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東都アロエ

<   2008年 01月 ( 23 )   > この月の画像一覧

昨日の朝、「3月並み」の暖かさ・・・と聞いて、突然散策に行こうと思い立ち、
ネットで梅が「開花」と出た皇居東御苑にいってまいりました。

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やはり大手門から入るべし♪
夏に比べて観光客少ないです☆



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最近、気になるのですが・・・・・・カラスの姿が減ったかと思うと、
かもめの群れが東京で増えてきたような。
先日も後楽園、御茶ノ水聖堂付近の神田川を悠々とかもめの群れが飛んでましたっけ。
以前、上野不忍池でカラスとかもめの仁義なき抗争が勃発していたというニュース
がありましたが、カラスはかもめには勝てないらしく!?
どうやら都心の川や池、お堀はかもめに制圧された・・・・らしい・・・????

どーでもいいトリビアですが、岩瀬さん晩年の号は鷗所(おうしょ)ですが、
鷗とはカモメです。この字を号に使う人がけっこういたようなので江戸で
かもめはなじみ深いものだった・・・・と考えれば、カラス撃退はかもめの復権かもですね(笑)。


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いきなり本丸御殿跡です(笑)。
(途中の大番屋などは有名なのでカット♪しました)
冬は芝生のところに入れますので、本丸御殿跡を満喫!
第一弾は明治以降の東京名物の午砲こと「どん」跡。
ここから正午に毎日、空砲が撃たれていたのでした。

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推定ではありますが、このあたりが老中御用部屋???かもです。
むこうは大手町。
お昼すぎだったので、この芝生でお弁当を広げる会社員さんもちらほら。
柳営跡でランチというのはなかなかオツです。

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この松のむこうは中奥そして、大奥です。
(そのむこうには天守台の土台アリ)
こうしてみると広いのか狭いのか、よくわかりませんが
世間で語られるほど広くなさそうです(笑)。

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火事で焼けては困る大切なものをしまっていた?と推定されている石室です。
本当はどう使っていたか不明・・・・・・・・・・らしいです。

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石室のそばで柳営に浸るため、ちょっと一休み。
帰りにコピーしようとカバンに入れていた川路聖謨文書8を記念に一枚。
老中御用部屋そばということで、阿部正弘書簡(川路宛)のページをひらきつつ。
彼らの元職場の隅のベンチでのんびりさせてもらいました。


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展望台から、汐見坂方面を望む。

坂の上は本丸、下は二の丸です。

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江戸初期にはすでに台だけだったということで、
それほど愛着はないのですが、いちおう天守台跡。

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天守より。
手前が大奥、中奥、そして表向(政庁)・・・・という順で本丸御殿はありました。
さてさて、150年前の世界へと、想像(つか、妄想)の翼を広げてみましょう!(笑)


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汐見坂を下りて、いよいよ庭園へ。

梅林へ行く前に、二の丸庭園にいってみることに。
うーん、冬景色。

鳥たちのさえずりだけは、賑やかで・・・・・あとはとっても静かでした。
都心のド真ん中とは思えない!自然あふれる場所です☆
なにせ、モグラもおりますから。
土があちこちこんもり(笑)。舗装されていないのをいいことに歩道にも穴が。


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二の丸庭園です☆

二の丸といえば、ここが慶応3年12月に炎上(放火ですけど)さえしなければ、
歴史はまた違ったほうへと転がったかもしれないという、日本史の重要なスポットです。

ここは当時、天障院篤子さんのお住まいでした。
江戸で騒動を起こそうと画策した薩摩藩出入りの浪士ズは、
二の丸を放火しようと(そのどさくさに篤子さんを薩摩に戻す作戦もあったとか)
計画し、秋ごろに二の丸の奥女中を浅草で豪華に接待したそうな。
将軍のいない江戸城の女中は緩みきっていて、なんとその場で二の丸の
警備について喋りまくったそうで。そのおかげで(笑)、見事に二の丸は丸焼け。
これに激怒した江戸留守幕閣は12月25日、薩摩屋敷襲撃を命じ、
ついには鳥羽伏見の戦いに、繋がっちゃったりするというわけです。
この二の丸にお勤めのおねーさんたちがもちっとしっかりしていればねーと
(ちょっとイケメンの浪士さんに優しくされて、セキュリティをばらすか!みたいな)
思わずにいられません・・・・・・・。
(しかしその浪士のみなさんが戊辰戦争のどさくさに、口封じのためか、
大久保どん指令のもとで暗殺されていった・・・・というのもまたやり切れない。
いくら薩摩の人でなくても、倒幕に尽力した同志なのになぁぁ。せつなかです)

(参考本:『幕府挑発―江戸薩摩藩邸浪士隊』『新徴組』等々)


さて、いよいよ東御苑名物の梅林へ!

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あぎゃーーーー。まだだったわ・・・・・。

でも4本(1本は都道府県の木のコーナーでしたが)は咲いておりました。

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なかでも一番キレイに咲いていた梅と、うぐいすを記念に。


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このあたりも満開時期にはそれは見事になるんですよー。


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いちおう、もう一本、撮影しておきました(爆)。

さてそのまま平川門へ。


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当ブログの写真も実はこの平川門だったりします。
(↑すんごく昔の写真をスキャンしたんですけどね・・・・・(笑))
木の橋っていうのが好きで、旧江戸城ではここがマイフェイバリットスポットです。


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おまけの、和気清麻呂像です。
門のそばにおります。
・・・・・って、なんで君はここに建っているの???
(興味はないので、調べる気がない、明治以降の銅像にまったく冷たき東京都民でした)
さて、川路書簡の一部(いるとこだけ)のコピーへいかなきゃ(笑)。


今年は暖冬ではないので、こちらの梅林はだいたい2月初旬~中ごろ
に満開になりそうです。

・・・・このリベンジは、桜のお花見で晴らしてみせましょうーっ(笑)
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by aroe-happyq | 2008-01-31 11:15 | 江戸東京あれこれ | Comments(4)

幕末の天皇/幕末の朝廷

おとというっかり消しちゃった記事リベンジ版です(笑)。


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藤田覚 著
『幕末の天皇』
講談社選書メチエ


アマゾンは→こちら





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家近良樹 著
『幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白』
中公叢書


アマゾンは→こちら





同じく家近さんの『孝明天皇と「一会桑」―幕末・維新の新視点』を読んだことはあるのですが、
基本的に幕末の朝廷の動きに疎い、京情勢初心者ですので、まずはこの2冊から。

順番としては『天皇』→『朝廷』と読むとわかりやすいかと思います。
(さらに『孝明天皇と「一会桑」―幕末・維新の新視点』まで読みすすむとよりわかりやすいデス)

おとといは長々と書きましたが、リベンジ版は超コンパクトにて失礼いたします☆
(二度、同じテンションでは書けませんね(笑))
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by aroe-happyq | 2008-01-30 09:57 | | Comments(0)

Symphony

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サラ・ブライトマンの新譜です☆

前作「Harem」が2003年だったので、約5年ぶりのニューアルバム。

たとえばアマゾン→こちら(輸入盤)



邦題「神々のシンフォニー」というだけあってジャケ写真も、
ワーグナーのオペラちっくかはたまたゴシック・ファンタジー風で、
ちょっと手にとる時、ビビっちゃいそうですが、
内容はいつものサラワールドです。
プロデューサーもおなじみのフランク・ピーターソン(元・エニグマの)だし、
もちろん間違いなし!の出来でした。

前作「「Harem」はイラク戦争が始まった頃にリリースされ、
中東音楽でサラワールドという斬新な挑戦だけでなく、
中東の文化や音楽への敬愛にみちていて、時期が時期だっただけに
なんとも聴くたびにホッとしたのを憶えています。
とくに嬉しかったのは日本でも90年代後半エスニックブームのなかで
有名となったオフラ・ハザとの幻のデュエット。
しかし同時にオフラ・ハザがすでに亡くなっていたことを知らされて
かなりショックだったりましたが・・・・・。素敵なアルバムでした。

今回の「Symphony」はいつにもましてオーケストラ+バンドの調和の
美しさが際立った、サラ音楽としては正統派のアルバムです。
一昨年リリースのベスト盤が世界各国で大ヒットしたせいか、
予算もバッチリ??(笑)ということで、
オーケストラも編成が多めで、壮大な曲が何曲もありました☆
そして以前のアルバムでもクラシックの曲に歌詞をつけて歌う楽曲が
いくつかありましたが、今回もマーラー交響曲第5番アダージェットや
「惑星」ジュピターなどなどをとりあげております。
彼女の曲になるとよく知っているクラシックの曲が
まったく違った美しさにかわるのがホントに嬉しいです。

サラ・ブライトマンを知ったのは、「オペラ座の怪人」オリジナルキャスト盤
のCDなので、いったい何年前か・・・・・・。数えるのが怖いのでやめときますが(爆)、
(劇団四季で『オペラ座の怪人」が初演~再演の頃なので90年代はじめですた)
ミュージカルナンバーを歌う彼女の美声にうっとりしたものです。
当時はネットもまだないし、イギリスでCDを出しているなんて知りませんでしたから、
ミュージシャンとしてのサラを知ったのは、
「Time to Say Goodbye」の輸入盤をやっとこタワレコでみかけた10年ちょい前
ぐらいからでしょう。
彼女は丁寧かつ精力的に歌手活動を続けてきた、実に誠実な音楽人です。
世界的に売れると遊んじゃう、なんて歌手も多い中、彼女はコツコツと
美しい音楽を追求し、届けてくれる稀有な人。
・・・・・欲深なファンとしては、すぐに次のアルバムーっと期待してしまいますが、
また何年でも待ちましょう。
それぐらい「Symphony」も大満足でした。
(最後の曲、終わったあとにおまけBGMがあって笑いました。こういうのは
海賊盤防止のためアジアPOPのCDでたまにありますが・・・サラも?)

サラ・ブライトマンとそして活動休止中のフェイ・ウォンは
自分が勝手に世界の二大美声ディーバと決めているお二人ですが、
これだけ歌の表現力のある歌手はそうはいませんので、これからも静かに
見守っていきたいところです。
(フェイちゃんはオリンピック開会式とかで一度でいいから復活してくれないかな。
今年の五輪、そんぐらいしか楽しみないんですけど・・・・(汗))
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by aroe-happyq | 2008-01-29 18:23 | たまには音楽 | Comments(2)

朝にUPした今日の記事・・・・・。
記事管理をいじっていて、うっかりこれも削除をクリックしてしまったら、
なんだか画面がおかしなことになり(3つぐらいに分身した(笑))、
削除をやめることができなさそうだったので、
やむおえず・・・・・・消しました(涙)。008.gif


こういうときに限ってバックアップをとっていないので、
また一から書き直しっす。

ちょっと落ち込んでしまったので、
いつになるかわかりませんが、あらためてUPいたしますっっ。ははは。
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by aroe-happyq | 2008-01-28 14:17 | お知らせ | Comments(0)

三國之見龍卸甲

ジョンウー監督の「レッドクリフ」にぶつけるつもり?で、
数本の三国志映画が製作されておりますが、
こちらは香港のアンディ・ラウ(劉徳華)主演、サモハンキンポーと共演
の「三國之見龍卸甲(邦題は不明))」。


その予告編がYoutubeにUPされておりました→こちら


この予告をみるかぎりでは、
まだ三国志なのかどうかさえいまいちわかりにくい??
(タイトルは『三国』とかしてますけど・・・・)
でもスペクタクル戦記らしい・・・・映画のようです(笑)。

そういえば、「レッドクリフ」は2部公開になったよし。
夏と冬に分けて公開されるとか・・・・・・・・・・。
赤壁の戦いのどこで分けるのか???
楽しみのような、そうでないような(汗)。
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by aroe-happyq | 2008-01-27 09:59 | 香港&アジア映画 | Comments(0)

川路左衛門尉聖謨はたくさんの日記、エッセイ、メモ等々を残しました。
そのほとんどが『川路聖謨文書』全8巻に収録されており、
すごく大きな図書館に行かなくても、借りて読むことができます。

今回は『川路文書』6の「都日記」を読んでみました。

この記事のタイトル「可愛ゆきオヤジには旅をさせろ」は、
以前紹介しました氏家幹人著『江戸奇人伝』でも有名な一文です(笑)。
道中男手ばかりで、不都合ばかり。
そんなときおさと(奥様です)の行き届いた世話を思い出し、
あれこれ遅いとかいたらないとかダメ出しばかりしていて
すまなかったなぁ・・・・と思ったとか。
こういう思いをさせるためにも「可愛い子」ならぬ「可愛いオヤジ」
には旅をさせろろいうことかぁ・・・・と書き記したわけです(笑)。

この京都出張は安政5年正月~春にかけて、
禁裏に条約勅許をもらうためのものでした。
おもに堀田老中、川路聖謨、岩瀬肥後守という私的には豪華な顔ぶれ。
しかし結果はすでに御存知のとおり、数ヶ月にわたる工作も
わけのわからない公卿たちや帝の抵抗にあい、条約勅許を得られない
という無残な結果となりました。
(どんだけわけがわからないかは家近良樹著『幕末の朝廷』など参考に
なさってみてくださいませ☆)
いわば、彼らにとって「人生最悪の出張」です。

川路個人でいえば、出立当時、ひどい風邪をひき、
道中も寝たり起きたり・・・・という58歳のおじさまには相当に過酷なものでしたが、
さらに京都滞在中はなかなか進展しない交渉にいらだち、
ストレスのために耳鳴りがひどかったり、原因不明の吐き気に襲われたりと
散々なありさまでした(涙)。
(江戸に帰るころには、再度風邪をひいてしまったり、とか)
岩瀬忠震のほうも江戸に帰る頃にはかなり重いボラギ○ールな疾患にかかり、
橋本左内と意気投合するも、会うときはいつも「うつ伏せでスイマセン」(岩瀬書簡より)
な状態だったという・・・・まさに悲劇。

とこんな状況なのですが、家族宛日記は深刻な中にもユーモアあり、
といういつものテンションが保たれております。

堀田老中とは親しい間柄のようで、たまたま偶然ですが
同じく『川路文書』6に収録の「浪花日記」中では、嘉永4年(1851)には、
堀田さんに築地の中屋敷に招かれ、一緒に池で釣りをしていた・・・・と
いうような記録がありました(笑)。
(「浪花日記」とは大阪奉行に転じた川路がいったん江戸に戻ったときの
江戸日記。おさとさんや家族が先に奈良から大阪入りしていたので、
大阪の家族に向けての日記なので「浪花」とつけたよし)

そのため、京都滞在中も老中堀田さんをよく補佐して、
奈良奉行時代に知りあった公卿や宮さんと面談してなんとか状況を
好転させようと奮闘しております。
(しかし・・・・。奈良時代に親しかった青蓮宮から「ここだけの話」と
いわれて、ぶっちゃけ本音トークをしたところ、川路は宮からの情報を誰にも
話しませんでしたが、宮は帝はもちろん水戸斉昭にまで全部明かしてしまい、
・・・・これが後に井伊大老に知られて、川路失脚の直接原因になった
りしちゃうのだがら・・・いやはや、お気の毒でございます)

しかし!『都日記』2月19日をみてみると・・・・・・・

○はや京都にも半月余也
 いまた何とも不相分長大息此事也

○耳のなること殊に甚だしよりて戯れに
遮レ看靄色(あいいろ)衰眸外。妨レ聴蝉聲老耳中。
一物僅存蠢動意。竊歡汝有舊時風。
といひたれは岩瀬はしめみなみな絶倒す。舊時風とても難成なと口々に云也。


なにも事態が進展しないで、ブルーな気持ちなのにもかかわらず、
いえそういうときだからこそ、笑いを求めるのかもしれません。
戯れの歌の内容は・・・・あまり追求しないでおきますが(爆)、
その場にいた岩瀬たちを爆笑の渦に巻き込んでおります。

同じく『川路文書』8の解題にて川路研究をされてきた藤井貞文氏に
「素浪人の子で終わったら、或いは戯作者として結構生活したかもしれない」
といわれた川路さんです。このぐらいお手のものでした。

ちなみに、普段の京都生活はというと3月16日のところに、

今日は五ツ時頃より深夜までに御右筆其外岩瀬監ならびに平山謙次郎
浅野和泉ならびに地役等来りて大にいそかし


岩瀬や平山(優秀な徒目付で、のちに外国奉行にも)、
浅野和泉というのは、京都町奉行です。
(この後、こうして川路や岩瀬と京都で活動したとかで、左遷されます(涙))
このように、相談しあって、忙しく働いていたのでした。

そして3月末になって、勅許はムリらしいとわかってくると、
岩瀬を先に江戸へ戻します。

3月25日には、

岩瀬肥後守出立也
同人は今般之一條發頭人に付よく辨居候處歸府候心細し


岩瀬が帰ってしまうので「心細い」といっております。
疲れきった川路さんは気弱くおなりでした。
(岩瀬氏のほうは書簡によると、この数日前に
橋本左内さんと知り合い、新たな闘志を燃え立たせて
いたのでした(笑)。気力だけは疲れ知らずな人です)

・・・・・・・・岩瀬がどんな京都暮らしを送ったのかを知るために
川路日記を読んだはずが、またまた川路ワールドに魅了されてしまいました(爆)


ここからは余談。
「翔ぶが如く」いよいよ一橋慶喜@三田村邦彦サンも登場し、
阿部正弘も亡くなり、あれよあれよと安政の大獄ですが(爆)、
「居るだけの幕臣」として川路聖謨が画面におりました。
・・・・・これが、川路かな??と推定ですが、オープニングに名前は出てきました。
嗚呼、「篤姫」でも岩瀬たち、やっぱりこんな扱いなんだろうなぁ・・・・・(笑)。
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by aroe-happyq | 2008-01-26 10:55 | 幕臣系 | Comments(4)

歌川広重の「名所江戸百景」と安政地震のデータを組み合わせた
サイトがあります。


神奈川大学サイト→こちら

なかなかユニークな試みで、かつ江戸百景も眺められて、
たいへん嬉しいデータベースです♪
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by aroe-happyq | 2008-01-24 10:30 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)

野田秀樹さんの芝居は、劇団夢の遊眠社時代から私のなかでは
演劇で一番贔屓の舞台。
かつては第三舞台、劇団新幹線、キャラメルボックスなどにも観に
行きましたが、気がつけば今でも観ているのは野田MAPの舞台だけに
なってしまいました。
なぜかといえば、観劇料のお値段が私のなかでの価値観と釣り合わないほど
高騰してしまったからです(笑)。
大劇場ミュージカル以外の、中規模劇場の公演といえば、
バブルがはじけ気味の頃まで、MAX6000円(観始めた頃は4000円ぐらい)
だったのが、いまでは諭吉さんの出番がかなり多いという有り様。
スポンサーが付かなくなったり、人件費等々・・・理由はあると思うのですが、
大劇場の演劇と違い、当たりハズレの多いこの種のお芝居で、
いろいろ「試しに」冒険するにしては、
ちとお値段的に自分とは折り合いがつかない、今日この頃デス(笑)。

その点、野田さんの舞台は99%ハズレがありません。
9500円の価値は充分にあったりする、数少ない舞台・・・・と自分としては
思っております。
(過去、「贋作罪と罰」初演のみ・・・・ちとハズレてショックだったりしましたが)

というわけで、贔屓の俳優・妻夫木聡サンの初舞台も安心して
観にいってきたのでした☆

たいてい10分~30分で電話が繋がる野田地図公演で、
(夢の遊眠社最終公演だって前楽、楽日に行けたといふのに)
・・・・さすが妻夫木&広末主演だけあって、チケ予約で危うく初の惨敗に
帰そうかと真夏に冷や汗ダラダラかいた、忘れえぬ経験となりましたが(笑)、
なんとか席も確保できて、とても楽しめました。

今回の「キル」は再々演で、実は前の二回もみているので、
とても馴染みのある作品です。
最近の新作のように言葉が直球ストレートに投げかけられるのではなく、
初演が野田MAP第一回公演であったことから、
まだ夢の遊眠社時代のような愉快で知的な「コトバ遊び」がふんだんに
盛り込まれている脚本で、懐かしさもあり、好きな演目だったりします。
(野田さんの活躍めざましき折に水を差すようですが、実のところ、
演劇技巧が拙かったとはいえ、夢の遊眠社時代の芝居がスキ♪)

世界を「征服」して、「制服」をきせる・・・・・。
モンゴルのテムジンの物語をファッション業界に置き換えている設定なのですが、
実に言葉の置き換えが巧みで、思わず唸ってしまうことしばしば。

そして妻夫木さんは随分と体を鍛え上げていて、
これほど舞台栄えする人であったか、と嬉しい驚き(笑)でした。
声もよく出ているし、舌滑もばっちり。
舞台が初めてだというのに落ち着きもあって、素晴らしかったです。
これで舞台演劇に慣れてくればさらに良き演劇人になることでしょう。
ぜひぜひ舞台、続けてほしいデス!

広末さんの演じるシルクという役は、深津さん(再演)も演じられた
可愛いヒロインですが、初演の羽野晶紀さんの印象が強くて(とても好かったので☆)
さて三人目のシルクは・・・・。これまたキュートで素敵でした♪

とはいえ、野田さんの体の柔軟さの前には誰もが霞んでしまうかもですが(笑)。
どんだけ鍛えているのでしょう???すごいです。

初演・再演に比べて、やや爆笑シーンが少なくて寂しい・・・・という以外は、
あっという間の2時間(途中休憩15分は含まず)で、とおっても楽しかったです。


(以下、まったくの余談)
夢の遊眠社といえば、
「翔ぶが如く」には家定役で上杉祥三サン、新門辰五郎の子分に段田安則サン、
松澤一之サンがキャスティングされていて、懐かしさもひとしおです。
(ていうか、彼らを観るためにこの大河をみていた・・・というのもありました)
思えば野田座長(勝海舟@組!)よりずっと早く大河デビューしていた彼らだったわけですね・・・・(笑)。
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by aroe-happyq | 2008-01-23 11:17 | ほんの世間話 | Comments(0)

文明開化の英語

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高梨健吉 著

文明開化の英語

中公文庫(絶版)






古本屋さんの店頭でみつけました☆

幕末開国期の蘭学から英学への移行~新渡戸稲造『武士道』までの時代の、
日本人の英学習得の過程について書かれた本です。

著者はイザベラ・バードの『日本奥地紀行』(平凡社・東洋文庫)を翻訳された
英文学の専門の方なので、歴史学とは一味ちがった世界を楽しめました。
旧著『英語ことはじめ』と『開国期の英語』を再編集・改筆されて文庫になった
とのことで、たいへんお得な本でした♪


さて、幕末の英語といえばジョン万次郎・・・・。

安政6年に彼が出した『英米対話捷径(しょうけい)』が紹介されていて、

How do you do sir? の発音は・・・

ハヲ ヅウ ユー ヅー シャー?


とあった。
こ・・・・これで通じるのだろうか??
などなど面白い話がたくさんあります。

また幕末期に英語といえば・・・・・そうです、岩瀬肥後守忠震!
「これからは英語だよ!」と前島密青年の人生を変更させ、
英国使節エルギン卿の訪問の際には、交渉の合間にせっせと
英語を習っていた、あの岩瀬氏です(笑)。
著者もご存知だったようで、岩瀬を高く評価しております。

万延元年の遣米使節団の使節については、
外交官としては二流の人物であった」とバッサリ。
(ただしここに小栗さんは加えられておりません)

惜しい人物を失脚させたものである。
・・・(略)・・・岩瀬肥後守が使節だったら、どんな感想をもらし、
いかなる収穫を得て帰国したことであろうか。


(以上、引用はすべて19pより)

涙が出そうになりましたっっ。
よくぞおっしゃってくださいましたーーーーー。
・・・・・まったく、どこのどいつだ!・・・・・・って苦情は井伊直弼さん宛てにどーぞ。


明治時代の外人教師という章も、興味深い話がたくさんありました。
まだまだ工部大学校初心者の私としては、入門者向けの解説がありがたかった・・・。
それにしてもさまざまな外国人(ここではおもに英米系ですが)が
日本へ来て、さまざまな情報を交換しあえた。
そんな明治期はたいへん刺激的な時代だったのでした。

最後の「武士道とはなにか」では、新渡戸稲造のこの本が、著者の意図するところ
とまったく正反対の「狭偏な愛国主義者」に利用されてしまった流れ
についてもよくわかりやすく書かれています。
そういえばこの本、近年またもてはやされているようですが、
そもそも武士の世界があった江戸時代に「武士道」という言葉が使われていなかった
というだけで、現代の私たちに必要な本かどうか、わかりそうなものですが・・・。
(と、これも、この本を読む時間があったら、江戸の日記などを読んでいたい、
と思うマニアの狭偏な意見・・・ともいえます(笑))


それにしても、まだまだ読まなければならない本がたくさんある
と思いました。
それぐらいに江戸後期~明治の世界は、底なし沼・・・・・・です015.gif
(も~がん~ど~♪・・・・と『無間道』の主題歌を口ずさみたい気分(笑))
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by aroe-happyq | 2008-01-22 10:45 | | Comments(6)

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by aroe-happyq | 2008-01-19 14:41 | お知らせ | Comments(0)