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東都アロエ

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流泉小史著
「新選組剣豪秘話」
新人物往来社







組!ブームの頃から読んでみたかった、この本。

なぜか図書館になく、また古書はとんでもなく高かった・・・・・・・・・・。
去年あたりから、組!ブームが落ち着いたのか??「京都守護識始末」全2巻も、
やっとリーズナブルに入手できたのですが、この本もようやく新書並みのお値段ということで、
待ってました、ということで手に入れてみました☆

吉原での歳三大暴れ(しかも、相手は容堂侯!?)とか、
伊庭さんが試衛館に出入りしていたとか、
小栗が剣客だった!?とか、わくわくするようなお話満載で、
アッという間に読み終わる・・・・・・はずだったんですけど。

1ページをめくったら、とんでもない記述が!!!!!!!


浅草なる弾左衛門が宿において、
死屍試斬のことあり、
清川また日頃知遇をうけている、
水野痴雲ー前の筑後守ーの紹介でこれに参会し、


・・・・・・え????

清河八郎と水野筑後守がお知り合い!???


これが実話なら、あまりに衝撃の接点であります(笑)。

どういう経緯で互いに知遇を得たのだろう???
・・・・調べても、今のところよくわかりません。

清河さんて、福地と知り合いとか???
山岡鉄太郎と水野が知り合いとか????
誰が二人を取り結んだのだろう~~~~~~~~☆

なにせ1ページ目から、こんなパンチをくらってしまったので、
せっかくの「新選組」モード脳が、一気に外国奉行脳に変換されてしまい、
水野のことが気になって、ほかのエピソードが頭に入ってくれません!!(笑)

ちなみにこの本には「清川八郎」コーナーもあるのですが
そこに水野は登場しないので、ますますナゾが深まるばかりです。

清河八郎にさっぱり詳しくないので、どなたか水野筑後守とのお話をほかに
ご存知の方は、教えてくださーーーーーーい!!!!


そしてもしもこれが実際の話なら、
浪士組の上洛には、恐ろしいほど開明派(俗にいう開国派系)の関与があったことになります。
言いだしっぺの清河八郎の知り合いが水野だとして(←間違いなくバックアップしたでしょうし)、
浪士取扱の担当目付は堀織部の息子の利孟さんで、
引率は代打ですけど鵜殿さんで、
京都で待ち受けるは永井尚志・・・・・・(笑)。

そもそも。
清河って攘夷派なのに・・・・・・水野と親しくていいのかな・・・・・・・・・・・・。


というわけで、なぜかこの本のカテゴリーは「外国奉行ズ」になりました♪
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by aroe-happyq | 2009-02-27 10:26 | 外国奉行ズ | Comments(11)

昨夜。

とうとう、「その日」がやってきてしまいました。

思えば、昨年8月の函館で予告されていた、xデー。

水曜どうでしょうのレギュラー放送分、終了ですっっ。

どうでしょう江戸藩士もついに見届けてしまいましたーーっっっ(涙)



来週からも放送は続くのに、とてつもなくさみしい。


だって新作作ってないし。
もうおわりが見えているのですもの。

正直、どうでしょうのない水曜日なんて、もう想像ができません!

終わるな、永遠に続いてくれーーー、水曜どうでしょう~~~~~!!!!
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by aroe-happyq | 2009-02-26 10:09 | 水曜どうでしょう | Comments(3)

旧江戸城の梅 2009

暖冬というお話ですが、少なくとも東京は・・・・いつになく寒い冬であります(涙)。

それでもなんとか春の気配を探して、今年も皇居東御苑、旧江戸城の梅をみようと
思っていたのですが。
昨年はちと行くのが早すぎて・・・・・でしたが、さて今年は???

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ここが江戸城と呼ばれていたころから、梅が名物だった梅林坂です。
つまりあの人やこの人たちもこの坂の梅を見たかもしれません♪


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なぜ上向き撮影かというと、意外にも人がたくさんいるので・・・・・。


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うーむ。

どうも盛りがすぎているようでありました(涙)。

こうなったら、来年こそリベンジだ!!!


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実はこの日、写真家さんたちに一番シャッターが押されていたのが、この花。
場所は本丸御殿跡のわき。

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↑こちらも人気ナンバー2でした☆


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さて。
本丸御殿脇のベンチで、しばし妄想、いえ・・・・ここに御殿がたっていた頃を
追想いたしました。

ここは元「彼ら」の職場、です。


何度きても、癒しの空間♪♪
なんとも幸せな気分になります。←マニアだからね♪




しかーし。
だだっ広いこの空間・・・・・・・・・・ホントにもったいない。
日本の各地でお城の復元がされているのをきくと、どーしても叫んでしまいたくなります。



・・・・ここで、ゆっちゃっても、いーすか???




「オリンピックはいらない。
立派な江戸城本丸御殿が欲しいの!」


以上、
SATC映画版のキャリーの名台詞「ダイヤは要らない。大きなクローゼットが欲しいの!」
風にして叫んでみました(笑)。

五輪なんて所詮はひと夏の花火、あだ花じゃありませんか!
終わったら忘れちゃうよーなもんでしょう~に(笑)。
その資金を、長く使える観光資源ともなる江戸城本丸御殿建設にまわすほうが
よほど生きたお金の使い方だと思うのでありますよ。

この日だって、どんだけ外国人観光客が来ているか!
この知名度を内需拡大に使わないテはありません。

ま、その前に都民としては「新銀行東京」なんとかしてくれないと、ですけどね!(爆)
都税を無駄に使われて、心配この上ありませんっっ。
五輪とかでごまかしてる場合じゃないしー。

むむむ、さすが江戸二百数十年も政治の中心地だっただけあります。
ここにいると、そーゆーモードになるのだろうか?
いつになく、政治向きな叫びも出てしまいました☆
(でも本題はあくまでも、本丸御殿プリーズ~~~~~~~っっ←シツコイ!)
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by aroe-happyq | 2009-02-24 10:49 | 江戸東京あれこれ | Comments(6)

いつでもいけると思うとなかなかいかないシリーズ!

今回はかつて、
西ノ丸下とか、辰ノ口といわれ、老中・若年寄の官邸街「大名小路」にあった
阿部正弘邸跡(推定)です。

老中首座の屋敷ということで、弘化~安政2年ごろまでは
毎日のように面会を申し込む人、挨拶にきた人、用談に来た人で
朝から日暮れまでずっーと門の外まで客があふれていたとか。
日米和親条約を結んだ後には、門に抗議の落首を貼られたり、書かれたりで
いいことばかりではありませんでしたが、
それもこれもここが当時の政治の舞台のひとつだったためであります☆
安政の江戸地震のおりには、屋敷が全壊する大きな被害にもあいましたが、
正弘自身は庭へ飛び降りて、難を逃れました。
しかしここの土地は江戸初期の埋立地で、もとはといえば、海でした。
そんなこともあって脆弱な土地なのであります。
東京駅が日夜、地下の奥深くで地下水と戦い、地盤沈下をかろうじて防いでいる
なんてことも、そういう土地ゆえ・・・・・。

正直、ジメジメした土地で、このあたりに住むのはたいへんだったかもですが(笑)、
10年以上、ここを官邸にして(地震のときは別宅に仮住まいでしたが)老中の座にあり、
阿部正弘は39歳でこの場所で、世を去りました。


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丸ビルの裏手あたりが、そうらしい。

さすが阿部伊勢公、便利なところにお住まいです(笑)。

いや、江戸時代は繁華なところではなかったんですけどねっ!
(明治時代に、空き地になった大名小路一帯を、ざっくりと三菱@岩崎弥太郎が買い上げて
土地開発したから、なんですけど)


では江戸時代にはどれだけ便利だったのか?

そこで急遽「阿部さんの出勤はどのくらいかかる?」かを調べてみることにいたしました。
秘密兵器はもちろん、先日購入のストップウォッチ♪

それでは写真の↑地点から、スタート!!!!!

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和田倉門~大手門コースで進んでおります。

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巽櫓をみながら、堀にでました。

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ちょっと早足できちゃいましたのですが、大手門までだと、こんな感じです。

老中は午前10時の太鼓が鳴り終わるまでに、本丸御殿玄関に入らなくてはならない
きまりでした。
・・・・・老中衆はそれに合わせて自宅を出るのですが(安政地震までは乗物、以後は
乗切といって馬に乗り、供の数も少なくささっと登城スタイルに変ります)、
ときどき遅刻しそうになる人がいたりすると・・・・・・・太鼓がいつまでたっても
鳴り終わらない(笑)、なんてことがあったそうです☆
(遅刻したのが城内にバレバレっっ)

さて、登城する人々は、
大手門はいって乗物(または馬)から降りて、徒歩で玄関を目指します。


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番所を通過し、

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中之門を通過・・・・・・・・・・って、ここからちょっと上り坂です。


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将軍就任の大イベント、江戸の町人(抽選で選ばれた町年寄たち、とその町年寄から
権利を買った見物人たち)と一緒に新将軍が能を観る「町入能」の記録をみると、
すでに前の晩から「祝い酒」で酔っ払った町人たちにとって、この坂はキツかったらしく、
ゴールの御玄関に到着したら、その玄関脇にあった防火用の桶の水を飲んじゃう人
が続出してしまったとか(笑)。
たしかにちょっとキツイ坂です・・・・・。
阿部正弘さんは亡くなる直前まで、ずっと小太り体型を維持していた人なので、
この坂はよい運動になったことでしょう!(笑)

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本丸御殿御玄関付近。


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ゴールのタイムは????

・・・・・・・・・・・ふつーに歩いてくると、こんなものらしいです。

伊勢さんだと途中で乗物から降りる時間とかも考えないといけないので、
20分みとけば、大丈夫だったのでは???(笑)
(もっとのんびりと登城の際は、30分かもですが)

・・・・・・そもそも旧江戸城に梅を観にきたのが、この日の目的でして、
次回はいよいよ本題でーす。
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by aroe-happyq | 2009-02-22 11:21 | お宅探訪シリーズ | Comments(0)

今年は岩瀬キャンペーンを強化するぞーと
誓ってはいるのですが、今回の記事もまた
「岩瀬の真相にせまる」という、いまいちキャンペーンと
呼びにくい!? いやむしろ、偉大さ半減の親しみやすさ
アピールになってしまいそうな・・・・・そんな感じです。

さて問題の史料は、明治10年ごろ作成?の修史館編纂の「岩瀬忠震事蹟」。

修史館ですぞ!
さぞかし立派な内容だと思うではないですか!

ところが、さにあらず!!!!(笑)

原文は東京大学史料編纂所のデータベースで公開中ですので、
全文はそちらで確認いただくとして。
こちら→所蔵史料目録データベース→岩瀬忠震事蹟→全表示→イメージ

岩瀬のナゾの多い(単に史料はないだけ)青年期について記した箇所を
カタカナをひらがなに変えて、紹介いたしましょう。

岩瀬源三郎 後(のち)肥後守

麻布我善防設楽某の二男。
設楽の近辺に聖堂勤番を勤る岩崎多左衛門と云者の弟子なり
書も此者の次子にて御家流を学ぶ。
十六七才より唐様を稽古せしか 書をよくなす
又画も誰の弟子やら一時困窮して提灯の画を内職にして
これが為め画も上手となる
武芸もこれと云 芸はなけれども 性賢きようす至て気軽にて
人をあなどらず 身をへりくだる癖あれば人に憎まれず故に
何芸も人交りをなして半人前は弓馬銃鎗とも出来たるなり



一時困窮して提灯の画を内職にして、これが為め画も上手となる

って、
ビンボーゆえに源三郎青年は提灯に絵をかく内職をしていた!とわ。

「一時」としかないので、設楽家部屋住み時代なのか(~22歳)、
岩瀬家お婿時代なのか(23歳~)は定かではありません。

①設楽家時代だとして・・・・・。

ビンボー!??
旗本設楽家って、1400万石なんですよー。
珍しい蔵書なんかがいっぱいあるらしいんですよー。
・・・・・つまりは実家がビンボーではなさそう!???

ということは源三郎青年の個人的なビンボー??
確かに嫡男ではなく部屋住みなので、基本的にビンボーですけど(笑)、
岩瀬家に養子に行く前とゆーと、22歳より以前。
この若さで、ビンボーといえば・・・・どー考えても「遊ぶ金がビンボー」にしか
思えないのですが????(笑)。
(親にせびれない金ってことですものね)

「義経様」とあだ名がつくほどの容姿端麗っぷりで、
どこへ遊びに行くんでしょうね????(なんちゃって)
愛宕下に住んでいるというわけで、増上寺のほうへちょい曲がると
花街がないわけではないし☆(そんな近所ではなく、もっと遠くに行くかも)

でもこんな人生経験があればこそ???でしょうか。
安政4年に長崎出張中、ニ期海軍伝習所の稽古人たちが
夜な夜な抜け出して丸山にいくのを、「伝習に支障がでないなら
大目にみてやろうよ」と、完全門厳制を唱える長崎奉行(兼勘定奉行)の
水野筑後守の説得にあたった、岩瀬の理解ある男っぷりも頷けます(爆)。
(説得には失敗したらしいです→だって相手は当世無双(@岩瀬)の水野だもの)

という話はさておき。

もし設楽時代の内職だとしたら。
独身の設楽源三郎時代は・・・・・バイトしつつ、遊び人!??(笑)


②岩瀬家婿時代だった場合・・・・・・・・

岩瀬家だって・・・800石。
ただしお舅の市兵衛さんは頓着のない人で、
家計のこともあまり気にしないほうだったらしい。
しっかり者の婿がやってきて、みーんな婿に家事のやりくりは
お任せだったようだ。
しかし、岩瀬家だって、婿が提灯の絵を描くほど困窮しているとも思えず。

さらに岩瀬家に婿養子に入って「夫」になってからの源三郎の交遊記録をみると、
学問所のお友達(男)数人といつも(毎日のように)、誰かの屋敷で詩作会やお花見やら、
・・・・・とつつがなく「清貧」かつ真面目にお過ごしです。
(家庭では子だくさんパパです)

お金がいるとしたら、料亭にいくとか、そのあたり・・・・・・・。
でも設楽家から毎月「お手当て」は届くし。
内職しなきゃならないほど、金使いが荒いようにもみえず。

もし岩瀬家時代だったら、
いったい、なんのための内職だったのだろうか!????(わからんっす!!!(笑))

・・・・以上のナゾについては、今後も調べていきたいと思います☆


ですが!!!!
こんなピンポイント情報を友人の随筆とかでなく、
なぜ修史館の「事蹟」で知らなければならないのだ!(笑)
「事蹟」って~~~~なんかもっとオフィシャルな経歴をのせるもののような。
つか、元ネタは誰情報なのだろうか????
(永井ではありませんヨ。岩瀬姓になってからのお友達なので)


それから、もうひとつ。

以前、こちらの記事で砲術教授ではないというお知らせをしましたが、

半人前は弓馬銃鎗とも出来たるなり

ということで、やっぱり砲術教授はムリ!とここについに決定しました(涙)。

武芸もこれと云 芸はなけれども」 
人をあなどらず 身をへりくだる癖あれば人に憎まれず故に
何芸も人交りをなして


「身をへりくだる癖」って・・・・。
なんかさんざんな書かれ方ですけど(修史館めッ)、
要するに武芸は×!そしてたいそう器用で如才なき男!
というわけですね♪

・・・・なんか、ますます最初にイメージしたとおりの気さくな人物で
嬉しいやら、有難いやら!?ですが、
あたくしは、このように武士としてはいまいちだけど(笑)、
面白そうな、退屈旗本男のファンでございます♪

しかし。
この修史館編「岩瀬忠震事蹟」、以上の箇所のあとは
よく知られている経歴を載せているのですが、
作事奉行になったのに、「普請奉行」と書いたり、
いまいち調査不足なところも否めませんので、
今回取り上げたエピソードの信ぴょう性も微妙なんですけどね。
でも面白かったので、ついつい・・・・黙っていられませんで(笑)。

ただ、ですよ。
ポジティブキャンペーンをやっているはずが、
なぜだろう、どうも岩瀬殿を雲の上からずりずりと引き摺り下ろして
いるような、複雑な想いはしてますけど・・・・・(滝汗)。
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by aroe-happyq | 2009-02-21 09:56 | 外国奉行ズ | Comments(2)

開陽、ガンバレーっ

CS放送のテレ朝チャンネルで、「おにぎりあたためますか」を視聴中。
本放送に遅れること、1年ということで、昨夜は2008年正月最初の放送分でした(笑)。
おもな内容は長野の旅、ですが、それは、ま、おいといて。

ミニコーナーのオクラホマの北海道縦断旅のほうなんです。

今回は藤尾さんのほうで、ヒッチハイクで江差の人と出会い、一泊。

次の朝、藤尾さんの「江差の名物に連れてって」というオーダーで
親切な江差の人が案内したのが、開陽丸青少年センター!

・・・・・が。その地元の人は開陽が名物としつつも、これについては、


よくわからないまま


とにかくかっこいいし、大きいから案内したのだといふ。
(あくまでも、なかには入らず、浜から船尾を眺めて楽しむ二人(笑))

つまり。

開陽は、地元の人にもいまいち!?わかってもらっていないようなのだ。007.gif

こんなところにも、知名度の少なさという落とし穴が!!!!
(つい興奮して書いたのですが↑小ささのほうが正しいような(爆)←動揺が隠せません)

嗚呼、どうしたら「よくわかって」もらえるようになるのでしょうか????


観ながら、思わず涙をぬぐい(笑)、開陽がんばれ!とつぶやきましたさ。
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by aroe-happyq | 2009-02-20 10:16 | 箱館または釜さん | Comments(4)

幕末の将軍

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  幕末の将軍
  久住 真也著

  講談社選書メチエ

  アマゾン→こちら




思わず、即買い♪です。

実は・・・・この本の著者の久住 真也氏の『長州戦争と徳川将軍―幕末期畿内の政治空間 』
をずーっとずーっと読みたいのですが、近所の図書館にはない、とても手がだせないほど
の高価な本で買えない・・・・ということで、いまだに縁のない一冊。
その方の、手が出せる新刊がこの本だったわけです☆

内容は、

家慶、家定、家茂らの知られざる苦闘を辿る 権威の将軍から国事の将軍へ――家斉に絶頂を見た将軍・幕府の権威権力がほころびゆく中、彼らはいかに闘ったのか。幕末政治の新たな枠組みを示す、画期的論考!
江戸城を不在にし「国事」に自ら奔走した慶喜は、歴代の中できわめて特殊な存在であった。では、将軍がそのように変質した契機はどこにあったのだろうか。そもそも、徳川将軍とはいったい何なのか。儀礼や伝統、先例や慣習といった事柄に着目したときに見えるものとは。伝統社会から近代へと転換する時代の中での家慶・家定・家茂らの実像とその苦闘とは。「権威の将軍」から「国事の将軍」への転換というあらたな視角を打ち立てる、画期的な幕末史研究。


とのことです。
なかなか興味深い内容ではありませんかっっ


というわけで、はやく読みたいのですが、それはちょっとムリ。
この週末には読めそうです♪
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by aroe-happyq | 2009-02-18 14:24 | | Comments(0)

前回の西郷どんに続き、第2回浜町シリーズですが。

またまた推定ですが(いつものことです)、
このあたりは数ある一橋家下屋敷のなかのひとつ、浜町下屋敷跡ではないかと
思われます。

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この一橋邸といえば、12代将軍家慶が慶喜少年をわが子のように可愛がっていた
頃、何度か訪問しているところです。
以前とりあげた記事の・・・・・・、

慎徳公は公の未だ鷹の事に慣れ給わぬを御覧じ、近く寄り来て、
「拳は斯くせよ、肱は斯くあれ」など、親しく御手を添へて羽合せしめ給ひ
又一橋邸臨御の時などは別けて打ち解け給ひ、
謡曲の催あるに当たりは、公に謡はせて躬ら舞ひ、躬ら謡ひて公に
舞はしめらるることも屢(しばしば)にて、常に例外なる寵遇を蒙らせ給ふ。

(『徳川慶喜公伝史料編』1史料番号25 弘化嘉永年間慶公の寵遇に関する談話より)

↑「一橋邸臨御」というのはここのコトです。

旧暦5月末の川開きのおりには
大川筋に屋敷を構える大名家はこぞって、武家花火を打ち上げたとか。
武家の花火は、基本がのろしなので、
地味でひょろひょろとした花火だったそうですが、
それでも他家より大きな花火を・・・・・と競ったそうです。
一橋家がその競争に参加したかはさだかではありませんが、
川開きの夜は、屋敷じゅうが大賑わいだったことは間違いなさそうです☆
もちろん一橋家だけではなく、この夜は東日本橋武家町のどこの屋敷でも
二階の、もっとも川のみえる部屋で宴を催していたようですが。

ご近所といえば、一橋邸に隣接するいくつかの屋敷のなかに、
美濃加納の永井家の上屋敷があります。
慶喜が将軍になると、永井肥前守尚服は若年寄になります。
年齢も尚服が3~4歳上ぐらいで、わりと近い年齢でした。

この永井家といえば、永井尚志の本家筋にあたります。
尚志もまた慶喜の将軍時代に若年寄になりますので、
慶喜の片腕は、なぜか浜町ご近所だらけとなりました(笑)。

偶然にしては(?)ちょっと面白いなと思います。
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by aroe-happyq | 2009-02-15 10:31 | お宅探訪シリーズ | Comments(0)

榎本釜さん系小説

先日、小夜さんのブログを拝見して、
古本屋さんで偶然みつけてゲットした宇江佐真里著「アラミスと呼ばれた女」を
まだ読んでいないことに気がつき(汗)、部屋内から発掘し読んでみました。

詳しいあらすじはその本を読んでいただくとして(笑)。

榎本よりも10歳ほど年下のヒロインお柳は長崎通詞の娘で
フランス語ができる。二人の出会いは釜次郎が二十歳ぐらいなので
相手はまだお子ちゃまで、その後再会したのは慶応3年の江戸。
芸者になっていたお柳・・・・・・芸者になっているわりには
うまくいうとピュア、そうでないと大人に成長していない(笑)彼女は、
再会した榎本釜次郎にフランスの語通詞の腕を見込まれて、
男装して箱館へともに脱走するフランスチームのブリュネの通詞となる。
ついでに釜次郎と恋に堕ち(笑)、さてさてその後は・・・・・。

男装の通詞というのは下母沢寛がよく書いている設定ですので、
とくに目新しくはなく。

感想は・・・・・なにげに「都合のいい女」だったお柳よりも、
この物語の最大の被害者は大塚霍之丞でした(爆)。以上!
(小樽にいくまで、ハラハラしちゃったっすーーっっ)


ふと・・・・・釜さんの出てくる小説って、数少ないわりに、
相手の女(ヒロインって場合もあるわけですが)に恵まれていないような
気がするのはわたしだけでしょうか???

他称「愛妻家」の榎本さんの物語には、
お多津さん(榎本さんの妻)の登場が少ないわりに
ほかの女性がいろいろと出てきます。

下母沢寛「行きゆきて峠あり」のお勝ちゃん、
「アラミスと呼ばれた女」のお柳ちゃん、
蜂谷涼著「雷獣」では小せんちゃん・・・・・・。

どーでしょうか、
このヒロインちゃんたち、釜さんの年齢に対して若すぎくないですか??
(「武揚伝」でオランダで再会する女性はさほど年若ではなかったですが)

そもそもお多津さんが・・・・・30すぎの釜さんに対して16歳前後という
若さで結婚ですので、それにあわせて??るのかもしれませんが(笑)。


例えば。
明治期はさておき。
戊辰~箱館あたりで釜さんがカノジョもつなら、
(すでに既婚者なんですけど、妻は年の離れた妹みたいな年齢だし)
もう少し年齢の近い、ときおりいいアドバイスなんかくれるような、
小粋な姐さんのほうが、しっくりくるような気がするのですが。
(勝手に設定するなら、三味線堀の幼なじみで、元御家人の娘で柳橋芸者とかね)
こう若いのが続くと、そーゆーシュミなのかとか、
アブナイっしょ、釜さんのイメージってば(爆)。

まったくの余計なお世話ですが、
ラテン系江戸っ子のモテ男(笑)、榎本べらんめぇ釜さんなんで、
若き日々ぐらいですね、
もう少し手ごたえのある、大人の女との恋の鞘当なんかが
読みたいっす。

あまりにこう・・・・かなり年下ヒロインばかりが続いたので、
対等な男女の、粋な会話劇などみてみたい自分としては、
とうとうグチりました(笑)☆
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by aroe-happyq | 2009-02-13 11:26 | 箱館または釜さん | Comments(4)

ちょっと古いニュースですが、
いまさらながらにみつけてしまいました☆

記事→こちら


2010年公開ですか~~~!!!

楽しみがひとつ増えました♪

ただちょっと心配なのは、
主人公のキャリーのお相手ことミスター・ビッグは
NYでは名うての投資家のはず・・・・。
金融危機が二人の生活にどうふりかかったか!???(笑)

映画版は金融危機直前に公開だったので、
SATCの世界はばら色のNYでした☆

4人のその後ももちろん気になるのですが、
リアルなコメディであるこの作品が描くNYの「その後」も、ちょっと楽しみです♪
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by aroe-happyq | 2009-02-12 20:04 | ほんの世間話 | Comments(0)