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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

<   2007年 12月 ( 30 )   > この月の画像一覧

家定さんのショッピング

シャイで、お菓子作りが趣味という、13代将軍家定さんの話題です。

『徳川将軍家の演出力』(安藤優一郎著 新潮新書198)の146Pに、
家定公がまだ世子時代(名前は家祥さんといいました)に雑司が谷にお買いものに
出かけたときの記録が紹介されております。
(原典は『豊島区史資料編』2のようです)

ときは、天保15年3月27日のことだったそうですが・・・・。

○高田村植木屋仁右衛門 にて 鉢物の植木、変種の鯉14匹 

○雑司が谷鬼子母神境内川口屋 にて 飴50袋
                風車つくりの亀吉 より 風車37本


しめて17両3分余(約100万円ちょい)。


すごい大人買いです。
鯉と植木が高価だったらしいですが、
水野老中の天保の改革で「将軍の前に出す植木は三両が上限」と
決められていたので、これでも控えめな出費だったことでしょう。
飴と風車は、大奥のみなさんへのお土産?
気配りも忘れません。
・・・つか、きっとこれを忘れるとたいへんなことになったはず(爆)。

それにしても、園芸好きの江戸にふさわしい、植木好きの世子なんですね♪
めったに出かけないショッピング先に、造園マニアのパラダイス雑司が谷を択ぶとは!


家斉、家慶、家茂、慶喜さんのようにプライベート情報がふんだんにある将軍に
はさまれて、極めて情報のすくない家定さんの貴重な買い物記録(笑)でした。

ここでみえてくるのもやっぱり、「静かな上様」という印象です。

映像に登場する家定さんは、ヘンな人だったり、顔にアザがあったり、
フツーに登場したことはないような気がしますが、
大奥に遊びにくるイケメン公子の一橋慶喜の人気(家慶まで虜にしてましたっけ(爆))に、
激しくジェラシーしていた、という話があったり、、
こうしてお買い物で出かけ、気配りも忘れず(側近のみなさんのアドバイスかもですが)、
趣味の出費で散財している姿を垣間見ると、案外ただのシャイなおにーさんなのかもしれません(笑)。

ちょっと番外で。
私が忘れられないエピソードは、頼りにしてた阿部正弘が死んでしまい、
たいへん悲しかった家定は、将軍としては異例なことにその葬列の先頭にたち、
寺まで行ってしまった・・・という話です。
大人なのに、可愛い♪と思えてしまった家定さんでした☆
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by aroe-happyq | 2007-12-29 10:51 | 江戸城の大旦那 | Comments(4)
よせばいいのに、やっぱり録画しちゃって・・・・みちゃいました。

嗚呼・・・・非道かった(涙)。
6代将軍マニア云々以前に、まずこれ・・・・映画すか???
映画というより、レターボックス仕様で作ったドラマスペシャルにしか
みえないんですけど・・・。
映画というには、スケールがあまりに小さすぎ(涙)。
せっかく大奥シリーズ最後の華・・・・なので、もっとどばーっと、
「おおー」というような壮麗さとか、凄みをみたかったな・・・・・。
(日本映画がせっかく好調なので、もっと野心的な作品お待ちしてます)

そしてマニア的にみても、キャラがみんな、設定が適当で、
この時代のマニア的にはあまりにも非道すぎて、
・・・・憤怒をこえて爆笑につぐ爆笑でした。

いちいちダメだしをはじめても、詮無きことですので、
世間には認められているかは知りませんが、
長きにわたる6代家宣フリークの
かき集めた史料、論文などから史実的公式情報(笑)だけを書きます。


○間部越前守詮房情報

・ 元は喜多流一門の能役者。能好きの甲府綱豊(のちの家宣)に手ほどきした際、
 家臣にならないかとスカウトされた(笑)。『甲子夜話』には眉目秀麗の詮房に
 綱豊が一目惚れしたとの話が載っている。
 生涯、一心同体というような親密なこの主従については、江戸時代のあいだでも、
 噂の的だったらしい(爆)。

・ 学問好きの綱豊だったが、能はもっと好き。
 そのため、将軍になっても演能した。側用人間部詮房はたいてい共演者(笑)。
 踊る将軍&側用人・・・・・だった。
 しかしむやみに能を催す宴会をやっていたのではなく、研究者によれば、
 旧甲州家系家臣団の会合の隠れ蓑として、薪能などを利用したとの話もある。
 (確かに、ただ遊んでいたとは、考えたくないもの・・・です(笑))

・ 間部詮房の滅私奉公ぶりは当時から有名で、家宣、そしてその子の家継を
 補佐した手腕も高く評価されていた。政敵であった紀州吉宗(のちの八代将軍)も
 「できれば自分も間部詮房のような家臣を持ちたいものだ」と知り合いへの手紙に
 書いている。朝廷の重鎮、家宣の岳父である近衛太閤もまた間部詮房を「顔だけ
 じゃなく、よく仕事のできる男」と高く評価していたらしい。
 お仕事ぶりを示す記録をみても、切れ者であったことは事実のようです。

・ 家継に対してはたいへん厳しく、父親の面影を詮房に求めようとする家継には
 距離をおいて接した。
 亡き家宣の遺言にこたえるべく、家継を良き将軍に育てようと教育に力を注いでいた。
 自ら幼少期に能役者として厳しく育てられた経験があるためか、
 けっこうスパルタ式だったらしく、このためか家継は間部詮房をちょっとこわがっていた。

・ 心血注いで尽くした家継が病で死んでしまうと、権勢に執着のない詮房は、
 将軍御養子に、政敵の紀州吉宗を迎え、鯖江に去った。
 本来なら味方筋の尾張公を御養子にすれば、自らも安泰だったのだが、
 尾張公に将軍としての器がないと判断し、すばやく紀州吉宗を選んだ。
 この決断力には政敵一同驚き、間部の政治的才能を再評価している。

・ 若い頃(二十代)主君甲州綱豊の斡旋で、一度妻をもったが死別後はずっと独身。
 妾などいっさいゼロ。晩年失脚後、鯖江に暮らした数年間、身の周りの世話を
 する女が一人いたらしい・・・・という記録以外、女性関係の噂なし。

・ 反間部派は最初、月光院と間部詮房のスキャンダルを吹聴したが、
 誰も信じなかった。この作戦が失敗したため、絵嶋作戦を展開する。
 なぜ誰も信じなかったか・・・。それは側用人として権勢の絶頂にいる男が
 再婚もしない、妾もいない・・・・・という一般常識ではありえない現象に、
 大名・公卿ぜんぶに 「詮房は女嫌い」というスペシャルなレッテルを
 貼られていたため。
 


○月光院情報  

・ 家宣にもっとも愛された側室。芯のしっかりとした江戸女であったらしい。

・ 家宣亡き後は家継を立派な将軍にすることに全力をそそいだ、教育ママだった。

・ 間部とは、共に家宣に寵愛を受けた者同士、実によきコンビネーションを展開。
 ただし、男女の関係にいたるはずも・・・・なし。
 (もしもあったとしても誰も信じないという哀しい状況ですが・・・)

○天英院情報

・ 大奥のドンにして、影の実力者である家宣正室の天英院(近衛煕子)は、
 「男であったらさそかし立派な政治家になったものを」と父(近衛基煕)に
 もったいがられるほどの才女。
 家宣や詮房とも、甲府宰相時代から政治家として協力関係にあった。
 女性という前に、老獪な政治家。江戸の風俗を嫌い、徹底的な京好み。
 (役者買いなんて、ありえないお下品な遊び・・・・という価値観のひと)
 
・ 紀州派と結んでいたが、間部とも協力関係・・・という二枚舌?

○江嶋情報

・ 芝居小屋の二階桟敷から、江嶋一行が酒をこぼしたのは事実。
 どうも久々の外出で奥女中ズはフィーバー(死語)していたらしい。

・ 彼女が犯した罪は、代参で外出したおり、門限に遅れたこと。
 そのときは門を通してくれたのに、数日たってから、急に詮議となった。

・ 江嶋は最後まで生嶋との密通を否定した。

・ 高遠で、かなりの高齢になるまで生き続けた。
 
○生嶋情報

・ 初代團十郎とともに超人気役者だった。

・ 江嶋一行の芝居見物の際、看板役者なので、江嶋に挨拶をし、
 ほんのお付き合いということで、宴席で相伴にあずかっただけ。
 その前もその後も江嶋に会った事はいっさいなし。

・ たったこれだけ↑のことで、遠島。
 あたら役者盛りをむなしくした、彼こそが本当の犠牲者。


・・・・もっとたくさんあるのですが、とりあえずこの映画と
関わりそうなところだけですいません。以上です☆

事件についてはちょうど一年前、
この映画上映の頃、やっぱり心配だったのか、
こんな記事にまとめてありました(笑)。

 
この江嶋事件の背景には反間部派の思惑もありましたが、
5代将軍綱吉以来の贅沢三昧の大奥バブルを潰して、倹約徹底へと
もっていきたかった、閣老の思惑もまた重なりました。
富士山の噴火、大地震・・・と度重なる天災で、柳営の金蔵もカラッポで、
大奥だけが昔のままにまかり通ることは許されなかったはずですが、
幼い将軍は大奥との関係なくして成り立たず、それをいいことに
天英院や月光院の女中たちが好き放題していたのは事実。
こんな荒療治をされる前に、自粛していたら・・・・・よかったのですが。
(でもそんな大奥なんかとまったく関係のない生嶋がいっそう哀れ・・・っす)

実はこの事件は、政治史的にすべて解明されていない、
幕閣のさまざまな力関係もかかわっている、とても複雑な背景をもっているようで、
とんでもない人数が連座と称して、追放されたり、処罰されている不可解さも
いずれ明らかにされていくことを願うばかりです。

つまり、ただの色恋ではすまされない、難しい事件だったのです。

・・・・・・・江戸時代の人々が少ない情報で、講談として面白おかしくフィクションとして
描くのはいっこうに構わないと思うのです。
我々が手にできる柳営の日記や、吉宗の書簡などを見られるはずもないのですから。

ですが、現代の我々はそうはいきません。
膨大な史料を手にすることが出来るし、多くの研究もされております。
そして我々が接する映画にしろ、ドラマにしろ、
こうした江戸時代の物語のなかに、いくつかの史実が組み込まれているので、
どこからフィクションかどうか、その境界線があいまいです。
そういう状況なので、歴史情報をこうした娯楽作品からそのまま受け取ってしまいがちです。

フィクションとして楽しむのはいっこうに構わないのですが、
その娯楽作品をそのままあたかも史実のように、信じないでほしいです。
いっそ、みーんなてたらめのフィクションさ♪とぐらいの気持ちで、
気楽にみてくれれば・・・・・こんな気苦労はありませんのに。
(現実には、これで彼らのイメージが固められてしまうわけで)

いつになったら、顔だけの男から切れ者詮房に復権できるのでしょうね・・・・・。トホホ。


なにを書かれても、なにも声を発することのできない、歴史の彼方の彼らの名誉を
こんな遠く離れた私たちが好き勝手に傷付けることだけはしたくないものです。
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by aroe-happyq | 2007-12-28 11:49 | ちょっと元禄・正徳 | Comments(2)
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23日にCSスーパードラマTVで放映されていたものを録画していたのですが、
ちょっと・・・みてみようかなーという軽い気持ちで見始めたら、
前後編を一気にみてしまい、
見事にどつぷりハマッてしまいました016.gif

70年代につくられたドラマ「宇宙空母ギャラクティカ」を
下敷きにしてはいるものの、まったくの新作ともいうべき
スペース・オペラ作品です。
すごく簡単にいってしまうと、
人類が自分にとって便利なために生み出した人工知性(ロボット)に背かれ、
一度は戦争となったのですが、休戦協定が結ばれ、人工知性は宇宙に去った。
40年、すっかり平和に浴してきた人類の前に再び彼らは現われ、
猛烈な勢いで人類を殲滅しようと攻撃してきた。
・・・・・というところから始まるドラマです。

人類が自らの造ったロボットと戦うというストーリーはよくありがちなので、
目新しさはないのですが、このドラマはなんともリアル感に溢れていて
妙にこわかったです。
とはいえ、目前の危機からいえば、反逆するほどの知性をもつロボットが
生み出されていない現状では、やはりただのSFです。
ですが、問答無用とばかりに突如攻撃してきて、
血も涙もなく、とんでもない威力の核ミサイルをドカドカ撃ち込んでくる
・・・・・そういうロボット的な人間は、SFではなく、存在しうるのではないかと、
ちょっと思えてしまう今日この頃ですので、
笑い話にできず、「こわい」と思えてしまいました。

40年間・・・・・人類はすっかり平和ボケしていて、突然の攻撃にあたふたし、
戦闘機もメンテ不足、弾薬も基地まで取りにいかないと十分ではない・・・・・という
トホホな有様もまた、SFとは思えないリアルさが(笑)。
まさに「備えあれば憂いなし」という言葉は重い!
哀しいけれど、そういうことなのだ、と。

という難しい話はさておき、登場人物のそれぞれの人間ドラマも重厚で、
群像劇としても、見ごたえがあります。

ドラマミーハー的には
「ホーンブロワー」の主人公の親友ケネディ役のジェイミー・バンパーが
主役級で登場してきて(↑上記画像のあんちゃんです)、
ヤッター!と思いました(笑)。

今回は「序章」で、レギュラー放送は来月から・・・・・ですが、
物の見事にはめられてしまいました(爆)。来月が待ち遠しい!

最近、「HEROES」に続き、スーパードラマTVのおもうまま状態015.gif
ですが、これまた長い航海になりそうですっっ
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by aroe-happyq | 2007-12-26 10:44 | ほんの世間話 | Comments(2)
随分前の記事で「幕末ニッポン」展を紹介したおり
英国との交渉時に撮影された外国奉行一行とおぼしき記念写真についても
あわせて紹介したのですが、なんとなく疑問が出てきちゃいました。

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展示の解説には、

後列左から、岩瀬肥後守、水野筑後守

前列左から、通訳森山多吉郎(裃姿)、井上信濃守、堀織部正、永井玄蕃頭


とありました。


なんとなく本人だ!と60%ぐらい思えるのが永井だけではありますが、
彼は英国との交渉の際、第二全権でした。
このときの第一全権は水野さんです。
ちなみに、水野さんは外国奉行第一号ですので、筆頭でもあります。

となると、もしかして、永井さんのとなりは、堀さんではなく、水野さんでは??
なんて、思ったりするのですが・・・・・・・いかがでしょう??

扇子をひらいて、センターであきらかにポーズをとっているこの人が、
なんとなく堀さんというよりは、水野らしさが出ていると申しましょうか072.gif
(絵文字が使えるようになったらしいので、さっそく(爆))
なんだか、匂うんです。

なんの証拠もありませんし、ただなんとなく、なのですが・・・・・(笑)。

第二全権のとなりは第一・・・・というようなありがちな並び方が、
当時の記念写真にあれば、の話です。
「別に後ろでいい」と水野さんが遠慮したら、それでこの話はおしまいですし(汗)。
でも彼の生き様をみていると、ここで遠慮はしないタイプと、
かってに想像してしまうわけです(爆笑)。

それに箱館奉行としても忙しい堀織部正はあまり交渉の内容に深く関わって
いなかったので、こんなド真ん中より、つつしみ深く、いとこの岩瀬のとなりの
ほうが似合いますので(笑)。
(それに、なんとなく岩瀬ととなりの人の顔、鼻から目のあたりが似ているような
気がしないでもないのです。岩瀬と堀は、母親が姉妹同士という、わりと近いいとこ
同士なので、似ている部分がきっとあったのではないかと)


などと、ちょっと疑問に思ったのも、
この当時の外国による日本の記録はよく人名をまつがって
記されているので、100%信用していないだけ・・・というのもあります(笑)035.gif
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by aroe-happyq | 2007-12-25 18:20 | 外国奉行ズ | Comments(2)
休日のゆるい話題として、久々に続報報告ができそうです。

前回はこちらですが、
岩瀬忠震命名の井伊直弼=「愛牛」問題のお話です。

クリスマスだというのに、鳥でなく牛の話でスイマセン(笑)。

さて、この愛牛というあだ名。
太っている井伊さんの体つきだけで、そんな単純に
このあだ名をつける岩瀬氏ではありません。
なにか意味があるのではないか??・・・・・といことで、秋以降も調査を続行しておりました。

まず最初に漢和辞典をひいてみました。
(『大漢和』を図書館でみてきちゃいました(爆))

「愛」・・・したしむ。このむ。めでる。あいする。お(惜)しむ。かなしい。
「牛」・・・うし(動物)。ひこぼし(彦星)。

岩瀬さん的なセンスでえらぶと、彦根にかけて、その意味は
「惜しい(残念な)ひこばし」が近い??でしょうか(笑)。


・・・・などという推理をしていたところ、この前、有力な情報を目にしました。

昭和7年『今昔』第三巻一号に掲載の松崎てい女談「安政夜話(五)」に、
掃部様の胡麻牛という談話があって、
井伊家には「胡麻牛」という秘伝(レシピが門外不出)の牛の味噌漬が、
代々伝わっており、大切に食されていたらしいのです。

豚肉好きの一橋慶喜が「豚一」といわれたように、
牛肉の味噌漬好きの井伊直弼にもそういうニックネームがあっても
不思議ではありません。
「牛肉好き」だから「愛牛」とか(笑)。

さて、どちらでしょう??・・・・・というより、どちらも含んでいそう?です。


先日、CS時代劇チャンネルで大河ドラマ第一回作品「花の生涯」の一話を
放映しておりました。
このドラマ、主人公は井伊直弼です。
登場したとたん、「太っているから、脂性で汗かきなのだ」と告白する主人公でした。

大河ドラマ第一弾でも「愛牛」・・・・・・・・(涙)。
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by aroe-happyq | 2007-12-24 10:52 | 外国奉行ズ | Comments(0)

組!!後編

おととい、やっぱりオンタイムでみておりました。

が!!!
なんででしょう、なんかちゃんと見た気がしない・・・・。

というのも、前後編に分かれていたせいか、
90分バージョンだったら中盤のはずの、榎本さんの牧場の夢を語る
良いシーンがわりに前半にきていたため・・・・、
ふと家人が・・・・

「なぜ蝦夷に来たんだっけ?」

えーーーーー?
それを聞きますか、ここで聞くんですか・・・・よござんす、説明しましょう。

ということで、2年前の正月にはなかった説明会が始まり、
「そもそも榎本さんは18歳のとき・・・・」からはじまり、
「五稜郭というのは・・・」とか、ついつい丁寧に話していたら、
もう画面では「おいおい、二人だけで心をかよわせないでくれ」
・・・・アレ?桶狭間戦法のかっこいい説明、過ぎちゃった???(涙)。

ガーン。そ・・・そんな・・・・っっ。

ようやく静かに視聴し、土方さんがかっちゃんのもとへ旅立ち、
大鳥さんが暴れ(ここの圭介さん、切なくて大好きです)、
榎本さんが五稜郭の楼閣から外をみつめ(ここも好きです)、
でもわたしのマジ泣きポイントは実はラストの大草原(笑)。
いよいよ永井B作出てきて「降伏してくるか」というところで、
感涙準備に入った・・・・・・・のに、

「弁天台場ってなに?」

・・・・・・・・今、それをここで聞いちゃいますか?もうエンドロール始まってるのに?
「この弁天台場っていうのは・・・・・・・」
ライライがすっかり終わるまで、説明は続いてしまいました。
(泣くヒマ、いっさいありませんでした(爆))

なぜだ、2年前はそんなこと聞かなかったじゃないかーーーーー。

やはり前後編に分かれると、緊張感が薄まるの??


せっかく「五稜郭」の口直しをするはずだったのに、
前編はサッカー、後編は説明・・・・ということで、
とうとう見た気がしないうちに終わってしまいましたっっ。


DVD、見なきゃ、気持ちがおさまらんーーーーーー(爆)
(ってなんだか、むなしい~~~~~~)


そして、ふとテレビ欄をみたら、映画「大奥」を今夜やるようでして。
また「節操のない顔だけの男」にされた間部越前をみるのか??
当時のゴシップ記事そのままを映画化した「絵嶋疑獄」をみちゃうのか???
・・・・・いつになったら、ちゃんとした間部だったり、月光院や天英院が映像になるのかな、
などとぼやきながら、・・・・・・・・やっぱりみちゃうんだろうなぁ(笑)。
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by aroe-happyq | 2007-12-22 10:21 | 新選組! | Comments(0)
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文化13年11月3日は、1816年12月21日になります。

というわけで、今月3人目は永井さんです。


あらためてみると、文化年間生まれ・・・・・・。
江戸後期の最高潮の文化文政期に幼少時代を過ごし、
天保・弘化という不景気へまっしぐらの時代に青春を過ごし、
ようやく腕を振るう壮年期は幕末期真っ只中。
そして晩年は明治を生きたというわけですね。
目立つようで目立たず、静かな人ではありますが、
かなり壮絶な人生を送った永井さんです。

ようやく読める状態にした漢詩集をちょっとずつ読んでおりますが、
・・・・・・そうした壮絶さを感じさせない(笑)、江戸の文人らしさに溢れていて、
実に風流で、美しい世界です。

安政の大獄で岩瀬忠震や川路聖謨などと共に政界を追われ、
「永蟄居」になりますが、この自宅謹慎の数年間に堀織部正、岩瀬忠震という
友人たちを次々に亡くしました。まさにどん底の数年でした。
・・・ふつうなら、病になってしまいそうですが、泣きながらも
この人には大好きなお酒と詩があったため、健康でいられたようです(笑)。

再登用されるのは、文久2年の夏ですが、
漢詩集をみていると、すでにこの年の春には自由に外出できるように
なっていたらしく、どこへいったかと思えば、親友の岩瀬忠震が息を引き取った
向島の「墨荘」こと、岐雲園に通い詰めております(笑)。
友人を偲び、岐雲園で詩作に耽り、
帰りは月の下、ゆっくりと墨堤を歩いたようです(笑)。
(すっかり気にいったようで、晩年ここに住むのも頷けます(笑))
このときすでに50歳。・・・・・時代の最前線に行くなどまったく思っていなかった
節がみえますが、京都町奉行職の話がきてしまいました。
どうも拝命されるまえ、相談という形で話がきていたようで、
そのときの心の揺れが「讀出師表」という漢詩に見え隠れしています。
(三国志をご存知のかたは、ここで思わず「ぷぷっ」ときますでしょう(爆)
諸葛亮の「出師表」を読みかえしたらしいです・・・・つか、京都は
永井にとって敵地???なのか、みたいな)

でもそんな京都でも観光地はほぼ制覇し、壬生の宿舎でも「壬生寓居」という
詩をつくっております。
彼もまたどんなときでもエンジョイしてしまう、江戸旗本ズの一人でした。
そして動乱のなかでも、風雅な心を忘れないマイペースさ。
このマイペースさが永井さんの強さでもあります。
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by aroe-happyq | 2007-12-21 11:36 | 旧暦シリーズ | Comments(0)

正式に発表があるまでは「?」付けておきます☆


それにしても、もう2009年の大河の話が!


直江兼続役には妻夫木聡さん~~~~だそーです!?♪♪


詳しくはこちら→日刊スポーツ


あの「愛」兜・・・・!!!この人なら似合います☆パチパチ


なんか、妙な予感がしていました。
そろそろ、妻夫木さん、大河どーですか、みたいな(爆)。



というか、そんなわけで、これがホントなら、
さ来年は全部みるかも!!!(笑)


途中でどんなことになろうとも、ついていきますぞーーー!!
(実はシナリオのほうに一抹の不安があるのだが・・・・)
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by aroe-happyq | 2007-12-20 14:53 | ほんの世間話 | Comments(0)
幕末史研究会主催で、来月「長崎海軍伝習」についての講演があるそうです。



テーマ  「長崎海軍伝習」
講師   片桐一男氏(青山学院大学名誉教授 洋学史研究会会長)
日時   1月12日(土)午後2時~4時
場所   武蔵野商工会館4階 JR中央線 吉祥寺駅北口徒歩5分
定員   90名
会費   1500円
申込締切 12月31日


申し込み等詳しくは→こちらへ
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by aroe-happyq | 2007-12-20 09:55 | 長崎伝習所系 | Comments(4)

新徴組 トリビア

幕末史において激動の京都こそが歴史の舞台ですが、
舞台のソデが好きなわたしとしては、その頃の江戸も気になります。

そこで『藤岡屋日記』を読んだりするわけですが、
最幕末の江戸で、ヒーローといえば、なんといっても新徴組でした。

西の新選組と違って、今となっては、名もなきヒーロー(涙)なので、
『史談会速記録』や『同方会誌』にみえる少ない記録と、
そして鶴岡市にいくつかの史料がありますが、
手にとりやすい刊行本は
小山松勝一郎さんの『新徴組』(S51/国書刊行会)・・・一冊のみ。

もとは同じ浪士組だった二つの「組」ですが、
知名度においては新選組にはまったくかないません(笑)。
・・・・・とはいえ、たしかに新徴組にはこれという大きい事件もなかったので、
大河ドラマになるようなネタには欠けますから、
全国区の人気にはなりえません(涙)。
(でも時代劇ドラマになるネタには事欠かないような・・・気が)

そんなわけで、まだまだ新徴組初心者ではありますが、
ちょっと気になったところを紹介したいと思います。


◎ 「おまわりさん」の語源は明治の巡査ではなく、新徴組。

  新徴組は庄内藩御預かり。
  5隊(一隊5人)が一組という組織(一組25人)。
  一日二組が出動して、江戸御府内(そこに新宿や板橋、千住も加わる)を
  巡回してあるき、不逞浪士、ふらちな旗本(爆)などを原則生け捕り、
  抵抗する場合、切捨て御免(御公儀からの許可もうけている)。
  
  江戸の人々から庄内藩と新徴組は愛され、

  酒井左衛門様お国はどこよ 出羽の庄内鶴ヶ岡
  酒井なければお江戸は立たぬ 御回りさんには泣く子も黙る


 とうたわれた(『新徴組』 104Pより)。酒井とは庄内のお殿様のこと。

 ここにあるように新徴組は江戸の人々から、「御回りさん」といわれていたのでした。


◎新徴組、あやうく鵜殿鳩翁組という名に!?

  京から戻った浪士組については清河八郎があやしい動きをしていたので、
  当時の勘定奉行小栗上野介などが策を練って浪士組を壊滅させようと
  したのですが、なかなかうまくゆかず、結局は清河八郎暗殺によって、
  いったん壊滅、のち再編成となったのが新徴組でした。
  この時期、取締役は京に引率していった、鵜殿鳩翁のままでしたが、
  新しく編成された浪士組の名称をつけるにあたって、新徴浪士組とか、
  三百人組などという案があったなか、鵜殿は鵜殿鳩翁組といわせようと
  したらしい(なぜ??鵜殿さん??)。
  その後、庄内藩御預かりと決定し、鵜殿は役職を外れ、
  めでたく新徴組と決まりました。
  ・・・・あいかわらず、元気だったようです、鵜殿さん・・・・・(笑)。


◎各地屯所は寄席に、妓楼に、蕎麦屋
 
  八百八町+αという広大な江戸を見回るため、各地に休憩所、屯所が
  設けられた。しかし当てられた場所はというと、上記のごとし(笑)。

  肝煎の上で、新徴組を総括している、庄内藩の松平権十郎の人気は
  すさまじく、錦絵(当時のブロマイド)まで発売されたほどなので(笑)、
  屯所に場所の提供を申し出る店(それも妓楼とか)も多かった?
  

◎隊規はいたってゆるい

  新徴組では脱走、脱退する者は追わず。
  ときには金をやって、故郷にかえる費用を出してやることもありました。
  このゆるさのおかげでしょうか、私闘もなかったとか。
  (しかしあまりに激務であったので、自殺者も数名でております)

◎新徴組の剛勇、明治になっても

  新徴組には剛勇の者が揃っていて、盗賊や浪士から懼れられる存在でしたが
  明治になって、彼らの大半が庄内に去っても、その伝説は消えることなく、
  幸田露伴いわく「恐ろしき者といふなる新徴組」と懐かしがられました。
 
  新徴組ひとつの伝説さえ、伝わっていない今の東京というところは、
  郷土の歴史も消え去った、殺風景な街なわけです(涙)。
  そして、忠臣蔵だけじゃないぞぉー!・・・・みたいな。


◎新徴組、政治はせず

  新徴組のポリシーは、尊王もなく佐幕もなく、
  ひたすら誠心誠意、江戸の安寧を保つことにありました。

  江戸末期は治安が悪くて、強盗や殺人も多かったので、
  民事事件がメインの町奉行所ではむり、また火付盗賊改でも手にあまる
  状況でした。こういうときに新徴組のような頼もしい存在がいたら、
  江戸市中のみなさんはどんなに有難かったことでしょう。
  また旗本屋敷に強盗が押し込み、屋敷の郎党、主人・家族が人質になる
  事件が起きた際も、新徴組が出動して人質を全員無事に救出、強盗も逮捕という
  大手柄でしたが、いつしか旗本さんも頼りに(っておいおいですが)する、
  新徴組になりました。
  幕府瓦解まで、彼らは江戸の太平のために日々、たとえば薩摩御用盗など
  悪質な犯罪と戦っていたわけです。
  江戸ファンとしては、
  愛する江戸のために働いてくれてありがとう新徴組、といいたいです☆
  
  
まだまだありますが、まずは第一弾ということで、
このあたりにしたいと思いますっっ。

・・・・・・ちょっと調べるつもりが意外に深みにはまってしまいました。
ですが、調べれば調べるほど、新徴組に惚れ惚れです♪(笑)

  
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by aroe-happyq | 2007-12-19 11:52 | 江戸東京あれこれ | Comments(5)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq