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東都アロエ

<   2009年 03月 ( 23 )   > この月の画像一覧

高遠桜

今年はまだ寒くてとても散策する気分になれず、
今のところ花見も遠出はせずにおります。

こちらはたまたま通りかかった四谷見附そばの「高遠桜」。ほぼ満開です♪

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↑花の下にはたくさんの人がいたので、こーんな感じで1枚(笑)。


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すぐそばは新宿御苑。前は高遠内藤家の下屋敷でしたので、
こうしてここで高遠の桜が拝めるわけです♪

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先日、TVで桜守(さくらもり)の樹医さんが「ちかごろ、桜といえばソメイヨシノばかりが
もてはやされるが、ほかにも奇麗に咲く桜はたくさんあるから、もったいない」
とおっしゃってまして。それが印象に残っておりましたが、
この高遠小彼岸桜、華やかで美しいですね☆



で、肝心のソメイヨシノはというと・・・・・・・・・・・・・


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こちらはうちの近所の木。
なんと2週間前にみたときに咲き始めだったのが、まだ満開ではありません!
なんということでしょう~~~~。

たしかに今日もまだまだ寒いです!
(花見などしたら、凍えてしまいそうです~~~~~~)

幕臣ファンといえば、墨堤の桜が気になりますが、まだ咲き始め~3部咲き・・・・
くらいだそうです。
徳川海軍派にはたいせつな墨堤の桜情報でした!(爆)
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by aroe-happyq | 2009-03-31 17:46 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)

実は!

日本は東京の・・・・しかも御茶ノ水に!あるんです!!


赤壁が!!(笑)



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 ↑
今は見る影もありませんが、たぶんこのあたり☆


江戸時代、このあたりは景勝地でした。

舟を浮かべてのんびりと大川へ下っていく・・・なんていう遊びをやっておりました。


で、当時の文人墨客は蘇軾(蘇東坡)の『赤壁賦』の大ファンばかりで、

日本に赤壁がないことを残念に思った誰かが、このあたりにあったキレイな崖を

小赤壁と名づけてしまいました(笑)。

ちなみに蘇軾が詠んだ赤壁は、三国志で有名な古戦場の赤壁ではないのですが、
三国志ファンだらけの江戸のみなさんはおそらく両方をダブらせて、
この場所で想いを馳せていたと思われます。

とゆーことはこの神田川は長江イメージ?????


江戸のみなさんの想像力のたくましさには恐れいるばかりです♪
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by aroe-happyq | 2009-03-27 17:40 | 江戸東京あれこれ | Comments(1)

ときどき検索をかけていたのですが、ようやく情報更新できます☆

まだいつかははっきりわかりませんが、

とりあえず、Y150会期中に会期中5月・6月・8月の3回、
横浜へとハウステンボスから、


観光丸がやってくる

ことはわかりました♪

公式ブログ→こちら


観光をみるなら長崎港まつりかな~~と思っていたので、
横浜で拝めるなんて、長崎海軍伝習所ファン冥利につきます☆☆

以下、つづく!(笑)続報をお待ちください♪
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by aroe-happyq | 2009-03-25 18:15 | 長崎伝習所系 | Comments(0)

どうも寒いですねーっっ。
昨年のようにガツンと気温が上がらないので、桜の開花が進みませんっっ。
もう少し暖かくならないと~~~といっても、来週までこんな調子なのですよね。
花見のタイミングがなかなかはかれませんっっ。


さて、ここのところずっとマイブームなのが大河ドラマ「太平記」!
毎回、大人の鑑賞にたえる大河ドラマ(当時はいたってフツーだったんですけど)
として、憎いストーリー展開に痺れております☆
やっぱこれ見ちゃうと「天地人」つらいっす=====。

そして鎌倉幕末も面白いですっっ

徳川家康が江戸幕府をつくるとき、「吾妻鏡」をかなり読み込んだらしいのですが、
そうでなくても、同じ幕府体制ということで、用語も政変パターンも江戸に似ております。
当たり前ですが「柳営」「公儀」などと出てくると懐かしくて嬉しいっっ♪
ただ、鎌倉幕府のほうが朝廷に容赦がない点については、
公武合体などとやっていた江戸幕末の徳川家臣はもっと見習うべきでした(笑)♪
(小笠原老中・・・・・実は水野痴雲・・・・・の挙兵なんかも大阪でやめてる場合じゃなかったっす)

ただ、鎌倉の武家幕府が金属疲労を起こし、一部の勢力による専横きわまった状態になり、
新たな政権をつくらなくてはならないというときに、
後醍醐帝が王政復古だ!って掲げるのです。
これをみるにつけ、日本の歴史ってまったく芸のない、
パターンの少ないマンネリの回天しかしていないのではないか?
とどうも大きなため息をついてしまいます(笑)。

とはいいながら、
ドラマはすごぶる快調で、わくわくな展開に胸おどっております。
豪華キャスト陣のなかに、すんごい脇役のなかにトヨエツ(伊賀の刺客)とか、
ちょっと脇役のなかにまだ舞台的発声で声大きい?の羽場裕一さんなどが
ちょいちょい出ていて、歳月の流れを感じます。

CSとかケーブルではなく、オンデマンドでもなく、
一度でいいからこの「太平記」を地上波でONAIRしてみてくださいまし。
大河ドラマの名作ってホントはこういうんだぜ、というのをみんなで見たほうがいい。
(とくに制作に携わるような皆さんにみていただきたい)
鎌倉幕府なんて馴染みの薄い時代でも、脚本がしっかりしているとちゃんとうまく
説明してくれて、わかりやすいですし、時代背景もよくわかります。
そこにさりげなく、文学的な要素まで入っていて、情緒があって美しい。
なによりしっかりと人間が描けております。
・・・・というような感じがまったくみられない昨今の大河ですので、
今のままのドラマレベルの劣化が続くと、日本のドラマから歴史ドラマが消えてしまいそうで
とても不安なの・・・・・・。

歴史ドラマ好きで海外の歴史ドラマを愛するとはいえ、
たまには日本のちゃんとした歴史ドラマだってみたいんですっっ☆
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by aroe-happyq | 2009-03-25 10:43 | ほんの世間話 | Comments(2)

2年前でしょうか、関東編を開催した「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史Ⅰ」の
続編が東京写真美術館(IN恵比寿)で開催中です!

■会 期:2009年3月7日(土)→5月10日(日)
■休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
■会 場:3階展示室
■料 金:一般 500(400)円/学生 400(320)円/中高生・65歳以上 250(200)円
※( )は20名以上団体および、上記カード会員割引料金

くわしくは公式サイト→こちら


暖かくなりつつありますので、おでかけしてはいかがでしょうか♪
もうじき恵比寿も目黒も桜がきれいですヨ☆
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by aroe-happyq | 2009-03-24 17:45 | 江戸東京あれこれ | Comments(0)

成島柳北の明治

柳北は明治17年、肺結核にて48歳で亡くなります。
もともと体が丈夫ではなかったのに、ムリが祟った・・・・としかいえません。
徳川の瓦解のあと、向島で隠遁・・・・というような優雅な暮らしはできず、
東京のあちこちを転々とし、ときには浅草で桂川さんと丸薬を売り出したりビジネスなぞも
やったりするのですが、うまくゆかず。
明治4年に東本願寺浅草別院に開かれた塾の学長に迎えられて、
ようやく落ち着いた生活を取り戻したようです。
そして2年後、東本願寺法主の洋行に同行して、フランスやイギリスを旅することに
なります。
(徳川時代に会計副総裁や外国奉行を歴任していたため、旅行団の会計係に任じられたため☆)

フランス滞在中はちょうど来合せていた岩倉使節団のメンバーの、
田辺太一や福地、そして川路太郎など懐かしい人々と再会し、
そしてシャノワンヌ邸を訪問しています。
横浜時代に柳北が贈った日本刀が飾られていて、感慨ひとしおだったようです。
また田辺たちの仲介で、伊藤博文や木戸孝允と知り合うこととなり、一緒にパリのあちこちを
見学にいっている。
イギリスのロンドンでは大鳥圭介、赤松則良と旧交をあたため、これまた一緒に見学に赴いています。
(これらの経験は「航西日乗」として、のちに雑誌『花月新誌』に連載されました)

帰国後、木戸孝允に新政府への出仕へ誘われますが、もちろんキッパリ断っています。

のちに友人にあてた手紙でこんなことをいっている。

僕輩が外国交際を盛んにし兵制を改め候ころは、
今の開化の役人は攘夷を以て天朝に説きこみ、僕輩を恐ろしくいぢめました。
自分達が〈天下を〉取るとすぐに僕輩の見込み通り開化に変じました。
迂生はそれゆえ馬鹿馬鹿しく存じ、役人商売は一生致しません


パチパチパチパチ。拍手を惜しみません!
さすが成島柳北です。立派な外国奉行(ほんの短期ですが)でございます☆

そして洋学好きだった成島は実際に西洋をみてきて、いろいろ考えるところもあったようです。
生活に追われて、少し抑え気味だった江戸魂が復活したことも大きいでしょうが、
文筆活動をさかんにし始め、エスプリをきかせながらも、鋭く新政府を批判
していくのでありました。
『柳橋新誌』の二編目は明治になって書かれますが、
徳川時代にはありえなかった、芸者に裸相撲を強要する長州の××とか、
薩摩の△△とか□□とか、(ま、木戸とか大久保とか西郷なんですけどね(笑))
江戸の粋な遊芸を解さない、維新の功労者たちの下品さっぷりを嘆くのでありました。

こうした流れがあって、
雑誌『花月新誌』につづいて、朝野新聞の局長に迎えられて大活躍します。
政府の言論弾圧と戦い、何度も発行停止になり、成島局長は自宅禁固、
または監獄に入れられたり・・・・と政府に立ちむかい、戦い続けました。
風流人の成島柳北のどこにこんなバイタリティーが眠っていたのかというぐらい(笑)、
書いて書きまくります。
どちららかというと、世の中ではこの朝野新聞時代の成島柳北が有名なのですが、
外国奉行の成島を調べている手前、このあたりはすっかり割愛させていただきます。

詳しくは、前田愛『成島柳北』や鵜飼新一『朝野新聞の研究』などを読んでみてくださいね!

さて。
このあいだも、柳橋を愛することはやめておりません。
ただ花見と称して、新聞社社員と「わざ」と豪勢な舟遊びをやって大勢の芸者を呼んだり、
(こういうあたりは山内容堂に近い、政府への反抗パターンですね)
・・・・個人的にどっぷりとハマらない遊び方をしていたようです。
若い頃、さんざん恋のヤケドをして「お金ばかりかかる」芸者との恋には
近寄るまじ・・・・という悟りの境地にいったようです(笑)。
柳橋という花街は明治の成島にとって、江戸への郷愁にかわったのかもしれません。
(そういえば、榎本さんも大きな宴会のおりに柳橋の芸者衆を呼んでましたっけ。
成島の死後、ちゃんと釜さんが江戸の粋を守る使命(笑)を引き継いだわけですね♪)

江戸の風流に生き、その愛ゆえに寿命を縮めた最晩期の外国奉行成島柳北、でありました☆
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by aroe-happyq | 2009-03-24 11:27 | 外国奉行ズ | Comments(0)

昨夜は忙しいTVライフでありました。
NHKには藤村Dが出ているし、黒部の太陽はあるし、そして・・・・・・・。
世界ふしぎ発見!

大方の予想どおり、水野関連の登場はわずか数分でした。

『幕末の小笠原』の著者田中氏のVTRなどあって、
もっと・・・・つっこんでくれても・・・・・ではありましたが!
大収穫でした♪♪

水野忠徳さんの写真が!出てきました。

エンディングをみていたら、「水野忠徳 東京大学史料編纂所」とあったので
こちらに所蔵????????

で、TVに登場した写真の水野さん・・・・・・・・・


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この人とは違う感じでした=======!!!

もっとつるりとした顔の人物でした。



(つーことは、この人はやはり・・・・やはり・・・・堀織部正なのか(号泣)!???)


とりあえず、ほんの数分の登場ではありますが、
昨夜の世界ふしぎ発見は永久保存に決定です☆


私信:小夜さん??いかがいたしましょうか♪
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by aroe-happyq | 2009-03-22 09:58 | 外国奉行ズ | Comments(12)

パート1のときに比べ、かなり人気UPのため難しいかと
思われた試写会応募になんとかチャレンジし、かなり落ちつつ、
とうとういけちゃいました☆

会場はチャウシンチーの「ミラクル7号」と同じ中野サンプラザ。
子供から高齢のファンまで、その年齢層の広さに驚きでした!

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パート1の前に購入した台湾のガイド本。あまりにパート2ネタバレ写真が多くて、
いままで封印していたのですが、昨夜ついに読み解禁!(笑)


※以下、ネタバレはなし。三国志の常識範囲、マニア範囲で語っていきます(笑)

今回はどどーーんと赤壁の戦いでした!
前作は序章・・・・・で、今回こそが世に言う三国志の大舞台、赤壁の戦い!
そもそも赤壁とは激戦の炎があまりに凄まじく、河岸の切り立った岩壁が赤色に染まった
というところから、ついた戦いの名前ですが、今回は真っ赤!
「バックドラフト」なみに炎をみました(笑)。
そして撮影現場で事故も起きた・・・・・というのが頷ける、迫力の映像。
スペクタクル感は前作以上かもしれません。

ストーリーはみてのお楽しみ!
いろいろ「史実と違う」部分もあるし、けっこう派手にファイヤーしてますが、
娯楽大作として、またささやかななマニア心をくすぐる手法はパート1と同じように
健在で、またまたヒットの予感です♪

主要キャラはみんな頑張ってましたが、あえて取り上げたいふたり。

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曹操と劉備。viviでとるとこーんなボケボケ写真っす

老体に鞭うって・・・・・・大健闘したのが、劉備!(もう50すぎですよ。しかも1800年前の!)
褒めてあげたい!
敵陣でぶらさがっている姿に涙しそうになりました。
(劉備おっさん、久々の勝利の予感に興奮して、黄巾討伐の若き頃に心が戻っていたようです)

そして、「やっぱこの人、B型ね」を長年の三国志ファンにあらためて再確認させた曹操(笑)!
どちらも可愛かったです♪←おいおい
またもや、マイフェイバリット台詞は曹操が発した「劉備(リュウペイ)!?」

この一言で、曹操って男が、20年来ものいわば腐れ縁の劉備の人間性について
まったく理解できていなかったことが浮き彫りになり、ぶっちゃけ大爆笑でした。
今回は前作以上に曹操がよく描けていて、面白かったです☆
永遠のドリーマー曹操閣下、寂しがりやのくせに他人に関心がなく、
ツメがあまい・・・・・・・だから天下を統一できないんだよね、というところが
よーーくわかる今作品でした(涙)。

そしてパート2では堂々の主役だった、周瑜大都督!

君子として生きてきた彼の最後の判断を「甘い!」と感じるかもしれませんが、
・・・・・・いや一瞬自分も感じたのですけど。
でもそれはあまりにも「目には目を」的な西洋的価値観に染まりすぎている証拠です。
(わたしは反省しました(笑))
1800年前の、儒学が尊ばれた東洋の世界ではこれこそが「」!
勝ち負けですべてが決まる世界ではないのです。
曹操の野望に対して、「仁徳」でかえした周瑜こそ高潔な君子の鑑♪
ではないでしょうか☆
(んーー。今の東洋にはもうそういう感覚はないっすけどね。江戸(←場所)にはありました)

なかなか深いぞ!と思いつつ、これを広く観客に理解してもらえるかどうかは・・・・・・???
いや、理解してくれる世の中にもどったら、世界はもっと平和になるんですけどネ。

信じる心が、未来を変える。

というキャッチの意味がほんの少しわかったような気がします。
(黄蓋はあきらかに、現在・未来がかわりました(笑))


以上、ストーリーの流れに触れず、なかなか面白いですよ♪というところを
感想として語ってみました。
(ホントはあれもこれも語りたいけど、今は我慢!)

公開が楽しみです!
前作同様、ファンな友人たちと観にいき、語りつくしたく存じます。
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by aroe-happyq | 2009-03-20 10:54 | 香港&アジア映画 | Comments(3)

小夜さんのブログで教えていただきました!

世界ふしぎ発見

第1093回

小笠原 絶海の孤島 幕末秘話
2009/03/21(土)21:00~


番組サイト→こちら


幕末の小笠原といえば、水野筑後守忠徳!!!
(詳しくは中公新書「幕末の小笠原」田中弘之著をごらんください♪)


上記の本をこの番組が参考にしていたら、水野は間違いなく登場です!!!(パチパチ)


ですが!


裏番組には「黒部の太陽」が~~~~~~~~っっ!(笑)
録画がーーーーーーっ(涙)
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by aroe-happyq | 2009-03-19 09:48 | 外国奉行ズ | Comments(4)

成島柳北と栗本鋤雲

どうして奥詰儒者が騎兵関係に転職したか・・・・・。
キーマンはずばり、柳北の友人栗本鋤雲だったりします。

成島家と栗本家はともに吉宗の時代に奥詰めの職にあったことから、
親しい間柄だったらしく、自然と柳北と鋤雲も友となったようです。
栗本鋤雲はもとは医師喜多村家の三男として生まれたのですが、
幼い頃から頭脳明晰で、途中結核療養の時期があったりもしましたが、
天保14年にははやくも学問吟味で甲科及第・・・・・・・でまた結核が再発し、
休養ののち、奥医師栗本家の養子に入りました。
こういう経緯から成島が付き合いはじめたのは安政5年ごろからのようです。
そもそも栗本鋤雲は昌平坂学問所でも、佐藤一斎、古賀侗庵を師と仰ぎ、
かなり早くから開明的な見識をもっていた人でした。
・・・・でも成島と交流をはじめた矢先、栗本の身に大事件が起こります。

安政4年春に長崎から江戸に軍艦観光とともに長崎海軍伝習所の一期生が
戻ってきて、築地に軍艦操練所を開設いたします。
で、慢性的な人手不足で(笑)、永井総監はたびたび旗本に伝習を・・・・と
柳営に願い出ていたところ、ようやく一年後の安政5年に旗本有志を軍艦に
試乗させ、ゆくゆくは乗組員にするという計画の許可がおりて、募集が始まった。
栗本鋤雲はすぐに応募、そしてほぼ採用も確定していたのですが・・・・・・・。
保守派の奥詰医官長岡檪仙院に弾劾され、蟄居のすえ、箱館勤務に「左遷」されてしまう。
(この岡檪仙院って、松本良順が長崎にいくおりも妨害していたような・・・・。
堀田老中と永井の機転で良順先生は難を逃れました)

箱館に立つ前、栗本鋤雲は成島のもとを訪れ、二人はともに奥詰の世界に身を置く
辛さを分かち合いながら、日本のこと、将来の志について夜を徹して語り合ったそうな。
成島がのちに開明派としての知識を蓄えていくうえで、桂川家との交流はもちろんですが、
この栗本鋤雲との交遊がたいへん大きいのでありました。

柳北は家茂に大名批判をしたり、『柳橋新誌』(万延元年)を出版したり、
ということがあって「不埒」ということで、免職のうえ謹慎となったことは前の記事のとおり。
このあいだ、洋学を学ぶかたわら、しっかりと柳橋で遊ぶことはやめておらず、
芸者衆から謹慎になって「かわいそう」ということで「可愛叟」というあだ名も命名(笑)。
(この当時、贔屓にしていた芸者姉妹を「大喬」「小喬」と呼んでたり(爆)、
自宅の宴会ではシャンパン呑んでます←江戸ですでに流通していたのですね)

文久3年に栗本鋤雲が5年ぶりに箱館から戻ってきた。
謹慎中だったためか、柳北ととことんまで飲み明かしたのは翌年のことでした。
(その徹夜宴会に矢田堀の名があって、びっくり)
翌年元冶元年に目付になった栗本鋤雲は横浜での外交交渉を担うことになるのですが、
箱館で親しくなったカションと再会。
こうして栗本鋤雲と親しい小栗忠順、カションそしてフランス派が生まれていきまして、
慶応元年に成島は、栗本鋤雲の推挙によって歩兵頭並に登用され、
慶応3年12月に騎兵頭を辞めるまで陸軍畑に生きることになりました。

戊辰の年になり、成島柳北(甲子太郎)は主戦派ではなかったことから、
外国奉行となり、また大久保一翁の下、会計奉行として
敗戦処理チームとして4月まで働きました。

そしてその後は栗本鋤雲ともども向島で隠遁・・・・・のはずが
波乱の人生はまだまだ続くのでした(笑)。


参考:前田愛『成島柳北』(朝日新聞社)より


そしてにしても、一歩違ったら栗本鋤雲は海軍仲間だったかもしれない
と思うとつくづくもったいない・・・・・・・(笑)。
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by aroe-happyq | 2009-03-18 11:46 | 外国奉行ズ | Comments(2)