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東都アロエ

昨日、新宿御苑から伊勢丹方面へ歩いていたら、
ひょいとチラシを貰って。みたら、

札幌スープカレー専門店

東京ドミニカ

NEW OPEN


の文字が!!!!

ええええええええ!????

スープカレーの店ができたんですかぁぁぁぁぁぁ

とわくわくしたら、店発見。

しかし折悪しく、満腹にて入店は諦めましたが、
帰宅後ネットを調べたら。

東京ドミニカブログ→こちら

食べログ「東京ドミニカ」→こちら

オープンは3月11日。
そうかっっ、たいへんな日に開店されたんですねーーっっ。

昨年、函館でスープカレーデビューをして以来、
すっかりとりこ。
野菜がたくさん入っていて、それこそ新宿中村屋のインドカリーこそ
王道と育った自分としては、インドカリーとはまた違った美味しさに
少なからずカルチャーショックを受けました。
(どっちもそれぞれ、美味い!!!別もの!!って感じなのですヨ♪)

東京でも食べてみたいな~~~、でも大泉洋氏いわく
スープカレーは本場の北海道で食べないと!って
言ってたしな~~~~と躊躇ってましたが、
「札幌スープカレー」っていうんだもの、本場の味なんじゃね?
と思う次第。

とりあえず、近々行ってみたいゾということで、
記事に書きとめてみました(笑)
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by aroe-happyq | 2011-04-30 10:16 | ほんの世間話 | Comments(2)

玉川上水の支流

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もうひとつ、おまけで。

あまりうまく撮れませんでしたが、
こちらが玉川上水の旧支流です。

四谷大木戸で江戸に流れる本流と分かれ、
千駄ヶ谷方面に流れていました。

先ほどの渋谷川とも合流してるはず(笑)。
(ちょっとうろ覚え……)

今は草に覆われていますが、
周りの家の感じなどは川辺の雰囲気そのもの。
なかなか風情があります。


さてまだまだ歩きます(笑)
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by aroe-happyq | 2011-04-29 12:16 | Comments(0)

渋谷川のはじまり

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今日は天気がよいので、
新宿御苑をぶらっとしてます☆
(本日とみどりの日は無料開放なので)


で、先月でしたっけ、
ブラタモリの渋谷の回が放送されましたが、
その際紹介されていた渋谷川の源流がここ。

番組では御苑の外からこの場所を訪ねてましたが、
これが内側からの写真です。

川はしっかり流れがあって、
まだまだ現役でした。
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by aroe-happyq | 2011-04-29 11:47 | Comments(0)

ちょうどコピーファイルを出したついでに、もう一丁!

さすがメジャーな朝日新聞でありますので、すでに多くの人に見られていて、
「榎本子逸話」全4回で紹介されているエピソードは
加茂儀一著『榎本武揚』でほとんどが紹介されております。

しかし全部ではなかったんですヨ!

ぶっちゃけ、愛妻家絵榎本武揚を高らかに謳った『榎本武揚』では
紹介しづらい、エピソードなどなどは放置されておりました。

こういうネタこそ当ブログではまさにご馳走!!!

というわけで、艶福家(?)榎本釜次郎豪快伝説記事、いきまーす☆

榎本子逸話(一) 明治41年10月25日 東京朝日新聞

▲そそり節

これも学友の談であるが、子爵は海軍教授方となると
お上から相当の手当が下がり、小遣いには困らないので
毎夜吉原へ素見(ひやかし)に出かけた。
そのいでたちは布子に手拭いの頬被り、
俗に弥蔵(やぞう)という鐵固(げんこつ)を布子の下から
肩へ突き上げそそり節を唄って出かけるのだが、
その節と声のよいのが自慢で女郎もそれを喜んで
達(たて)引くから子爵は時々惚気を言って
朋輩を困らせた事がある。


読んでる途中、すでに「弥蔵という鐵固を布子の下から
肩へ突き上げそそり節を唄って出かける」姿というのが想像をこえすぎて
いて、大爆笑させていただいたのですが、
もうなんとも豪快な逸話ですっっ。

教授方ということで、安政5年に長崎海軍伝習所から江戸へ戻って、
築地の御軍艦繰練所の教授方になり、文久2年にオランダ留学するまでの
23歳から27歳の4年間のあいだの逸話となります。
まぁ、男盛りで、独身貴族で、給料もそれなりとくれば
吉原に遊びに行かないほうがどうかしてる!?かもしれません(笑)。
(時はまさに安政の大獄なんですけど、そんなの気にしない!?)

御軍艦繰練所が築地にあるので、てっきり金春芸者で有名な新橋界隈の花街で
遊んでいたかと思いきや、やはり江戸のディズニーランドこと(爆)吉原へ
繰り出していたわけですネ。しかも毎夜!!!!!(爆笑)

それにしても、やはり若いころから声の良さは自慢だったのか!
語学が堪能ということで、この人はかなり耳もよいと思っているので、
歌も上手かったと思うんです。
なので、そそり節も、素敵だったことでしょう!!

んで、男伊達の釜チャンですが、
この当時の吉原とくれば、あの人やこの人など
文久以降江戸や京都で大活躍する青年たちとも、
さりげなくすれ違っていたかもしれません。
といっても、すれ違った人達も、
後年オランダ帰りで、洋装姿となった榎本さんをみて
あの頬被りしてそそり節をうたっていた人と同一人物とは
よもや思うまい(笑)。

といっても、若い頃に長崎丸山や吉原で粋に遊んだ男なら、
中年にもなれば遊び飽きて、
立派な愛妻家になろうってもんです。
(まるで江戸の大店の若旦那の模範的な成長パターン……)
なので、加茂儀一さんの愛妻家説はあながち嘘ではないと
思うんであります。

それに若い時にたくさん女とかけひきを経験しておくと、
外交のかけひきも当然、うまくなりますから!
(人間同士の交渉事は、女としようが、外国人としようが根っこは一緒。
人間学に精通したもん勝ちです・笑)

と、フォローしてみました☆
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by aroe-happyq | 2011-04-28 10:29 | 箱館または釜さん | Comments(4)

前の記事で名前を出したので、榎本さんの記事を紹介します。

東京においては国会図書館館内のPC端末から
読売、朝日両新聞の過去の新聞を個々の記事をかんたんに検索できるように
なりました。
今までのようにマイクロで目をしょぼつかせながら探す手間が
省けたおかげでいろいろと助かっている次第です。
前の記事の慶喜はもちろん、永井尚志や小野友五郎などの知名度の低い
みなさんの記事もさくっとみつけられます☆

で、榎本さんなんですけど。
わたしは勝手に「釜さん蟻地獄」と命名していますが、
いったん検索してしまったら最後……そのあまりに膨大な記事のなかに
はまりこみ、ほかの作業ができなくなる、恐ろしくも楽しい世界が
待っています。
A4判コピーですと20円という、国会図書館では安い!お値段もあって
ついついあれもこれもとクリックしてしまいます(笑)

で、
今回紹介するのは、明治41年10月17日の東京朝日新聞。
榎本武揚氏が亡くなられて、追悼特集のひとつであります。

幕末の榎本子(一) 安藤太郎氏談

▲事業の最大人物

今の榎本子爵を見るもの、或いはこれを二流といい或いは三流という。
しかし明治元年旧幕府三百年の歴史を双肩に荷て日本に並のない
開陽回天幡龍その他都合八隻の軍艦を率いて
悠然品川台場外に浮かんだ当時の榎本釜次郎氏は名望地位勢力共に
じつに第一流の大々的人物であったのである。
西郷でも大久保でも其の他在朝の名士皆榎本子一人を目の上の瘤とし
彼をどうか処置しなければ枕を高くすることが出来なかった。
朝廷も官軍もはた天下の人も皆あげて榎本子一人を恐怖したのである。
当時の彼はオランダ帰りの新知識を有している、その手足としては
当時無比(今からみればお話にならぬが)の軍艦と精鋭の壮士がある、
東北地方では隠然声援をあたえている、彼は何を仕出すか知れない、
一つは買いかぶりもあったであろうが、当時の子の勢力は
実に天下を圧して宏大のものであった。
横文字新聞でさえもエノモトストルーブスとして
大々的に記載したくらいで、その行動は広く内外人の注目を
惹いたのである。
この時子の年は三十三際であった。



今の榎本というのは晩年のことのようです。
東京の江戸っ子以外の人々の印象としては、
明治10年前後に花形外交官として活躍後は、
なんだかあちこちの内閣(しかも短期間内閣ばっかし)で大臣を
やってた人で、引退後はこれまたあちこちの団体の会長を引き受け、
都々逸や長唄が得意で……な人ということで、二流だの三流だのと
揶揄されたこともあったようです。
薩長やら西のほうの勢力が幅をきかせていた明治のこの頃ですから、
江戸ッ子は所詮、日陰者でありますので、そのなかとしては
榎本さんはずいぶんがんばったほうだと思います。

だからこそ安藤氏は戊辰の頃の榎本は本当にすごかったんだと、
どうしてもいいたかったのでしょう。
ただ「朝廷も官軍もはた天下の人も皆あげて榎本子一人を恐怖したのである」とまでくると、
西軍にとってはダースベイダーかデスラーか!?みたいですけど(笑)。

ちなみにこの「幕末の榎本子」シリーズは3まであるのですが、
ここから品川脱走~箱館戦争の流れはほぼ既にみなさまご承知のお話にて、
あえてここであらたに打ち直すほどのものではありませんので、
(なんだかもう、話がやたらデカくなってて、講談みたいっす・爆)
いきなりラストの〆シメまで飛びたいと思います。


幕末の榎本子(三) 安藤太郎氏談 (明治41年10月22日の東京朝日新聞)

▲義理は義理 恩は恩

(略)……降伏後の子は要するに一に国利民福の増進をもって
心としていたのである。かく新旧生涯にわたって榎本子なるものを
観察すると、子は決して自己一人のために行動した人物ではない。
恩は恩で報じ、義理は義理で報いるという意志を
一貫しているのを見ることができる。

▲責任の軽重

新生涯の榎本子は随分傾斜の巷に出没し中々の通人でかつ艶福もあった。
しかもその艶福はすこぶる自慢であった。どこまでもべらんめい的で
時にはいわゆるヅボラの評も免れない。
けれども函館時代の壮年のときはすこぶる真面目で厳格であった。
身を処するには常に慎重、細事にわたって深思恐(?)慮を凝らしたのは
事実である。
責任の軽重が関係しているかも知れぬが、
今の榎本子を知る者はほとんど想像し難い極であった。


※新聞の字が不鮮明な部分には(?)をつけさせていただきました

榎本さんが箱館戦争のころを振り返って、三千の兵の命を預かった
重責は本当に苦しかった…みたいなことをなにかで言ってたような
記憶がありますが、トップに立つというのは本当に孤独で辛いもの
なのですねっっ。
とくに義理堅そうな榎本さんにとっては、
たいへんだったのではないかと思われます。

その反動か??晩年の釜さんは解き放たれていたというか、
のんびりしちゃったわけですから、温かい目でみてあげたいところです(笑)。

ただ、安藤氏がいうとおり、
子は決して自己一人のために行動した人物ではない
というのは本当のことだと思います。
蝦夷ガ嶋総裁時代、官員時代はもちろん徳川のため、国家のために
行動していましたが、
晩年もですね、長唄をやったり、柳橋で遊んだのも、
どんどん寂れて、消え去ろうしていた江戸の文化の庇護者であろうとした面が
大きいように思います。
率先して、江戸趣味に走る。それもまた江戸ッ子の代表として
やむにやまれぬ(←これはウソウソ・笑)行動であったと。

とはいえ、本人があまりぺちゃくちゃ話さない江戸気質なので、
誤解されやすいタイプであるのは間違いありませんネ☆
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by aroe-happyq | 2011-04-27 10:50 | 箱館または釜さん | Comments(2)

謝謝台湾計画

このたびの日本の震災に、世界からたくさんのまごころを
頂戴したわけですが、
もうですね、なにが感動したかって、台湾のみなさんにです!

気持ちは金額ではありませんが、ありませんけれども、
中東のド金持ちの国というわけでもなくて、
およそ人口2000万人の台湾で、140億円超えって、
本当にすごいことだと思うんです。

こんなに大切に想われているのに、どうやってお返ししたらいいんだろう、
と考えていたら、ネットで台湾の新聞に広告を載せて、
日本からありがとうの気持ちを伝えようという計画があることを知りました。


「謝謝台湾計画」についての記事→こちら

謝謝台湾計画のブログ→こちら

速攻で、計画に一口乗らせていただいちゃいました。

一人でどうしようか~~~と考えていても、どーにもならなかったけど、
こうしてありがとうの気持ちを伝える機会をつくってくださって、
発起人の方には本当に本当に感謝です。

でもこれはほんの最初のあいさつのようなもので、
台湾のみなさんの温かい気持ちは一生忘れません。

前のほうの記事でも書いたけど、改めて。

台湾のみなさん、ありがとう~~!

わたしもみなさんがすんごく大好きですーっっ

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by aroe-happyq | 2011-04-26 14:49 | ほんの世間話 | Comments(0)

ある旧幕臣と慶喜

まだまだ慶喜祭りは終わっていなかった!?

拙ブログを覗いてくださる慶喜嫌い派のみなさんの深いため息が
聞こえてきそうですが(笑)、3月に書くはずだった記事が
少し残っているだけなので、もう少々がまんしてくださいね!

今回紹介の記事もずっと前に捕獲していた、新聞ネタです。

今まで読売新聞などを紹介してきましたが、ついに真打ちこと毎日新聞、登場!
(くどいようですが、この毎日新聞は現在の毎日新聞とまったく関係はございません!!)

やはり東京(横浜)毎日新聞は旧幕臣情報に関しては
本当に絶妙なツボをついてきます。
ほかのどんな本でも聞いたことのないレアな情報を教えてくれます!
今回の記事もすごい。目からウロコ!!
一般的に知られている慶喜と旧幕臣の関係とは違う、
驚きの記事内容でありました。


徳川公葬列中の大榊 大正2年12月3日 日刊(一面)

入谷の大地主で一級候補者の松前広業という人がある。
旧幕臣で鳥羽伏見戦争の際、奥詰銃隊を勤め、
大坂城中で常に慶喜公の身辺を護衛し、
公から親しく感謝の辞をさえ賜わったほどの人だが、
今度の選挙選が激しくなった頃、慶喜公が薨去された。

薨去の報を聞くや、松前氏は哀悼のため、
気抜けのようになって「もう選挙などは如何でもいい」
と万事をうち捨て、故公の事ばかり追懐しボンヤリ考え込んでしまった。

息子さんたちはそれはそれ、これはこれだからと
心配したが肝心の当人がその体裁なので
一向(選挙)運動も出来ず、ついに落選したが
徳川公葬儀当日、上野の祭場で切に故公の事を語り、
涙を流しているところへ落選の報があっても
他人事のように「はァそうですか」と云っていたそうだ。
この人が故公の霊前へ贈った根付榊は高さ一丈二尺余、
見受けるところ、葬列中一番大きいもので八人の人夫が
担いでヨロけていた。


ごく身近な側近にはとことん惚れ込まれても、
一般の幕臣にいまいちウケが悪い、徳川慶喜公……だと思ってきた
のですが、これがどうしたことでしょうか!!??

奥詰銃隊だった人が
(奥詰銃隊っていうと、一酌日記の杉浦(毒舌家)とか思い出すんですけど……笑)

「公から親しく感謝の辞をさえ賜わった」という人ではあるけども

慶喜公の訃報をきいて、悲しみのあまり

自分の選挙を放り出してしまった(笑)

ですって!???

なんだか、まだ表に出ていない一面が慶喜公にはあるのかもしれない。

というのもいろいろな新聞を読んでいると、
亡くなる大正2年ころになっても、国内外からの人気がすごいんですっっ。
評価もかなり良い。

ではいつから嫌われ者になってしまったのか?
それは彼の死後以降のいつか、のようなのです。
ワタシも今まではてっきり明治期にはすでに嫌われていたのかと
思い込んでいたのですが、そうではなかったようなのです。

しかも今回の記事に登場する松前広業のような人までいた、という驚愕の事実!?もあるし。

こうなってくると、科目は修了したはずなのに、とことん「実像」に迫りたくなります。
まだまだ奥深い、慶喜さん道であります(笑)

ちなみにここまで極端でないにしても、
生前の人気と後世の評価がまったくかみ合っていないんじゃないか!?
という御仁をもう一人知っています。

それは榎本武揚さんであります。

この人なんて明治時代はもう東京のアイドルですから!
しかも慶喜さんみたいに隠居してないし、現役バリバリで
公務のあいまにはいろ~~~んな会の会長になって活躍して、
マジで輝いておられます。
しかも、これというような落ち度はしておられません。

このように立場も来歴も違うわけですが(でも年齢はわりと近い!)
慶喜と武揚という、どちらも江戸っ子のなかの江戸ッ子侍が
(わたしのなかでは慶喜さんも江戸っ子認定済です・笑)
どうしてかようなまでに今の評価が低いのか???

東京人としては、まるで東京をコケにされているようで、
ちょっと放っておけません事態です。

とっても、
どこで評価が変わったのかなんてややこしい陰謀をさぐるほど暇ではありません。
どんどんこの宇宙の片隅ブログから、ナイスな彼らについて
発信していくほうが近道だと思っておりますので、
慶喜嫌い、武揚嫌いのみなさんにも、
どんどん読んでいただければ、さいわいです♪

なぜなら彼らを嫌いなあなた、
ひょっとして何ものかにダマされているかもしれませんヨ(笑)

かくいうわたしも、今回の記事をみて、
先入観にとらわれず、心眼をもって歴史に向き合いたいものだと、
しみじみ~~~~と思いました。
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by aroe-happyq | 2011-04-25 19:17 | 江戸城の大旦那 | Comments(4)

テルマエ・ロマエ III

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テルマエ・ロマエ III

ヤマザキマリ 著

アマゾン→こちら











発売は25日(月)と聞いていたのですが、
土曜日に新宿ジュンク堂に行ったら棚に並んでいたので、
速攻でゲット☆

昨年の出会いからこの日をずっと待っておりましたっっ。
(以下、これといったネタバレはなし)

1~2巻はこれという新展開はありませんでしたが、
(でも同じ展開の繰り返しでも笑わせてくれる素敵なマンガ♪)
3巻目はありました☆

いつも平たい顔族からアイデアをもらってばかりだったルシウスですが、
今回、はじめて平たい顔族にお返しができてます(笑)

しかもルシウス、ついに平たい顔族の温泉地で
平たい顔族の貨幣を入手してラーメンなるもの、
温泉まんじゅうなるものを食し、ハマッてました(爆)。

……ローマ人なのに、あんこ(ザラザラしているのに甘いものとしていまいち海外の
人には受けがよろしくないような?)大丈夫なんだ、みたいな!

などなど、あいかわらず笑かしてくれます☆

………こんなときだからこそ、笑わせてくれるものは
大切にしたいところです。 ←アニメ「銀魂」しかり!


さて。このマンガが映画化に。
阿部寛主演ですでに撮影順調とか。

しかも・・・しかも!!!!

イタリアのチネチッタ
撮影ですと???

あの名門スタジオで???

ローマ人が出てくる作品を日本人で??

もしつまらない映画になったら、切腹モノではありませんか(笑)

そんなこんなで、とりあえずこの映画に期待します!!!


そして早くも4巻目が待ち遠しい!!!!!
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by aroe-happyq | 2011-04-24 10:51 | ほんの世間話 | Comments(4)

荒井郁之助 談片

唐突ですが、荒井さんの記事です。
単に記事にするのを忘れていたための、このタイミングということで(汗)。

雑誌『旧幕府』の史談会にはさまざまな顔ぶれが登場し、
(榎本武揚と大鳥圭介は……予告まで出たが……とうとう来なかった)
旧幕臣の旧幕臣による旧幕臣のための談話集なので、
本家?の『史談会速記禄』とはまたひと味違った談話がみられます。
この史談会は雑誌が第5巻第7号でいきなり休刊になってしまうまで、
定期的に行なわれたようです。
しかし雑誌が休刊ときまったからか、談話として掲載できなかった
数名の人々の談話抄録が最終号ひとつ前の号にたくさん詰め込まれました。

荒井郁之助の「談片」もそのひとつで、ほかの抄録よりもさらに
短く、ほとんどメモ書きのようなものが載せられました。

完全版がみたいものよ……とため息が出ますし、
内容的には大鳥圭介氏の獄中日記等とダブる部分が多いですが、
ちょっとめずらしい??荒井郁之助氏の「談片」をお楽しみください☆

荒井郁之助 談片 (『旧幕府』第5巻第6号より)

○ 蝦夷地に脱走前に布哇(ハワイ)へ来いとの話がありましたのは、
  ウエンライトで御座ります。

○ 降伏後、網乗物で弘前へ送られましたが時に塩大福と水菜を食したことがありました。

○ 青森で草野菜だのそのほかの書籍を贈りくれた人がありました。

○ 網乗物とは申しますが、ホンの形だけ懸けてあるのです。
  泊まり泊まりで大変に馳走してくれ、弘前からたくさんの書を送りました。

○ 東京へ着しますと、脱走前には捧げ筒をして敬礼をさせました屯所が、
  こんどは私どもの牢屋となり六畳の一間へ初めのうちは一人ずつ
  でしたが、後には榎本松平、永井、松岡の五人になりましたが、
  そのはじめは着のみでゴロ寝をしました。
  五人で二百両ばかり持って居りましたが、取り上げられてしまい、
  紙の蒲団と紙張で眠りました。
  後にはいろいろの者が入牢しましたが、兵士のみで常の罪人はありません。
  古川節三小笠原賢蔵などもいっしょになりました。

○ 食事は弁当箱で、朝は汁、夕は漬け物です。ただし差し入れは始終許されました。

○ 出獄は明治五年一月八日でした。

○ 入牢中は昼は書見をしましたが、夜は何にもしません。

○ 私どもの殺されなかったのは黒田(清隆)さんの力でしょう。
 薩人は助ける方の論でしたそうですが、木戸も大村も斬る論でしたそうです。



これ…談話として読みたかったです~~。
きっとメモに書かれない、ささやかなエピソードも披露された
ことでしょうからっっ。
そういうエピソードが読みたいんですよねーーーっっ!!

それにしても、

五人で二百両ばかり持って居りましたが、取り上げられてしまい、
紙の蒲団と紙張で眠りました。


なんともせつない一文です~~~~~

この頃でしょうか、永井玄蕃の、紙を箸に米粒でのり付けし、顔四方を覆う
「顔だけ蚊遣り」を作って、蚊の音に悩まされず爆睡していた、
というたくましいエピソード(たぶん『同方会誌』に載っていたはず)
が生まれたのわっっ(笑)。


それから、

いろいろの者が入牢しましたが、兵士のみで常の罪人はありません。

ということであれば、博徒と交わったとか、端唄習ったとか
榎本釜さんの豪快なエピソードは???
兵士ばかりだったら、それなりの秩序がありそうなので、
「箱館の榎本じゃ」と名乗ったら、
必然的に牢名主にされてしまいそうだしっっ。

ただ、端唄が得意だったり、博徒みたいな兵士とかはわんさかいそうですが……(爆)



今回のように記事にし忘れているものがたくさんありますので、
季節と関係なく、思い立った時に記事させていただきますネっっ
(なにせなにかのタイミングにあわせようとすると、忘れてしまうので・汗)
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by aroe-happyq | 2011-04-22 10:40 | 箱館または釜さん | Comments(0)

毎年、4月の中旬というと香港金像奨(香港アカデミー賞)の
情報にわくわくするのに、今年はマジですっかり忘れていた!

なんでも17日にすでに授賞式が行なわれていたとかっっ(汗)。

でやっぱり、今年も注目は、

謝霆鋒(ニコラス・ツェー)です!

昨年は『十月圍城』で最佳男配角(最優秀助演男優賞)を受賞しましたが、

なんと!!!今年は、

『線人(邦題:密告者)』

最佳男主角(最優秀主演男優賞)!!!
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めでたい!!!!めでとうございます!!!!

ちなみに『線人』の予告編は以下のとおり。


バリバリのアクション映画の主演で男優賞なんて、なかなかとれません!
ということは二コラスの演技が余程よかったということでしょう!!!

もう~~~二コちゃんなんて呼べませんな!!
二コラスさん、ますます素敵な俳優さんになってくださいね!!!


ついでといっては失礼ですが、
常にプッシュし続けている梁朝偉(トニー・レオン)の奥様、
劉嘉玲(カリーナ・ラウ)が最佳女主角(最優秀主演女優賞)!!!を
受賞したとか☆
この女優さんも前々から好きなんですが、なかなかこの賞を取れない
できました。
いや~~~よかった♪♪

で、カリーナさんが受賞した作品、『狄仁杰之通天帝國』の予告編は↓



カリーナの役は眉を変わった形にしている武則天(則天武后)役。
この映画が中国で公開時には、この眉のオモシロな形が話題に
なっていましたっけ。
まさか……この眉メイクとツイ・ハーク監督の映画で受賞されるとわ。

なにはともあれ、めでたい!!


ところで、せっかくカリーナさんの話題を出したので、
旦那の梁朝偉の最新作なんですが………。

王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の最新作『一代宗師』の
撮影が……なんか、まだ終わっていないようで。

たしか今年のカンヌ映画祭に出すはずだったんじゃ………。
毎回、ギリギリ滑り込みセーフだったりしましたが、
今回はいまだ予告編なんかも、



まったく、字ばっかりだし~~~~~(笑)

カンヌ映画祭って、来月なんじゃ~~~~~~~~~~。

今年は出品、見送りか????

どーでもいいですが、梁朝偉の最新作映画がみたいんですけど(涙)
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by aroe-happyq | 2011-04-20 19:28 | 香港&アジア映画 | Comments(6)