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東都アロエ

古文書講座で、家茂時代に小性組番士の石井至純の『御進発日記(仮)』
をやっております。
慶応元年5月16日江戸発、
家茂の第二次長州征討(戦争)の大坂行きの同行日記です。

小性組の石井としては、
京につくまではひとつ先の宿場に前のりするとか、夜勤などが
主な仕事でしたが、京に入ったとたんかなりヘビーな労働環境になりました。
書院番とともに小性組はシークレットサービスの下っ端なために、
(近習たちはこんなことはしません!)
内裏に参内した家茂の警護のため、大雨のなか外で一晩中立っていたり!
なんという過酷な職場かと思っていたら、これはまだ序の口ですた(笑)。

思わず記事にしたくなったのは、ここからです。

ホントは京には行かず大坂に直行したかったのに一会桑&諸侯会議ズの要請に
屈して、ほんの少し二条城に入った家茂は、すばやく大坂へ出立。

で伏見から大坂八軒家まで船で下った将軍家・・・・のために、
小性組&書院番たちは交代で、
船の速度に合わせて、
川端を並走したのであります(涙)。


休息するまでその距離、五里!


アメリカ大統領の車の横をSPが小走りにしてたりしますが、
ああいう状態で五里ですからね、かなりスゴイじゃありませんかっっ。
(しかも川の流れが速かったらどーなってしまうのか)


小性組というとどーしょうもない旗本の代名詞のような役目といわれ、
暇すぎて弁当がどうとかでイジメがあったなんて話が有名ですが、
それは幕末以前のこと。
嘉永6年6月にペリーがやってきたその時に、
「万が一の折りには覚悟すべし」などと衝撃のお達しをくらった瞬間から、
本来の姿に少しずつ戻って、正しく将軍をお守りするために
砲術訓練にあけくれ、将軍出張のおりにはこうして激務をこなす一団となりました。
そのためか、この石井のまわりの同僚も助け合って仲良くやってます(笑)。

しかし将軍の出張という現場で、
激務あるいは精神的にキツイのは小性組だけではないらしく、
道中で突然乱心した者や大坂に到着したら自害してしまった者など
現代では労災認定?かもしれない事例も日記に登場。
泰平のころより、幕末は人員整理もしましたので一人一人に課せられた
役割が多いのも問題だったといえそうです。

この江戸時代のように24時間いつ仕事がはじまるかわからない、
いつ終わるかわからない、という職場はつくづく厳しいと思いました。

ただ、大坂に到着して勤務がお休みとなると、すぐに大坂見物に繰り出す
タフ&アクティブな日記主の姿にホッとするばかりです☆
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by aroe-happyq | 2009-06-30 18:10 | 江戸城の大旦那 | Comments(2)

江戸総鎮守

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函館にはいけないので、かわりに神田明神にきてます。


……っても古文書講座のついででありますっ
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by aroe-happyq | 2009-06-27 13:58 | Comments(0)

旧暦明治2年5月18日。

この日に、

五稜郭は開城いたしました。

2日前の夜に榎本さんの騒動があって、その後松平太郎さんや大鳥圭介さんほか
幹部一同で会議をおこない、降伏勧告を受け入れることに決しました。
前日の17日(きのうっす)に官軍側と話し合い、本日の明け渡しとなった次第です。

戦争はこれで終わりましたが、すぐに東京に送られた幹部6人以外の捕虜のみなさんは
これからまだまだ蝦夷での捕虜生活が待っておりました。

幹部6人にとってはこれから3年弱の牢獄生活のはじまります。
と、その前に東京までの護送の日々は
各地で敬意をもって護送してくれたおかげでなにげに快適だったそうです。
(その途中で彼らはたくさんの漢詩をのこしました。紹介記事はこちら

拙ブログでは今まで箱館戦争に関わる話題はちょこちょこ折にふれて記事にしてきましたので、
「箱館または釜さん」カテゴリーの古いあたりをあわせてみてやってくださいまし。
(とはいえ箱館戦争についてはまだまだ本気で着手していないので、あまり深いネタは
ありませんので、どうぞあしからず☆)

それにしても夏の戦争だったんですね。
箱館とはいえ、暑かったことでしょう。
万感の想いをこめて、両軍のみなさんに敬意を表したいとおもいます。
(ま、まぁ・・・・ぶっちゃけ、本音は脱走軍側に98%、あとの2%を官軍に、
ぐらいの敬意配分ですけど(爆笑) 黒田どん、ごめんね、ごめんねー @U字工事)
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by aroe-happyq | 2009-06-27 10:35 | 箱館または釜さん | Comments(6)

本日は、明治2年旧暦5月16日(西暦6月25日)。


中島三郎助父子の命日でございます。


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最もはじめにペリーに直接遭遇した幕末開国の男、中島三郎助さんであります。
外国人のレクチャーなしに西洋帆船を造った人ですし、
短い間ですが、桂小五郎が弟子入りしていたほどの人物です。
長崎海軍伝習所では1期から参加。永井総監とともにかなりの年長者として、
若者に混ざって伝習を稽古し、後輩たちの精神的な支えをもしていたように思います。
その後も海軍の人材育成を続け、慶応年間にはすでに役職を離れていたところ、
伝習所後輩の榎本釜次郎の熱い説得?にほだされて??あるいは自分に思うところもあり、
息子2人と箱館脱走組に加わったようですが・・・・・・・・・。

前にもいったような気がしますが、なんだかこの場所で、この日に戦死なさるはずの
人ではなかったような感じがしまして、どうも中島さんの最後については
かなしいの前に、なんだか納得できない感があります(笑)。

先日紹介した
永井奉行の英国領事ユースデン宛て書簡に、
明治2年4月朔日付で、
「箱館奉行並中島三郎助、このたび武官に転いたし候・・・・」
とあることで、早い時期に中島さんが戦争準備の一端を担っていたことが
わかるので、こういう結末になりうる位置にいたわけですが。
それに本人も榎本の五稜郭に戻りましょう、という説得もふりきって、
千代台(もと津軽陣屋)を「死地」と決めていたという話も残っているので、
自ら選んだ・・・・ということでもあったのでしょう。

とにもかくにも、北にむかって手を合わせたいと思います。



さて、このあたりの日の夜にですね
(この日だという確実な日付が記録にないので「あたり」ということで)、
五稜郭である事件が起こっていたのでした。
日本武家史上稀な、アレですよ、アレ!・・・・・・・そうです、

榎本釜次郎が切腹阻止されちゃった事件
です(笑)。

なんでしょうね、なぜか(笑)が付いちゃうんです。
釜次郎氏は真剣だったというのに、
どうしてか記録を読んでいると可笑しくなっちゃうんですよ!

さてそのあたりを踏まえつつ(爆)、ついでに記事にしちゃいます。

『史談会速記禄』290号の山崎有信による談話〈大塚賀久治事歴〉から、
その様子をみてみましょう。
大塚賀久治というのは、大塚霍之丞のことでして、
この人こそが体を張って阻止した男でありました。

場所は五稜郭内、奉行所屋敷二階四畳半の書斎、釜次郎氏の部屋。
(ちなみに隣の六畳の部屋が事務室だったらしいです)

・・・・(略)・・・(榎本氏は)心に決する所があってと見えて、
やがて大塚氏を呼んで介錯を命じました。大塚氏は非常に驚いて
「今の今まで生死を共にすると誓っておきながら一人死ぬ事はなりません、
又同志の者の手前、私一存で介錯する訳にはいきません」
と榎本氏はこれを聞き苛って自ら側にあった、将軍家より給わったと聞き及ぶ
短刀を取て勢い鋭くチョッキを外し腹をひろげて突き立てようとしました。


実に理路整然とした大塚の言葉(笑)。
しかし介錯人にのっけから、拒否されるとわ・・・・・。
ちょっとヤケになった釜次郎氏、自分で遂げようとするのですが・・・・・。

大塚氏はこれを止めようとしましたが、
柄は榎本氏の手にあったので白刃を無手を握った。
榎本氏はこれを引いたために、大塚氏は左手三本を切りましたが、
それにも屈せず争いました。
この物音を聞きつけて階下に居た人々が飛び上がって見るとこの有様。
そこで人々は声を励まして、
「何事です、死生を共にすると言って置いて独り先へ死のうとはひどいでは
ありませんか、刀をお離しなさい」
と人々は榎本氏の刀執る手を押さえて動かず、
大塚氏の手よりは鮮血淋漓としてほとばしる。


切腹史史上、みんなに取り囲まれて怒られた人というのも珍しい。
(しかも四畳半部屋ですから、もうぎゅうぎゅうですよね)
この五稜郭の仲間たちがいかに温かい人々であるかがよくわかるし、
みんなの、釜さんの事を思いやる気持ちにじーんときます。
ところがです。
釜サンは一度決めたらそう簡単にはやめない頑固な江戸っ子でした。

榎本氏は人々に止められても一向聞かず、
「イヤ今日斯く落城せんとするに至ったのは榎本の罪である。
今榎本が割腹して諸君の生命を助けたいためだ」といってなかなか刀を離さないので、
人々はついに榎本氏の指を一本一本に開いて漸く刀を捥取て番兵十人を置いて
監視させて、大塚氏を階下に連れていって医者の手当てを受けさせたので指は
幸いにくっついて落ちずにすんだが、終生自由は利かなくなった。
一同は階下で会議を始めた。
榎本氏は刀を取られてもはや仕方がないから、十人の番兵の監視のなかに
悠然高いびきをかいて寝て仕舞った。



考え抜いた末の切腹という決心が実行不可能となって、
ふて寝をする榎本総裁がナイスです!
(何度もいいますが10人もいたら・・・狭いよね・・・・・・)
そして階下の会議で降伏を受け入れようという話になっていき、
5月17日に降伏を申し入れることになるのでした。
榎本は、命の恩人である大塚氏について、
その後長きにわたってなにかと世話をやくのでありました。

・・・・ということで五稜郭奉行屋敷四畳半物語は、おしまいです。


ところで、箱館戦争初心者としてちょっとわからないのが、
伊庭八郎さんのご命日。『伊庭八郎のすべて』とか多くは5月12日を
命日としておりますが、『史談会速記録』314号の田村銀之助の談話を
読んでいると、
明日は割腹と云う覚悟を定しました時に、
榎本自身が毒を入れた薬椀を持ってきて、我々もすぐ後に行くから
貴公はひとあし先に行ってくれと言って薬を進めました。時に伊庭は
毒薬(モルヒネ)と云うことを悟って莞爾と笑って綺麗に飲み乾して
まもなく眠るが如くに落命いたしました

とあるので、田村銀ちゃんの記憶が確かならば、
もそっと後のような気もするのですが・・・・・。
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by aroe-happyq | 2009-06-25 11:52 | 箱館または釜さん | Comments(12)

ちょっと間があいてしまいましたっっ。
なかなか落ち着いてPCの前にいられる時間がなく、
さまざま取りこぼしだらけなのでありますが、
今日、ちょっと時間ができたので記事が書けるな♪と
思ったら、本日は微妙に中途半端です・・・・・・(笑)。

今日、西暦の6月24日は、140年前の旧暦5月15日。

箱館戦争の戦況はいかばかりかと思いますれば・・・・・
弁天台場が降伏した日だそうな。

なんかなーーー。

明日は三郎助さんの命日なので、今日はもう記事やめようかなと
思ったほどですが、せっかく時間もあることなので。
しかも台場総督は、初期外国奉行の最後生き残りの永井さんだし(笑)。

いろいろストックの画像などを引っ張りだして、台場降伏の日を
振り返ってみましょう(ってなにを、どうしろと!?なのですが(笑))。


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  (『商工函館の魁』に登場する、弁天台場の入り口)


弁天台場は数日前から籠城状態。
メインの大砲は敵の見事な作戦によって破壊されて使えず、
山の上から、海から、敵の攻撃にさらされておりました。
食糧も底をつき、馬を潰して食べていたのですが、それも限界に。

13日には函館病院の高松凌雲・小野権之丞の仲介で、
官軍側から弁天台場・五稜郭ともに降伏のおすすめが来てはいたのですが、
もちろん丁重にお断りしていたという状況でして。
それから2日。
状況は悪くなるばかり。
弁天台場に立てこもっていた、箱館総督永井玄蕃は決断を迫られておりました。

この現場にいた、島田魁の日記によると。
この日、15日。官軍から台場砲台の諸隊に酒が贈られた。
そして再び降伏を勧告する使者がやってきた、という。
永井は使者と話し合った後、皆に降伏することを説得した。

(中略)・・・・・玄蕃諸隊に謂、
我請所を許さず、直に大兵を以て来り侵す、士の道として不戦不可、
然れども遠労の天兵に謝さず不可、諸子如何とす
皆色を変じて曰く、成は則義名を天下に挙、不成は則ち死する而巳、
玄蕃諭曰、諸子死を以て其身を潔くせんといえども
官軍信義を以て語るまた不可棄、且徒死益無し、
皆首を垂て不答、・・・・・(中略)・・・・・余は唯総督の命に従う、
自ら兵器を投じて降る、自ら恭順して遠労の天兵に謝す。

 (『新選組日記』PHP新書257 315P~316P)

冒頭2行目の「士の道として不戦不可」から一転、
「官軍信義を以て語るまた不可棄、且徒死益無し」までもっていくあたり、
微妙に腑に落ちない点もなくはないけど(笑)、
そこを突っ込ませない永井マジックのすご技、
勢いで説得してしまった流れはさすがです、玄蕃頭(笑)。
こういう力業の説得攻撃って、
「それが宇宙の平和だ、人類の愛だ」的な、
立派な言葉の文化のような気がしますが、
最近じゃアニメのなかでもなかなかお目にかかれませんね。

そもそも永井玄蕃、箱館に戦争をしにきたわけじゃないし。
真意は榎本釜次郎と共同執筆した「徳川家臣大挙告文」にあるとおりです。
そんなわけで箱館にやってきて五稜郭を陥とした後、箱館奉行になった永井は
堂々弁をふるったそうでして。

・・・・・(中略)・・・然るに永井玄蕃氏の説は誠に感服と云う事で
外国人も賞揚して居りました。即ち、
我々は旧政府の遺臣でございますが、歎願があつて来たものである、
それで旧政府の遺志を継いで外国と交際するからという處で
以前の帳簿その外散乱したものを皆集めまして談判いたしました。

           (『史談会速記録』50号 相良正勝談 より)

とこのようにみんなと生きるために蝦夷へ来たので、
降伏への説得のなかの「且徒死益無」というのは永井の本気の本音でしょう。

こうして弁天台場は、五稜郭より先に降伏とあいなりました。


・・・・・・で、彼らは官軍からもらった酒、呑んだのでしょうか?
水もけっこうなかったみたいだし、呑みましたよね、きっと。
(なにせ総督が無類の酒好きですからね(笑))

酒のツマミは、永井座右の書「出師の表」かもしれません。
まだ夏ですが、気分は秋風五丈原で。
(ただ永井孔明、主君の榎本玄徳公より先に降伏しちゃいましたけど(爆))


というわけで、140年前はこういう日でありました。
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by aroe-happyq | 2009-06-24 18:58 | 箱館または釜さん | Comments(2)

風雲Ⅱ 予告編第二弾♪




サイモン兄貴がたくさん出てくるので、
思わずわくわくしてしまいました!
PTU姿のサイモンさんがベストオブではありますが、
甲冑系もまた雅でございます☆

アーロンはどちらかというと「白銀帝国」とゆー映画のほうが楽しみかも、です(笑)。
(どうもこの方には帝国という言葉がよく似合う・・・♪)

どちらの作品も今秋の東京国際とかフィルメックスあたりで上映してくれないかな☆
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by aroe-happyq | 2009-06-23 14:19 | 香港&アジア映画 | Comments(0)

小樽の武揚祭2009

小樽情報はすっかり香音里さんのブログにおんぶにダッコ状態で
ございますっっ。

昨年から開催されるようになった、小樽の榎本武揚祭!
今年も賑わったよし♪♪

小樽ジャーナル→こちら

今年は銅像なども完成したとか。
向島の団地の銅像とは違い、こちらの銅像は青々とした木々に囲まれ、
前には錨のオブジェまで置いてもらって、とにかく感激ですっっ(涙)。

あとは釜さんのブレイクを待つばかり!(笑)
(とりあえず、言い続けてみます)
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by aroe-happyq | 2009-06-21 10:54 | 箱館または釜さん | Comments(0)

明治2年5月11日は西洋暦の1869年6月20日。

本日は土方歳三さんのご命日。


拙ブログではなかなか登場の機会のない土方さんですが、
今日はしっかりと北にむけて手をあわせたいと思います。

外国奉行メンバーズ等との接点としては、脱走軍・箱館奉行永井玄蕃ぐらいであります。
京都時代から顔見知りとは思いますが、永井関連の本などでは近藤局長の名前しか
出てこないので、直接話すようになったのは近藤勇が銃撃で負傷後のことですね。
もちろん箱館ではもう少し親しくつきあいもあったかと思うのですが、
漢詩会のほうには歳三さん、参加していなかったようですし、
記録がないのでその様子はよくわかりません(笑)。

とこのように、新選組初心者としてはなにもネタがないじゃないか、
ということでたいへんおこがましい限りですが、
箱館メンバーのお仲間でもあり、本日は記事をUPしてみました。

五稜郭開城までは一週間、なんですね。
本日の函館のお天気はくもりで、気温は19度とか。
140年前の、このあたりから籠城をはじめるはずの弁天台場などは
籠城するには暑からず、寒からず・・・でありましょうか(涙)。

箱館戦争をしのび、ひさしぶりに『高松凌雲翁経歴談』のコピーを読み直して
おりましたが、遠路はるばる遠征してきて勝利もなすった官軍のみなさんには
申し訳ないことですが、いろいろ問題抱えて、タイヘンな脱走軍のみなさんのほうが
やっぱりカッコイイっす☆
(高松先生がめちゃかっこいいのはもちろんなのですが、病院関連のエピソードは
五稜郭幹部とのやりとりも含めて、何度読んでも胸が熱くなりますです、ハイ)
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by aroe-happyq | 2009-06-20 14:48 | 箱館または釜さん | Comments(8)

先日、エコポイント・・・・めんどくさい&わかりづらいとボヤきましたら、
どうやら手続きやポイント自体についてのシステムもカンタンになりそうな
兆しがでてきたようで、・・・・・ちょっとホッとしております。
指定の量販店で、フツ-にポイントとしてエコな商品購入に使える・・・という
ことになりそうだとか。
好転しそうな感じでないはともあれ、よ・・・よかったです。


さて。

今朝、悪夢のようなニュースを知りました(笑)。

再来年の大河ドラマ・・・・・ですが、

「江 ~姫たちの戦国~」

だとか。

NHKドラマトピックス→こちら
資料PDF→こちら

幕末と戦国のサンドイッチはとうとう、本格的になってきたようです。
しかもネタがつきてか、お江与(とも言う場合もあり)かよ・・・・・・、みたいな。

それぐらいなら、まだよろしいのです。

ですが、

田渕久美子さんのオリジナル脚本

だそーですって。

「篤姫」からまだ3年で再登板!???

大河の脚本を本気で、燃え尽きるまでやりきった作家さんて、
たいへんだということが身にしみて、なかなか再登板しないって・・・・
聞いたんですけど、この方はやれちゃうんですね(笑)。

フジTVの「大奥」ではありませんが、幕末やってから、
今度は春日局目線じゃなく御台所お江目線にかえただけの「第一章」
のパクリ???というように、
大奥シリーズでもやる気だとしたら納得ですけどネ☆

ところで、みなさん昨年の大河って、ちゃんと憶えてます???

ワタクシ、今朝つらつらと思い浮かべてみたのですが、
泣いている瑛太と、はじけた演技の堺さん(家定)しか思い出せない・・・・・。

つまりは、それぐらいの内容だったんですよね(爆)。

おそらく再来年もびっくりするほど低予算で、同じ室内セットバリバリ使い回しで、
(あ!昨年の階段のあった老中部屋が、天地人にも出てきて爆笑でしたっけ)
大河ではなく、小川なぐらいの狭くてささやかな家族愛(って、お江にびびりまくる
カワイソウな秀忠の姿とか、母性愛に挫折して、衆道に走る長男・家光とか・・・・・?
壊れまくってるんですけど、ここの家庭(笑))が描かれることでしょう。

↑嗚呼。つまんないのう。

せっかくTVが新しくなり、きれいな映像でみられる段になって、コンテンツがダメときては。
「太平記」をデジタルマスタリングして、再放送したほうがよほど内容があるのになぁ。

と、こんなことを長年の視聴者にいわれるようなら、
日本ドラマ唯一の歴史大作ドラマシリーズもいよいよ終焉かも???ですね(トホホ)
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by aroe-happyq | 2009-06-18 10:14 | ほんの世間話 | Comments(4)

放浪を続けるセクスィー部長、どこへいくかとはらはらしていたのですが、
まさか「天地人」パロにいくとは!
セクスィー武将とは!!!

大爆笑させていただきました!

パロっていっても、BGMは「風林火山」だし、←いつ聞いてもカッコイイですねこの音楽は!
兜に「恋」の字を載せているだけ・・・・なんですけど、
ピンクの鎧が特注???だとしたら、
シリーズ化もあり???かもしれません(笑)。

なんとなくセクスィー部長は戦国よりも、ローマとかギリシャとか
(むむ、それではモンティ・パイソンになってしまうか!??)
ベルサイユとか、そういう西洋モノのほうがよりお似合いのような気もしますので
ぜひいろんな世界で活躍してほしいものです☆

なにせ本家の「天地人」がコントちっくなので、
(どこへいこうとしているのか、なにがいいたいのか、やはり微妙な大河です(笑))
セクスィー武将のほうがむしろドラマがあって、堪能できちゃいました。
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by aroe-happyq | 2009-06-15 13:45 | ほんの世間話 | Comments(0)