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アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。

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「仁」は時空ファンタジーですが、こちらは実際の話。

以下、図書館でたまたま読んだ論文によります。

南雲清ニ・伊澤一男
「キナの国内栽培に関する私的研究(第3報)
  榎本武揚によるキナ導入の建議書について」
   (薬史学雑誌45号、2010)


キナというのは南米ペルー原産の植物で、その樹皮に熱病を治療する成分
があり、とくにマラリアの特効薬「キニーネ」の原料として有名です。

これをジャワで栽培していたのがオランダ。
榎本武揚は長崎海軍伝習所時代に、化学を教わったオランダ軍医のポンペや
同じく伝習生(医学伝習)の松本良順等から、このキナの有効性を
知識としてインプットされていたらしい。

その後、オランダ留学をはたし、途中滞在したジャワで栽培の様子を
視察したようです。
そして帰国・・・・・・でいろいろあって(笑)、
明治7年(1874)2~3月ごろ、榎本武揚は明治政府に対して
キナの日本導入についての建議書を提出。
翌年明治政府が動き、明治9年4月、はじめてキナの苗がオランダ政府の
協力でジャワから日本へ導入されるにいたった、というわけです。
(実はキナのついでにコーヒー栽培のための苗も同時期に導入)

もちろん、オランダ政府といえば、太いパイプをもつ榎本さんなくては
実現できません。
つまり明治においても、なんのかんのといっても、
幕末のオランダ留学も立派に役になっているのでござる♪

そして榎本さんは、
医者でもないのに、この知識の豊富さはどうなんだ!?
ちょっとこのスーパーセイミ人(精密→江戸時代西洋化学全般をこう呼んだ・笑)
ぶりはすごくないでしょうか????


ところで、この建議書をみると(論文に一部が掲載されている)

キナ樹のことが人々にとって特に重要なことである。
私も4年前この件についてある旧参議に諮ったのだが、
中止となった。


とかおっしゃっているんですよ!
4年前?
そうなんです、4年前といえば明治3年。
榎本さんは獄中からキナ導入を叫んでいたんであります☆

獄中からでも建議書出してたなんて!
この日本をどうにか少しでもよくしよう、人々の健康を守ろうとする
熱意!!

本当にこの人って、知識豊かだけじゃなくて、
良い人!
「仁」&「義」ともに篤い人だとあらためておもいました。
そして、かっこいい!

森鴎外が軍医時代にビタミン導入をうまくできなくて
脚気を治せなかったことは有名でも(爆)、
こうした旧幕人の「良い話」って知られてないですよねー
マラリアの特効薬なんだけどな~~、すごいことなのになー。

そのバランスの悪さがホントにもどかしいな~~~~~と思います。

このキナ導入については、建議書の内容も含め、
ぜひぜひ論文でじっくりと堪能くださいませ☆
国会図書館ではオンライン複写もできます~~~♪

以上、昨年の論文ということで、内容についてはほんのさわりのみ
お伝えしました。
(こーゆーのがあるよ、とお伝えしたかっただけ♪)
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by aroe-happyq | 2011-06-27 10:46 | 箱館または釜さん | Comments(8)

仁jin 終わりましたね

最終回はなかなか♪
一話とうまくリンクして、なるほど!な終わり方でした。
途中どうなっちゃうんだろうと心配しましたが、
そのあたりは最後に物語の「修正力」で見事に
うまく納まったような気がします。
(細かいところはいろいろ・・・・・・ですが・笑)

・・・ですが。


いや、前回あたりからおおいに懸念していたのですが。


原作コミックに登場してきたはずの、

江戸っ子プリンスこと

伊庭八郎殿がスルー

でした(号泣)

やっぱ、出てこなかったー


ドラマのほうで出てきそうな確率が低いことは
わかっていましたが、
(ここまで坂本龍馬で引っ張ってきて、最終回に新キャラは出ないよと)
でもいちおう期待は持っていたんですよ~~~~~~~~っっ
映像の八郎さん、みてみたかったし。

それから、
彰義隊に対する新門辰五郎ほか江戸の人々の反応が
なぜか錦キレ寄りなのが~~~~~~。すんごい薩長史観!(イラッ031.gif
(辰五郎さんは歴史的には、上野の山に物資とかせっせと運んだんですが・爆)
彰義隊って江戸のヒーローですから(当時)!
んで、徳川瓦解後の江戸は閑散としていて
(戦争の気配がするので市民も郊外に避難してた)、あんなに賑やかでもないし
その閑散としてるっぷりがもののあわれを誘うんですよ、戊辰の江戸は!
というわけで、本筋とは違うこまかーいところで、

残念!!!

ん、全話みたけど。
感想は、こんな感じかな(笑)
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by aroe-happyq | 2011-06-26 23:32 | ほんの世間話 | Comments(6)

出世大名 家康くん

前の記事から偶然ですが、家康ネタが続きます(笑)

いや、
浜松市制100周年記念マスコットキャラクターの
「出世大名 家康くん」がなにげにかわゆかったから!!!

浜松シティプロモーションサイト→こちら

イラスト状態よりもきぐるみ状態がかわいい~♪

いつか後ろから「羽~柴くん!」って・・・・・・
いや、それはただのイジメですね(爆)

ご当地キャラの最高峰ひこにゃんと並んだら、
とっても似合いそうな、家康くんですっっっ058.gif
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by aroe-happyq | 2011-06-22 10:31 | ほんの世間話 | Comments(0)
さすが、新宿ジュンク堂!!
地方出版コーナーをぶらついていたら、
原市之進の人物伝と出会いました☆
松本佳子著『原市之進』(ふるさと文庫 筑波書林 630円)という本。
読み終えたら、感想書きまーす(たぶん)!


で、そのジュンク堂の歴史本コーナーでみかけたのが、
山本 博文・堀 新・曽根 勇二著
『消された秀吉の真実―徳川史観を越えて』(柏書房)
という本。

アマゾン→こちら

秀吉の書簡から当時の実態を読み解くという本で、
どちらかというと、わたしが釘付けになったのは、
消された(というか消した)家康の真実のほう(笑)。

『徳川実紀』ではまったく出てきませんが、
徳川家康ってば、秀吉の天下のもとで、
ありがたくも(爆)羽柴姓を賜わってしまい、

羽柴家康
なんて、名乗っていた時期があったというのだ(大爆笑)

証拠の悲しき書状の写真がどーんと出ていて、
うわーって感じ。

あ、もちろん秀忠もね、羽柴秀忠と。
(「忠」以外ぜんぶ豊臣ネームじゃないか、みたいな・・・・・・)

つまり一時期、徳川姓ではなかったわけで。

忘れたい過去というか、消さなくてはならない過去として
『徳川実紀』には当然出てこない「家康や秀忠のヒ・ミ・ツ」。
(実紀を編んだ頃の人はもうそんなことは知らなかったかもですけど。
もちろん情報を抹殺したから・笑)

いやーぁ、面白い本を立ち読みしました☆
(いや、ほかの秀吉の部分はとくに興味がないのでそこだけね)
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by aroe-happyq | 2011-06-20 17:48 | ほんの世間話 | Comments(2)
しばらくネットサーフィンもしていなくて
かなり浦島太郎なわたし。
今さらな、記事書きます!

ほぼ日をこれまた久々に見にいったら、
「ふんばろう東日本プロジェクト」のことを知りました。
なんせツイッターやってないんで、情報が遅いんです(笑)
(でもブログで手一杯なのでツイッターまではどーしても手がでないっっ)

前にも書きましたが、ボランティアに行きたくても
体力のない自分は間違いなく足手纏いにしかならないし(涙)、
なにかそれでも自分にできそうなことをと、
義援金や募金箱にちょこちょことか、
東北のお酒(もともと好きな二本松の奥の松さんメインですけど)
をいつもより大目にゲットしたりと渋~く続けてはいるんですが。
なにせ義援金は赤十字の無能?厚労省の怠慢?だかなんだか
ちっとも必要な人に手に届かないし。
別の方法はないかと思っていたら。

現代文明はすごすぎる!
まさか「ふんばろう東日本プロジェクト」からリンクしている
アマゾンのほしい物リストから「ギフト」設定で
お買い物をすると、必要としている人の手に届くなんてっっ
お買い物リストっていろんな使い方できるんですねっっ

「ふんばろう東日本プロジェクト」サイトこちら

上記サイト内のAmazonほしい物リストで支援が行える避難所リストこちら

これですと、自分のお財布と相談して
無理なく誰かのお役に立てますね☆

インターネットってすごいなぁと
あらためて感じる梅雨の空の下であります。
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by aroe-happyq | 2011-06-18 10:21 | ほんの世間話 | Comments(6)
豪華スターをこれでもかと配した《建党偉業》。
わたしなぞは外国人なので、ポスター映像みるだけで、
あの人この人が出て居るなぁと嬉しくなって笑ってしまう、
そんな単なる娯楽作品としかみていないけれど、
どうも本国ではそうではないらしい(笑)

FNNニュース→記事こちら

やっぱりダサイわねー、ここの政府。
この映画って、中国共産党の威信がかかった超大作だったみたいで。
なんか躍起になって国民にみせようとしているみたいです。
つか、リウ・イエの毛沢東みて、愛党心て芽生えますかね?
(わたしはリウ・イエ好きですけど)

・・・・・・そういう趣旨なら、1作目の《建国大業》(だっけか?)みたいに
渋~い実力派俳優で教育映画みたいに、地味めに作らなきゃ(爆)。
若者にみてもらおうと思って、豪華スター映画にしたとしたら、
それは狙い間違い。
若者はそんな手にはのらないと思う。

それに、なにが腹が立つって、
一旦はキャストに加え、撮影まで完了していたタンウェイ(とても素敵な女優)の
出演シーンをすべてバッサリカットしやがった!
検閲して、当局がバッサリおとせって命令したみたいだけれど。
ま、香港映画監督のピーターチャンたちが
タンウェイを応援してくれるみたいなので、せめて香港映画のほうで
がんばってほしいけど、いい女優さんなんで活躍の場が
いつまでも制限されるのがもったいなくてっっ。

それはさておき、《建党偉業》という映画が
映画作品として評価される前に、政治絡みの思惑に翻弄されて
「こんな映画みたくない」とかいわれたら、ちょっとカワイソ。

という騒動と無関係で呑気な外国人なんで、
はやく香港DVD出ないかな~と(笑)
(大コケするなら、出資金回収のために早く出そうで嬉しいのダ!)


あ!忘れてました!!
辛亥革命百周年の記念映画として《国父孫中山》という映画も
クランクインしたとか。
こちらも香港・台湾・大陸から50人もスターを集めて
作るらしい。
まさかこちらの映画も強制的にみせようなんて・・・・・・そんなヤボは
ないといいな。
(孫文さん映画なら、大丈夫かしら???)
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by aroe-happyq | 2011-06-17 18:23 | 香港&アジア映画 | Comments(2)
ちょうど今の時期、箱館戦争は終盤戦真っ只中(終了が西暦1869年6月20日なので)
なんですよね~~~~。
と毎年、云っているような、ないような。

というようなタイミングで、こんなニュースが☆
すでに新選組関連ブログでは話題沸騰かと存じますが、
うちも紹介だけはしておこうと思います。

読売新聞→記事こちら

とくに新選組ファンではないので(笑)、下記部分↓に
激しく食いつきました!

修復にあわせて、ほかに名のある30人を調査、
大半が新撰組隊士や幕府側の藩士らで、
戊辰(ぼしん)戦争(1868~69)で降伏し、
長く生きたことがわかった。
自然のはかなさを詠んだ歌が多く、維新後に隊士らが作り、
島田がまとめたと判断した。


その30人が誰か、知りたいです♪

この30人の歌が公開されたら、
そろそろ京都に行ってくっかなーー(笑)
永井公の壬生の仮寓調査や、慶喜公ゆかりの地めぐりも
しなきゃ~~~ですしっっ
でもぉぉ、新幹線て、近いクセに高いんだよなーーーー(爆)
(同じ値段なら遠くに行きたい派。ついつい空の旅へ走りがちっす)
あ、福山には行ったけど・・・・・・・・・(汗)
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by aroe-happyq | 2011-06-16 10:40 | 箱館または釜さん | Comments(2)
安政4年閏5月~秋ぐらいまで、
勘定奉行兼長崎奉行水野筑後守忠徳、目付岩瀬伊賀守忠震は
長崎での諸々の取締や貿易事項の調査のため、長崎に滞在しました。

岩瀬が「柔」としたら、水野は超がつく「剛」。
その水野が長崎でみたものは、
ちょうど2期目がはじまったばかりの海軍伝習所(場所は西役所)
における、規律のあまりに緩みきった姿でありました(笑)。

速攻で、門限を設定し、守らない者は罰する、措置をとるわけですが、
(たしかにそれまで門限がない、ほうがどうかしているかもしれん。
一期総監の永井玄蕃頭尚志の責任である!・爆)

で、水野が門限ほかを上申する書は『外国関係文書』にみえるんですが、
別のところに具体的な記録があるのをみつけてしまいました。

これぞまさに幕末3面記事スクープです(大爆笑)♪

出所は、『水野忠徳雑録2』
(東大史料編纂所のデータベ-スで原文を閲覧できます)
のなかの「安政4年 長崎御用雑録」

では採録ですが、ちょっとみてみましょう☆
(どーしても読めないところは□にしてありまーす)

一 伝習輩の内 遊楽風聞 左の如し

・・・・・・(肥田濱五郎の小者の六という者が丸山松村やで酒を呑んで
暴れた・・・・・一件が書かれたあとに)

右のほか四五人とも度々遊興に相越し、
濱五郎も加わる
西連
(※西役所連という意味だと思ふ)と称し、
格外の遊びを致す。
政に揚やにても尊教して土地にては江戸風遊びと称す
夜明し騒ぎにてなかなか甚だしき候体なるべし


・・・・・・(略・・・・・・

・ 引田や 抱え 筑摩    肥田濱五郎
 揚や かまや にて遊ぶ 六月五日夜より七日
 朝に至りても 居続け帰った

・ 最初うまやへ参渡り    柴 弘吉
 ふじのやに極る       望月大象
 六月六日夜出 七日朝に至るまで帰らず


・・・・・・(略)・・・・・・

一 七月七日夜九時過ぎ 丸山丁藤野やへ相越し
暁に帰宅左の如し

角筑後や 姿野  江川手代  柴弘吉

肥前や 志満方 佐代君 同  望月大象

同   千歳         前田藤九郎

               肥田濱五郎
外に芸者□□壱人


ちょーっと、濱五郎さんてば!!!
6月のなんか、お泊まり2泊!?
(6日の日はどんたく〈日曜:伝習休み〉なんだろーな・笑)
しかも引田やだし!

さすがわ、肥田濱五郎さん♪
やってくださいますワ

しかも

西連の江戸風遊び

ですって。

丸山の遊びの制度ではなく、俺たち流を押し通す
なんて、まったく悪い方たち(笑)

で。
なぜ江川組だけがやり玉に!?
というわけではなく、このほかによくわからない組が5人、
そして、

永井用人 松本新右衛門忰 竹次郎
  右丸山丁芸子のと路へ馴染 出生これあり
  小児を他へ遣し当時も芸子いたし居
同 給人 荒川平次郎 同芸子 種吉へ馴染
 右平次 観光出帆前 種吉を連れ出し出奔す
 当時京四条辺にて見かけたる由


こっちはもっと大事件!(爆)
一期総監永井尚志の用人の忰や給人の事件です。
用人の忰は芸子を孕ませたり、給人は観光が江戸へ出航する前に
芸子と手に手をとって京へ逃げちゃった!

これはマズイ!!
こんなことではせっかく岩瀬忠震や二期総監木村喜穀が
「水野さん、まぁまぁ。彼らも伝習をおろそかにしているわけでは
ありませんから、門限は厳しすぎやしませんか」
と取りなそうとしても、
「そもそも前総監の給人や用人忰からしてこの不行状!
甘くしすぎるからこうなるのです」
と水野さんに云われたら、「ですよねー」にならざるおえない(笑)。
そっか、そっか、永井さんの家臣監督不行届はかなり
影響・・・・・・つか、わざわざここに書いてあるぐらいだから、
水野さんは問題にしようとしているかもっっ。

・・・・・・それにしても、江戸組は見事ですな!(爆)
アノ水野奉行が長崎滞在ちゅうは丸山遊興は控えておこ
って、徹底したのか、網にかかりませんでしたな!
伊澤君や榎本青年たちが丸山に行かなかったはずがありませんが、
そこはもう、直参の強みというか、目付の岩瀬と学問所繋がりというか
「しばらく丸山遊びはやめておいたほうがよいぞ」って
どこからかそんなアドバイスがきたのかもしれません。
「もし行くときは絶対にバレないように」
というひと言も付いていたかもですが(笑)

このあたり陪臣としては情報不足はいなめませんが、
直参でない分、怒られても「それがどーした!」
ってところもなきにしもあらず!?
江川手代組、なかなかにツワモノが揃っていて、天晴れかと
存じます。

門限は結局定められましたので、
この延長線上に、榎本釜次郎さんが西役所を
抜け出そうとして塀の忍び返しを壊して、
バリバリどっすーん!(笑)
ってことになっちゃうわけですネっっ
(『海舟語録』より)

しかし肥田さん、予想を上回る男伊達でした。
榎本さんといい、肥田さんといい、オランダ留学組は
なかなかのものです☆
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by aroe-happyq | 2011-06-15 10:44 | 長崎伝習所系 | Comments(4)
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将軍側近 柳沢吉保―いかにして悪名は作られたか
福留真紀 著
(新潮新書)

アマゾン→こちら








福留真紀氏は側用人研究をされてきた方で、
家宣の側用人間部詮房についてちょこちょこ調べている自分としては
論文等などでひそかにお世話になってきました(笑)。
なので、この本の内容についても読み前から信頼度が高かったです。

いつもならネタバレはしないほう・・・・・・ですが、
でもどーしてもテーマの根幹に触れないとこの本を紹介できませんっっ
ので、いっちゃうと、
この本の結論は、柳沢吉保はTVや小説で書かれているような、
ギラギラした上昇志向の男ではなく、
5代綱吉からの眩しすぎる寵愛をこれでもかと受けるけれど、
時々それもストレスと感じるほどの「慎み深い人」であった、
世にいうようなワルイ人ではない、というのでした。

なんかもう、その言葉を待っていたんです!って感じでした。
数年前、浅野内匠頭が吉良上野介を襲った松の大廊下事件当日の
史料集(赤穂市が出していて、ちゃんと翻刻されてるので読みやすい♪)
を読んでいて、当日の柳営の動きのなかで、
ドラマや講談では率先して動いていたはずの柳沢の影がまったくみえず、
ただ老中と将軍のあいだに立って伝達している・・・・・・そんな静かな吉保の
姿に接して、「この人はホントは奥向きの将軍側近としての役割の
プロフェッショナルで、ドラマのように江戸表向(政庁)に口出しする
ような人ではない、間部詮房と同じなのではないか?」と目からウロコでした。
でも素人なので、自分の考えが当たっているかもわからないし、
誰か研究者さんに、

柳沢さんは、慎み深い人。

このひと言をいって欲しかったのでした(笑)。

といいつつ、この前も大河ドラマ「元禄太平記」総集編を
楽しく見ちゃいましたけど。
(吉保はそこまでやらんだろーとかつぶやきながらも(笑))
若き石坂浩二演じる柳沢、どこまで上昇志向なんだよ!?
って感じですが、たしかこの大河の頃って「昭和元禄」とか呼ばれたはず。
でも、元禄と昭和ってぜんぜん時代のなりたちが違いますでしょ。
元禄は数十年前に焼け野原になってないし、闇市もなかったし、
(そういう混沌とした雰囲気は3代家光の時代ぐらいまでで、
元禄時代には幡随院長兵衛が旗本奴と大喧嘩なんてないし・笑)
なので「元禄太平記」そのものが昭和のギラギラした時代の目を
通してつくり上げた、フィクションなのですよネ。
(ま、元禄時代的には迷惑かもですけど)

で、本に戻って。
吉保素敵だなと思ったのは、柳沢家では家臣を雇うとき、
吉保自らが直接面接する、という点。
天下の「将軍側近」柳沢吉保に仕える家臣はどーしても
虎の威を借る狐のごとく、エバリくさってしまうもの。
家臣は主君を映す鏡と肝に銘じていた吉保は、
何度も家臣を厳しく諫めるけれど、・・・・・・なかなかうまくいかない。
それなら雇う最初から、自分でまともな家臣になりそうな人物を選ぼう
という、考えだったとか。

この気の使いよう、なんかもう阿部正弘レベルっす。
やはり将軍に過剰なほど?の寵恩をうける者は、
常にほかの大名小名たちからのジェラシーにさらされ、
ほんのささいなミスも命取りになるような緊張のなかで、
元禄とか幕末の違いはなくて、彼らなりに戦っていたということ
なのでしょう。
(そして彼らにしかわからない苦労が山のようにありそう。柳沢吉保と
間部詮房、田沼意次、阿部正弘たちが語らったら面白そう・爆)

でも死後にはあることないこと、悪評にまみれてしまうのも、
また彼らの宿命。
同書では、柳沢吉保のワルイイメージのはじまりは、
次期政権の家宣政権による「前政権否定キャンペーン」によると
されてますが、家宣たちも次の吉宗政権に「否定キャンペーン」されて
ますので、あいこみたいなもんです(笑)。

ただ、家宣は将軍就任時、通常3日間かけて行なう将軍襲職のお披露目儀式の
金さえ国庫にないほど、・・・・・・綱吉の贅沢三昧のツケを払わされたので
少しぐらい悪くゆってもいいと思う!(爆)
それに家宣はじめ、新井白石や間部詮房の悪評はそれほど後世に
のこらなかったし。
どういうわけか、綱吉と柳沢吉保(この二人はセットだよね)は
ずーーっと「悪評」がついて回ったのでした。
ま、元禄バブル政権と正徳デフレ政権の差が大きいように思います。
だって家宣政権て同情されこそすれ、「あいつら贅沢しやがって」って
いう嫉妬とか羨望のまなざしは受けませんしね。
(家宣将軍は過労死、つまり労災認定ですから!家茂と共に2大過労死将軍です)

とかなんとかいいつつ、面白い本でした。
(結論以外はネタバレせずにここまでこれた・笑)

ただ、小説みたいなケレンはないので、
史実スキー、史料紹介されスキーな人におすすめ。
ドラマテックな内容ではないので、ご注意!(笑)

この本を読んで、史料スキーとしては
前々から気になっていた
御当代記―将軍綱吉の時代 』(平凡社・東洋文庫)
アマゾン→こちら
が激しく読みたくなりました(笑)

でも福留さんでぜひとも『間部詮房』を読みたい!
いつまでも待ってま~~~~~~す☆


さて、最後にちょっと毒舌。
本屋さんで『将軍側近 柳沢吉保』を手にした日、
おなじく新書新刊コーナーに置いてあった
星亮一著『大鳥圭介―幕府歩兵奉行、連戦連敗の勝者』(中公新書)
も購入予定だったんですけど、なかをパラパラみて、速攻でやめました。
こんなペライ内容に金は出せネェ。
だいだいなんで大鳥さんの晴れの新書なのに、
会津の会津による会津のための作家こと星さんが担当するの?
中公新書も昔はよかったけど、すっかり焼きがまわったなー。
ぶっちゃけ、この新書読むくらいなら、
大鳥圭介の詳しさ当代随一!の入潮さんの
「天下大変 大鳥圭介と伝習隊」サイトに飛び込んだほうが
ずっと有益でありますよ。(拙ブログからリンクでいけます♪)
みなさん、お金は大切に使いましょう(笑)
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by aroe-happyq | 2011-06-13 11:25 | | Comments(4)
随分前にさわりみたいなことは紹介した記憶がありますが、
今回は完全版をUPしようと思った次第。

ホントはもっと早く・・・のつもりが、
その頃は折悪しく、R馬伝の頃でして、
「永井げんば」とかいう(笑)中途半端な検索キーワードで
拙ブログにお越しの方がどっとおられた時期でした。

R馬伝ブームが終わるのをひたすら待っておりましたが、
そろそろいいんじゃね?と思いまして。

わざわざ「今さらかよ!」な状態になるのを待ちに待った今回の記事です!(爆)

「仁」だとちょうど真っ只中ですけど、
こちらは別に気になりません☆
(「仁」の坂本さん、あいかわらず良いですし♪)

テキストは中根雪江(せっこう)の「丁卯日記」。

この日記の慶応3年11月15日のところに、
雪江さんが
「永井玄蕃頭を訪ねていろいろ聞いてきた特集」があります(ほかの日にもあるけど)。
そこに後藤象二郎と坂本龍馬について、
永井が雪江に二人の印象を語っている箇所があります。
徳川方からみた二人の印象というか人物談というのも珍しいと思いますので、
完全版で紹介します!
(現代風に読みやすくしてあります)

象二郎人物如何と承りし候ところ、
(永井いわく)彼者先年長崎より土船に乗り帰坂の節より
懇意にて、そのころより申し合せ候事もこれあり、
確実正直の人物にて、決して私説更張等の儀はこれあるまじく考えられ候よし。

坂本龍馬お参り候事に相成候えども、毎々は嫌疑もこれありにつき、
夜中に出かけ候事にて、すなわち昨夜も参り申し候、
象二郎とは又一層高大にて、説も面白くこれあり、
彼が申すところ至極もっとも候えども、未だ時機至らずと申し聞き候ところ、
夫れは薩土に任せ候へば、必ず行なわれ申すべしとの事ゆえ、
例の兵威をもって事を成し候ては、朝廷へ対し相済み申さず候、
夫れゆえに兵力によらずして行なわれるべし条理ありと申し候ゆえ、
左様なれば兎にも角にも申し置き候との物語なり。

 (雪江)云う、窃に按ずるに、龍馬の秘策持論は◎(誤脱あらん)

前にも記事で書きましたが、あらためて永井と後藤の出会いを確認しますと、
長州戦争のころ、長崎に出張にいった永井玄蕃頭尚志(当時、大目付)は、
戦争によって瀬戸内ルートで大坂に帰ることが困難になり、
太平洋航路の土佐の汽船(つまり土船)に乗せてくれないかと
交渉にいった相手が後藤象二郎でした。
長崎に滞在中の後藤は幕府大目付の永井が面談したがっていると聞いて、
最初は避けていたみたいですが(笑)、会ってみたら気があったというわけで、
それから付き合いが始まったとか。
(明治になっても彼らは交際を絶やしませんでしたので、気があったのは
間違いなさそう)

永井の人物評はなかなか定評がありますので、
後藤さんという人は、
確実正直の人物にて、決して私説更張等の儀はこれあるまじく
な人物であっただろうと、わたしなぞは思っています。
(だから昨今のドラマの後藤はどーもイメージ違いで。
もっと知的な静かな人で、正直で爽やかな人だったように考えてます)

さて、龍馬さん。
よく考えれば、11月15日に暗殺されているので、
永井が雪江に坂本評を語っていた時刻にはひょっとしてお亡くなりに(涙)。
そして前日の14日の夜も永井邸に来ていたんですね。

象二郎とは又一層高大にて、説も面白くこれあり、
彼が申すところ至極もっとも候えども、未だ時機至らず


坂本龍馬が自分の書簡で、永井玄蕃頭とは「ヒタ同心」と
書いたとおり、二人は意見が合うことも多かったようです。
また「象二郎とは又一層高大にて、説も面白くこれあり」とか
「未だ時機至らず」というのも
天下のビックマウスこと坂本龍馬らしさがみえてきます(笑)。

さらに
夫れは薩土に任せ候へば、必ず行なわれ申すべし
あたりは、ホントに坂本、大丈夫かよーー!?だし、でもでも、

兵力によらずして行なわれるべし条理あり
などは、龍馬(と後藤。たぶん薩摩の小松帯刀も)が
かなり幕府の慶喜・永井ラインと近い考えであったことがわかります。

以上、こういう話を永井から聞いてきた雪江さんの評価も、
(原文どおり、小さい字にて再現シテみました)

龍馬の秘策持論は◎

坂本さん、おめでとうございます(爆)

永井とか中根とか、当時の一級知識人たちにこんなに好評をえて
いたのに、その日のうちに亡くなってしまいました。

ちなみに16日の日記に、

昨夜坂本龍馬、刀殺され候よし、
相手はおそらく新選組中ならんとの事のよし。


新選組暗殺説はもう翌日から出てたのですね~~(汗)
かわいそうに!

ということで、「雪江は聞いた!永井が語る、後藤&坂本の印象」でした☆
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by aroe-happyq | 2011-06-12 11:01 | 外国奉行ズ | Comments(8)

アジアンエンタメ&お江戸後期。外国奉行や長崎海軍伝習所がご贔屓☆ BYはな。


by aroe-happyq