東都アロエ

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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

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「征西日記」は別名「幕末るるぶ」と云われる、伊庭八郎の上洛日記☆
幕末の江戸は下谷のプリンスことイバハチ氏が京で大坂で、
食べる、見る、伏せる(食中毒等にて)!もちろんお仕事もやります!

そんな「征西日記」を、
イバハチ愛を込めてAkiさんがブログで紹介してくださって
おりましたが、今回解説本として一冊にまとめられました♪

内容はもちろんですが、地図、写真も豊富で、
とても見やすくて、かつレイアウトが超素敵です!
もちろん原文つきです!!!
いわゆる同人誌として発行なすったのですが、初同人誌とは
思えないグレードっぷりでございますっっ。

実は日記に登場する一部旗本&大名の情報についてほんのちょっと
お手伝いをしたので一足お先に拝見させていただいているのですが(現在進行形)、
(写真の本はMY本でありますヨ)
読み応えもたっぷりで、面白くて何度も手にとって読んでしまいます!
わたしのようなイバハチ初心者には、入門書としても最適の一冊といえます。
『伊庭八郎のすべて』を読んだときより、ずっとイバハチさんが身近に
感じたのだから不思議。やっぱり日記でスゴイですよね。

てか、前に征西日記の翻刻を読んだくせに、今回いろいろな新発見がありました。
やはり伊庭さんに詳しい方の解説付きだと頭に入りやすいんですっっ。
八郎さんが赤貝にあたってしまい、寝込んでしまうあたりはすっかり宇宙の果てに
飛んでおりました。こんな発見がいくつもあるのです(笑)。


このほど通販をはじめられたということで、
さっそくお知らせ&オススメさせていただきます。

通販方法についてはAkiさんブログのこちらのページで


いつの日か、岩瀬日記の解説本ができたらいいな♪なんて思いますが、
それは夢のまた夢でござる(爆)。誰かまず翻刻してください~~~っ(涙)
それはさておき、
今度上洛のおりにはこのイバハチ本を手に、京で幕末気分に浸ってこようと
思いま~す058.gif
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by aroe-happyq | 2009-09-28 18:00 | | Comments(8)
久々にアジア萌、きちゃいました☆

昨日放映のETV特集。
毎月月末日曜日放映中の「日本と朝鮮半島2000年シリーズ」。
古い時代のパートでは随分物議を醸したようですが、
昨日は「蒙古来襲」。もうこの時代ともなれば文献資料もいろいろ
ありますし♪楽しみましたです。

ETV特集公式サイト→こちら

長いのでたたみます
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by aroe-happyq | 2009-09-28 11:48 | ほんの世間話 | Comments(5)

寺澤正明《幕末秘録》

箱館ファンの方々のあいだではもうおなじみの本でありましょうか。
箱館初心者としては一歩一歩ゆっくり進んでいるのですが、
やっとここまでたどり着きました(笑)。

寺澤正明は奥詰銃隊から彰義隊に加わり、その後品川から開陽に乗り、
箱館にむかった人です。
そしてこの《幕末秘録》は寺澤翁の回想録。最初は新聞連載でしたが
のちに山崎有信の編集により、本にまとめられました。

国会図書館でマイクロフィルムにて閲覧したのですが、
最初はほんの参考にという感じで読み始めたら面白くて、
気がついたら複写してしまい、夏目漱石が幾人も飛んでいったという
自分としては思わぬ散財の一冊です(笑)。

長いのでたたみます
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by aroe-happyq | 2009-09-27 11:27 | 箱館または釜さん | Comments(8)

黄金の日日と白州次郎

本当にただの世間話でございます(笑)。

たたみます☆
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by aroe-happyq | 2009-09-24 17:40 | ほんの世間話 | Comments(4)
かなーーーーり昔に、『昌平坂学問所日記』Ⅲにみえる榎本釜次郎の
学問所ライフ記録を書き出した憶えがあります(笑)。
そのときのブログ記事→こちら

安政2年1月18日  釜次郎20歳   (Ⅲ155P)  
    榎本釜次郎再入学願度、頭取申聞候間、承届申候
 
安政3年7月10日  釜次郎 21歳  (Ⅲ222P)
      榎本釜次郎退寮願書追而御沙汰有之候迄預置
↑退寮願いを出しております。

    7月13日    (Ⅲ223P)
     榎本釜次郎退学願聞届候旨松本房之助へ相達ス
    7月17日    (Ⅲ223P)    
     榎本釜次郎引払御届書差出

