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東都アロエ

<   2007年 10月 ( 21 )   > この月の画像一覧

『外国新聞に見る日本』(国際ニュース事典出版委員会・毎日コミュニケーションズ編 )
というシリーズがあります。
江戸中期から近代までの欧米新聞に登場する日本の記事を翻訳編と原文編に
まとめた、たいへん便利なものです。
監修が宮地正人さんなので、安心して読めます。
ただ図書館でコピーするのに大型本なのでなかなかたいへんだったりするのですが、
今回紹介するのはその本の1巻目、1858年11月18日付NYタイムズに掲載の記事です。

この記事はまさに、井伊大老もびっくり、の井上&岩瀬外国奉行による
勅許も得ないうちに、修好通商条約にサインしてしまった、その日についてのレポです。
その日とは安政5年6月19日(グレゴリオ暦1では858年7月29日)のこと。
といっても、この後、あんなことやこんな事態になるなんて、まったく思ってもいない、
実にのんびりとした記事でして、めでたい♪ムード満点なあたりが泣けます。

たいへん長い文章なので、
ここではあくまでも外国奉行と海軍なんかに関する部分について(笑)のみ紹介します。



1858年11月18日
ニューヨーク・タイムズ

日本
ハリスが結んだ条約の内容ほか
フィラデルフィア・レジャーへの通信
アメリカ艦ポーハタン号
下田 1858年 8月3日


編集長殿、駐日アメリカ総領事タウンゼント・ハリス氏はたった今、
とても重要な条約を結んだところである。


という書き出しにはじまるのですが、下田から神奈川沖(調印場所)までのポーハタン号の
小さな旅について語られるのでそこは割愛。ただ、

神奈川から数マイルの地点でわれわれの船は泥にはまって抜けられなくなって
しまった。が、幸い満潮になりかけていたので、後進して無事抜け出した


ポーハタン危うし、といあたりの苦労があったことはとくに紹介しつつ・・・。

29日の朝、目を覚ましてみると、夜の間に
「江戸から日本の汽船が」到着しており、今にも2人の守(諸侯)が
乗船してくるかもしれないので、直ちに制服に着替えるようにと言われた。
が、幸い、2人の守とも午前9時30分まで訪問を延ばしてくれたので、
2人を迎え入れる準備に十分時間をとることができた次第である。


2人の守というのが、井上信濃守と岩瀬肥後守のこと。
あとでわかることですが、今回彼らを乗せてきたのは、軍艦「観光」です☆

ここでレポは日本の蒸気船について触れている。

4年前、ペリー提督は、機関車の汽笛だけで単純な日本人を驚かすことが
できたのに、今や、日本人だけが乗った日本の蒸気船がほかのどの汽船にも
負けない感じで走っているのである。
条約の締結後、われわれの代表数人が日本の蒸気船に乗船してみたが、
その手入れの行き届いたさま、搭載武器、機関士らの知識に驚かされた。
斜桁先端には、白地に赤い太陽をあしらった国旗がはためいており、
私は今も、この艦が同じクラスのポルトガル軍艦を拿捕することができると
信じている。


このときの機関士にはもちろん長崎から帰府ほやほやの榎本釜次郎がおります(爆)
勝麟太郎さんは・・・・まだ長崎(笑)。

しかしポルトガル軍艦を拿捕だなんて・・・・・、褒め言葉としてはありがたいが、
ってそういう訓練を受けていない気がする(汗)。

まだまだ条約締結後の観光訪問記が続く・・・・・・
(話がすっとんだままですねっっ)

われわれは2人の守の歓迎を受け、艦内を案内され、
飾り気のない船室の中で、ケーキ、砂糖菓子、酒、茶、のもてなしを受けた。
そして艦を去るときには、日本の慣例に従い、「尊敬の印」として
贈り物をいただいたが、これは箱詰めのとてもおいしい砂糖漬けのフルーツだった。


どんなケーキなのか・・・・!?
いやそれより、
ケーキ、砂糖菓子、、茶
・・・・なんか、ひとつだけもてなしメニューに違和感があるのですが(笑)。
酒だけはどーしてもはずせないアイテムなのでしょうか???
(そんなに好きか!?・・・・・むむむ、好きそうだけど・・・・)

まだまだ訪問記は続く(っていつ、29日のレポの戻るのだ!?みたいな)

日本の蒸気船の名前は観光丸あるいは、フライング・シーホースで、
オランダからの贈り物である。
艦長は矢田堀景蔵で、なかなかの男前だ。
彼の士官たちと同様、国家的信頼を示す印として、彼は帝国の紋章を
つけることを認められていた。彼は答礼の訪問をしてくれたので、
私は彼にコルトのリボルバー銃を贈呈しようとした。
彼は非常に感激したが、提督あるいは総領事からの贈り物でなければ
銃を受け取ることができないというので、提督が代わって名目上の贈り主と
なってくれた。


矢田堀艦長は男前、なんですね(爆)。
そして素敵な贈り物をいただいちゃいました。

さて、ようやく29日に話が戻るのですが、それはまた次回!
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by aroe-happyq | 2007-10-31 11:39 | 外国奉行ズ | Comments(11)

迷子の警察音楽隊


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各国の映画賞を受賞しているこの映画。
カンヌ映画祭で注目されている頃から、ちょっと注目しておりました。

エジプトの警察音楽隊がイスラエルに公演にきたら、
迎えが来ない! しょうがないので自力で公演場所に行こうとおもったら
道に迷ってしまった・・・・・というストーリー。
エジプトにイスラエルということで、いろいろ深く観る事もできそうですが、
楽しく観る事もできそうな、そんな映画な予感がしました。

今年の東京国際映画祭にもコンペに参加していたので、
みるつもりでしたが、上映スケジュールがあわなくて断念したのですが。

東京国際映画祭サクラグランプリを受賞したそうで!(喜)
(いつのまにか、「サクラ」ってついてたのね(笑))


このことで、日本での単館ロードショーの劇場数が増えることを祈ります☆


公式サイトは→こちら


日本での公開は12月から順次公開予定だそうです♪

映画祭で見逃したので、公開ではきっとみるぞー(笑)
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by aroe-happyq | 2007-10-29 10:10 | 香港&アジア映画 | Comments(0)

上野寛永寺将軍家の葬儀

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上野寛永寺将軍家の葬儀
浦井正明 著
吉川弘文館 歴史文化ライブラリー 243


アマゾンは→こちら







上野で「大徳川展」をみてきた自分にとっては、
まさにタイムリーな一冊でした!
(できることなら、行く前に読みたかった・・・・)

上野公園について、彰義隊の墓のことや、西郷どんの像について、
とても興味深いお話から始まって、寛永寺の成立について、
どのように徳川家の聖地として整備していったのか、
また家綱・綱吉時代の葬儀をもとに、寛永寺でどのように行われたかを、
将軍家の儀礼祭祀などに触れながらいろいろと解説しております。
6代家宣ファンとしては、「徳川実紀」を読んでいて、
5代綱吉の葬儀にほぼ関わらなかったことが気になっていたわけです。
綱吉叔父さんとは5代将軍のときも争った仲だし、その後も、
呪詛してくるような叔父さんだから、やっぱり家宣的にも叔父さん嫌い?みたいな。
そうしたら、新しい将軍は「死の穢れ」から回避するため、先代の葬儀に
一切関わってはいけないというきまりだったらしく、長年の心配もやっと解消(笑)。

さらに前々から、どうして彰義隊の遺体がずうっと放置されていたのか、
寛永寺の坊さんはシカトしていたのか?と思っていたら、
その当時寛永寺の僧侶から小者にいたるまで、
全員が上野の山から追放になっていたとか。
(それじゃ弔うのは無理ですね)

そして明治に入って、徳川の聖地である上野を改造して消してしまおうとする新政府に、
東京府が抵抗していたとか(知事に大久保一翁さんなんかもおられましたから当然)、
西郷どんの像の設置は賊軍だから・・・と、一度、申請が却下されていたとか(笑)、
いろいろ・・・・あったのですね、ここも。

著者が寛永寺の人だというのも、この本の魅力かもです。
「日光文庫」などの史料も使っていて、
そのなかで幕末期に将軍家でも立ち入ることが憚られる奥社宝塔へ
わがままをいって、こっそり入った・・・・田安・一橋中納言の記録を披露している。
若さゆえとはいえ、なんてバチあたり!?(爆)
(その一人は上野東照宮で、まさかの祭神ですっっ)
いやいや、なかなか面白い本でした☆


・・・・・・家宣さんとか、どちらかというと増上寺派なわたしとしては(笑)、
こういうかたちの本で、増上寺の本も読みたいものです。
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by aroe-happyq | 2007-10-28 10:49 | | Comments(0)

ちょっと間が空いてしまいました。

川路さんについては、前回のラストでかっこいい〆で終わった・・・・・らよかったのですが、
実はまだあったりして(笑)。

このときの交渉内容について、ゴンチャロフがあまり触れていないのでここでも
書きませんでしたが、詳しくは和田春樹著『開国ー日露国境交渉』(NHKブックス)などを
読んでみてください。
条約締結についてはかわし続けましたが、国境については決着はしていませんが(なにせ
明治にもつれこんで、榎本さんがロシアで決着したぐらい先の話です)、かなりやりとり
しておりました。事実上の全権だった川路さんは連日の交渉で疲れたようです。
 会談最後の夜、ロシア船のなかでしめやかな送別会がありました。

私達は少しづつ加減して飲んでいたが、
彼らはいい気になってその都度杯を全部乾していた。


彼らとは、もちろん川路&筒井たちです。


食事の中頃になって川路が少し興奮して来た。老人は何ともなかった。
シャンパンを出した。栓が飛んで、酒が迸(ほとばし)り出すと、彼らは眼を大きく見張った。
榮之助(通訳です)は先輩振って、この酒の性質を説明した。
「我々の事業が順調に進みますように!」
と提督(プチャーチン)は乾杯の辞を述べられた。川路はシャンパンを乾杯し、
果実酒を三杯ばかり飲んで、額に机をつけた。


・・・・なんと、川路左衛門尉、撃沈です(笑)。
酒豪の彼がこんなことになるなんて、よほど気疲れしていたのでしょう。
で、今回の交渉が終わったので、いささかハメを外しちゃったようです。
(ペリーとの交渉の送別会では、緊張の糸がきれた全権メンバーのなかには酔いにまかせ、
ペリーさんのほっぺにチュウをしてしまった(笑)人もいたほどでしたから・・・)

しかし川路さんの場合は、

しばらくそうしていて、眠気を醒ますように、酔を振り下して、急に訊ねた。
「提督並びに御一同にお別れの粗餐を差し上げたいのですが、
いつに致したらよろしいでしょう」


ちゃんと復活しました。こういうあたりが川路さんなのです。
しかもお仕事も忘れておりません。
このとき話に出た、日本側主催の送別会も後日しっかりと行われました。
今はなき、江戸食事文化究極の、「本膳料理」でのおもてなしで。
・・・・プチャーチンたちはかなり戸惑っていたようですが(爆)


以上、川路さんのカーテンコール的なエピソードで締めくくりたいところですが、
他のみなさんについても番外的に紹介いたします。

まずは川路の相棒、筒井爺にも触れたいと思います。

老人は初めから私達を魅了していたのだ。

ということで、最初から最後までゴンチャロフをはじめ、プチャーチンも、
筒井肥前守のことをいたく気に入っていたようです。

眼のふちや、口の廻りは光線のような皺にかこまれ、
眼にも、声にも、あらゆる点に老人らしい。
物の分った、愛想のよい好々爺ぶりが輝いていた。
これは長い生涯と、実際生活の苦労の賜物だ。
この老人をみたら、誰でも自分の祖父さんにしたくなるだろう。


しかしこの好々爺がただの好々爺ではなく、
ゴンチャロフの記録には書かれていないが、筒井いわく「去年、女の子が生まれまして」
ということで、彼が精力旺盛な好々爺だと判明するとプチャーチンたちは驚き、
祝福の乾杯をあげた、そうな(笑)。←古賀謹一郎の「西使日記」より
(なにせ、このときから4年たっても、槍奉行なんて爺さん旗本の名誉職になっても、
交易について長文の意見書を上申し続ける、大元気な筒井さんなのだ)

そんな元気な筒井でも、ロシア艦の戦闘警報演習の見学にいって、
あまりに大きい大砲の音や、人の声などを延々きかされて、

筒井老人は驚きのあまり気分を悪くした。
で、大急ぎで中止するように命じた。


20年も江戸町奉行として庶民に愛され、また長崎奉行だった時に鑑賞した
オランダ演劇の内容を紹介する本〈喎蘭演戯記〉を出版し、
江戸文人界に「命は短く藝は長し」という流行語をつくった風流な筒井さんには、
西洋の軍艦の荒々しい世界は似合わなかったのでした。

それにしても、中止してもらっちゃいました。
これ以外でもプチャーチンは船に乗り込む筒井に、手を差し伸べたりと、
最上級の敬意をみせている。愛されている、ということでしょう(笑)。


さて、さきほど名前の出た古賀謹一郎さん。
以前、紹介した方でして、開国論をふるくから唱えている学問所の儒学者さんです。
このときは文章作りの掛として、全権のお供にやってきておりました。
ちなみにゴンチャロフの記録では・・・・・・・・・・・

第三の全権は荒尾土佐守様、四人目は・・・・忘れた。あとで云おう。

そう、その四人目が古賀さんなのです。
しかも「あとで」も、すっかり「云」い忘れられてしまいました(涙)。

もっと適当な扱いをされているのが、長崎奉行水野筑後守。
わが初期外国奉行筆頭の水野さんも、このとき長崎におりました。が・・・・。

も一人の奉行水野筑後は悧巧そうな顔でもないのに、
怒ったような表情をしていた。


・・・・・・・・・これだけで終わり。珍しい水野さんの記録なのに・・・。



今回はゴンチャロフの記録のほうを紹介しましたが、川路本人の日記も、
『長崎日記・下田日記』平凡社・東洋文庫として手に取りやすい形になっております。
奥様について「江戸で一、二を争う美人なり」などやっぱりここにも奥様を自慢した
記録が出ていたり・・・日本側からのロシア全権についての観察が楽しめます。
あわせてお楽しみくださいませ☆
また、古賀謹一郎の「西使日記」は『幕末外国関係文書附録1』に収録されております。
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by aroe-happyq | 2007-10-27 11:18 | 幕臣系 | Comments(0)

東京国際映画祭、自分的にはもうラストの2本・・・・。
(本当はもっと見たい映画もあったのですが、上映時間がっっ)

今日はだらだら、あんまり実のないつぶやきをお送りします☆

最初の一本目の「Beauty うつくしいもの」は公開前なので、
ネタバレにならないように慎重に、かつ厳重注意のうえ、あらすじ等に触れませんでしたが、
今回はすでにアジアのあちこちで上映後のうえ、見ようと思えばDVDもある、
というわけで、少しツッコミもありで書きたいと思います。
(でもあらすじの重要な展開は書きません。そういうのは映画をみてのお楽しみです!)

まず、陳木勝(ベニー・チャン)監督作品「男兒本色」。

公式サイト(中国語)は→こちら

Youtubeにあった予告編→こちら(あんまり画像よくないデス)

キャストは、謝 霆鋒(ニコラス・ツェー)& 余文樂(ショーン・ユー)&房祖名(ジェイシー・チェン)の3人、そして敵役の呉京(ウー・ジン)などなど。

主人公3人のうち謝 霆鋒と余文樂はそれぞれ暴れん坊刑事で、
房祖名(ジャッキーチェンの息子さん。お父さんの手前、善良な役しか回ってこない?)は
警ら課所属のペーペー警察官。この3人が手段を選ばない凶悪な犯人グループと戦う
という、筋書きとしてはよくあるお話です。

近頃、こういう香港映画に必ずといっていいほど、悪い警察の上司が登場し、
主人公たちを追い詰めるのですが、今回もまた・・・・。
「インファナル・アフェア(無間道)」以来の現象????
昔は映画に登場するのは、清く正しい香港警察だったのですが。
それはともかく、
見終わった直後一緒にみた友人が「もうお腹がいっぱい」とつぶやくほど、
てんこもりの香港警察アクション映画でした。
とくに街中での爆発・・・・・・冒頭から何回ありましたっけ???というぐらい、
ドカーン、ダダーン・・・・ともうド迫力。
しかもこういうときに限って、席がほぼ最前列だったりする(爆笑)。

この監督さん、かつて「ジェネックス・コップ(特警新人類)」という作品では、
できたてほやほやの香港コンベンションセンターを映画のなかとはいえ、大爆発させた
「爆発好き♪」さんだから、今回も気合が入っちゃって、好きなだけ破壊してました(笑)。
最後のあたり、香港の中環(セントラル)警察署内で犯人グループと戦うことになってからは、
警察署のビルが崩壊するのじゃないかというぐらいの爆発がありました。
ガラス張りの部屋の多い香港警察署内(といっても実際にはどうなのか不明。あくまで
映画のなかでの警察署内はPCだらけで、ガラスで仕切られた部屋ばかり)で、
主人公コップたち3人が格闘するのでガラスが粉々。安全面からいっても
こういう格闘が起きないとも限らない警察署内は頑丈なコンクリ壁に戻すべきでしょう(笑)。

ちょっと映画としては長い気もしますが、
難しいことを考えないで映画をみたいときに最適のアクション映画でした。

ここからはただのミーハーな俳優評(笑)。
(香港映画はやっぱ、俳優さんでみる、という要素が大きいですから♪)

今回は、主人公の謝 霆鋒(ニコラス・ツェー)がとにかく最高でした!
「かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート (龍虎門)」でアクションがかなりしごかれたのか、
アイドルスターからアクションスターに変身?というぐらい、スタントなしでがんばってました。
ハンサムなのは当たり前の彼ですが(笑)、カミサンと子供のために頑張る!という
新婚パパの気合いのためか、前よりも演技も、たたずまいもずっとよくなってきて、
これからがますます楽しみな俳優さん(といってもスター俳優ですが)になりそうです。

余文樂(ショーン・ユー)も、ニコラスの再来とかいうフレーズでデビューはしたようですが、
今では独自の道を歩んで、若いのに渋さもあって、・・・あいかわらず地味だけど、
今回ちょっと久々にみて、成長しているなぁ・・・・と思っちゃいました(笑)。

アクションが巧みな、悪役の呉京さんがよかった。
友人いわく若松武史さん似(ホントに似ているけど)ですが(爆)、
ニヒルな微笑みがなかなか!またなにかの映画に出てくださいね☆

そして香港映画ならほぼ99.99・・・・%の確率で登場する、
香港映画俳優の林雪(ラム・シュー)さんもやっぱり登場しておりまして、
もう今年で何年目・・・・たぶん5年連続ぐらいで、毎年、東京映画祭のスクリーンで
この俳優さんと再会し続けております。
すごいときはみた香港映画4本に全部いた・・・・・こともある、林雪さん。
(勝手に「林雪映画祭り」とか命名しておりましたっけ)
来年も秋の東京の映画館で、再会したいものです!(めざせ連続記録更新)

最後に・・・写真のみで登場したアーロン・クォック(郭富城)。
この瞬間、最大級に場内爆笑の渦でありました。映画に出演していなくても、
写真だけでこれだけインパクトあるなんて、さすがです!!!



さて香港映画か???とちょっと疑問なお次の映画は、
1930年代の上海の黒社会を舞台にした「天堂口」。

Youtube予告編→こちら

今回はプロデューサーにジョン・ウー御大の名がどーんとあって、気合の一作?

キャストも張震(チャン・チェン)、舒淇(スー・チー)、呉彦祖(ダニエル・ウー)、
楊祐寧(トニー・ヤン)と台湾&香港スターキャストがメインで、
それに+劉燁(リウ・イエ)です。

いくつかの役名を忘れたので(爆)、キャスト名そのままで簡単なあらすじ(笑)。
物語は、上海近郊の村に暮らしていた劉燁と楊祐寧の兄弟と友人の呉彦祖の3人が
憧れの上海に飛び込無ところから始まります。彼らは車夫を経て、
キャバレー天堂(天国と字幕ではなってました)で働きはじめ、
やがて野心家で粗暴な兄貴(劉燁)に引き摺られるままに3人は黒社会へと身を
沈めていく。
キャバレーの社長は映画会社の社長ちう肩書きも持つ、マフィアのボス(演じるのは、孫紅雷)。部下の殺し屋の張震、キャバレーのスターに舒淇、という具合です。
企画段階で目指したのは「ワンス・アポン・ア・イン・アメリカ」の上海版???

表面的なストーリーは淀みなく進んでいきますが、
借金があるわけでもなく、あこがれでやってきた3人の純朴な青年たちが、
手を血に染める残虐なマフィア社会で生きる必然性、動機付けが甘くて、
物語の芯が空洞になっているためか、いまいち感情移入できない展開でとても残念!
セットも、衣装もとっても美しく、見事だったし、
美しいといえば、これほど舒淇さんを美しく妖艶にみせた映画もないぞ、というぐらい
素敵だったので、いろいろもったない映画でした。
(主題歌も彼女が歌っておりました♪)

男優さんでピカイチにカッコイイのは殺し屋役の張震!
彼の映画???というぐらい、かっこよかったです。ファンは必見です。
でも俳優陣でもっとも、演技として新鮮なものをみせてくれたのは、劉燁です。
「山の郵便配達」「藍宇(ランユー)」「画魂」などでずっと純粋な若者の役が多く、
中国ドラマ「拿什麼拯救[イ尓]、我的愛人」でちょっと犯罪者を演じたのですが、
(地味ではありますが、けっこうファンです(爆))
やっぱり可哀相な青年で終わってしまいました。
本人もインタビューで「いままでと違う役を」と望んでいたので、今回の野心家で、
残酷な青年役はやっと来た!というところだったかもしれません。
(なにがびっくりって、呉彦祖の兄貴分の役ですし!)
なかなか見事な悪役っぷりで、楽しませていただきました。
悪役といえば、どうもヤクザな役ばかりの孫紅雷は・・・・・。
そろそろふつーのお父さんの役とか、善良な皇帝(笑)役とかみてみたいです。

「僕の恋、彼の秘密17歳的天空)」での演技が好きだった楊祐寧は・・・・・。
太った??? かなり太っちゃった????
最初、「誰このイモにーちゃん」って思って気がつかなかったほど・・・(笑)。
軽く、ショックですた・・・・・・・・・・・・。

とはいえ、こちらもあまり深く考えないでみるには最適の映画かもしれません。
(今回みた2本はいずれも娯楽作品♪ですから)

しかし香港映画祭ということで、上映の前にずっと香港のPRCMが流れるのです・・。
嗚呼、香港行きたい・・・・・・・・・・・・・・・・。
この映画祭の一番の感想はそれかも、です(笑)。

【追記:10月27日】
今回紹介映画の2本とも、日本の配給会社がきまったとのこと。
いずれ日本語字幕にて、スクリーンまたはDVDにて鑑賞できるようですので、
もしも興味がありましたら、ぜひぜひ観てやってくださいまし。
(たぶん、公開は・・・・・・来年?)
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by aroe-happyq | 2007-10-26 12:00 | 香港&アジア映画 | Comments(5)

今回はゴンチャロフの川路評です。

川路を私達は皆好いていた。
筒井老人とは別で、意味も違うが、老人以上ではなくとも、
少くとも同程度に好きであった。


実は最初にロシア交渉団のハートを鷲掴みにしたのは、筒井肥前守でした(爆)。
それはもう、問答無用にキュートなおじーちゃんだったからです。
(その実、かなりの切れ者なんですけど、このときはその姿は消しております)
でもロシアのみなさんは次第に川路にも親愛の情をよせるようになったようです。

川路は非常に聡明であった。
彼は私達自身を反駁する巧妙な論法をもって、その知力を示すのであったが、
それでもこの人を尊敬しない訳にはいかなかった。
その一語一語が、眼差の一つ一つが、そして身振りまでが、
すべて常識と、ウィットと、烱敏と、練達を示していた。


すごいです。褒めちぎりです。
そしてやはりウィットも、なんですね。

さて次は、人間行動学【川路さんの場合】的観察が始まります。
こういう細かい描写、西洋人には勝てません~~~。

私の気に入ったのは、川路に話しかけると、立派な扇子をついて、
じっと見つめて聴く態度である。
話の中程まで彼は口を半ば開いて、少し物思しげな眼付になるーこれは
注意を集中した証拠である。額に浮んだ微かな皺の動きには、
彼の頭の中に一つ一つの概念が集って、聞いている話の全体の意味がまとまって
いく過程がはっきりと現われた。話の半ばをすぎて、その大意を掴んでからは、
口を固く閉じ、額の皺は消え、顔全体晴々となる。
彼はもう何と答えたらよいかを知っているのだ。
もし反意の質問で、言葉に述べたのと別の意味がかくれていると、
川路は思わず微笑を浮かべるのであった。


・・・・・こ、こまかいですねー。でもとてもリアルに川路さんの様子を
思い浮かべることができてかなり貴重な観察記録(笑)です。
まだ続きます。

川路が自分で話し始めると、一切をそれに没入して、
いつまでも話し、その時の彼の両眼は理智に輝いていた。
老人(筒井のこと)が話す時には、川路は他所ごとのように、
眼を伏せて老人の方を見ないようにしているが、
額の皺の活発な動きと、瞼や睫のびりびりと慄うところを見ると、
彼が私達の話以上に老人の話を謹聴していることが判るのであった。


ゴンチャロフ・・・・細かいっっーー(汗)。

実際、全権主席は筒井になっておりますが、実質的には川路さんが
仕切っておりました。筒井さんがなぜ来たのかといえば、
かつて優れた長崎奉行だったこと、また阿部伊勢守の顧問だという・・・そのあたり
が理由かと思います。

では最後に川路さんの談判人としての真面目な発言をひとつ・・・。

なぜ日本は交易を引き伸ばしにするのか、についての質問に、

「交易は日本では未熟な、新規の事柄であって、何処で、何を、
如何に交易するかを考えねばならぬ。娘は成人すると嫁につかわすが」
と川路は付け加えた。「交易はまだ成人に達していないのです」


日本を女性に例えるのは川路だけではなく、みんなよく使う手ですが(笑)、
長崎でも川路が言ってたのですねー。でも穏やかな言葉のなかで
「せかすんじゃないよ」とピシャリとやっております(笑)。

このほかにも、

「いやこの話はこのまま笑ったままで打ち切りにしたほうがよいでしょう」
と川路は云い足して、貴族らしく、悠然と立上がった。


・・・・・どうも、「肥前守」とか「左衛門尉」とかついているので、
諸侯・・・貴族扱いですが、旗本って貴族でもありそうだけど、
(いや貴族なのですが、なんかイメージが湧かない(爆))
なんだかな・・・ま、些細なことはさておき(爆)。

やっぱりみんなが知っている川路も健在!
この毅然とした態度はやはりかっこいい。

というわけで、ソフトでハードな川路さんの記録でした☆

次回最終回は、そのほかのみなさんについての記録を紹介していきます。
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by aroe-happyq | 2007-10-24 10:59 | 幕臣系 | Comments(4)

いままで川路左衛門尉聖謨さんについては、
おかしな一家であること(本の紹介で)とか、
伊澤さんと仲がよくないとか
伝記ではかかれない姿をいくつか紹介してきました。
いよいよ今回で川路企画第三弾!です。

『江戸奇人伝』でプライベートでは相当愉快そうなおじさんと判明した川路さん、
一方で、ビジネスライフでは敵も多く、けっこうイジワルなおじさんという、
ONとOFFの使い分けの上手い人・・・・・・・とそこまでは判明したわけですが、
「岩瀬ぐらい愉快な人なのではないか?」という疑問を解消してくれる史料が
なかなかない・・・・と思っていたところ、あっけなくわかりました。

実は暑い盛りに読んでました『ゴンチャロフ 日本渡航記』(岩波文庫)。
こちらは嘉永6年、ペリーのちょっと後にやってきたロシアのプチャーチンのそばに
いたゴンチャロフの長崎滞在記です。
ここに「談判人 川路聖謨」の姿が華麗に記録されておりました。
少なからず、川路さんの伝記本みたいなのを読んだのですが、
真面目な川路さんのイメージを崩したくないのか?この『渡航記』は
あまり史料としては使われていないような気がいたします。
(やはり、戊辰の年に壮絶な切腹&ピストル自殺・・・のイメージが強い?)
そんなわけで、この本ではすごく新鮮な聖謨さんと出会えました。

プチャーチンとの交渉は長崎で嘉永6年末から7年の冬に行われました。
日本側談判人は、全権主席大目付格筒井肥前守、次席勘定奉行川路左衛門尉聖謨の
老練なおじーちゃんとおじさんコンビであります。

彼らが柳営から与えられた使命は「とにかく交渉引き延ばし!」でした。
ペリーとの和親条約についても決まっていなかったので、ロシアとの交渉を先におこなう
わけにはいかないわけです(将軍が代かわりしたばかりで、いろいろいっぺんにはできないの(笑))。
そんな難しい談判、この2人以外でやれる人、いません♪

さて、解説はそのぐらいで・・・・もう始めてもいいですか??(笑)

当たり前のことですが、プチャーチンと川路&筒井・・・・会った当初は互いに
打ち解けておりませんでした。しかし、日本側が食事に招待し、さらにプチャーチンが
軍艦に二人(ホントは通訳も、奉行も、付いてきているようですがあまり記録には
登場しません)を招待したあたりから、・・・・・はじまります。
まず、「どうやら何かを待っているらしかった
・・・・・川路と筒井は出されたものを平らげながら、なにかを待っていた。
彼らは滅多に食えない肉を待っているらしかった
ゴンチャロフは日本人は肉を食べないと聞いていたのですんごく驚いた・・・(爆)
そして、羊肉(艦隊は牛肉を切らしていた)とハムと、肉飯(ピラフ)を、
一皿平らげると彼は手づから給仕に皿を渡した
とお代りしながら、がっつりと平らげる、筒井&川路であった。
・・・・・ちなみに筒井このとき76歳、川路は54歳であります。胃がもたれないのか?

クリーム・ケーキのような軟らかな生菓子にビスケットをつけたものが出た。
川路は食べて見たが、きっと気に入ったのだろう、ポケットから紙を一枚取り出し
皿に残ったものを全部それにうつして、懐に蔵いこんだ。
「これを何処かの美人に持って行くのだと思ってもらっては
困ります」と彼はいった。「いや、家来共にとらせるのです」
これをきっかけに話は自然と女のことに移って行った。


やはり川路左衛門尉も!!!こんなに大人で洒落たやりとりのできる男でした。
ただのカタブツ扱いをしては川路さんに失礼ですね(笑)。
(わたしはとっくにしていないのでありますが・・・・)
この豊かな感性、そして家臣への優しさ。
これが本当の川路さんなのかもしれません。


そしてこんなのもあります。
すでに談判・・・・いえ会談ですかね、交渉というほどのものはしていないので・・・。
その会談も大詰めになったある日のこと。

或る時提督は(会談を)二日後に決められた。すると驚きたことには、
日本側ではもう少し早く、つまり翌日にしてくれと云い出した。
それは川路が江戸の細君のところへ帰りたがっていたためで、かれは交渉を急いでいた。
「身は此処に居るが、心は江戸へ行っている」と彼は度々云っていた。


交渉打ち切りの言い訳に、なーにーをー言い出しているのだか(爆笑)。
実のところ、ペリーとの交渉も始まるので「帰って来い」指令が出ていたのです。
それでまさかアメリカと交渉するので、はいサイナラ!とはいかないので、
嘘としてもいちばん罪になりにくい、「奥様」ネタで江戸へ帰ろうとしている川路たちです(笑)。

でもこの「心は江戸へ行っている」なんてことを繰り返し、プチャーチンに言っている
川路の顔をみてみたいものです。見事な名演技・・・・のような気がします。
(それをお隣ですました顔で助演している筒井おじーちゃんの顔も!)
ちなみに奥様は本当に美人です☆しかも賢い!

もっともこの美人の奥様に会いたがっていたというお話はわりと有名で、
いくつかの本でも書かれておりましたが、意外にも文字通りに「真に受けちゃった」本も
少なくないような気がいたします。
・・・・・まさか、本気で川路がこんな理由で帰りたいって・・思っちゃった??みたいな。
それは川路の言葉のわなにはまっている証拠デス☆
この人を誰だと思います???江戸の敏腕旗本ですよー。
こんなダサい話を「川路の本気」ととっては野暮でございます。
洒落は投げた人と受け取り手のあうんの呼吸が大事ですから、
プチャーチンたち異国人はともかく、同じ日本人としてはうまくキャッチしたいものです。


というわずか二つの部分をみただけでも、
川路聖謨、やはりあなたも立派な江戸文化にどっぷりの旗本でした♪
岩瀬に負けない、いやもしかしたらそれ以上のエスプリ男かもしれません。
(ちょっと今回読んでいて、岩瀬ファンとしては「あ、負けたかも」と思いました(爆))

でも、川路さんという強い味方をえて、岩瀬&川路などこうした彼らをみるにつけ、
「日本人は冗談が通じない」のではなく
「日本人は冗談が下手になった」といえるのではないでしょうか?

おそらく江戸で最盛期をむかえた日本の豊かな、
海外にも通じるジョーク文化はそれ以降、年々衰退し、
いまや滅びに瀕しているといっても過言ではないのかもしれません。
本当に・・・・哀しいことです。


次回は川路のしぐさを詳細に描写した部分についてレポします。


※今回は史料として岩波文庫『日本渡航記』を使用する際、旧漢字・かな使いなどは
  読みやすいようにさせていただきました。
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by aroe-happyq | 2007-10-23 10:33 | 幕臣系 | Comments(8)

本日2本目でございます☆

いよいよ東京国際映画祭鑑賞WEEKが始まりました。
とはいえ、3本しか観ない・・・・トホホなWEEKですけど(爆)、
厳選の1本目は日本映画・ある視点部門の「 Beauty  うつくしいもの」です。

※以下、ネタバレはゼロですので安心してご覧ください♪

うつくしきもの、としないで、うつくしいものという素朴なひらがなが気になって、
それもあって、ずっとチェックしていた映画でした。

映画祭のサイトでも公表しているところの言葉で、どういう映画かと
申しますと、長野県のとある村の村歌舞伎とその舞台に立った、二人の少年とひとりの
少女の、半生にわたる物語です。

昭和10年からはじまるので、さまざまなことが村では起きます。
そのなかで変わらないのは、村の風景。
これがまた・・・・・タイトルどおり、うつくしいのでした。

三人を演じるのは、片岡孝太郎、片岡愛之助、麻生久美子。

歌舞伎・・・・の本職のおふたりはさておき(笑)、
麻生さんの歌舞伎舞台の姿がとても素敵でした。
また、三人の子供時代を演じる子役さんたちがとんでもなく好くて、
まずはそこから話にのめりこんでしまうわけです(笑)。

あまり涙もろくないワタシですが、不覚にもやられました~~~~。

実は村歌舞伎というものに興味があったので行ったわけですが、
(なかなか映像でもみられるものじゃないし)
こんなにハンカチなしじゃ観られん映画だったとわ・・・・・。
たっくさん、ぽろぽろ泣かせていただきました。

映画の終わりには舞台挨拶、ティーチインなどもありまして、
主演の片岡孝太郎さんが
「歌舞伎俳優ゆえにかえって村歌舞伎を演じるのが難しかった」とおっしゃってましたが、
そのとおりだろう、と頷いてしまいました。

でも舞台挨拶の主役は子役の大空くんでした(爆)。
どこの劇団にも入っていない彼は突然の抜擢だったらしく、
いやいやなかなかの演技だし、それにユーモアセンスがピカイチでした♪
ぜひ素敵な俳優になってほしいものです。

最近、元気のある日本映画ですが、
こういう素朴で、せつなくて、うつくしい作品も大切にしていきたいものです。

公開は・・・・・いつなのかわかりませんが(だから必死に映画祭チケットをゲットしたわけ
ですが)・・・・わかりましたら、お知らせしたいと思います☆


さて・・・・映画祭第2弾はあさってだ!!!(爆)
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by aroe-happyq | 2007-10-22 23:09 | ほんの世間話 | Comments(7)

大徳川展と上野の山

ようやくいってまいりました。
上野の国立博物館で開催中の「大徳川展」。

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国立博物館といえば地獄の混雑が名物の「国宝展」の悪夢があるので、
恐る恐る行ったりして・・・・・。
会場となっている平成館の外が落ち着いているのでホッとしたのもつかの間・・・・。
やっぱり混んでましたっっーーー。
「国宝展」に比べたら・・・・たいしたことはないかもですが、
江戸東京博物館のお正月にやってた「江戸城展」なみには混雑しておりました。

展示をみてしみじみ感じたのは、家康の時代の質素な身なり・・・・。
鎧や旗などはお金かけておりますが、ふつうに着る着物は実に地味。
家康さんの神格化、つまり「神君家康公」キャンペーンにお金をつぎ込んでいたので
身なりは倹約???初代~3代ぐらいまでの時代の、元和偃武まで・・つまりは、
徳川家の天下を安定させるという苦労が偲ばれます。

衝撃だったのは、家康の持ち物に「エンピツ」があったこと・・・・。
今のように木で鉛を包むという形ではありませんが、エンピツでした!
幕末に外国奉行ズが外国人からもらって、喜んで使っていた「新しいモノ」のはずが
すでに家康公は使っていた・・・・(爆)。さすがです!!!
(永井さんなんて、これは便利だと、京都時代には従者にも持たせて重宝がってました)

あまたの美しい調度がこれでもか、と展示されていたなかでエンピツの次に衝撃
だったのが、慶喜の将軍辞職書。
ちっちゃーい、ぺらぺらの紙に、タイトルもなしに用件だけが短くかかれていて、
たくさんの書類に紛れ込んだら絶対に目立たないぞという、
こんなメモ書きみたいなもので、天下が大騒ぎか・・・・・・と妙に感動しました。
「大政奉還書」もありましたが写しのほうでしたので、永井筆ではなかった・・・・。
慶喜が大切に保管していたという、孝明天皇の直筆の手紙もありました。
ちょっと書き出しがナナメに始まっていて、可愛いです。
そして水戸家への密勅も展示されておりました。
もういいよ、というぐらいハンコの押してある紙に「攘夷しろー!」って・・・・。
このあたりは可愛くなくて、正直、くどくて、うざいですね(爆)。
(これが元で、なんでか岩瀬たちも・・・・果てはほとんど無関係な吉田松陰までが・・・・)
けっこう幕末の書類が展示されていて、楽しかったです。
(でも阿部っちのではなく、堀田老中のものが多くて哀しい。阿部老中のものは福山に
いかないと、ですね(涙))
番外ですが、・・・・・国宝の源氏物語絵巻の展示はすごく得した気分で嬉しかったです。
なにせ国宝展なんて・・・人の頭しか観てこなかったもんですから(笑)、源氏絵巻なんて
見えた記憶がないっす。今回はじっくりみることができました☆

調度品関係で「いとをかし」だったのは、和宮さんの机。
小学生低学年の子にぴったり?ぐらいの小ささなんです。
和宮さんってコンパクトサイズ???それともこの机はただのお飾り????
とにかくびっくりでした。

ところで行く前にはすごく楽しみだった家宣さん関係のものは・・・・・・ゼロでした。
どうも所蔵されている先が今回の出典者とは違うらしい。
今回は将軍家では家康が多く、あとは肖像画でも秀忠、家光、綱吉、吉宗、家斉、慶喜とか
けっこう限定です。御三家ですと水戸の光圀さん、斉昭さんが多い。
なので家宣ファン的には「なんだとーー」ですが(爆)、地味だし、いつも5代と8代の間は
のけものですから、こういう待遇には、はははは・・・な、慣れっこでさぁ(涙)。


さて、ここからはまったくの蛇足???
いえいえ、国立博物館にきたら、
本館、東洋館、宝物館・・・・みんな回らないともったいない!

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まずは本館。大好きな建物です♪
ちなみに平成館の混雑が嘘のように静かで空いておりました。
「徳川展」のお客さんは直帰される方が多いようで・・・。
(もしかして図録がとんでもなく重いから?? そう・・・重いんです。
お値段も3千円しますから、重いわけです)

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「江戸城」展のときなんて・・・関連展示の家茂展がめちゃよかったので、
今回もなにかあるのではないか、と探すと一番上に寛永の三筆、
そして一番下には「江戸をみるー徳川将軍家と江戸城」!!やはり、あった♪
だが16展示室までの道は長かった・・・・。
とはいえ、たくさんの仏像、陶器を観られて楽しい旅ですが。

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2階もいったりして。本館のお客さん、日本人率かなり低いです。
みなさん外国からの観光客さんでした。

さていつの間にか、この博物館もフラッシュなしの撮影がOKになっておりました。
(「大徳川展」なんて・・・そんな余裕はないのだが)

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ここからは「江戸をみるー徳川将軍家と江戸城」。

↑大奥の畳の模様の見本帳。・・・・なんてきらびやかな!

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↑将軍が大名家に遊びにいく「御成」の献立。
香の物、蒲鉾子・・・・・・と、本膳(ほかにも2、3膳と続く)のメニュー。
当時としてはご馳走だったのでしょう。

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↑太田道灌時代の江戸です。
赤い●をつけさせていただきましたが、そこが江戸城です。
太田道灌の江戸城もなかなかの名城だったとか。
いえ、それより、「浅草」とか「比比谷」とか、ぽつんぽつんと浮ぶ小島のような
場所なんですよねっっ。今の東京駅は・・・海・・・・・・・・・・・。
東京は地盤が弱いわけです・・・。
(よくもここまで埋め立てました。ベニスぐらいすごい!?)

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実は本館のあと、東洋館、宝物館・・・・・まわってきてその帰り。
ここの博物館にきたら、こちらの池田さんちの門をみなくては。

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気がついたら数時間が経過して、足を休ませようと空を眺めてみました。
思えばこのごろ、空をみていなかった・・・・・。

さて、博物館のあとはあの黒い森のほうへいかなくてはなりません。
なにせ、「大徳川展」ですから!

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そもそもここのお山の上はぜーんぶ、寛永寺・・・・・・・・。
今はただ、ひっそりと根本中堂跡の看板がたっております。

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「大徳川展では家康公の御神体まで展示されておりましたので、
こちらにご挨拶しなくては筋が通りません。

上野東照宮です!


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↑驚いたことに、こちらの祭神って、
徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜

ええーーー??
さ、最後の人もーーーーーー???神様なのか!それでいいのか?(笑)


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ちょっとみえにくいかもですが、雨あられと「葵」だらけなんです(笑)。
五重塔も撮影したのですが、木に隠れてあんまりよくないので割愛します。

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ちゃんと参拝のやり方がかかれていたので、そのとおりにやってきました。
・・・・でも、お隣が動物園なもんで、猛獣さんの鳴き声のなかで参拝(笑)。

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はははっ。ついつい、上野東照宮名物の印籠お守り、ゲットしちゃいました。
こちら、ほかのお守りも厄除けか交通安全がメインのようで、この印籠お守りには
黄金のカエルが入っていて「無事にかえる」とひっかけているとか。なるほど。

東照宮をあとにして、寛永寺の上野大仏をみて、やはりいかなくてはならないのが。

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・・・・ですよね。
だって今日みてきたのは「大徳川展」ですからー。

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ここが、まさに江戸の締めくくりです。


・・・・・・え?すぐ近くの西郷像????・・・・・・・。
なにせちょうど最近、慶応3年の薩摩御用盗(薩摩藩邸のやつらが江戸で暴れまわった
大事件)についていろいろ読んでしまったもので、心は江戸市民に感情移入中。
その張本人の顔をみたら、いろいろ毒を吐きそうなので、そのままスルーしました(爆)。
(代々東京庶民の血筋だった亡き母がとりつくしまのないほど薩長嫌いだった
のがよくわかる今日この頃・・・・うーんしみじみ(笑))


それにしてもよく歩きました。
ほとんどは博物館内ですから、上野の国立博物館、なかなかのもんです☆

本当は近代美術館のムンク展も見ようかと思ったのですが、
ついつい図録かつちゃって・・・・・。はははは。
(でも「水曜どうでしょう」北欧編をみているせいで、まともにムンクさんがみられないかも。
「フィヨルドの恋人」とか・・・ね・・・思い出すと絵に失礼、いえムンクに失礼)
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by aroe-happyq | 2007-10-19 11:27 | 江戸東京あれこれ | Comments(6)

小川恭一氏の柳営学

先日紹介いたしました、『江戸城のトイレ、将軍のおまる〈小川恭一翁柳営談〉』が
届きまして(アマゾン、夜おそくでも来るのね)、さっそく読みはじめました。

とても分厚くて、新書としては驚きのボリュームです!
WEB連載に加筆、訂正がはいっていて、大好きな「註」がより充実しています。

ですが、目に飛び込んできたのは小川恭一氏が先月25日に亡くなられていたとの一文。

まさか・・・と目の前が真っ暗になりましたが、
奥付にも、本文にも、カバーにも書いてありまして、どうにも逃れようのない事実でした。

江戸という地域の武家、つまり直参(旗本)の人々について興味を持って、
最初に読んだのが小川氏の『江戸の旗本事典』でした。
というかこの本がなかったら、なにもわかりませんでした。
それ以来、図書館にいくたびに『江戸幕府旗本人名事典』『寛政譜以降旗本家百科事典』
を『寛政譜』とともに調べ、必要箇所はコピーに取り・・・・、それと他の史料を調べるという
日々でしたから、大げさではなく小川氏の著作がなかったら、今の自分はここにおりません。
心では勝手に師匠と思って「もっとももっとたくさんの本を出してくださいっ」と
不出来な弟子そのままに、他力本願なお願いを天に向かってしてきたものです。
(素人の私だけでなく、研究者のなかにもそう思っている方、かなりいらっしゃるのでは
ないでしょうか?)・・・・それほど小川氏の柳営研究は貴重なものでした。
そんななか、
『小川恭一翁柳営談』のWEB連載をみつけたときは、どんなに嬉しかったことでしょう。

それなのに。
残念とか簡単にはいえないぐらい、ショックです。


ですが、凹んでいる場合ではありませんね。人は感謝の心を忘れてはいけません。

今まで本当にありがとうございました、とまずいうべきでした。

小川氏にはいくら感謝してもしきれません。
会社を退職されてから、お一人であれだけの調査をされてきた重みを
噛みしめながら、そうして調べてくだすった多くの本を、
これからもたいせつに活用させていただきます。


そして慎んでご冥福をお祈りいたします。






などといいながら、本日はようやく行ってきます、大徳川展に!
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by aroe-happyq | 2007-10-18 10:14 | | Comments(0)