東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

<   2007年 03月 ( 27 )   > この月の画像一覧

桜餅といえば、関東ではお江戸向島の長命寺。
今でも山本屋の桜餅はほぼ同じ場所で売られていて、名物です。

ちょうど桜も満開だし、自分は阿部伊勢祭りを続行中だし、ということで、
阿部正弘、色白、ぼっちゃりハンサムの微笑みの貴公子(爆)の恋の話題をひとつ。

出展は三田村鳶魚の「桜餅」より。以下簡単に引用。

それは安政4年こと。
以前、本所の阿部家下屋敷にご母堂が住んでいて、
親孝行な正弘サンは月に2,3回も会いにいっていたということに触れたと思うのですが、
やはりその折のこと。

巷で評判の美味しい桜餅を母親にお土産に買っていこうと、
老中阿部(37)は遠回りして長命寺の山本屋に寄ったそうな。
その山本屋の次女おとよ(17)は三代豊国の「江戸名所百人美女」という
美人の町娘の錦絵シリーズに取り上げられるほどの美人さんだった。
彼女は店に出ていたので、客が引きも切らさずだったという。
(江戸東京博物館、または東京国立博物館に所蔵の『江戸名所百人美女 長命寺』のモデルがおとよです)

情報通の阿部さんが駕籠のなかから、そっと彼女をすき見してもおかしくない。
(お買い物はお付のみなさんがやってくれますので) 
彼女をみた正弘さん、どうも胸にドキュンときたらしい(爆)。
でも・・・・・杉の自伝のような、遠慮がち?な人なのですぐに行動にはでなかったようで。
何度か桜餅を買いつつ、おとよちゃんを眺めたり、たまには直接声をかけたかもしれない
(それではただのファンのひとり状態だが)。
だけど、それ以上の行動で出ず、もたもたしていた(笑)。
ところがたいへんな情報がもたらされた。
おとよちゃんを、御三卿の田安慶頼が狙っているらしいとのことだった。
この人も、山本屋の隣の牛島神社参詣にかこつけて(爆)、おとよに桜餅を持参させて、
評判のかわゆい茶屋娘を品定めしたよし。
これはまずい!とられてしまう、ということで、
阿部正弘さんは慌てて山本屋に人をやって、
おとよに「阿部家に側室として仕えませんか?」と申し込んだ。
かくてめでたく、阿部さんはおとよさんと結ばれましたとさ(笑)。

2年後に阿部正弘は死んでしまうので、
水戸斉昭などには「勢州も15歳の若い新妻をもらって、酒も登城前から二升も
用てもきちんと御役も勤めるほどの人だから・・・・」精も根も尽き果てたんだ・・・・って(笑)
噂されちゃいましたとさ。


・・・・・・・以上が三田村翁の「桜餅」のお話。


せっかくいいお話なのですけど(笑)、
さて、ここからは「ザ・検証TIME」!!!!で~~す。

まず、根本的にこのお話には無理があるのです(涙)。
錦絵の「江戸名所百人美女 長命寺」は安政4年11月に出版されましたが、
阿部正弘さんは37歳ではなく、39歳で、
この年の6月17日に亡くなっております~~~~~~。
錦絵の評判なんて、知らずにあの世へいってしまわれました~~~~。

そんなわけで残念ですが、この「桜餅」のお話、三田村翁の記憶違ひが・・・・・。
阿部正弘さんのエピソードとしてけっこう有名なお話で、
小説とか歴史読本の読み物でも登場するのですが、
みんななぜ三田村翁を無条件で信じる?? 
なぜ「安政4年」というあたりで気がつかないのだ~~~っっ(笑)。

阿部伊勢守の本を読んでいると、あまりに立派な話ばかりなので、
・・・・・つまらん!お前の話はつまらん!という大滝秀治さんのように叫びたくなるのです(笑)。
だいたい、人間などというもの、頭のてっぺんから足のつまさきまで聖人君子なんて
いやしません!(きっぱり)
どっかに、スキがあるものです(爆)。
この阿部さんだって血の通った人間だ、老中首座に昇りつめた野望の男だ、
なにかあるはずだ、とんでもないバカをやっているはずだ、と思うわけです。
そういうわけでこの阿部伊勢さまのちょいスキャンダルはまさに大歓迎!
だったのですが(爆笑)。←しかも37歳男のコイバナ(寒い??)


【ここからは追記】(2007/11/27)

桜餅屋さんのおとよが阿部正弘の下屋敷に奉公にいったことは
事実らしいということはその後見た『藤岡屋日記』の、
安政3年の「ちょぼくれ武士」にその事がでていて、
評判のお嬢さんを独り占めした阿部正弘の評判が落ちたことが出ておりました(笑)。
(といっても、ちょぼくれ武士が100%正確かというと・・・それも微妙ですが
江戸で噂になったことだけは間違いありません)

ただ、安政3年にすでにおとよは下屋敷に奉公にあがっているので、
その翌年秋以降に出版の「江戸名所百人美女」のほうが後というわけで、
通説とは、順序が逆のようですね。

・・・・そもそも、例の錦絵が絡んだおかげで、話がややこしくなってしまった
ようです。

というわけで、整理してみますと、
三田村鳶魚さんの「桜餅」を扱うときは、
年号、阿部の年齢を訂正しつつ、扱いましょうということでした。
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by aroe-happyq | 2007-03-31 09:58 | 幕臣系(老中など) | Comments(0)

桜のお城の満開の下

桜が満開です!(昨日ですが)

ということで、昨日お花見散歩にいってきました。

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スタートは半蔵門。ワタクシが推薦する「きれいな東京NO1」の景色は、上の画像の
矢印のあたりから桜田門方向なのですが、ま、今回はこんな感じで。

さて千鳥が淵方向へ、いざ!

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キレイですね!まさに満開の桜の下!でもそこには魔物はいなくてお花見客が宴会中で・・・。

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堀のむこうは人間がほとんど立ち入らない吹上の庭です。
東京でも貴重な生き物がいっぱいだとか!

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竹橋方向へ歩いてきて、乾門まできました。ここから北の丸公園へ!

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田安門です。実は画像の下はすごい人ごみで・・・・・・。

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同じく、田安門。門の外の桜並木が素敵です。

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桜の向こうは、蕃書調所跡こと九段会館です(笑)。
実はこれを撮影している背後の歩兵屯所跡こと靖国神社のほうは、もうそれは驚くほど
人がわんさか・・・・・でした。

実はこのあたりの花見は幼い頃には町内のみなさんと花見の宴によくきたものですが、
こんなにきちんと満開の桜を見た!ことは初めてかもしれません。

なかなか満開の日とタイミングって合わないもので、今年はラッキーでした。

*満開ということで、期間限定でスキンを夜桜にしてみました!
(読みにくいので(笑)、2日もしたらもとに戻します~~~)
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by aroe-happyq | 2007-03-30 09:48 | 江戸東京あれこれ | Comments(0)
ちょっと前に測量界の偉人、小野友五郎さんの名をテレビでみたせいか、
久しぶりに中公新書の『小野友五郎の生涯』を外出の合間に読み直した。

これを購入したのは長崎伝習所にはまったころで、
そのため目をギンギンに読んだ箇所は
やはりそのあたりだったわけで、
読み直すと意外と忘れている箇所がいくつもあった(汗)。

・・・で忘れていたなかに、

Ⅵ 米国再航ー即製軍艦の買付け
の章の「お荷物随員・福澤諭吉」という項がありまして。

小野友五郎さんがアメリカに例の「ストンウォール」買い付けにいったときのことです。

福澤さんが、英会話がロクにできないのに「できる」といって
通訳として随行員に加えてもらったあたりは、まぁ・・・亜米利加に行きたいのね、
で済まされるのだが、出発地横浜にて福澤が為替を組む役目だったが、
ニューヨークについたら現金化できない、雑用係に彼が雇ったチャールズに
金を持ち逃げされる、日本から米国大統領への贈り物を含めた荷物の
荷揚げ交渉に(英語出来ないから)手間取り、そのせいで
謁見の日に小野たちが大統領に贈り物を渡せなかったり・・・・・・とんと使えない男なのだ。

「福澤は他の団員と違って、使節団の重要な使命も団員としての責任も自覚しておらず」
とこの本の著者の藤井さんは書いているが、この続きがもっとすごい。

しかも今回の使節団にもぐりこんだ目的は大量に自分の書物を買いつけ
にいくためで、その買い物に奔走していて他の仕事をあまりやろうとしない。
小野はそれではと、幕府で必要な本もついでに購入してくれというと、
仕入れ値で購入した書籍を正規料金で清算・・・つまりふっかけようとする。
それだけではなく、私的な買い物を公金で清算する始末。
そして他の人は私的購入品は別荷物にして運賃を払ったのに、
福澤は私的な書物を公金で購入した荷物に紛れさせて、
荷物の運賃をごまかそうとした。
こんなことが度重なり、日本へ戻った小野友五郎は福澤を訴え、
自らも監督責任を感じて、進退伺いを出した。
後に福澤が友人に語ったところによるとこのときの公金横領額は15000ドル。
この本では「15000ドルは、ダールグレン大砲2台分」といっている。

・・・・・立派な公金横領犯です、福澤さん。しかもセコイ横領犯(爆)。

で、この訴えはどうしたかというと、このすぐ後、徳川は瓦解してしまったため、
それどころではなかったというわけで、命拾いしたわけですね、諭吉さん。

かえって小野友五郎のほうが、徳川瓦解のおり、朝敵だのなんだのと罪をかけられ、
牢獄に入れられてしまったのですから、世はまさに理不尽なり、です(汗)。

このとき、「ストンウォール」の御代も、3分の2しか払えず、
残りは後払いにしたこともあって、
榎本海軍副総裁があれだけアメリカ公使に交渉したにもかかわらず、
結局は西軍(官軍)側に持ってゆかれてしまいました・・・が。
・・・・邪推かもしれないですけど、諭吉(もう呼び捨て)が大砲2台分も使い込みせず、
せめて4分の3払えていたら、
・・・・・榎本艦隊にストンウォールが加わっていたかも!?(爆)

それにしても友五郎さんは理性あるお方です。
もし自分がこの使節団の団長だったら、
帰りの太平洋で諭吉さんを海に捨ててきちゃいますもの、マジで(笑)。

前々から福澤さんが人物として底の浅いというふか、
セコイことは史料を読んでいてうすうす感じてはいたのですが、
それどころではなく、犯罪やってるし・・・・・・(涙)。
これで人物鑑定師の木村芥舟と親友だというのだから、世の中わかりましぇん。
(木村さんも騙されていたのか?(笑))

本の読み直しってとてーも大切だと身に染みました。
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by aroe-happyq | 2007-03-29 10:43 | 広く幕末ネタ | Comments(0)
前から気になっていたのですが、やっと古書で読みました。

石井孝 『幕末悲運の人びと』 有隣堂新書 16 昭和54年

Ⅰ 挫折した開国政策の推進者 岩瀬忠震

Ⅱ 反維新に殉じた 孝明天皇

Ⅲ「大君制」創設に敗れた 徳川慶喜

Ⅳ悲運の「徳川絶対主義」設計者 小栗忠順


・・・・もくじを見ただけで、悲運がいっぱいなのです。


石井孝さんといえば『日本開国史』『明治維新の国際的環境』などでつねに説得力のある
方ですので、今回もまた新書にしては、濃い内容です。

エントリーされた4名のなかでもとりわけ悲運なのは非業な最後を遂げた
孝明天皇と、小栗さんだと思うのですが(ちょっと岩瀬さんも非業・・・ではありますが)、
とくに、いえ格別に非業すぎるのが孝明天皇のところ。

孝明天皇の最後についてはいまだに病死説、毒殺説に分かれたまま決着はついて
おりませんが、石井さんは断然、毒殺説を主張しております。
しかも、トリカブトとか、そういう「安楽」に殺すという宮廷毒殺劇のアイテムではなく、
石見銀山・・・・・・・!!!
そんな歌舞伎に出てきそうな、きわめて庶民的な、殺鼠剤で!?
石井さんですので、これが毒殺説だ!と史料でどんどん進めていくわけですが、
その病状の痛ましさは、目を覆いたくなるばかり。石見銀山恐るべし!
・・・・・もちろん、いまだに結論はでていないので、これが史実かどうかはわかりませんが、
もしも毒殺だとしたら、こんな悲運はないです。

さて、岩瀬忠震についてですが、確かに最後は井伊大老の安政の大獄で永蟄居の果てに
病死・・・・・ですが、その前の大抜擢→輝かしい活躍を思うと、本当に悲運かどうかは
わかりません(笑)。井伊大老たち保守派と戦って、敗れはしたけれど、
結果的には、岩瀬の思惑どおり、徳川の屋台骨は崩れていき、開国することになったので、
彼の願いはちゃんと叶ってしまいましたから(爆)。

そういう意味で、門閥を無視して人材登用をおこない、
密室政治の公儀ではなく公議(衆議)を推し進めた阿部正弘と、
勅許なしで日米修好通商条約を結んで日本じゅうを大混乱させた岩瀬と、
この二人こそ、近世から近代に飛ぼうとした、
実は最初の徳川政権の壊し屋さんだったような気がいたします。
(・・・最初とはいえ、彼らのいれたヒビってけっこう致命的のような気が・・・(汗))

この二人と同じ開国派ではあったけど、徳川がなくなってもいい(@岩瀬)などとは
さすがに思わず、その場しのぎでも政権の秩序を支えようと?奮闘して諦めた(笑)、
秀才政治家の徳川慶喜の挫折感はやはり悲運といえるかもしれしない。
その慶喜を支えることに尽力した小栗さんも・・・・・。
・・・あれ、そういう徳川を支持した孝明天皇も入れると・・・・・・・・・・。

まるでこの三人の悲運の要因が岩瀬たちにみえてきてしまう(滝汗)。まずい、まずい。

コホン、えっと、そんなこんなを考えさせられる、面白い新書でした!
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by aroe-happyq | 2007-03-26 10:44 | | Comments(0)
NHKBSで放映している「水の三都物語」。第二部は江戸でした。

水の都市、江戸。

いろいろいわれる徳川政権ですが、
ただの湿度だらけの野原と海を埋め立て江戸の都市計画とその実行、
200年以上はとりあえずもった徳川式役人(官僚)制度は
かなりすごいんじゃないのか、と思います。
過去の政権としてもっと褒めてもよいと思うほどです。

今回のこの番組では豊かな水源を江戸にどう生かしたか、それをじっくり教わりました。
「の」の字の外堀、内堀の秘密、土地の高低差を利用した無駄のない水利用などなど
なるほどなぁ~~と、江戸都市計画をつくった人々の賢さにただただ脱帽です。
それから玉川兄弟とか(爆)、当時の測量方法とか、感心するばかり。

実のところ時代小説を読んでいても、あんまり水の都江戸という感覚はありませんでした。
それが最近よく調べている人々が日本橋とか、築地に住んでいて、
屋敷のすぐそこが水路だったり大川だったりして、馴染みの船宿があったりするので、
ああこの人たちは普通のお出かけは猪牙(ちょき)舟だろうなぁ、と思いいたるまでは、
お恥ずかしい話ですが、あまり江戸=水の百万都市というイメージが湧かなかったのです。
今では「湿度たいへんだったろうなぁ、地震のとき埋め立て地だから揺れただろうな」
とか心配をするようになりましたが(爆)。

水の百万都市って、いいですよね。
なにより水音は人の心を穏やかにします。リラクゼーションに最適です(笑)。
毎日、住んでいて癒されていたという、非好戦的な政治都市(しかもほぼ武士の町!)って
なかなか世界史的にもお目にかかれない取り合わせですから。
ですが、花を愛で、橋から川を眺めて暮らしたら、
殺伐とした気分になれるものではありません。
(だから長い間、天下泰平だったのかもしれませんね☆)

今ではほとんど埋め立ててしまった水路がうっかりそのままだったら、
東京はベニスのような都市になっていたでしょうか(笑)。
(温暖化で海水が上がってきて、今頃大騒ぎしていたことでしょう(爆))
そんな東京、一度でいいからみてみたかったです。←住むのは訓練が必要そうだけど

さて、そんな番組をみていて嬉しいことがありました。
ほんのちょっとの時間ですが、江戸のシーンのBGMに
エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」が流れたもので。
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映画「ミッション」の曲だし、  
←すでになんじゃこりゃってジャケだし、
江戸となにも接点はありませんが、
これがまた・・・・・風情のある名曲なのです。
(サントラマニアには有名すぎる名曲ですが)
『江戸の夕栄』や『名ごりの夢』を読むとき、
古地図を眺めるとき、東京散策のとき、
自分のなかでは水親しむ江戸といえばこの曲です。
ダントツのマイフェイバリット曲!


それが同じように江戸の情緒を伝えるシーンに流れて、
ううむ、同じイメージをもつ人がいてくれるらしいというのが嬉しかったです。
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by aroe-happyq | 2007-03-25 10:45 | 江戸東京あれこれ | Comments(0)
立花種恭さんといえば、もらい泣きのあの立花さんです。
慶応3~4年あたり、若年寄(途中から老中格)をやっていた九州の三池の藩主でした。
この人の記録としては、『史談会速記録』や『旧幕府』での講演やききとりのほか、
『立花種恭公の老中日記』(岡本種一郎 編 三池郷土館 昭和56年)
があります。
ホントは老中日記かもしれませんが、固いことはいいません、
日記を読みやすい形にしてくださって感謝しておりますっっ。

さてこの日記に榎本さんが登場します。

(慶応3年)
八月二十二日
 雨 榎本釜次郎 来る  面会  鉱山等の義に付 談ず


この頃の榎本は帰国して数ヵ月後。海軍の演習もようやく英国式にまとまりそうで(笑)、
制服を改めている時期ですね。布やらミシンを買ったり、それらの予算を
小栗上野介にかけあったりしていたはず。

すでに燃料の供給について、オランダで学んできた新しい鉱物学の知識を発揮して、
若年寄の立花に熱く語って、鉱山開発などもちかけていたのでしょうか。
榎本和泉守とあらためて、海軍の整備のために尽力しておりました。

これからしばらくして榎本は開陽とともに大阪へ、立花は江戸のままだったので
日記に再登場するのは翌年一月のもらい泣き前後・・・・・。
ちなみに開陽は、

(慶応4年)
一月十一日
 晴 (略) 今夜九時 余 宅居間に独坐せしに 品海の方に当たりて
 大砲一轟す 余 何となく 開陽艦には非ざるかとの 感を生せしは 奇なり


で再登場(爆)。すごいカンです!立花氏!大当たり!帰ってきちゃったんですよ、突然、
しかも船将(艦長)置き去りにして(笑)。
(この続きに、あの慶喜の「アハ、アハ」があるわけです)

・・・それはともかく、慶応3年の8月、榎本和泉守は張り切っておりました。

(たまたまおとといこの日記を読み返していたので、つい載せてみました)
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by aroe-happyq | 2007-03-24 11:26 | 箱館または釜さん | Comments(0)
梅澤秀夫 「昌平黌(校)朱子学と洋学」 (『思想』766号)
という論文がありまして、そのメモ代わりの、紹介デス。
(いきなりとんでもなくマニアっくですいませんっっ)

阿部伊勢祭り(この呼び名で定着?)中で、あらためてペリー来航に到る前の海防論をいろいろみていったところ、徳川斉昭サンは置いといて(爆)、保守派と思われがちな昌平坂学問所(昌平黌)の先生方が嘉永二年の老中からの諮問に対して、意外にも「海外との貿易、いいんじゃなーい?」とか開国派な報告書を提出していて、果たしてここの学校と洋学の付き合いはどうなっていたのか?とあらためて疑問がわき、いろいろ論文を読み直したり、新たに探したりしました。そこで出会ったのがこの論文です。

昌平坂学問所といえば出版物の検閲も担当しているし、数々海外事情を紹介した本を発禁にしているところです。
それに蕃社の獄で、渡辺崋山ら洋学者を弾圧したと鳥居耀蔵さんは林大学頭の親戚、ということもあって、洋学は×、朱子学は○ということが徹底された超保守的なガチガチのお硬い学問所かとイメージしがちでした。
でもその一方、江戸文人…そのほとんどが昌平坂学問所の教授をやっていたりするが、その彼らはとても洋学に詳しい。また初期の外交を担った川路聖謨や水野忠徳、岩瀬忠震、永井尚志、矢田堀景蔵(若き榎本さんもね!)たちもこの学問所で研鑽をつんできた人々。この学問所が保守的で、洋学がNGだったら彼らはとっくに放校処分のはずだ(笑)。

で、論文を読むと、学問所では朱子学をただ崇拝(笑)しているのではなく、随分と疑問を抱き、朱子学そのものについても研究を重ねていた。ここの学問所では漢学だけやっていればいいなどとはまったく思っていなかったのだ(ただ官僚をつくるには非常に都合のよい学問、ザ朱子学はこの公立学問所の柱であることにはかわりない(笑))。たしかに蕃社の獄以降は表立って洋学を学ぶことはできなかったが、理性的な対応で、かならず必要であるということで、林家も含めて、学者たちは洋学研究を続けていた(もちろん保守的な教授のなかにはこういう風潮を「蘭学狂い」として批判する人もいたが)。
割と洋学に対しておおらかな環境で学んでいた岩瀬や永井たちは突然の抜擢で、外交を行うことになっても、それまでどっぷりと蘭学に浸かってたわけではなさそうだが、理性的に柔軟に西洋人と対応応できたのもこの学問所のおかげだろうと思います。

つまりは、想像以上に昌平坂学問所にはやわらか頭の人々が大勢いたらしいということです。

そんな次第で、阿部老中の海防に関する諮問に「貿易しても・・・」というちょっと予想外な答申が返してくるような大学頭がいても不思議ではなかった。(なんとなく困っているような阿部伊勢守でしたが・・・・(爆))

梅澤氏は「朱子学者大槻磐渓の西洋観」(『清泉女子大学紀要』通号34号)や「近世後期の朱子学と海防論」(『年報・近代日本研究3』)なども書かれており、江戸後期の朱子学、儒者と洋学との関係について続けて研究されていて、これらをさらに読むともっとスッキリ解決!できるのでした(笑)。
とはいえ、このあたりの理解には、まだまだ道のりは遠いような気がする・・・・・。

東京で開花宣言があったので、スキンもちょっと変えてみました☆
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by aroe-happyq | 2007-03-22 15:34 | 外国奉行ズ | Comments(0)

d0080566_955125.jpg栗原智久 『大江戸調査網』 (講談社選書メチエ380)

久しぶりに書店ですぐ手にとれる本の紹介です。
1月に出たばかりの新刊ですが、
もう・・・・・このタイトルにまずやられました(爆)。

内容は非常に真面目でありまして、
江戸時代の暦から衣食住にいたるあれこれを、
江戸時代にかかれた随筆から調査したものです。
そしてさらに調べたい人のために本の紹介まである。
実に便利な本です。



たとえば杉浦日向子さんの本から入って、
もう少し江戸の基本的なことを知りたいときに、この本は真っ先に役立つ感じです。

巻末に江戸随筆データ100というのがあって、
随筆タイトル、作者、そして発行年がずらっと並んでおります。これは嬉しい!
この時期の風俗が知りたいとか思うと、この表からセレクトして、
日本随筆大成あたりを検索すると、目当ての随筆と出会えるはず!
という・・・・やはりマニアな使い方ができるのが、実は何より有難かったりして(笑)。
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by aroe-happyq | 2007-03-20 10:09 | | Comments(0)
松平太郎、と書きたいところだけど恐らくここのブログ内ではそれはとても紛らわしい
と思われるので、あえて二代目太郎さん呼ばせていただきます。

お父さんは幕末最末期の陸軍を仕切って、箱館までいったあの松平太郎さんで、
その息子さんは実業界で活躍されつつ江戸の柳営の制度を後世に伝えようと
私財を投げ打って研究された、こちらも松平太郎さんです。

その二代目太郎さんの労作『江戸時代制度の研究』は今まで何度も図書館で
必要なところだけコピってきたのですが、阿部伊勢祭りのおかげで、もう各部分づつの使用
では限界を感じ、古書を検索したら・・・・・・分厚い本にもかかわらず、これが三千円弱という。
切腹覚悟の予算をもって想定していたお買い物にしては予想外なお値打ち価格で、
少々腰砕けになりつつ、とうとう手元にゲットしてしまいました(笑)。

こんなことならもっと前からゲットしてもよかったかもっっ・・・・(涙)。

全部手元にあると使いやすさが身にしみます。これと『旧幕府』に掲載されている文や、
『旧事諮問録』、そして深井雅海さんの『江戸城をよむ』
があると本気で江戸城のなかの官僚機構がとても理解しやすいです。

ただ、序文・・・校訂再版にあたり、著者の息子さんの序文を読んだところ、
「この本は上巻で、下巻はすでに原稿も書き上げていたが戦火で焼失してしまった」
とあって大ショックでした。下巻には旗本について、武家の生活、幕府の軍制などについて
まとめてあったらしい。・・・・・うぉぉぉ、見たかったです~~っっ。

ところで著者の息子さんの序文によりますと、二代目太郎さんには硬骨漢なところがあり、
東京外国語学校の一期生だったのですが、校長があまりに欧米に心酔しているのが
がまんならず、排斥運動を起こし、一度退校させられたが、全在校生の応援と
文部大臣品川弥二郎の推薦で、校長の退任と同時に復学し、二期生として卒業したとか。

のちにこの本を出そうと考えたのも、箱館まで戦った著者の父、松平太郎の心意気と、
徳川ゆかりの者として、薩長藩閥によって
徳川三百年の治績が不当に歪められて、埋没されていることに対して、
正しい姿を顕かにすべき義務にかられたから、だという。

生活を犠牲にし、闘病のなか、生涯をこの本の執筆にかけた、
二代目松平太郎さんの心意気を大切に読ませていただきます。

ただ、太郎さんが願った徳川政権に対する「正しい姿」の評価は、
平成の今になっても、いまだならず、ですね。

とくに時代劇では再放送が繰り返しあって、
毎回とんでもなくせこい悪さの代官が水戸黄門に印籠で懲らしめられ、
(印籠・・・・何の権限をもって相手をひれ伏させているのか。朱印状ならわかるけど)
「余の顔を忘れたか」と面会したこともありえない暴れん坊上様に旗本の誰かなどが、
成敗されております。
・・・・小さいことではありますが、こんなところでも「正しくない」姿がまかり通っているわけです。

幕末史はさらに深刻・・・かも(涙)。
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by aroe-happyq | 2007-03-19 18:55 | 幕臣系 | Comments(0)
おとといの屋根の上の「物干し台」のようなもの問題がひっかかっています(笑)。
あれはなんだろう。
やっぱり物干しなのか?

阿部伊勢守ではないけど、衆議にかけなくちゃ!?(笑)な課題です。

というわけで、手持ちのベアト写真集(2のほうにありました)から、
ちーーーーさい写真を拡大してとりこんで、画像をみやすいように加工して
お届けしてみました!


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みえますでしょうか~~~。

いちおこの写真で確認できた二ヶ所を○で囲ってみました。
(本当はこの写真の→方向に何件もみえたのですが、なにせちーさい写真しか載ってない
ために不鮮明で確認できずでした)
やっぱりポスター買ってくるべきだったのか?(爆)


建物自体が大きいので、この台は小さく感じますが、
実際には大人は二人ほどは座れるぐらいだと思います。
(ギターでも三味線でも弾けます・・・・・けどたぶん武家はこんなところで弾いちゃダメのはず(爆))

こんな台が各屋敷に、点々とあるのでございます。

みなさん、コレの存在理由&用途について、どう思いますか?(笑)

*追記(3月18日)
江戸の武家屋敷と火の見櫓と天水桶についてはここを(←こちらPDFファイルです)御参照くださいひ。
こちらを読んでいて、あ!天水桶!と思い出したのでした(笑)。

さらに追記(19日)
すいませんっ、昨日は遊んでおりました。
コメントで小夜さんにおっしゃっていただき、↑上記のファイルの情報も
鑑みますると、やはりあれは天水桶である!
と結論づけて差し支えあるまい!と思います。
・・・・・ということを昨日のうちにここに書き込もうとしたのですが、
遊んでましたっっ、すいません~~~。
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by aroe-happyq | 2007-03-17 09:56 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq