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東都アロエ

本日更新2本目!(笑)

いや~っびっくりしましたっ
「恋する惑星」でもなく「花様年華」でもなく、
まさか日本での王家衛作品初Blu-ray 化が「ブエノスアイレス」だとわ!!!
・・・・・しかも呼ばれたんでしょうか、なんとなく久々にみたいなーって
検索したらこんなニュースに出くわしてしまったのですっっ


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ブエノスアイレス Blu-ray 愛蔵版
4月1日 発売


アマゾン→こちら

なによりポイントはこれ!→ 【映像特典(約127分)】

特典の一部ですが・・・

◆[本編]デジタル復元版
マスターネガからのHDテレシネ素材をデジタル修復した完全復元版。
デジタル画像ならではのなめらかで鮮かな映像をお楽しみいただけます。

◆来日インタビュー
トニー・レオン
ウォン・カーウァイ


こんな盛りだくさん!

うぉぉぉーっ
US版ブルーレイ買わないでよかったっっ(笑)

・・・・・なんかね、この作品は英語字幕ではみたくないのであります。
じっくり、どっぷりと、暗くなりながら(笑)、どよーんと日本語に浸りたい・・・・。
そんな春に似合わない、鬱々とした世界なんですよねっっ
(内容はぶっちゃけ、ゲイカップルの心の彷徨物語・・・・・って感じですが。
ピアソラやカエターノさんなどの音楽とアルゼンチンの風景が絶妙なんですよね♪)

ま、このジャケットはどうかと思いますが(グリーンがまぶしすぎ)
US版ジャケのほうがかっこいいけど、
ポチリたいと思います。

More(予告編)
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by aroe-happyq | 2012-03-29 19:16 | 香港&アジア映画 | Comments(2)

逓信省と矢田堀さん

今年は桜がなかなか咲きませんね~~っっ
梅さえめちゃめちゃ遅かったので、仕方がないのかもしれませんが
それにしても今日現在、まだ蕾ですよっっ~~ソメイヨシノなんて!
・・・・実は今年こそお花見の宴など開催しようかと、思っていたのですが
満開時期が読めずに、準備がぜんぜんできない~~~っっ(汗)


あ、さて。

前にジャーナリストだった矢田堀さんの記事を書きましたが、
その続編です。

郵便報知新聞の仕事を辞めて、再び官職の道へ戻った矢田堀さんですが、
官員録をながめてましたところ、
もうモロに、初代逓信大臣に榎本武揚さんが任命されて、
逓信省が出来た明治19年2月から、矢田堀さんはお勤めになってました。
つまり逓信省発足時からのメンバーというわけです。
ま、どーみてもこれは榎本さんのほうから「人手が足りないから」とヘルプ
をお願いしたとしか思えないのですけど・・・・・(笑)。

明治19年2月 管船局 御用掛准奏任
(3月なし)
      4月  管船局 司検官

      5月  管船局 司検官 四等下級俸 
                     神田佐久間町2丁目10番地
←矢田堀さんの住所

というような記載の変遷がありつつ(以下変化なし)、
明治20年1月の官員録までその名前があります。

とても短い逓信省時代でありました☆

こんなにあっさりと記事にしてますが、官員録・・・・なかなか手強いです。
今は便利で国会図書館のサイトの近代デジタルライブラリーでみることが
できるので、暇な時間をみつけては眺めていたのですが、
これが・・・・・月刊なのですけど、
目次がなかったり、いろいろ毎回違うので矢田堀さんを探すのが
たいへんでした(笑)。
(で、官員録での陸軍関係の占めるページが多すぎ。
海軍も多いけど陸軍ハンパないっす。
文官と武官のバランスが悪い!いびつな組織形態が
すでに明治10年代の官員録でありありとわかりますた)

ついでに大審院にお勤めの判事さんこと永井岩之丞(永井尚志の養子)についても
調べたのですが、なんか・・・・途中わけのわからないひと月があり、
(一ヶ月だけ大坂勤務になっている。誤植か!?誤植だよなぁ・・・・みたいな)
図書館で調べなきゃいけなくなりそうです。
でも官報が発行される前なので、新聞を地道に探すか・・・・・・(遠い目)。

官員録も、関わると実に厄介です(笑)。
はっきりいって、武鑑のほうがみていて楽しいし(爆)。
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by aroe-happyq | 2012-03-29 10:26 | 長崎伝習所系 | Comments(0)

『日本財政経済史料』6巻 財政の部4に、
ちょっと珍しい一節がありました。

元治元年、京都町奉行永井玄蕃頭は、大御目付になったのですが、
なんやかやで江戸に帰府できなかったため、その前の町奉行としての役料を
受け取り損ねてしまい、「難渋の趣」となってしまった。

そこで拝借金(幕府の公的貸出金。利子&手数料ナシ・笑)を願い出たところ、不許可に(笑)。


結局は受け取り予定の役料200石の前借りを申請して、
前例(前にも京都奉行さんで似たケースがあった)
にそって、「半高一時返納、残り半高10ヶ年賦返納の積り」にて評議は決したよし。

お給金ATM振込みのない時代、地方勤務は辛いのであった(爆)。

元治元年の8月末までは、壬生の医師宅に住んでいた永井奉行、
まさかお金に困っていたさんだったとは、ちょっと気の毒です☆
(たまの休みがあれば京都じゅうを観光してあるくのが楽しみなのにっ・笑)
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by aroe-happyq | 2012-03-28 10:49 | 外国奉行ズ | Comments(2)

目付報告書の不思議

どーしても調べなくてはならない事があり、
久々に『井伊家史料』を漁りました。
井伊さん家所蔵の文書なので、安政4~6年ごろの
一橋派はもちろん岩瀬や永井、堀などについても
素敵な悪口といいますか、悪意に満ちた裏情報が垣間見られて
それなりに面白かったりします。
ま、いちばんヒヤヒヤするのは岩瀬肥後守の無防備すぎる、
発言集でしょうか(笑)。目付筆頭となった岩瀬さんですが、
配下の徒目付に井伊派がいるとも知らず(爆)、
まーいろいろ喋っている。
気さくで天真爛漫なアラフォー男はお茶飲みながら、
井伊直弼批判にはじまり、将軍継嗣に決まった慶福のおこちゃま批判
等々、たぶん周囲を爆笑の渦にしながら、ギリギリトークを炸裂しています。
(でそれがみーんな井伊家に筒抜け、みたいな)
・・・・・これを読むと、のちの岩瀬の「御役御免、扶持取り上げ、永蟄居」という
重い罪は少しわかるのですけど、こーゆう爆弾トークをしてない永井はどーして
岩瀬と同罪なのか、どうも釈然としない・・・・・といういつもの疑問はまだまだ未解決(笑)。

さて、今回はその永井玄蕃頭尚志が安政4年当時、まだ目付だったころに
井伊直弼に提出した目付報告書について。

正式には『井伊家史料』5の114、「7月24日 徒目付中野祐之進並黒田節兵衛上申書」
という文書。
この徒目付の報告書を、目付の永井玄蕃頭が自分で書き写したものを井伊直弼に提出し、
それが井伊家に残っているというものです。

内容は、安政2年に建設がきまった「深川越中島調練場」工事に関して、
関係役人に不正があるのではないかという疑惑に関する調査報告です。
(結論からいうと、役人たちは潔白だったのですが)
なぜ井伊家に?かというと、この調練場建設の掛りだったのではないかと。

しかし工事が滞ったようで、そのため役人が疑われたのですが、
原因は工事請負を落札した中川伊兵衛が、その後の江戸地震やなんやらで
損金を出し、当初の計画どおり工事ができない状況になった、よし。
で、工事の計画を一部変更して続行したようで、調練場はその後無事に完成し、
家定将軍の臨幸などもあったり、また明治以降は陸軍に使われてました。

で。内容はさておいて、この報告書なんですけど。

小普請方

 石方
 鍛冶方 請負人

 中川伊兵衛
    巳歳四十二

  宿所 本宅 橋場町
      妾宅 お玉が池



あのですね、工事の不正疑惑事件の報告書なのに、

妾宅 お玉が池

って、あるんですけど、この情報って必要なんでしょうかネ??(笑)
この家で談合とかしたわけでもないから、別にいらないし。
本宅の場所だけ書けば済む話だと、思いませんか??

目付のカタイ文章のなかに「妾宅」とか出てきたものだから、
思わず吹き出してしまいましたです。

いや、それだけ目付の調査は正確を期すものなのでしょうけれど。

しかしです。
こんなに公的文書で妾宅が公表されちゃうものなんですね~~。
江戸時代ってホント、プライバシーないっすっっ。

今回は翻刻を読んだだけですが、井伊家には
永井氏の達筆なる文字で書かれている報告書があると思うだけで
ちょっとおかしい。
だって、キレイな字で「妾宅」ってあるんだろうし(笑)。
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by aroe-happyq | 2012-03-24 10:53 | 幕臣系(目付とか) | Comments(0)

よしのぶがっ!①

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ウメマツカヲル 著 ガンガンコミックスIXA
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待ってました!の1巻が出ました~~♪
・・・・書店でみつける自信がないのでアマゾンに予約しちゃったおかげで、
発売日にゲットできました☆

初回からWEBで読んできたけど、
やっぱり紙の本は井伊(←こんな変換出た)、じゃなくてイイ!(笑)
加筆されているかもだけど、WEBで読んだときより画面全体がBEAUTIFUL!

本を開いてすぐの「この作品はフィクションです
ってのがまた素敵!!!(笑)
たしかに思い切った表現をしているのでフィクションだけど、
読んでいると、かなり深くお調べになっておられて、慶喜周辺マニアとしては「むふ」と
してしまうことがいっぱいです。

内容はネタバレになりますので触れませんが、
幕末好きなら楽しめるし、面白いヨ!

って程度にしときます。
この漫画の魅力は今までも連載中にちょいちょい語ってきたので、
ここでは割愛させていただきます(笑)。

初見部分としては、
あとがきの「江戸城警備はセグウェイでやってほしい之図」に
大爆笑させていただきました☆
(裃姿でセグウェイって、なんかもうキターーーーーッ!!)

つくづくこの漫画を読んで、
慶喜さんて、まだまだ未開拓のスターだわって思ったし、
慶喜を含め、幕臣ズの本当の魅力を語るとき、
最適なる表現手段はコメディしかない!と再確認いたしましてございます。
(彼らに安っぽいお涙感動劇はいらない。やっぱり笑いであると・・・・・だってそれがお江戸だから☆)
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by aroe-happyq | 2012-03-23 10:10 | 江戸城の大旦那 | Comments(2)

ザ・徳川慰労金

埋蔵金ではなく、慰労金(笑)。

まだ深いところまで調査はできていませんが、
途中経過として、報告いたします。

高橋泥舟調査の過程で突然出てきたキーワードなので
最初はなんのこっちゃでしたが、よくよく考えるとスゴイんです(笑)。

朝日新聞の明治25年9月27日に、
「徳川慰労金」というタイトルの記事がありまして。
いわく、
「維新の際、徳川家(宗家)のため尽力せし」人々に、
「慰労金として月20圓から100圓を贈与」してきたのだという。

ま、記事的には都合により一時中止する、という内容なんだけど、
そもそもそんな慰労金が発生したこと事態知らなかったので、
(いつからはじまったのか、は現在調査中デス)
それだけで驚いたのだが、さてさて!!

問題はその慰労金リストメンバーなのだ!!

勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟(おお!幕末三舟揃い踏み♪)
はさておき、

榎本釜次郎、松平太郎、大鳥圭介、
永井尚志をはじめその他の諸氏・・・・・・


ええと、もう一度確認しますと、この慰労金は
維新の際に徳川家に尽力した忠義の人々に支給するってものなんですよね(笑)。

このメンバーをみますとですよ、

徳川家的に、箱館戦争でかした!あっぱれ!!
よくぞ戦った忠義の者たちよ!


って解釈しかとれないんですけど、みたいな(笑)。

箱館戦争は徳川家に迷惑なことだったと長年思っていたもんで、
はぁ~~~そうなんだ、いいのか、アリなのかと。
徳川のための戦いとして認定しているのかと(爆)。
(ま、脱走軍の箱館占領から戦争にいたるまでのあいだの、東京&静岡と箱館と
の通信調査を続行中ですが、これがまた・・・・深い関係性を保っていたよーで。
勝さんをはじめ、なんだかアヤシい動きをみせているのです)

もちろん上記メンバーは、
あくまでも記事の都合でこれだけの人数しか記載されていませんが
けっこうな数にのぼっていたみたいです。
つまり、ご存命だったら中島三郎助さん、土方歳三さん、伊庭八郎さん。甲賀さんなどなども
もちろんこの「でかした!あっぱれ」メンバーのなかにいたはず。

で、この慰労金ですが、出世して慰労金の必要のなくなった、
あるいはすでに死去した人々を除いて、ちょっと困っている人々には支給が続き、
ついに最後は高橋泥舟さんオンリーになったということでした(笑)。

こうした慰労金を出しつつ旧臣を労り、資金もしっかり貯えていき、
そして天皇家とも順調な信頼関係を深めて、明治の世を泳ぎきっていく
静かにしたたかな徳川家を、思わず見直してしまいました☆

ちなみに維新時の功臣大久保一翁の名がないみたいですが、
一翁さんの性格からして「お断りします!」って頑として受け取らなさそう・・・・。
かつて長崎奉行への昇進を蹴ったときのように(笑)。
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by aroe-happyq | 2012-03-20 10:47 | 幕臣系 | Comments(4)

香港映画迷のみなさん!こんにちは!(笑)
いやーーっっ、香港映画好きとしては情報収集にぬかりがありましたっ。
友人に教えてもらうまでこんな素敵な動画があるなんて知らなかったっす!!
(Mさん、教えてくれてありがとっす!!!!>私信)

今年は日中国交正常化40周年だとかで、
それに関連して外務省かなにかが「元気な日本」キャンペーン
を北京・上海・香港で展開中のよーですが、
ちょっとちょっと!!!
さすが香港!!!
ひと味違う日本観光キャンペーンをやっているよーです。
(日本の外務省はバカのひとつ覚えみたく、各地でAKBライブやりゃいいと思っているらしいけど・爆)

つか、キャンペーンボーイ(笑)に
曾志偉(エリック・ツァン)
登場ですよ!!!
(あ、ええと。香港映画ファンには超おなじみなんですけど、そうでない場合は
「無間道 インファナル・アフェア」シリーズでマフィアのボスを好演していた香港の俳優さんです☆)
香港では俳優のほか、TV番組の司会者としても有名です。




TVB(香港翡翠台)で「嘯後瀛風」という旅番組があったみたいで、
このCM「日本新瀛式(日本の新しい楽しみ方)」はそれとタイアップで
制作されたみたいです(たぶん・笑)。

ここからは香港映画迷の叫び(爆)
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by aroe-happyq | 2012-03-18 10:37 | 香港&アジア映画 | Comments(4)

幕臣とりびあ第一弾☆

意外な経歴・活動をしていた幕臣をとりあげるこの企画!
果たして第二弾はあるのか!?(笑)

で、今回は徳川海軍総裁こと矢田堀鴻。

昌平坂学問所で優秀な成績をおさめ、書物奉行、
そして長崎海軍伝習所へ入所後、軍艦頭取、海軍教授、軍艦奉行など
ひたすら海軍畑を歩んだ人。
(それが本人の望んだ人生かどうかは定かではありませんが、
学問所の先輩の岩瀬や永井に見込まれてしまったので・・・・(笑))

で、明治以後は沼津学校で教鞭をとり、その後は海軍や工部省
に出仕。どうも明治新政府の水にあわず・・・・晩年は不遇であった、
とされる人物であります。

つまりずっと官職人生であったと。

ところが、別件で明治時代の新聞、朝日や読売、
毎日(現在の毎日ではなく横浜毎日系列)
そして郵便報知などを調べていたら、意外な経歴が出てきました。

官職を退いた(時期は不明)矢田堀さん、
友人の栗本 鋤雲が主筆をつとめる「郵便報知新聞」で
編集の仕事をやっていたのでした。
(郵便報知新聞 明治20年12月21日 記事より)

明治10年代になってから、英語の辞書や『海上衝突予防規則平假名附及航法図』などの
専門書を出版しているので、そうした合間に栗本を手伝っていたのかもしれませんね。
ひょっとすると、郵便報知新聞の記事のどこかに矢田堀さんの書いたものが
紛れているのかもしれませんっっ。
すごくきっちり仕事されるタイプなので、誠実で正確な記事を書きそうです♪

ただ、死去したときの肩書きは「逓信省管船局司検官(東京職工学校兼務)」で、
郵便報知新聞を辞めて、再び官職に戻っておりました。

ちなみに亡くなったのは明治20年12月(享年59歳)ですが、
逓信省の仕事についたのはこの年の3月でした。←下記訂正をご覧下さいまし
(つまり新聞社勤めは明治20年3月までということになります)
なぜ逓信省かというと・・・・・この当時の逓信大臣が榎本武揚だったことと
深~~~く関係していると思われます。
矢田堀さんの性格からお察しすると、自分から榎本に「仕事くれ」って
いいそうにはない。なんとなくですが、「逓信省にいい人材がいないから来て!」
と誘いそうなのは榎本さんのほうっぽい(爆)。
(なにせ「人たらし」として名高い、先輩に甘え上手の榎本さんですから(爆))

でも管船局司検官というのはまさに適任なので、榎本大臣もなかなかお目が高いデス。
ただ、3月から働きはじめて、その後体調不良で療養中に急に悪化して亡くなってしまった
ので実働期間はあまり長くなさそうなのが、もったいない。

こうしてみると巷説にあるように、
官職を退いて大酒をくらい、囲碁ばかりしていたイメージ(笑)
はどうも実像とは違うようで、実際の矢田堀さんもほかの江戸侍のテクノクラート同様、
ずいぶんアクティブな人生を送られていた模様です。
ただ、明治以降はこの人の知識(海軍や航海法ほか)が
充分に世の中の役に立つような立場で仕事ができなかったのは確かなことで、
それをして「不遇」と称されるのかもしれません。
ただ、後世には榎本と比べて不遇だったとしたがる向きがあるのも確か。
フィクションをのぞいて、そういう勝手な解釈はご本人に失礼ですよねっっ

それから戊辰の年に、駿府へいった矢田堀海軍総裁、箱館へいった榎本海軍副総裁
ですが、この二人・・・・・というかおしなべて江戸旧幕直参は明治になっても仲が良いですね♪
なんだか、西国志士仲間さんたちは割と同郷同士でも袂を分かつパターンをおみかけ
しますが、徳川藩士(笑)はなんだかんだといいつつ、そうならない。
どうも当時のほかの地方よりも、現代日本人よりも、友情が深いみたいです(笑)。
普通、矢田堀と榎本なんて袂を分かちそうですけど、そうならない江戸っ子侍気質が
あっしは大好きです☆
(その分、劇的なドラマになりにくい人達なんですけどネ)

以上、「ジャーナリスト 矢田堀鴻」は明治の東京に存在していた!でした。

【追記&訂正】

別件で明治の官員録を調べていたところ、
明治20年3月、4月、5月と・・・・逓信省に矢田堀さんの名がない!
ということに気づきました。
「郵便報知新聞」や「横浜毎日新聞」の矢田堀さんの葬儀記事の経歴紹介をもとに
上記記事を書いたのですが、元の職場の書いた記事だし、間違いはないだろうと
思ってウラをとってなかったのですが、いやいや官員録先に見ておけば良かった(笑)。
明治20年1月の官員録では矢田堀さん、しっかりお勤めになっておられますので、
(いつから入省したかはまた次回!)
逆にですね、明治20年3月に辞めれたのかと思われます。
ということは体調がすぐれなかった時期が長かったのかもしれませんので、
実にお気の毒なことです。
ということで、
矢田堀さんは明治20年3月には辞めていた、と訂正させていただきます☆
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by aroe-happyq | 2012-03-14 11:47 | 長崎伝習所系 | Comments(4)

幕末ブロガーでもある漫画家のkotoさんの作品「銃華 ~幕末函館異聞~」
第1話PCで無料試し読みがよーやくできるようになったようです!


コミックカワイイサイト「銃華」→こちら

PCで読む場合はサンプル版というほうをクリック♪
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by aroe-happyq | 2012-03-12 17:50 | 広く幕末ネタ | Comments(2)

謝謝台湾!CM

昨年、日本は台湾からびっくりするほどの「温かさ」をもらって、
個人的には心の底から感激して、何度も感謝の涙を流しました。
しかし台湾とは国交がないため、政府が正式に感謝の気持ちを伝える
ことでできず、残念な想いでいっぱいで。

そんなおりにネットで「謝謝台湾計画」(募金を集めて台湾の新聞に広告を出し
て感謝を伝えるというもの)を知り、締め切りギリギリに滑り込んで参加させて
もらった記憶は今なお昨年の「嬉しかった」ことのひとつです。

このたび1年経ったということで、政府は国交のある国には
感謝を伝えているけど、またまた台湾にはナシ。
これまた胸を痛めていたのですが、
日本交流協会台湾事務所が
改めて感謝の気持ちを伝えるCMを台湾で流しているとのこと。
さっそくyoutubeでみつけちゃいました☆




いろんなバージョンがあるみたいですっっ
若干、観光PR入ってますけど(笑)、
それでもありがとう!の気持ちが伝えることができて嬉しいです。

東京では最近、再び1年前より以前のように、
台湾から来られた人々をみかけます。
たいていは、日本人も驚くマニアっくなラーメン店の前とか
中野ブロードウェイのまんだらけでとか、コアな場所でおみかけする。
「日本人よりも・・・・詳しい!」と唸ることしばしばです☆
(ディ-プに日本を愛してもらっているのがまた、ありがたいっす)

【追記】
以上のように日本からありがとう♪と御礼をいうと、
台湾からは「加油~!」って励ましのメッセージが流れてきたりして
とってもほかほかな心になる交流ができる隣人もいるかと思えば、
なんですかネットで賑わっているようですけど、
「日本人の皆さん、地震で死んで下さい」なんていういらんメッセージを
わざわざyoutubeにUPする韓国人もいたりして。
昨年には妙な横断幕をサッカーの試合で掲げた国ですけど、
なんか、いろいろなお隣さんがいるもんですなぁ。
わたしのなかでは「料理は美味しいのにすごく残念な国」のひとつですが
(その第1位はぶっちぎりで中国ですけど・笑)
台湾とのこの差は・・・・・・・・(歎息)。
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by aroe-happyq | 2012-03-12 08:00 | Comments(2)