今回気になったのは、この二度目のチャンレンジについてです。

近ごろ、『旗本三島政養日記』というのもを読んでおりまして、
この人、井伊派だし、微妙に出世もしそこない、幕府瓦解まで月代にし続けた
頑固な男なのですが、この人の丁寧な日々の日記によって旗本の暮らしぶりが
よくわかってたいへん重宝しております。
で、この三島も34歳(当時、小性組番士)ではありましたが、
安政2年から突如お受験準備をはじめ、
翌年の正月に行なわれる学問吟味(3年に一度)にチャレンジしたのであります。
(つまり釜次郎とはお受験ライバルであります(笑))

この時期、阿部正弘による安政改革真っ盛りで、
若き旗本は武芸方面で(砲術とか)身を立てるか、学問で方面で出世をはかるか
いずれにせよ、軍政改革や洋学所の設立などの噂がとびかい、新設組織への登庸
の道が開かれつつありました。
また安政元年などに学問所教授方の岩瀬たちが次々に大抜擢されたのを目の当たりにし、
「俺もがんばるぞ!」という気運が高まっていたようなのです。
黒船来航は御台場建設、軍艦製造などの大規模公共工事で景気を明るくした
のみならず、旗本の若者たちにも希望をもたらしたようであります。
(安政年間につくられた一朱銀を「御台場」と呼んだあたりでも活気に
溢れた様子がわかりますね☆)

さて、榎本釜次郎もまた三島同様、時代の気運に乗って?
2度目のチャレンジをするべく学問所に戻ったのかもしれません。
ですが今回三島日記を読んでいて
彼ら安政3年学問吟味チャレンジャーズに降りかかった不幸に気がつきました。
安政2年秋の江戸大地震によって、学問所にも被害があり、
例年正月16日に開催ときまっている学問吟味が、8月に延期になったのでした。
つまりゴールが遠のいたのであります(涙)。

1年の受験勉強なら我慢できても、プラス8ヶ月って、辛いですよね(涙)。
三島もあと受験まで数ヶ月というところで通風(リウマチの一種)にかかり、
寝たきりになってしまいます。それほどのプレッシャーのかかる、
とてつもない大試験でした。
(当日は友人たちに抱えられてやっと試験会場にたどり着くのです。結果はよい
ほうでしたが、実力が発揮できなかったと嘆いておりました)
三島日記をみていると、その壮絶な受験勉強の様子、また当日の試験内容も
詳しく出ております(そちらは本のほうみてくださいね!・汗)
なにより、心身ともにタフでないとこの試験は乗り切れません。
この受験期間のプレッシャー、そして3日間におよぶ朝から日暮れまでかかる
試験(論文と諮問)をクリアし、好成績を残せるだけで、
十分に「使える人材」であることを証明できるのです。
及第者がいずれも柳営で活躍している男達ばかりなのも納得です!

で、釜次郎の記録をあらためてみると、なんと学問吟味一ヶ月前に
学問所を辞めてしまったことになるわけです。
これはハンパではない一大決心です!

この安政3年夏~秋というと、
友人の伊澤謹吾(こちらはすでに学問吟味はパスしています)に
突然、長崎海軍伝習所への派遣話が出た時期だろうとは思うのですが、
(艦長候補生の永持享次郎が転属願いを出したため)
釜次郎青年(21歳)は学問吟味への興味を失い、なんとしてでも
長崎へ伊澤くんと行くんだ!と決心したのでしょうか。
学問吟味を一ヶ月前に振るというのは、たいへんな覚悟が必要だった
はず。もちろんお受験仲間(三島の日記をみるとこの仲間の結束は
岩をも貫く、かたく熱い絆だったようです)は反対しただろうし、
榎本ファミリーでも大論争になったのではないでしょうか?
(受験のために高名な先生の塾に通ったり、お金かかったわけだし)

このタイミングなら、長崎海軍伝習所人事担当の伊澤美作守(謹吾パパ)
が釜次郎の長崎行きに反対した有名な話もちょっとわかるような気がします。
美作守も学問吟味を経て華麗な経歴を手にした人なので、
「将来のことを考えて、吟味をうけなさい!」と叱ってもおかしくないですネ。
一方で当時、伊澤邸によく遊びにいっていた岩瀬忠震が
「これからは伝習所ですよ、美作殿」と一言口を添えたという話もまた、
岩瀬にありがちな未来志向(根拠はなくていつも勘です)でありますし(笑)。

ただ榎本釜次郎の性格から察すると、一度決めたからには
なんとしても長崎に行く!ということだったのでしょうね(爆)。
で、ホントに行っちゃったし!
(んで、手続き不備で釜次郎を帰府させる、させない問題で目付と勘定方が
揉めにもめたらしいし(爆)←柳営に論争を起こさせる、嵐を呼ぶ男釜次郎)

もし地震がなかったら榎本釜次郎は吟味をうけていて、
そしてどんな人生を送ったでしょう。長崎には行けたでしょうか?
ちなみに好成績だった三島政養はあいつぐ不幸(大獄後の井伊派の没落)により
出世できずに終わってしまいました。
そんな様子をみていると、
形(吟味及第)より実(洋学実習)を取った釜次郎の決断は正しかったように思います。

ずっと昔に調べていた釜次郎学問所ライフの裏に
こんなドラマがあったということで、
記事にしてみました。
といっても、半分以上は「推察」ですので休日のたわごととしてお聞き流しくださいネ☆


ちなみに今回登場の三島日記、都立中央図書館で10円コピーで
ゲット可能です☆
こちらについてはまたいずれ紹介したいと思います。
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by aroe-happyq | 2009-09-23 11:30 | 箱館または釜さん | Comments(2)

関ヶ原。

休日なのでだらだら、いきます。

みられるときにはみている「天地人」。
後半戦になり、演出家の妙な気負いもなくなり、いたって普通の演出で
たいへん見やすい今日この頃です(笑)。
脚本も「脚本協力」という方々の名前が増えてから、こちらも
いたってスムーズ。可もなく不可もなく。
・・・・・・最初からこうやっててくれればよかったのに、なんて思ったりして。

さて「天地人」先々週から関ヶ原へと突入です。
といっても上杉は北で戦っていて、関ヶ原にはいなかったのですが、
先々週の回(直江状の回)には陣中でとんでもないドラマが起こりました。
兼続が景勝と意見対立のあげく、刀をむけました☆
おおーっ大河の主人公として成長した姿!
・・・・・・でも次の回には、すっかりもとに戻っている二人でした(爆)。

といちおう、主人公に触れたところで(って、もうこれで上杉話題おわり)。

関ヶ原の戦いは、やっぱり何度みても面白いです☆

基本的に戦いは好まないほうですが、この時代の市街戦とは無縁な、
戦闘員のみで雌雄を決する戦いについては、ロマンを感じます。
敵味方でそれほどの武器の差もなく、どちらかというと知略がものをいう
「孫子の兵法」が通じる古式ゆかしき戦いって、人間らしくていいじゃないですか♪

でそのなかでも関ヶ原の戦いというのは、最大規模でして、
そこに渦巻く人間ドラマもハンパではありません。
大河ドラマで戦国を扱うと「避けて通れぬ戦い」といいますか、
かならず登場する戦いで、もう何度そのシーンをみたことか。
今回の「天地人」は主人公は参戦していないし、予算もないしで
かなり昔の使い回し映像を駆使していましたが、全景のCGがとても
わかりやすくて、はじめて「天地人」CGの有効性を感じました(笑)。

いろいろな大河をみるたびにちょこちょこ気づくことのある、
奥深い戦いなのですが、今回気づいたのは、
毛利のヘタレ伝説ってここからはじまっている???
ってことでした(笑)。

なぜ動かんのだ!
ですよね、やっぱり(爆)。

ちょうど昨夜、BS熱中夜話の再放送をみたら、テーマが関ヶ原で。

熱中夜話関ヶ原公式サイト→こちら

いろいろ勉強になりました!
甲冑は今いわれているよりずっと軽量化されていたとか、
裏切り者小早川秀秋についてなどなど、
(家康の放った脅しの砲撃は秀秋の陣まで届かなかったんじゃ?とか)
充実した内容だったのではないでしょうか?

で、そこでも毛利、どーよ?というわけで(爆)。

この関ヶ原のヘタレぶりで、お家断絶にならなかっただけでも
マシなのに、家康を恨むなんて、それ逆恨みじゃないの?みたいな(爆)。
とはいえ最近読んだ『江戸大名下屋敷を考える』によると、
江戸時代中、毛利家もけっこうそれなりに下屋敷あたりで楽しく暮しているのです。
ふと思うのですが、毛利さんも長いことそんな恨みなんか忘れていたのでは?
んで、幕末になって京都で御所にむけて撃ち込むという大失敗のあと、
京での既得権益を奪われ、徳川と対峙するようになって、
「あ、そうだった」って・・・・・・。
自分の立ち位置を探してて、思い出してみたんじゃないのだろうか。
とこのように、疑われても仕方のない戦いっぷりでした、
毛利IN関ヶ原。

一方の島津軍がかっこいいから余計に・・・・・・・感じるのかもしれません(汗)。

毎回みるたびに注目ポイントを変えてもなお興味がつきない、
関ヶ原の戦いについて、ちょっと話題にしてみました。
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by aroe-happyq | 2009-09-22 10:52 | ほんの世間話 | Comments(0)

トモコレの世界

連休ということでゆるーい話題を。
いろいろなところからリクエストを給わりましたので、
久々のトモコレレポでございます~~~!

こんなゆるいネタをブログにしてもよいものかと
いささか自粛していたのですが、「みたい!」と
おっしゃってくださる方々がいたので、
「え、いいんですか?」とばかりに貯めておいた
写真を大放出いたしまーす(笑)。

トモコレの世界へようこそ
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by aroe-happyq | 2009-09-21 11:56 | トモコレ | Comments(8)

せめて江戸の言葉でも

最近の新作時代劇はなぜああもコントみたいなんでしょうか。
殊に土曜時代劇は30分という短さも災いしてか、マジで時代劇コント。
「磐音」さんはついに最後まで登場人物にまったく馴染めないまま終わり、
「オトコマエ」はパート2になったら少しはマシかと思いきや、
ますますイロモノ。あの遠山左衛門尉の間違った伝法調はイタすぎます。
(彫り物もしていない真面目な良吏の左衛門尉だとしても、
江戸っ子侍として、あの江戸弁は名誉毀損で訴えてもよさそうなものです(笑))
コントといっても、お江戸でござるのようにカワイイコントならよいけど、
殺陣もできぬ、所作もNGという哀しいコントでは情けがない。
(結局どこの国の、どの時代の人かさえもわからないのである。涙)

江戸らしさと出すのに、煙管だけでもくわえてみてはどうだろうか、というのも
ムリそうなのでせめて江戸の言葉でも喋ってみておくんなさい☆
というわけで、座右の書である前田勇編『江戸語の辞典』(講談社学術文庫)
から最近の時代劇で使われなくなってしまった江戸時代のことばを
紹介いたします♪


置きにしな
よせ、やめろの命令形。
少し丁寧なバージョンとしては「置きにするがよい(したがよい)」
もある。とても風情のある命令口調であります。

しだらも(が)ない
現在では「だらしがない」という言葉になってしまった、その原型。
意味は同じ。ただ「だらしがない」というのは「しだらもない」の下俗方言
なので、ちょっと上品な町人&武士は「しだらもない」を使っておりました。

思う仲の恋諍い
相思相愛で睦まじすぎるとケンカする、という意味。
なんともカワイイ言葉であります☆
上記が恋人バージョン、夫婦バージョンでは「思う夫婦喧嘩」というのもあります。

おきゃあがれ
よしにしろ、よしやがれと同じ意味。
啖呵をきるときに使うのがGood。とはいえこちら寛政~文化の流行語なので
幕末ではいささか骨董的啖呵かも(笑)。

寝かそうが起こそうが
どのように扱おうが、という意味。

はばかりさま
他の労をわずらわすときにいう挨拶語「はばかり」の丁寧語。
ご苦労様、のような雰囲気もあるが、MYフェイバリット「はばかりさま!」
は渡辺謙主演『斬九郎シリーズ』の辰巳芸者蔦吉姐さんの啖呵口調バージョン
です(笑)。

承知尽(づく)
承知の上ですること。
「づく」がつくだけでなんとも江戸モードであります(笑)。

以上、ほんの一部を紹介しました。
これのひとつでも使うと少しは「らしく」なること請け合いです☆


それから時代劇ではあまり聞いたことはないけれど、
辞典であんまりインパクトがあった言葉をオマケにひとつ。


江戸兵衛(えどべえ)
上方で江戸の人を小バカにするときに使う。「関東者」と同じだけど、
なんかこちらのほうがパンチが効いている。
きっと新選組は言われていたに違いない(涙)。負けるな、新選組!
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by aroe-happyq | 2009-09-20 11:22 | 江戸東京あれこれ | Comments(6)
早稲田図書館は古典籍のデーターベースを公開して
おられて、たいへん有り難く活用させていただいております☆

早稲田図書館古典籍総合データーベース

とはいえ岩瀬の日記をこちらからDLして以来、
ちょっとご無沙汰していたのですが、
久々に行ったらいろいろ増えておりまして。
思わず感動してしまいました。

同じく岩瀬忠震なら大槻盤渓との書簡とか→こちら
(もう読めなさすぎで、笑うしかない!)

永井尚志(玄蕃、介堂)などは、
勝海舟宛書簡とか→こちら
あいかわらず達筆すぎて読めません!
しかもこちらは勝海舟全集別巻「来簡と資料」に未収録。
・・・・・・軍艦どーのこーのという話っぽいです(涙)。

また、
箱館時代のユースデン宛書簡がこちらこちらに。
こちらは読めますネ!

さらに初公開!永井介堂の絵まで!
タイトル「竹石之図」→こちら

明治13年の作だそうで。向島時代の絵です。
・・・・・・実に永井らしいシンプルな絵(笑)。

伝習所繋がりですが、木村芥舟のもあります!

木村芥舟雑記→こちら
木村もこのほか書簡など数点があります。

また矢田堀鴻の珍しい書簡も!→こちら

榎本武揚さんにいたってはこちらで紹介しきれません!
どうか検索で「榎本」といれてみてやっておくんなさいまし☆
勝海舟宛書簡からガルトネル北海道七重村開墾約条書、
魯国裁判所概略までてんこもりでございます。

そんななか、自分的に一押しなのが、
めったにお目にかかれない阿部正弘の書です!→こちら
天保14年のものだとか。
まさに老中デビュー年に書いたもの!
25歳ですからね~~~~~。若いです♪


こんなに貴重なものを惜しげもなく、公開してくださる
早稲田図書館に心から感謝です☆
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by aroe-happyq | 2009-09-17 10:38 | 外国奉行ズ | Comments(43)
9月30日まで開催中のこの特別展示。
まだまだ期間があるさ、と油断していたらあと3週間しかないと
気がついて慌てて行ってまいりました☆

公式サイトはこちら


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フラッシュは禁止ですが、最近のカメラはフラッシュ不要なので
一枚いただきました。

ほとんどの幕末の条約文は火災や関東大震災で焼けてしまいましたが、
数少ない生き残りの日英通商条約です!
重要文化財だそうですヨ。
外国奉行ゴレンジャー勢揃い&水野の前のちーさい英文はエルギン卿であります。

正直、これをみるために行きました!

・・・・・ちょうどほかに見学者もいなかったので、長い間じっと眺めて
しまいました(笑)。

そしてこれまた数少ない、生き残りの文章!がこれです↓

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安政6年の日英通商条約の批准書です。
サインは水野筑後守
(ほかの岩瀬たちはすでにクビでーす・笑)


そして文久遣欧使節団随員写真がパネル展示ではなく、
複製ファイルをめくりながらじっくり眺めて感動でありました☆

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こちら市川渡さんです。
市川さんは岩瀬忠震の公用人(公設秘書のようなもの)でした。
元雇い主が香港さえも渡航できなかった無念を、
渡さんがヨーロッパ歴訪まで達成したことで晴らしてくれたように思います☆

ちょっと爆笑だったのは、慶応4年3月、京都入りしたパークスが
三条大橋付近で浪人に襲撃された、その詳しい地図が展示されておりましたことで。
「攘夷」を掲げていた西国雄藩が上層部だけ勝手に「開国」に転じても、
そりゃ攘夷浪士のみなさんはおさまるめい!というわけだったのですね。

このほか日英関係の歴史が展示されておりますが、
日英関係のあけぼのという幕末コーナーがわりと多くて嬉しかったです。
明治以降のコーナーでは、なぜか榎本の写真が外相経験者として
パネル写真が飾られてあったことと、林董さんなどもひとつ登場ぐらいかな?
(スイマセンね、その後の日英関係にまるで興味がないので、そのあたりは
ぜひとも実際に見学してご覧くださいませ(笑))


展示そのものは会場も小さいので、こじんまりしたものですが
上記の重文は見る価値ありますヨ!
(ほかのも、いろいろあります・笑←いまいちなフォロー)
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by aroe-happyq | 2009-09-10 19:14 | 外国奉行ズ | Comments(8)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq