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東都アロエ

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第3回 函館新聞大正7年4月30日

○伊藤源右衛門翁(72)の回顧談

▲謀反の連判帳作製

確か戦争前だった。幕府の御家人の浪人で平山金十郎という大きな男は
七飯に篭もって居たが、何うかして徳川の恩を報じたい、
幕府のためにひと旗挙げたいと内々同志を募り
五稜郭を乗っ取ろうと企んで居た。
……謀反の連判を作って町方の人も大分加わったあった。
事未発のうちに露見して平山も二の腕と信頼した組頭までした荒木や
御用人の花輪五郎などが捕われた。その時飯田という花輪に仕えた男は
足軽の株を買って牢屋番をして居たので、旧主人である花輪や、
その外の五六人を五稜郭へ連れて行く途中わざと逃がした。
平山はその後どこへ行ったかようとして知れなかったが、
平山は花輪と共に山の中に潜んだ。
乱暴な平山は花輪を手足纏いだといって山の中で斬ってしまった。
反対に飯田は大事の罪人を逃がした罪によって
毎日厳しく調べられてついに入牢させられた。

▲六尺の大太刀
平山は姿をくらまして、誰も行方を知るものがなかったが、
脱走軍が五稜郭に立て籠もった時、どこからか出て来たかヒョッコリ現われてきて、
とにかく一方の隊長になった。
入牢していた飯田も引っ張り出されて兵士になった。
七飯から妻子や道具を引き揚げて平山が入城した時、
たくさんの武器があった。和筒(鉄砲)、弓、槍、太鼓太刀、薙刀、鎧など
ドッサリあった中に朝比奈三郎の帯したという六尺あまりの大太刀があった。
巾巻寸あまりもあった大小二本で三十貫、馬の背にしたら痩せた馬は大分疲れた。
なにせ鍔も八九寸あって、三人がかりで抜いてみたが真っ赤に錆びて居た。
平山は常におれは朝比奈三郎の末孫だ、チャンと系図書があると威張って居た。



平山金十郎、花輪五郎登場!
次回はさらにVIPが語られます。

まだまだ・・・つづく(笑)
(次回は火曜日あたりにーーー)
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by aroe-happyq | 2008-02-29 09:52 | 箱館または釜さん | Comments(0)

孝明帝の死因

長年にわたって、病死か毒殺か・・・・・・・で争われてきた孝明帝の死ですが、
最近はいろいろな本に「病死だった」と書かれるようになり、
病死説に落ちついた感があります。

その根拠となったのが、『公家と武家 Ⅲ』(思文閣出版)収録の、
杉立義一「孝明天皇の死因について」という論文でした。

杉立氏は孝明帝の長年にわたる疾病歴を調べられ、
ずっと虚弱+慢性的な痔疾・脱肛+ストレスで
免疫低下の状態であったことを指摘されました。

こんな体調最悪なのに、
家近良樹 著『幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白』(中公叢書)
には大酒をくらっている姿がたびたび登場します(笑)。
これではもう・・・・いけません!
漢方でいえば、痔だの脱肛関係は「肝」の不調が大きな原因だと
ものの本で読んだことがあります。
今回の論文によれば、
帝も治療しようと漢方薬を随分飲んでたようですが、酒飲んじゃ意味が
ないぞ~~~と・・・・・にわか漢方好きとしては、呆れたりして(笑)。
(止めても飲んじゃうんだろうなぁぁぁ・・・・)

論文では触れられておりませんが、
慶応年間は精神的にもダメージばかりでした。
ついに条約勅許を認めてしまい、
「攘夷」を支えに権威を示してきたその地位も揺らぎ始めていたのです。

そんなところに毒性の強い出血性疱瘡にかかってしまったため、
36歳という若さでなくなってしまった、ということでした。

こちらの論文には複数の孝明帝の侍医の日記を使って、疱瘡にかかってからの
数日間の記録を追っていて、たいへん見ごたえのある史料も紹介されているので、
孝明帝の最後に興味がある方は是非、ご一読くださいませ。
(とおっても、面白かったです☆)


こうした帝の疾病歴など秘中の秘・・・・禁裏の外の人が知るはずもないので、
慶喜以下(永井とかも)、いったん回復に向かったかにみえた帝が急死したと聞いて、
すわ毒殺だ!と思っても致し方ない事です。
(お酒をガブ飲みする人が通常から不健康って・・・・フツー思いませんものね(笑))
遺体を確かめさせてくれ、と公儀が詰め寄ったとしても不思議ではなかったでしょう。
毒殺説が長年消えなかったのも、頷けます。

こうしたわけで、病死説でほぼ確定ということらしいです。

脚気+虫歯・・・でやはり免疫不全でなくなった家茂将軍にしろ、
この孝明帝にしろ、「なるべくストレスを貯めないように」と医師に指導されたって
立場上、絶対にムリ!・・・・・。
もしストレスから完全に逃れるとしたら、
(この二人、真面目そうだから辞職しても不可能そうだし)
永遠の眠りにつくしかなさそうというのが・・・いっそう気の毒であります(涙)。
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by aroe-happyq | 2008-02-27 10:43 | 広く幕末ネタ | Comments(0)

週末に打てたので、2回目いきまーす。
(基本的には毎週金曜日のつもりなんですけどねっっ(笑))


第2回 函館新聞大正7年4月29日 

○伊藤源右衛門翁(72)の回顧談

源右衛門翁の親戚に若い兄弟が二人あった。一人は海軍で共に官軍に加わって居た。
兄の方は朝陽艦に乗って居た。弟の方は陸軍であったが、
二人ともあっぱれ名誉の戦死を遂げた。
妙なもので私は幕府方で親戚の者は官軍、敵味方となって互いに弓を引かねばならぬとは……。二人は今なら金鵄勲章でしょうと憮然として語った。

▼幕軍の案内が茂平
七重浜に新田茂平という漁師があった。幕軍に頼まれて水先案内をした。
もし戦(いくさ)に勝ったら、莫大の恩賞を貰っていたであろう。
少なくとも七重一ケ村は貰ったに相違ない。
夜軍(よいくさ)は絶対にしないことになって居たのであるが、
茂平にいい附けて夜陰に乗じてコッソリ幕軍は小舟を数隻漕がした。
川を挟んで両軍対陣して居たのであるが川尻から海へ漕ぎ出して、
夜色沈々たる官軍は露営の夢遠く、故山に飛んで余念なき所へ、
一時にドッと鯨波をつくって討って出たので、官軍は狼狽し、
ソレ夜討だとにわかに銃を握って起ったが、不意を喰らって大損害を蒙った。
後で茂平は官軍に捕われ訊問され非道い目に合わされた。

▼各町に賭場開始
脱走軍が勝った時だった。すべてが寛大にしたので賭博が大流行。
シカモ賭博御免というので城内でも兵卒が毎日毎日お台所で博打を打った。
それから船場町には幕府賭場が出来て居た。
旅籠町、弁天町などにも大きな賭場が毎日開帳されて居た。

▼松前公着用の鎧
福山から毎日毎日分捕品が山のように来た。
馬の背によって運ばれてきた中には、尺余の位牌などもあった。
お寺の物や何やかやで一杯であったが、
掛物などの中には随分高価な有名な人の筆になったものがあったが、
位牌などは後で焼き捨ててしまったが、
中には松前公の着用になったという立派な鎧もあった。



2回目でいちゃもんつけたかないですが、
なんか・・・・いきなりとんでもないくサイドストーリーに飛んじゃってます。
覚悟はしておりましたが、なんかもそっとですね、
お客が聞きたい話はもっと別の方向にあるぞー!(ってわたしだけすか??)

とはいえ、賭場ですっちゃって、着る物も剥がれ、すってんてんになった場合、
脱走軍のみなさん(土地に不慣れだし)・・・・凍死しないか心配です(笑)
しかし賭博「大流行」って。
まったくお奉行はどこのどいつだ!? はっ。…・・・永井じーちゃんだっっ(汗&笑)
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by aroe-happyq | 2008-02-25 10:33 | 箱館または釜さん | Comments(0)

先日のぽかぽかの日に半蔵門から新宿まで歩いてみたのですが、
そのときの新宿レポです(笑)。

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四谷区民センター外にぽつんとある、四谷大木戸跡を示す掲示板やら石碑です。

とはいえ、四谷大木戸は寛政年間には取り払われていたので、
(石垣だけオブジェのように残してあったとか)
あまり感動は呼びません(笑)。
たしかに江戸初期にはこの大木戸を境にして、四谷まで府内、新宿は府外
だったのですが、
江戸府はどんどん拡大してしまい、↓文政元年制定図では、
現在の山手線のラインを軽く越えている大きさです。

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                  (『大江戸八百八町』展図録より)

※うちのブログ、画像拡大機能がないので見え辛くてすいません。
 赤いラインが江戸府境界ライン、黒いラインが江戸町方支配地域です。

なぜか近代になって江戸府境界は江戸初期制定ラインが定説になりましたが、
これでみると、四谷大木戸の意味はまったくナシですね。

ちなみにこの御公儀制定ラインでいくと、我が家はめでたく御府内♪(笑)。
大学のとき、江戸について熱く語る自分(←東洋史専攻の分際で)に対し、
「だって○○さん、御府外生まれでしょ?」と会津男に小バカにされたっけ。
当時、これを知らなかったのが口惜しうござるっっ。
(とはいえ、自分は江戸ではなく東京っ子で充分でございます)


さて話は戻って、この区民センターの裏には、

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玉川上水記念の看板もあります。
ここは、徳川家光ファン、松平伊豆守など江戸初期ファンには必須ポイントです。
玉川上水開通式というのが盛大に行われた場所がこのあたりでして、
家光たちがやってきて、上水の開通をみて、祝いを行った場所なのでした(笑)。

いまから随分前ですが、まだ玉川上水が新宿御苑脇まで流れていたのを
思い出します。
今度新たに新宿御苑散歩道内に上水を復活させるそうですので、
ちょっと楽しみです☆


さらに新宿追分方向に歩いていくと、太宗寺があります。
高遠内藤家の菩提寺で、江戸時代は随分と大きなお寺だったそうですが、
今では・・・・・・・フツーサイズです。

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閻魔堂が有名なお寺ですが、この寺とくれば!
新宿に遠乗り(つかピクニック)に何度も訪れた、阿部伊勢守正弘さんの
お休み処です(笑)。こちらのお寺で昼食(弁当)を食べたとか。
阿部ちゃんファンの隠れポイント、でもあったりします♪


・・・・・・で〆に「新宿追分」の標識を撮影しようとしたら、
現在は地下鉄工事のため取り払われておりました(涙)。

しまりのない終わり方ですが、
このあたりでぶらり新宿通りさるくを終わりたいと思います。
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by aroe-happyq | 2008-02-23 10:18 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)

函館戦争五十年物語 (1)

今年は安政五カ国条約から150年ですが、
戊辰戦争から140年。
榎本さん没後100年でもあるわけです。

細かくいうと箱館戦争は1869年なので翌年なのですが、
なにかやらなくちゃということで。


昨年国会図書館でコピってきた、
函館新聞 大正7年4月28日~5月13日、全16回連載
『函館戦争五十年物語』

の紹介の連載を、週一回ずつやろうかと思います。


長いので、全文は紹介できません。
大正当時の細かい函館の話題・・・・・は割愛させていただき、
(当時の地元にしかわからないお話のこととか、個人情報関連)
もっぱら箱館戦争談の部分のみとします☆←とはいえ、ほとんどコレです(笑)

全文は国会図書館、函館図書館等にてマイクロ化された函館新聞を
ご覧くださいませ。

また、旧字は現在の漢字に置き換え、どうしても判別できない字は□とし、
「~のやうに」というような表現も「~のように」と読みやすくしました。
ときどき文章が微妙なときがありますが、そのママにしました(笑)。

この回顧談は多くの箱館戦争本の元ネタになっているので、
あの人やこの人の新発見なネタには乏しいと思いますが、
有名人以外の些細なエピソードが面白いので、
そのあたりを楽しんでいただけたらさいわいです。


第一回 (函館新聞 大正7年4月28日分)

○伊藤源右衛門翁(72)の回顧談

この人は五稜郭の太鼓番であったので、同戦前と、同戦後の物語は、
絵巻物を繰りひろげる様にあると、一日翁を訪問して見た。
翁が昨日の事のように語りだしたは、こうである。

▲茶汲みと会議室

源右衛門翁は十九の春五稜郭の役所に入城した。その翌々年の秋、
榎本方の幕軍が脱走して来たのである。
翁は引続き給仕としてまめまめしく仕えて居た。
ちょうど戦争がおえた時は二十一の時で最初は給仕であったが、
後で太鼓番に代わった。

会議室は一の間、二の間といって四間あった。
一の間には榎本、大鳥、松平、それに仏蘭西人などが交じって、
毎日毎日戦(たたかい)の会議を開く。

翁は何時も喇叭(ラッパ)卒と共に一緒で、四の間に起臥して居た。
用があれば呼鈴(ベル)を鳴らすので出て行く。
高い高い函館を一目に見下ろす櫓からは
毎日りうりうたる勇ましい喇叭(ラッパ)の音がする。
飯を食うにも人員点呼にもすべて喇叭(ラッパ)であった。

翁は時太鼓を打つのに高い高い櫓に猿(ましら)のように駆け登るのであった。
血気の翁は敏捷に高い櫓に駆け登ってとうとうと時太鼓を打ち鳴らすのと、
鈴によって榎本の会議室にお茶を運んでいくのがその頃の役目であった。


~以下、二回(来週)へ続く。
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by aroe-happyq | 2008-02-22 09:54 | 箱館または釜さん | Comments(0)

本日ふたつめの更新デス(笑)。

昨日、やっとみてまいりました☆


「~幕末・明治の古写真展~ 写真館 『上野撮影局』 誕生 上野彦馬が愛した長崎」

場所: JCIIフォトサロン (東京・半蔵門・日本カメラ博物館のとなり)

サイト→こちら

期間: 2008年2月5日(火)から3月2日(日)まで
       (毎週月曜日(ただし祝日の場合は開館))

入場料: 無料



長崎幕末の写真、堪能しました=。
長崎の古写真館でみた写真もありましたが、あれからさらに幕末長崎の情報を
集めてきたので、よりマニアックに楽しめたりして。
とくに今回の彦馬写真は明治ではなく、幕末の写真が多くて、
長崎伝習所のあの人、この人、長期出張したアノ人たちなどが
「ここ歩いたんだろうなぁ♪」ともれなく想像できて楽しかったです(笑)。

医学所はなんと二枚も写真が!!
松本良順ファンはまさに必見ですヨ☆

それから明治期に長崎を訪れたアメリカ人さんたち(海軍関係)
の妙なコスプレ写真・・・・・・・。これってどーよ???
みたいなものも多くて愉快でした。

彦馬さんの写真館が長崎聖堂のすぐ近所・・・・ということに
今まで気がつかなくて驚きますた(笑)


ギャラリーは広くはないですが、平日なら空いているし(汗)、たっぷり写真を
眺めることができます。
場所が半蔵門ですので、
帰りはぜひぜひすぐ近くの旧江戸城の美しい三宅坂のループなど
眺めてから、お帰りくださいまし。

暖かい陽気だったので、
ちょっと「さるく」したくなり、四谷方向へ散歩してしまいました。
といってもこのあたり、秋に歩いた筒井、川路邸のすぐそばなので
それほど新鮮さはなかったのですが(爆)。
つい、勢いで四谷三丁目の消防博物館(無料)に寄ったりして。

消防博物館サイト→こちら

(それほど広くはないですが、楽しかったデス)



・・・・・もうじき、春だなぁと、暖かな日差しを感じて、しみじみと実感しました☆
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by aroe-happyq | 2008-02-21 14:25 | 長崎伝習所系 | Comments(0)

天地人 主役正式発表

随分前にフライング報道が出ましたが、正式に発表になって
なによりです♪♪

スポーツ報知→こちら


写真をみるとさっそく妻夫木さんの背後には、


「愛」の字が!!!


わたしの周囲では2009年大河の担当脚本家さんへの
不安の声がかなり前から聞こえているのですが(笑)、
(つか、わたし自身もちと・・・心配)
なんとか乗り切って、楽しい大河になることを祈っております☆
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by aroe-happyq | 2008-02-21 09:34 | ほんの世間話 | Comments(0)

前作はエリザベスが女王になるまでを描いたため、
歴史的大事件がストーリーに入らなかったのでちと物足りない感が
ありましたが、今回はメアリー・スチュアート&スペイン無敵艦隊!!!
これはもう観なきゃ♪♪ということでさっそく鑑賞してきました(笑)。

(以下、ぜんぜんネタバレはありません)

※前作を知っているほうがより楽しめますが、知らなくても
じゅうぶんに観て楽しめる作品です☆


公式サイト→こちら

約9年前の前作もケイト・ブランシェットの声はとても史劇向きで素敵な声でしたが、
今回はさらに磨きがかかって、すんごく迫力ありました。
この声が生かせる場こそ、まさにこのエリザベス役です!

VSメアリー・スチュアートのエピソードも楽しめましたが、
やっぱり盛り上がるのは、VS無敵艦隊♪♪

世界史でも西洋史を習ったのは随分昔のことゆえ、
エリザベス英国が無敵艦隊とどう戦ったのか、すっかり忘れていたおかげで
とおっても新鮮で、迫力ある映像にうっとりしました。
(こういうとき、CGってホントに有難い)


・・・・・つか、エリザベスのほうがかなり立派な

レッド・クリフ(赤壁の戦い)してない??(笑)

かっこよかったですぞ☆

最後に、前作でファンだったエリザベスの側近ウォルシンガムが変わらず
彼女のそばにいたのが嬉しかった☆
(つか、いきなり女王に後頭部はたかれていて、可愛かったっす(爆))



こういう大人の鑑賞にも堪える史劇、日本を舞台にした映画でも
みてみたいですなぁ・・・・・・・・・。
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by aroe-happyq | 2008-02-20 11:01 | ほんの世間話 | Comments(2)

狭すぎる部屋と階段

いろいろツッコミどころ満載の「篤姫」。

いちいち書くとたいへん長くなるので、ここでは
たったひとつだけ叫ぶのをお許しください。

江戸城外景のいまいちやる気のないCGはまだ、いい。


だけど・・・・・・・・・


まるで老中阿部ちゃん部屋みたいになっている、
(つか、そこしかセットねぇのか、というような)
あのちょっと中流長屋の一階風の、階段ヨコの
小さい空間は・・・・あれはいったいなに!???(爆笑)

松平薩摩守(斉彬)と話すときも、あそこ。
海防掛と「別段おらんだ風説書」を前に会議するのも、あそこ。

あんな階段下の部屋で「このことは他言無用」って、
それはムリでございます、阿部伊勢守っっ。
あのように、こっそり聞いて下さいと言っているような階段下で!(笑)。
つか、聞こうとしなくても、二階に聞こえちゃうっす。

それに二階部屋が多いのは、文久年間から使用の西の丸仮御殿のほう。
阿部ちゃんがぶいぶいいっていたこの嘉永年間は本丸御殿ですので、
二階があったとしても、あのように老中が使う部屋に階段・・・・などという、
露骨に「貧乏感」あふれた柳営ではありますまい(涙)。

大奥を豪華にする分、中奥や表向セットの予算は削減、
あのセットのまま文久、慶応と使いきろうという腹心算かもしれませんが、
せめて、阿部ちゃんご存命中は階段・・・・・とってください~~~。

だってまだ幕末じゃないしーーーー。ペリー浦賀に来てないもーーーん(涙)


・・・・・おまけにもうひとつ。
「海防掛」というだけの役職はございません。
目付海防掛とか、老中海防掛とか、○○+海防掛という感じでございます。

すでに暗雲たちこめる・・・・江戸城・・・・・(汗)。

うちでこのドラマがTVについている以上、家の者にまつがった知識を
植えつけられないよう、訂正する役目ゆえにみているような、
なんだかドラマ目付な今日この頃です(笑)
(そうじゃなかったら、とっくに見るのをやめているのですけど)
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by aroe-happyq | 2008-02-18 10:20 | ほんの世間話 | Comments(2)

お弁当メーカー

かつて脳内メーカーではさんざん遊ばせてもらいましたが、
今度はお弁当メーカーで遊んでみました☆


まずは幕臣の鑑ともいうべき、川路左衛門尉聖謨さんのお弁当から。

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割と・・・フツー???でしょうか。
ただご飯の真ん中に「豚」って・・・・・梅干のほうが食中毒の危険がないと思うのですが(笑)。

続いて、岩瀬肥後守忠震さんはどーでしょ???

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野菜少なくないっ・・・・すかねーー????
肉と魚ばっかじゃないすか!
さりげなく、川路先輩より20円高いです♪


ではいとこの堀織部正利煕さんは。

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さすが五稜郭(奉行所)建設を熱心に進めた男です。
弁当にも城壁が!!!!
(ただ、これだと四稜郭ですけど(笑))
しかし・・・・飯の壁のまんなかに・・・・なぜか筍????
お値段は抑え目のようです(筍だけしか具がないのでは当然のお値段かも)。

いろいろな人の弁当メーカーをやりましたが、
たいていは川路さん弁当のような一般的な内容なのですが、ちょっと
こんな人もおりました。

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水野筑後守忠徳さんです。

きれいにまとまっているのですが、飯ナシか!みたいな(爆)。
それともどうしてもこのラインナップが食べたくて、
食費切り詰めのため、飯カット????

長崎奉行やるとお金がたまるはずですが、出張多い(この当時、自腹デス)
から節約しているのでしょうか???

出張多いといえば、この人も。永井玄蕃頭尚志です。

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かなり値段はお安めに抑えてはいますが、
この偏食ぶりは・・・・・どーなのよ?????
やっぱり大名の元ぼっちゃんだから、こーゆーセンスなのだろうか。
牛と貝って・・・・?? うまいのだろうか・・・・・・・・・・・(爆笑)。


気を取り直して、永井といえば海軍、海軍といえば!!!!釜さんです。

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つーか、300円!!!て?

まんなかの「葉」って・・・・・・・いろどり付きってこと?(爆)

破壊的な安さの割には、この充実した具はどうしたのでしょうか。
いえ、これぞ江戸っ子、御徒町価格なのかもしれないっす(笑)。
・・・・・きっと築地操練所時代のお弁当だと思いますが、
あまった弁当代は来るべき留学のために貯金しているか、本や語学塾代に
消えているのでしょう。


海軍といえば、


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勝さん・・・・「」って?

しかも950円!!!!!!現在最高額です。


さーて、勝麟さんといえば、腐れ縁??ともいうべき慶喜さんの弁当は
どんな感じでしょうか。

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まさに、「豚一」!!!


・・・・・この人って脳内メーカーのときもそうでしたが、
けして外さない、奇跡を呼ぶ男です(爆)。
なんで、こんなに「○○メーカー」シリーズでいっつも美味しいの?

豚一さんといえば、京都活躍中の頃、やっぱり京都でも豚を食べるのを
やめていなかった慶喜さんは手持ちの豚肉を食べきったとか。
「そうだ、薩摩屋敷にあったはず」と、薩摩美食王の小松帯刀さんに
「豚肉、くれ」と要求(笑)。小松さんは大事にとっておいた豚肉を泣く泣く
慶喜に差し出したとか。「大名ってわがままでキライ」と大久保に
愚痴手紙を書いた小松さん・・・・は戊辰の大事な時期に痛風でした。
(以上、幕末京都食い倒れ豚肉伝説でした)


せっかくVIP級に出てもらったので、次もエライ人を。
白い小太り老中、阿部伊勢守正弘の弁当やいかに!!

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値段はそこそこ高めなのに、この地味さはいったい!?

もしかしてダイエット中なのかーーーーーー。

このままだと、勝弁当がいちばん豪華になってしまうが、
もう一番対抗していただきましょう。
しかも対戦相手は勝さんもおなじみの、家茂将軍です。

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なぜか老中と御揃いですけど~~~~~~、
こっちは580円ではありませんかーーーー。
弁当代でも気遣いをみせてしまったのでしょうか、上様。
(つか、豚一と大違いすぎて、な・・・・涙が・・・・)

江戸後期、老中とか将軍とか柳営のエライ人ほど、質素だったかもしれません。
・・・・それに比べて後三卿は・・・・・・・・(笑)。

とはいえ、結果的に勝麟さんの弁当が一等豪華だった!
という結論でお弁当メーカーでのお遊びは終わりにしたいと思います(笑)
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by aroe-happyq | 2008-02-16 10:51 | 広く幕末ネタ | Comments(8)