこへいってたのさ」になりますが、
山村聡の場合、黒い裃つけて立っているだけでまずOK!
座っているだけでノープロブレムでした(爆)
しかもこの下田奉行、英語しゃべれちゃうんです!素敵なんです!(笑)

・・・・・と褒めまくっていますが、
もちろんこの映画、絶賛しているわけではありません。
不満も多々あります。

まず・・・・・ヒュースケンがおじいちゃんなんですの(号泣)。
これは冒頭からショックでした~~~~~。

「将軍」が顔が白塗りの少年でした(汗)。

岩瀬も誰も海防掛が出てきません!

それから・・・・日米通商条約が、あまりにもあっさり締結しちゃうのであります。
それもハリスの用意したものを丸呑み状態だし!
(戦後それほど経っていないから、こういうイメージも受け入れられてしまうのか?)
交渉しろーー、談判してくれーーっっ、
井上&岩瀬は何処だ~~~~~~っっ(大号泣)。

といいつつも、なんだかんだツッコミながら、
楽める作品でした。
(1時間45分というのも手頃かな??)

レンタル屋さんで「あと1枚なに借りよう」と迷ったときにはぜひこの「黒船」を
見てみてくださいね!
(わざわざ借りにいって「つまんないぞー」って怒っても責任はとれません(笑)。
あくまでついてに観て下さいまし)

【追記】

予告編をみつけました→こちら

なぜか下田奉行所には日本語がビミョウな下役がいたり、
老けすぎているヒュースケンが衝撃ですが、
でも山村聡のお奉行、なかなかでございましょ??(笑)
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by aroe-happyq | 2012-01-18 10:22 | 広く幕末ネタ | Comments(6)

徳川慶喜&獅子の時代

11月にCS時代劇専門チャンネルで大河ドラマ「徳川慶喜」が
再び放送することはすでに記事にしておりましたが・・・。

まさか、同じ11月に大河ドラマ「獅子の時代」もほぼ同時に
放送されるなんて・・・っっ

なんて、濃い11月!
(正確にいうと12月、そして来年1月まで)

ちなみに

慶喜は、11月1日から毎日(月~金)午後&午前2時

獅子の時代は、11月7日から毎日(月~金)午前&午後10時


時代劇専門チャンネルサイト→こちら


両方みようとすると、頭のなかが大渋滞を起こしてしまいそうな・・・?(笑)
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by aroe-happyq | 2011-10-13 19:57 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
品川歴史館特別展

 品川御台場
    - 幕末期江戸湾防備の拠点-
  

10月9日~11月23日開催

品川歴史館サイト→こちら



台場好きとしては、ぜひとも足を運ぼうと思っております☆
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by aroe-happyq | 2011-10-04 14:12 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq