東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

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聖堂にきています

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今日は月一回の古文書講座の日です。


あまり予習できなくて、いささか無念(笑)。



と、とにかく頑張ってきまーす。
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by aroe-happyq | 2009-05-30 13:49 | Comments(0)

しばらく更新滞ります

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そのあいだ、この幻の風景でも眺めていてくださいね!


(なにが幻かというと、この復元進貢船「泰期」は台風にやられてしまったのでした(涙))




今年はとくに大好きな琉球王国についていろいろ語りたいのですが、
そのほかも含めて
しばらくお時間ください~~~~~。

では☆
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by aroe-happyq | 2009-05-27 10:46 | ほんの世間話 | Comments(2)

慢性的なサントラ中毒

仕事や妄想タイムに欠かせないアイテムが映画サントラです(笑)。
かなり、中毒??ぐらいいってます。

そんな自分の最近のヘビロテ、2枚。


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どちらも
赤壁Ⅱ〈香港版〉DVDを購入した際、一緒に海を渡ってやってきました☆


1枚は、赤壁Ⅰ&Ⅱコンピレ版。
作曲家の岩代太郎さんは『沙粧妙子 最後の事件』の音楽あたりで印象に残って以来、
存じ上げておりましたが、久々にキタ-ッという感じです。
香港アカデミー音楽賞受賞おめでとうございます♪
このサントラ、かなりインパクトがあってなんだかヘビロテ中!

そしてもう一枚は「東邪西毒 REDUX」。
94年の「東邪西毒」の曲のアレンジ版ですが、映画予算のなかった当時とは
大違いで今回はヨーヨーマが登場するわ、オーケストラ使っているわで、
王家衛監督も大きくなられたものだ・・・・と思わず感涙モノの1枚。
94年サントラは、シンセ音楽+民族楽器でこちらもたいそうよかったのですが、
シンセつながりで、どことなく・・・・その・・・なんちゃってヴァンゲリスっぽいところも
あったのですが(笑)、今回は東邪西毒以上でも以下でもない!
世界配給しても大丈夫~~~~。
というわけで、こちらのニューサントラが楽しく、ついついヘビロテちゅう。

なにげに大陸の香りのする音楽をかけっぱなしですが、
これでも江戸の妄想ができる自分がおそろしいかぎりです(爆)。
(もうなんでも、どこでもOKか!みたいな)

そろそろモリコーネの音楽が恋しくなりそうではありますが・・・・・・・。

ちなみに写真のCDの下の江戸てぬぐいは「かもめ」。
もちろん、岩瀬鴎所にあやかってます☆
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by aroe-happyq | 2009-05-24 19:05 | ほんの世間話 | Comments(0)

幕末のバトラー船長

一年のうちでひじょうにすがすがしい季節となりました。
・・・・・あちこち歩き回りたい!そんな気候ですが、
今年は外を歩けばマスク、マスクでなんだか気分が晴れませんね。
マスクは昨年から鳥インフル用にそれなりに備蓄してあるのですが、
今ここで使い切ってよいものか、考え中・・・・・・。

豚インフルはスペイン風邪由来のインフルにかかったことのある人では
発症しにくい、または軽く済む傾向があるそうです。
幼少期、かなり体が弱くあれもこれも風邪にかかりまくった自分ですが、
どんなインフルにかかったかまでは記憶に定かではありませんっっ。
気管支が弱いので、あまりどのインフルにもかかりたくないものですが、
過去にスペイン系インフルにかかったことがあるとよいなぁ・・・・。
ちょっとでも軽く済みますように(涙)。


さてここからは話題ががらりと変わって、とりとめもないお話です。


このまえ、久しぶりに友人と呑みまして。
その古い友人はロココ好きで宝塚ファン。日本史は興味なし(笑)。
近所の友人ゆえ生粋の東京っ子。
東京人のたしなみとして、江戸に興味があるよし。
大河「新選組!」「篤姫」はみていた人でありました。

ふと、幕末の話題になって。

「あのさ、あのーほら。レットバトラー船長みたいの、なんてゆーの?」
と訊かれますた。

「バトラー船長?? もしかして風共の?」

・・・・・・なんとなく、察しがついてしまった。
つか、奴しかいないじゃないですか。

「もしかして、榎本釜次郎のことかな。武揚さんともいうけど」

「あーそうそう!かっこいいよね、レットバトラー釜!」

互いに妙なニックネームをつけるのが好きであった。

「レットバトラー釜!・・・プロゴルファー猿みたい!(二人大爆笑)」

その日以来、アタクシ妙に↑コレがツボにはまってしまいまして。
以後、ちょっと省略して「バトラー釜」として親しんでおります。
(もっと省略してときおり、「バト釜」呼ばわりさえ・・・・)

たしかに映画のレッドバトラー(フィクションだけど)は
南北戦争のとき南部陣営で船長やってたよし。
捕虜で捕まってたよな~~~~~~~~(笑)。
ちょうど年もそんなにかわらんし。
なにげにかぶるじゃないか!

スカーレットほどではないけれど、バト釜にも
箱館まで追いかけてきたらしい???女もあったよし。
モテ男という点で、日米のヒゲ船長、かぶります(笑)。

「ヒゲの船長って万国共通、かっこいいよね!」
という友人の言葉に深くうなずく。

「幕末のバトラー船長、モテるなら宝塚向き?」

・・・・・・うーーーん。

「たぶん、むかない
だって・・・・・基本が技術系オタクだもん・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・(汗)そーゆー系かぁ」

と友人の妄想を一気に醒めさせたところで、話題は別のところへかわりました(笑)。

バト釜、いまいち爆発的大人気が起きない理由がちょっとわかったような、
よい勉強になった友人との語らいでした☆
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by aroe-happyq | 2009-05-22 17:51 | ほんの世間話 | Comments(4)
UPしたつもりがすーーーーーっかり忘れていたという
大笑いな今日の記事です(汗)。

柳橋~秋葉原を歩いた日に寄ったわけですが、
またもや高速道路かよ!と嘆いた覚えがありました。


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だいたい、この神田松永町20番付近?のようです。

江戸時代の切り絵図には柳北の父、成島桓之助名義でのっております。
この高速道路の通っている道は、江戸の頃は御徒町通りとか和泉通りとか
いっていたそうで、けっこうな大通りです。

柳北は大人になって引っ越してしまうので、
この地は生まれ育った場所ということになります。

ちなみにこの場所から柳橋の花街までが実によい頃加減の距離感で(笑)。
遠からず、近からず・・・・・なのです。

柳北は《柳橋新誌》を書き上げるほど柳橋にはまったわけですが、
実のところ若い頃はいたって真面目な青年でした。
転機は二度目の結婚。
本所の旗本永井家当主の妹をめとったのですが、
この永井家の人々が遊びの達人たちで、おいしい料理を食べ歩く、
船遊びをする等々、大江戸ライフを満喫してきた一家だったのです。
義兄の誘いで一緒に柳橋に行くようになった柳北は新しい世界を知ってしまい・・・・。
そしてあれよあれよと転落人生(爆)・・・いえいえ、粋な男に改造されていきました。
なにせ義兄や義母のサポートがあるので、妻に内緒のお泊まりなんかも
「ちょっと本所に挨拶にいったら引き留められてしまって」という口実でOKだし、
そもそも奥方も寛大な人だったらしいです。
(ちなみに天保以来、旗本の花街遊びは原則として禁止でして、上司にバレれば
クビという、リスクの高い危険な遊びでありました)

とはいえ、永井荷風があこがれるほどモテていたわけではありません。
桂川家に集う友人たちには「お化け」呼ばわりされるほどの顔の長さだったり
したので、芸者衆にもいまいちな人気でして。
お金を積んでもなびかない柳橋流ということもあり、けっこう惨敗の日々だったよし。
それでも成島柳北は柳橋の花街のもつ雰囲気を生涯愛し続け、
明治になって、芋元勲どもを呼び込み、ダサイ男ももOKな新橋勢に押され気味の、
江戸の伝統を守り続けた柳橋をもり立てていきました。
(柳橋にはさらに山内容堂、榎本武揚という強力なサポーターがいましたけどね(爆))

さて、この通り。もう少し北上すると、伊庭本家らしいという情報を知ったので、
いってみました。
次回は成島家ご近所の伊庭家の紹介の予定です☆
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by aroe-happyq | 2009-05-20 10:45 | お宅探訪シリーズ | Comments(0)

湊川の戦い@太平記

湊川の戦い・・・・・まできてしまったのだなぁ・・・とついつい
感慨にふけってしまいます。

朝敵尊氏(笑)は関東から京まで攻め上りますが、
新田軍等の反撃にあい、惨敗。
九州へおちのびます。

この敗走のシーンでさすが真田広之!!!と
感動してしまうのが、
追手をかわすため、草むらに隠れる足利尊氏(しかもなぜか単騎(笑))♪
敵が通り過ぎると、同じく草むらに横たえてあった馬をさっと起こして、
騎乗するとはやてのごとく駆け出すのです!!
これぞ鎌倉武士!!!!
こんな人馬一体の妙技ができる大河の主人公、なかなかおりません!!!
シビレました、真田尊氏どの☆
(これでなにげにヘタレ感もあるのだから、このメリハリたるやあっぱれです)

九州へむかう途中、なぜ新田に負けたのかを分析した足利軍。
やっぱり「朝敵」というのが士気がふるわない原因らしいということになった(笑)。
すると足利に味方する赤松&佐々木(←道誉。敵に寝返ったがあっという間に戻ってきた)
が画期的な提案をしてくる。
「こちらも上皇から院宣をたまわりましょう」
・・・・・・・足利軍も錦の御旗をたてようという。
ナイスすぎて笑ってしまいます。つか、そんな程度のもんなんだよね。朝敵か否かなんて。
で、上皇(後醍醐帝のことがお嫌いらしいのですぐ出た(爆))院宣をもって、
旗をたてて、尊氏は九州から軍船を従えて兵庫へ乗り込んできちゃうわけです。

これを迎え撃つのは新田軍&楠木軍。
実はこの出兵のまえ、楠木正成は後醍醐帝に新政の不備をあらため、尊氏と和睦をと諫言した
のですが、「聞かなかったことにする」といわれてしまうのでした。
このシーンが不覚にも感動的な場面でして、武田鉄矢についホロリをさせられてしまうのです。
(この楠木正成役はホントにはまり役ですた←いつもとは限りませんぞ)
こんなやりとりがあり、楠木は先がみえてしまい、敗戦を覚悟しします。

そして世に名高い、湊川の戦いとなるわけです。


この大河「太平記」はなにせ惜しげもなく合戦シーンが続く、
たいそう豪華なドラマでして、この戦いもぬかりはありません。

・・・・・・ことしのように2本のSPドラマに予算をとられて、すっかり「小川ドラマ」←大河にあらず
になっているのをみると、太平記は恵まれているといえましょう!
でも内容的にもスケールが大きいので、予算をかけがいのあるドラマだと
いえましょうね。
正直、もう戦国と江戸幕末はいいんじゃないか、ぐらい大河やりすぎていて、
予算のかけがいないですよね・・・(涙)。

で、湊川の戦いの結末は歴史のとおりです。

ふと湊川という言葉で、なにげに幕末の歴史オタクを思い出しました。
最近、たいそう縁のある永井尚志です。
彼の漢詩集に「湊川懐古」という漢詩があります。
39歳のおり長崎へ赴任する際、わざわざ湊川へ寄ってます(笑)。
幕末の武士ももちろん「太平記」には詳しいので、さもありなんですが、
寄るほど好きか、みたいな(笑)。

慶喜の側近だった永井、慶応3年暮れに朝敵のなんのといわれて
「太平記」の尊氏を思い浮かべたことでしょうが、
残念なことに彼らには上皇はいませんでした(笑)。
ま、いたはいたで・・・・日本大乱になっちゃうので、それもどうかと思うわけですが。
それ以前に「尊氏みたいに一生戦争に明け暮れるなんてめんどくさい」
とかいって慶喜卿は反撃をよしとせず、
黙って朝敵として謹慎しちゃいそうなタイプです(笑)。

ふたつの幕末は今日も自分のなかで寄り添っております♪
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by aroe-happyq | 2009-05-17 10:58 | ほんの世間話 | Comments(0)
本日は本とそれに関連する論文の紹介です。


開拓使と幕臣―幕末・維新期の行政的連続性

門松 秀樹 著

慶應義塾大学出版会

詳しくはアマゾン→こちら


先月に出ていたようですが、最近本屋さんでみかけました☆


実のところ、この本に先行して発表された、

開拓使における旧箱館奉行所吏員の「中継」性に関する考察
法学研究 80 2007.6

蝦夷地統治と箱館奉行所
法学政治学論究 66 2005

箱館戦争以前における箱館府民政
法学政治学論究 65 2005

箱館戦争の戦後処理における旧幕臣の処遇に関する一考察
法学政治学論究58 2003

等々(ほかにもいろいろあります)の論文をもとに一冊にまとめられたものです。

幕末から明治にかけての箱館を中心にした蝦夷統治について、
上記の論文からいろいろ学ぶことがおおかったので、
本をみかけたついでに記事としてUPしてみました。
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by aroe-happyq | 2009-05-15 14:19 | 箱館または釜さん | Comments(2)
ファイルも無事に落ち着くところに落ち着き、
図書館での資料集めをぼちぼち再開しました。
で、第一弾は国会図書館へ。
論文のオンライン複写を申し込み、ふとなにげなく
140年ということもあり、函館と検索してみたのですが、
(なぜか箱館ではなく)
「函館の明治維新」というものがひっかかりまして、
ちょっと請求してみたところ・・・・・・。

『函館の明治維新』97年図録(函館市立博物館)
の28P~
史料紹介~旧幕府脱走軍外交関係史料について

なるものが出てきました。

ようやっと安政年間を把握か!?
ぐらいの歩みの遅い自分にとって戊辰とか、
今年140年である箱館戦争はまるで夢のさきかのような話。
まだまだ『函館市史』史料編もろくにコピッてない、
箱館戦争初心者にとっては「うはーっ」というような
おもしろい史料紹介のページに出会ってしまいました。

箱館脱走軍といっても、スイマセン!
90%が永井奉行の書簡の翻刻だったのですが(爆)
(一瞬、あの人とかこの人とか登場!?というように
すごい期待させてしまったのではないかとヒヤヒヤです)
ナゾの多い永井奉行の箱館でのお仕事ぶりを知るよき道しるべ
となりそうです。

明治元年11月~明治2年4月1日までのもので、
だいたいが英国領事、・・・・あの、豆領事ことユースデン氏への通達書です。

あの、って誰?みたいな感じですが、あの人ですってば♪

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           函館の旧英国領事館にてあなたをお待ちしております BYゆーすでん


さてさて。
戦争前夜までの書簡集なので、奉行所として機能していた時期のものです。
牛の盗難事件とか、税金うんぬんとか・・・・・日常的な内容から、
次第に戦争が近づいて台場の砲撃訓練の通達とか、雨で訓練延期通達とか(笑)、
永井奉行の細かいお仕事ぶりがみられて楽しいものばかり。

ユースデンの、榎本&松平両総裁に対する年賀挨拶も、
永井奉行を介して行ったようで、なにげに箱館の陰の実力者(つか実務者?)
だった様子がみてとれます(笑)。
・・・・たしかに奉行職経験者って永井(←元・京の東町奉行)しかいないし
おじさんがやるしかないんですよね(汗)。

なかでも、おもしろかったのが正月休暇の通達。

「定例のとおり、歳末ならびに初春休日割別紙をもって申進候通・・・」
とあって、別紙は以下のとおり。

「12月25日より正月7日まで、同9日より17日まで、休日」

・・・・って休日長くないですか!???(笑)
どんだけ休んでるんですか!
(っても書簡には1月3日のものもあるので、実際には奉行所的にはこんなに休んでません☆)

ほかでは明治2年4月朔日付の書簡では・・・・・
「箱館奉行並中島三郎助、このたび武官に転いたし候・・・・」
とあって着実に戦争の準備がはじまっていく様子もみえて、
なんとなくせつないです。


それにしても、2日前に墓前で岩瀬さんに「史料いっぱい出してください」とお願い
したはずなのに、なぜが永井のが出ちゃいました(笑)。
なんか前もこんな感じだったのですけど、なぜでしょうかっっ。
じゃ永井の墓前にお願いにいくと岩瀬のが出てくるのか???(笑)
(なぜそんなねじれ現象???)
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by aroe-happyq | 2009-05-14 10:13 | 箱館または釜さん | Comments(0)
CSでの大河ドラマ「太平記」視聴、HDD録画で少しずつ進行中。
放映分では明日にはもう49話の最終話(81分の拡大版!)ですが、
自分はまだまだ34話すぎです(笑)。

で、その34話は「尊氏追討」。
京で後醍醐帝の建武の新政のもと、・・・・しかしすでに公家と武家との対立に
頭を悩ませていた足利尊氏でしたが、関東で北条の残党が決起し足利勢が大敗と
きいて、鎌倉へかけつけることになりまして。
その際、帝に征夷大将軍を補任くださいとお願いしたのですが、あっさり却下され、
鎌倉へも行くなといわれたのですが、家族や郎党が敗走しているやむにやまれぬ状況
ということで、命令に背いて関東へ出兵しました(のが33話までの話)。
尊氏の出馬により、味方が盛り返し、鎌倉を奪還。やれやれとなったのですが、
京の帝からははやく戻れの催促。尊氏はそもそも帝にわりと従順な人なので
帰ろうとしたのですが、高師直や弟のハイテンション直義たちの反対にあってしまいまして。
そうこうしているうちに、帝から尊氏追討令が出され、新田義貞が6万の軍勢で
やってきてしまう(笑)。
さて、ここからいささか・・・・・後世の誰かさんに似た(いやこちらが本家かもしれません)
対応がはじまるのであった!
高師直や弟のハイテンション直義たちが「受けて立ちましょう!」と息巻く中、
尊氏だけは動揺し、なんとその場で出家、「寺に籠もる」といいだす。
なぜ反撃しないのかと周囲が困っていると、
「朝敵になってしまったのだぞ」
反撃など恐れ多い、というのでありますよ。
関東の武家の棟梁には、代々こういうマニュアルでもあるのでしょうか??(爆)
(それとも慶喜がこれをまねてみたのでしょうか?(笑))
で、本当に寺に籠もってしまう尊氏をみて、弟たちは「俺たちだけで迎え撃つ!」と
駿河で新田軍とぶつかるものの、負けこんでしまう(やはり大将いないとダメ?)。

しかし、ここからの対応が慶喜パターンとはちと違う。
味方が苦戦しているときき、寺に籠もっている尊氏は立ち上がるのであります。
なぜ彼は立ち上がったか?
それは北条を攻め滅ぼして政治的な秩序を破壊したという社会的責任があるわけですね(笑)。
中途で、投げ出すことはできなかったわけです。
でもここで寺に籠もったままだったら、たぶん日本中を巻き込む大乱にならず、
南北朝の対立も生まれなかったかもしれない。
大動乱の引き金をひいちゃうわけですね、尊氏は。
で、引いちゃったわけで、これ以後最終回まで、戦って戦い抜く、苦難の道が
待ち構えてしまうのでした(涙)。

ここ32~34話あたりで、超カッコイイさんは佐々木道誉♪
帝にそむいて鎌倉に援軍にいくか悩んでいる尊氏に「お先にまいる」と
さっさといくさ支度をして、京を離れてしまったり。
寺に籠もった尊氏に、「御辺が立たぬなら、わしは裏切るぞ」
という強烈なハッパをかけて・・・・・本当に新田軍に寝返ってしまうあたり。
(それであとでちゃんと戻ってくるんですけどね)
尊氏は佐々木に翻弄されっぱなしです。
でも決断力がよわ~い尊氏にはこうした友人(なのか?)とか、
ハイテンションな弟がいないとダメなんですよね。
なにせ33話では隠し子が御台所にバレてしまい、「引き取ろうとおもうが」
といったらあっというまに一蹴されて・・・・・引き下がる男なのですから(笑)。
そうした、軽いヘタレ感がたまらない足利尊氏。
ますます、目が離せない、太平記であります☆

そして同じ幕府、武家の棟梁同士。
ときおり、徳川の誰かと対応が似ているので、これまたおもしろいんです♪
(絶対にこちらが本家なわけですが(笑))
創業の人と、締めくくりの人という違いはあるのですが、
尊氏の轍を踏まなかった慶喜は過去の教訓に学んだといえるのか????
さて、それはどうなんでしょうね。
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by aroe-happyq | 2009-05-13 10:15 | ほんの世間話 | Comments(0)

デジカメメンテの半日

2006年から愛用の富士フィルムFinePixF30。
長崎も函館も、いつも一緒の旅の相棒です。
その愛すべき相棒ですが、
どうもここ数回のお出かけ撮影の画像がおかしい・・・・。
先日のヨコハマでも、

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こんな薄いぽっち●が出てしまいまして。
この数日前、
レンズにヨゴレがついているのかと思い、クリーナーを購入してきれいにしたけれど
ぜんぜんダメだったわけでっっ。
困り果てた、カメラ素人のワタクシ、カメラの修理をどこへ出すのかさえわからず、
プロのフォトグラファーのお友達にどーしたらいいのかっっと泣きつきまして。
(その折はありがとうございました!つかご迷惑おかけいたしましたっっ>私信)
カメラメーカーのサービスセンターへ持ちこんだらいいヨ!とご教授いただき、
(デジカメって家電だった!と気づくうつけものでございます)
さっそく南池袋にある富士フィルムの東京センターへ出かけました。
「CCDにゴミが入ったようですよ」ということで、カメラ内クリーニングとなりました。
ありがたいことに40分でできるということで、そのあいだ付近を散歩。
たいそう趣味のよい古本屋にハマリ、新書や日本歴史のバックナンバー(なんと100円!)
を購入したり、ぶらぶらしたらあっというまにカメラは完治いたしました(涙)。
思ったよりはやく用事が済んでしまったので、さらに付近を歩いてみることに。
すると鬼子母神のすぐそばだということが判明。
境内を歩いていると、ふとこんな案内板が!

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そうだ、ここは雑司ヶ谷霊園のそばだった!(笑)

しかも・・・・岩瀬肥後守のそばに、なぜか成島柳北の墓があったとわ!(爆)
これはいかざぁなるまい、ということで突然霊園めぐりを敢行とあいなりました。

前に岩瀬さんとこにいったのは①おとししの真夏の灼熱地獄(気温が38度ぐらい)の
御命日でして・・・・・・。あまりに暑くて、死にそうになり急いで帰った記憶が。
②二度目は昨年の12月冬・・・・・寒かったんです~~~~~。
で今回は新緑の5月。なんとまぁ、気持ちのよい散策でしょう♪
鬼子母神から大鳥神社をすぎ、都電をわたり、てくてくと霊園へいくと・・・・。
管理事務所の前を通ったので、MAPないかな~と寄ったらありました!
カラーの立派なヤツ♪昨年の副都心線(地下鉄)開通記念に無料配布が始まった
ものだとか。
さっそくひとついただき、柳北先生のもとへ。

えーと、当ブログはこういうコアな幕末関連ブログとしてもうじき3年やって
まいりましたということで、墓コワーイなんていう輩はこないだろう(笑)と
いうことで、今年から
墓画像、解禁としました!
問答無用にござる☆
(つか、出てきてくれるならむしろ大歓迎!ウェルカム!望むところですもん(爆))

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すごいシンプルなんでびっくり!

幕末の柳橋について成島先生なくてはなにもわからなかったわけで、
著作で学ばせていただき、たいへん感謝しております☆
ということをお伝えしてきました。

そこからほど近く・・・・・・・。


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さすが岩瀬肥後守でしょ??!
この「岩瀬肥後守墓通」のしるしがたまりません!毎回なにげにわくわくします。
つまりこの道は岩瀬お墓通り???(笑)

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おひさしぶりでございますっっ、岩瀬公っっ。

・・・・・・つか、それからはもう懺悔ばかりでございます。
開港から150年というこの年に、自分があまりにふがいなく非力ゆえに
もうじき3年もブログをやっておきながら、まったく岩瀬殿の御名は
知られないまま。ファンとしてただただ申し訳なく、
今回もお詫びばかりで、ひたすらスイマセン~~~~~~~でした。
・・・・・人さえそばを歩いていなければ、
古代中国式に額から血がでるまで叩頭したい気分でありました(笑)。

でも最後に「ジョスリン以外の写真があるなら、どうか教えてください~~~~」
とわがままな要望をしてしまうあたりが、こりてないダメファンです(爆笑)。

・・・・・・さて成島柳北を愛する永井荷風のお墓にも寄ったのですが、
カメラのメモリーがここでOUT!
カメラを修理に預けてくることも想定して、カードを抜いてきたのだった(笑)。
そんなわけで画像はありません☆

今日の教訓、思いつきは思いつき。うまく事は運ばない(笑)。以上でした♪

う~ん。永井っち&堀っちのとこにもお詫び行脚しなちゃだなーーー(ひーんっ)。
その前に水野&井上さんとこに挨拶してなかったっっ(←ぜんぶ墓の話です)
5人て、やっぱ多すぎね・・・・・・・。あ・・・ははは。
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by aroe-happyq | 2009-05-11 18:49 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq