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東都アロエ

<   2007年 08月 ( 27 )   > この月の画像一覧

江戸ではないですが、国会図書館秘蔵写真を公開する明治大正写真のコーナーが
できたようです♪

サイトはこちら→国会図書館サイトへ


例えば「日本橋」と検索するだけで、さまざまな角度からの日本橋写真が楽しめたり、
解説もちょこっとついております☆
(向島と検索すると、墨堤の桜の頃の素敵な写真がありますヨ)

しかも近代デジタルライブラリーや貴重書画像データベースと連動していたりと
なかなかお仕事が細かいです。


こういうサイトがどんどん増えてくるようなので、うれすぃーかぎりです!
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by aroe-happyq | 2007-08-31 09:42 | 江戸東京あれこれ | Comments(3)

保命酒と阿部正弘

保命酒(ほうめいしゅ)というのは、何種類もの生薬(高麗人参や桂皮などなど)を酒に
漬け込んで作る江戸時代の薬酒です。

江戸前期からあったようですが、江戸での記録(日記など)で頻繁に登場するのは後期になってから。先日紹介しました『慊堂日暦』でも飲まれておりました。
さらにペリーへの饗応に始まり、『幕末外国関係文書』にみるかぎり、ロシア、オランダ、
イギリス・・・・とにかく日本側が接待するとき、または日本側が彼らに贈る品のなかに
かならず、保命酒が入っているのが、とんでもなく気になっておりました。
もちろん饗応された外国人に「ウマイ♪」とたいへん好評だったというのが大きいわけですが、
しかしこの強力なるPUSH効果は・・・・・?と疑念を抱いていたところ・・・。

保命酒って、阿部正弘さんのお膝元、
福山藩特産だったのでした。


老中筆頭のセールスならば、そりゃ、もう!!!(笑)
そしてちょっと調べたところ、マジで・・・阿部さんが老中になってから、
将軍献上品、禁裏献上品などなどめざましいブランド化が始まっており、
人生のなかでわずか数ヶ月しか滞在したことのない福山への阿部さんなりの愛と
商魂がみえて、たいへんほほえましく感じてしまいました。
おそらく大名の友人にも、保命酒といえば阿部伊勢、阿部伊勢といえば保命酒
といわれるぐらい、(宣伝のために)プレゼントしまくったかもしれません。
(ちなみに福山は清酒も美味しいらしいです。川路聖謨の『長崎日記』に赴任途中に
福山に寄ったら、美味しいお酒を贈られておりました)


なんとなく気になったので、新宿にある広島のアンテナショップに見にいったら、
保命酒がありまして!!!
お試しサイズがあったので、ついついゲットしてしまいました!


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十六味保命酒  300ml  700円也。


食前に御猪口1~2杯、ということで規定どおり(笑)に飲んでみました。

とっても甘いお酒でした☆冷やして飲むとさらに美味しい感じ!

そして薬酒だけあって、まずは高麗人参の香りがして・・・・ほかの生薬のかおりも
なかなか良い感じです。
(元気になりそうな香り、とでもいいましょうか♪)

効能を読むと、夏バテに効く、また冬は暖かくして飲むと血行促進によいみたいです。
お酒に附いてきた解説によると、頼山陽も愛飲していたよし(笑)。慊堂先生といい、
文人業界にも大人気だったようです(江戸後期には一般でもよく飲まれていたようですが)。

・・・・・というわけで、外国文書によく出てくる、保命酒を愉しんでみました☆
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by aroe-happyq | 2007-08-30 10:26 | 幕臣系(老中など) | Comments(2)

次々に消えてゆくもの 

今さらかもしれませんが、二つもさよならをしなくてはならない事を知りました。

ひとつは神保町すずらん通りの地方・小出版流通センターの直営店の書肆アクセスが、
この秋に閉店。

そしてもうひとつは、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」、2009年春で刊行終了。

書肆アクセスで「谷根千」を・・・・というのが神保町めぐりのパターンのひとつだった
ので、ちょっと、いや随分とショックです。

書肆アクセスにはかなり前に沖縄にどっぷりはまった頃、まだ今ほどブームではなかったので
沖縄で出版された本を手に入れるときにとても重宝して以来、現在でもたびたび利用させていただいております。
日本中の出版物が並んでいるありがたい書店デス。

「谷根千」はすさんだ東京砂漠にある、ひっそり存在するオアシスそのもの。
読んでいて、東京でもまだまだ生きていけるさ・・・・と希望をくれる雑誌でした。
(と語るわりには購読はしていなかったりして。・・・・好きな特集のときに買わせてもらってまふ)

どちらも閉店、廃刊の理由は売り上げ不振。

活字離れが深刻だということでしょうか?

・・・・・・・わたしは活字は年中一緒なもので、どうもその「離れ」の実感が湧きませんが、
確かに数年前とかわったのは、ネットで地方の出版社から直接買うなど、購入の形が
多様化したこと。わたしも知らず知らずのうちについ便利だから、小売店の販売不振に
手を貸してきたかもしれませんっっ。・・・・・反省しなくてはっっ(滝汗)。

しかし活字離れに関しては・・・・こちらのほうがヤバイですよねっ。
知識を本で得ないで、どこで得ようというのでしょうっっ。
ネットや携帯サイトじゃ、表面的な事の検索はできるけど、
事の真髄までは教えてくれませんから。
この「事の真髄」を探しもとめる冒険こそが読書の楽しみなのですけどネ。

最近、国のあり方も、人のあり方も、日本だけではなく、世界の多くの場所で、
「劣化」現象が進んでいると聞きますが、
本を読まない、という事ひとつをとっても「劣化」は進行していると実感せざるおえないです。

そして良心的なものは次々と消えてゆく。

困ったものです、どうしましょうね・・・・。
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by aroe-happyq | 2007-08-28 10:46 | | Comments(6)

本日、二本目の投稿もまたひこちゃん繋がり♪

いつの間にか、彦根はこんなことになっていたのです↓↓


彦根城下町検定公式テキストブック ひこにゃんと城下町を学ぶ本


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● 彦根商店街連盟広報部会 編
サンライズ出版 刊
判型:A5
定価1,050円(本体1,000円+税)


アマゾンでも買えるようです→こちら


ひこちゃんとなら、彦根城下町を学んでもいいかも☆(笑)
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by aroe-happyq | 2007-08-27 17:42 | ほんの世間話 | Comments(18)

土佐は、やまぴょん

ひこにゃん人気は驀進中のままですが、
土佐にもひこにゃんの仲間が登場したようです☆

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こちらは、うさぎのようですネ!



やまぴょんについて報じたニュース→サイトはちら


・・・・おそらくこれからも各地から続々とひこにゃんの仲間は増えていきそうなので、
とっても楽しみです♪
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by aroe-happyq | 2007-08-27 09:39 | ほんの世間話 | Comments(2)

先日紹介した慊堂日暦ですが、あれから更に前のあたりを読んでいて、
もっと岩之丞さんが日記に登場していたので、追加報告させてくださいませ。

天保11年 1月3日
  奥殿公子より書あり、答うるにその書法を以てす。


永井姓になる前の、奥殿藩時代の交遊記録です。
これはかなりレアです!
・・・・・しかも、公子なんですよね!この人!(爆)

この頃のこの人の記録を探すため、いままで安積祐助の門人記録など
思いつくままみてまいりましたが、ぜんぜんみあたらず。
それが、まったく思いもしないところでヒットしちゃいました。
・・・・・・偶然の産物であって、努力の成果ではなないあたりが、運命の皮肉を感じます(笑)。

奥殿藩に関して、天保11年11月29日の最後のところに、
 奥殿家老、罪在ありて黜(ちゅう)せらる。

家老がクビになった、というメモ書きがあったりします。
この頃には岩之丞は永井さんの養子になっていたので、
関係ない話ではありますが、あいかわらず、奥殿藩はモメていたよし。
(ってなんで、慊堂先生の日記に出てくるのでしょ)

天保12年正月22日
 永井岩之丞臨まる。


↑こちらはまったくの取りこぼしでしたっっ。

・・・・・・・・たぶん、これで慊堂日暦の5,6巻分についてはすべて拾いあげられたと
思います。
ちなみに、岩瀬氏ももとは設楽さん・・・・ということで、4巻以前についてもみてみようかと
思います。


・・・・それにしても今日はまた猛暑復活?らしいです。
涼しくなりましたら、史料紹介をちゅわんとやりたいと思いますので、
お茶を濁すことの多い最近ですが、もうしばらくお待ちくださいまし。
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by aroe-happyq | 2007-08-25 10:10 | 外国奉行ズ | Comments(0)

『季刊大林』シリーズといえば、「五稜郭」などで幕末ファンには有名だと思いますが、
今回は「造船所」。



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涼しげですよね♪(選択理由はそれかい!)

この「造船所」はもちろん、横須賀造船所のことです。

全部で62Pと頁は多くがありませんが、カラーたっぷり、想像図もたくさん、
そして写真も多くて、造船所を知りたい人には美味しい一冊。
もちろん、造船所の立役者こと小栗上野介はしっかりと、
鈴木博之氏による「新・開国始末 小栗上野介の意味」にて紹介されております。

そして大林組チームの施設構造の考察なども、同じシリーズにある「出島」
のときよりも、ずっと熱のはいった検証がされております。


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明治初期の稼動中の第一ドッグです。
蒸気帆船がドッグに入っておりますが、なんとものどかな風情です(笑)。


なかなか好企画の多い、この季刊誌。
今はもう休刊(というか廃刊)ということですが、無料配布ではなく、
販売していけばいいのにっっ・・・とこの雑誌をあらためて惜しみます。

現在ではまだ準備中らしいのですが、大林のサイトでバックナンバーの
販売を行うらしいです→サイトはこちら

近い将来、こちらで購入できるといいな♪


*追記(8月28日)*

サイトに表示されていた電話番号に問い合わせたところ、
1冊1000円にてバックナンバーの販売を常時受け付けているそうです。
ただしネットからの申し込みではない場合、
振込み用紙をはじめに編集部のほうより送付してもらう形となります。
購入希望者は、メールもしくは電話にて送付先と購入刊のナンバーなどを
連絡しましょう☆
わたしはメールで「函館」を申し込みました♪
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by aroe-happyq | 2007-08-24 10:49 | | Comments(2)

昨日の川路関連のちょっと続きです。

蕃社の獄(天保10年)前後を調べていて、
川路側・・・つまり洋学グループの本を読んでいると、
彼らを弾圧した鳥居耀蔵のことはクソミソに書かれておりますが、
たしかに極端な性格には問題があるけれど、彼にも別の面があるはずだ、と
考えて、数少ない鳥居のお友達、天保の大儒こと松崎慊堂の日記をみてみたのでした。

松崎慊堂の日記は平凡社東洋文庫から『慊堂日暦』1~6として出されているので
手に取りやすいです♪
今回は天保10年前後ということで、5,6巻をぱらぱらとみてみました。

松崎慊堂は当時の比類なき大儒なのですが、情にあつく、社交的で、
酒も飲み倒すタイプなので、さまざまな人が彼の家を出入りしております。
本当は1巻から通読したいような、なんともほんわかな世界なのですが、
それを我慢して(笑)、彼の晩年(天保15年に73歳で亡くなっております)にしぼって
リサーチしたところ・・・・・・・・・・・。

やはり、鳥居さんと仲がいい!(笑)。
鳥居も忙しいなか、ちょくちょく遊びにきているし、

天保10年正月9日
  晴。詰朝に起き、束髪して品川の釜屋に赴き、監察鳥居君を待つ。
  また亭午に始めて至る。人を退けて事を言い、刻を移して別れ去る。


このように鳥居が出張ともなれば、松崎慊堂はわが子ぐらい年の離れた鳥居のため、
品川まで見送りにいっているのでした。
(この出張での、洋学派VS保守派の測量対決(正確さを競った)で、保守派が惨敗
したことが、蕃社の獄・・・・洋学派への弾圧のきっかけなのですが)

そして蕃社の獄について、先生は・・・・
「鳥居は、彼の悪賢い部下の小笠原に騙されているのだ」(意訳)
・・・・・現実には目付の鳥居のほうが、配下の小笠原に老中水野の名を勝手に
つかって命じて、渡辺崋山たちの罪状をでっちあげたのですが・・・・・・・・
松崎慊堂先生は一環して、鳥居耀蔵を擁護。

・・・・・・・でもその一方で、渡辺崋山とも親しかったため、崋山を救うべく
老中に上申書を書き、各方面に懸命に働きかけているのでした。
どうやら松崎慊堂せんせいは死ぬまで、鳥居のことを良いように誤解していたようで(笑)、
鳥居との付き合いはずっとずっと続くのでした。

・・・・・・・・・とこうしてみてみると、鳥居さんも松崎慊堂の前では
耀甲斐(ようかい)として江戸の人々に忌み嫌われた部分はまったく出さず、
若い頃から親しんでいる先生に、意外にも素直な一面を出しているように思われます。
幽閉されてから、鳥居は漢方の知識を生かして、ひそかに尋ねてくる患者を
治療していたそうですが、単に趣味でやっていたとの話もありますけど、
これも彼の意外にも(笑)優しい一面ではないかと思われます。

今回、高徳の人・松崎慊堂に大切にされている事実だけで、
わたしのなかでは鳥居のポイントはちょっとUPしました(笑)。
(実は慊堂先生のファンなのです☆)

・・・・・・さて。日記を読んでいたら、思わぬ人物が先生ん家にやってくるのです。

天保12年 4月5日
  永井君・竹中君もまた至る。


・・・・・・・ん?まさか・・・。はははは・・・・・。
(でもミスター永井は前年の天保11年に永井家に婿に入っている・・・)


天保13年9月7日
  新晴。永井君岩丞来りて云う、その父は駿府町奉行に任ぜられると。


・・・・・確定してしまいますた。あの永井です。こんなところにも出没してきました。
父とは永井能登守のことで、たしかに駿府奉行になりました(爆)。


鳥居のお友達なら、当然・・・・その甥の岩瀬修理とか、堀省之助とか、
そちらの名前と出会えると思っていたのですが、なぜか永井でした。

若い頃から、交友関係広いなぁ・・永井くん・・・(しみじみ)。

天保14年2月12日
  永井岩之丞(干饂飩)


ほかの人も贈り物を携えてやってきておりますが、菓子とか魚という
贈り物が多い中、干饂飩という地味な選択が永井らしいかもしれません。

同じく、14年10月6日
  手呵して永井君・熊谷大夫・石門に与うる三書を作り、魯甫をして
  これを致さしむ。


そうとうに体調が悪いのに、先生は永井君に書を送ったらしいです。

・・・・先生(70歳以上)と永井(当時、26歳前後)って雰囲気的に
ちょっと似ているところがありますが、
とくに漢詩という共通の趣味ははずせないところでしょう。


思わず、意外な人の名前が登場して、びっくりしますた・・・・。
(鳥居の検証で読んだだけなのにっっ)

でもなぜだか、永井はこういう事が多い・・・・(爆笑)。
(岩瀬とかちっともないのに!)
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by aroe-happyq | 2007-08-22 10:41 | 広く幕末ネタ | Comments(6)

伊澤政義と川路聖謨

本日はちょっと前の時代のお話です。
とはいっても、幕末にはかわりありません☆
ちょっと、おっちゃんワールドなだけデス(笑)。

そもそもの調査の発端は、古賀謹一郎の下田日記(『幕末外国関係文書附録1』)
を読んでいて知った、川路聖謨と伊澤政義の大人気ないほどの不仲でした(笑)。

川路といえば、天保の頃には渡辺崋山や江川太郎左英衛門と親しく、尚歯会に
名を連ねていた洋学派のひとりで、水野忠邦の信頼も厚いはずなのに、
蕃社の獄のあおりで、中央政界から遠くへ飛ばされてしまった経歴を持つ人。
その後の活躍はすでにご存知のとおりかと思います。

もうひとりの伊澤のほうは、長崎奉行、浦賀奉行を経た海外通で、ペリーとの
交渉ではそのひょうきんぶりを発揮し、日米双方にやすらぎを与えた風流人です。
その後も下田奉行、大目付として、阿部政権の外交部門で活躍しました。

そして二人とも、阿部正弘にとっては大切な人材として、その発言も常に注目されていた
わけで、・・・・・・普通にみれば、同じく海外通で、仲が良さそうな二人なのですが・・・。

調査をして意外な過去が明らかになりました。
なんと、伊澤さんは、蕃社の獄の前後、鳥居耀蔵の一派として長崎奉行に派遣され、
高島秋帆を追い落とす役割をになっていたという過去があったのです。

しかも・・・その当時、伊澤さんは蘭学(洋学)が大嫌いだったよし(だから、鳥居派なんだけど)。
当時はアヘン戦争前夜という海外情報が重要な時期だったにもかかわらず、
洋学嫌いなので、出島嫌い(爆)で、海外情報も中国船のもたらす情報にしか耳を貸さず、
オランダ商館からの重要な知らせは無視、という徹底ぶりだったとか(爆)。
(長崎奉行がそれでいいのか、という大問題のような気がするのですが)

・・・・・・・こういう経緯をみれば、弾圧する側の伊澤と、される側の川路が、
仲がよいはずがありませんね!

しかーし。人は変るものなのです(笑)。
それも意外にあっけなく。
浦賀奉行になった伊澤氏は直接西洋人と話す機会もあって、
いろいろな誤解もとけたのか、次第に洋学の重要性に目覚め、
ついにはペリー交渉代表のひとりになるほど、変身したわけでした。

こんな変化も、まっすぐな男・川路さんには我慢できなかったのかもしれません。
それゆえ、下田で機密文書をわざと伊澤にみせないとか、
すごーく大人気ない仕返し(爆)をしていたのではないでしょうか☆

でも、結局は、
さまざまな経歴を持つ人材を、反目をおさえながら使いこなす阿部伊勢守の、
手腕のすごさを思わずにはいられなかったりします。
(やっぱり、最後はそこに行き着く(爆))

・・・・・同じアベでも、「お友達内閣」主催の、現代の「若手」内閣首座のアベっちには、
とてもできる技ではありません。
(何度もいますが、阿部伊勢さんは若手も若手、30歳台です♪)
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by aroe-happyq | 2007-08-21 10:42 | 幕臣系 | Comments(2)

ほとんど村垣シリーズと化してる、『幕末外国関係文書 附録』1~7ですが、
その7巻目には私的な日記が附録の附録として納められております。
ひとつめが、安政元年の堀織部と行った蝦夷地検分の旅の日記で、
ふたつめが、安政三年に箱館奉行として、蝦夷へ赴任したときの日記、
ラストは安政6年から長きにわたって、散文的に綴られた和歌の多い、メモのような日記。

今回はそのなかの、最初の日記「道の枝折」について紹介をしたいと思います。

この蝦夷検分については、『幕末外国関係文書 附録之2』に公務日記が収録されて
いるので、こちらの日記はまさに自分用日記・・・のようです。

どんだけ私的かというと、冒頭から、

嘉永七年の春、堀利煕とともに蝦夷巡撫之命を蒙り、
弥生末の七日、東の空を立出るに、利煕ハ一日後れておなしく旅立ける


上司を呼び捨てです!(笑)


公務日記では「織部」と書いていたのに、この私的日記では
「利煕」「利煕ぬし」「利煕朝臣」でずっと通していくのでした。
(たまーに織部と書くこともある)

道中の記録は、ほぼ和歌で埋め尽くされ、村垣さんが漢詩ではなく和歌が
好きだったことがわかります☆

そして地図もたくさん描かれておりまして、公務日記と一緒に読むと、
ひじょうに好い感じです。
けっこうハードな旅路だったはずですが、この私的日記をみると、
その場その場で旅を楽しんでいる一行の様子もわかり、心がなごみます。
江戸時代の彼らって、公用出張旅であっても、月を愛で、草木を眺めてと、
絶対に日々を楽しむ努力を怠らないたいへんポジティブな人々ばかりで
好感がもてます。
(出張費が全額役所持ちでなく、自腹部分が多いので、その気持ちもわからなくもない)

さて。
いろいろな本で参考にされたり、載っている有名な箇所、
堀織部が月夜に笛を吹く・・・・・という記録もこちらにありました。

水無月中の九日、初更頃しらぬしの天女の祠に、
利てるぬし笛を奏しけるまま、
おのれのつらなりて聞に、波の音も響あひて、心もすミ渡り、
かかる旅路にハ所からといひ思ひもよらぬわさなれハ、
 珍らしと神や聞らん知ぬしの波々ならぬ笛のしらへを
 おのつから青海原の波返ししらへにかよふ笛竹のこえ


しらぬしの天女の祠の前で、堀織部が自慢の笛を披露した。
波の音と笛の音があわさって、思わず聞き惚れ、心も澄み渡ったらしいです(笑)。

読んでいて、風雅な場面が目に浮ぶ素敵な一文&和歌です。
・・・・・・・・・が!
ここに堀ファンとして見逃せない箇所があるのです!

利てるぬし

・・・もももも、もしかして、利煕さんて、「りき」でもなく、「としひろ」でもなく、
「としてる」さんって読むのでしょうか!??????

お庭番家系に育ち、記録の正確さには定評のある村垣さんが書いているのですから、
こんなところでミスはないはず・・・。

ということはやはり、堀利煕さんは「ほりとしてる」さん????

・・・・・・よかったですよね、江戸時代に年金がなくて・・・・。
間違いなくこの人、社保庁で違う読み方の登録されちゃいます(汗)。
(突然未納とかいわれたら、織部さん・・・激怒じゃすまなさそう)

という事はさておき。
これで村垣さんの記録が二種類、ほかには玉虫さんの日記があって、
どうやら平山謙次郎の記録もあるらしい・・・・・・ことも加えると、
この蝦夷検分旅はかなり正確に追跡調査ができるようですね。
(でもそういう検証本をまだ見たことはない(笑))
若き榎本釜次郎さんも同行しているこの蝦夷の旅、いかがでしょう、
どなたか、北海道の地名に詳しい方で、検証研究してくださいませんか☆(他力本願)
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by aroe-happyq | 2007-08-19 10:41 | 箱館または釜さん | Comments(6)