ブログトップ

東都アロエ

近藤勇の借用書

タイトルどおり、近藤勇隊長が慶応3年12月に
大坂の商人加島屋から400両借用したという証文が
大同生命保険に保管されていたとかで、
7月14日から大坂の本社で公開されるのだそーです。

産経新聞サイト(画像もあります)→こちら

記事の一部を引用させていただくと。

借用書には、「預申金子之事(あずかりもうすきんすのこと)金四百両 
但し月四朱利息慶応三年十二月」などと記載。新選組副長の土方歳三とともに、
保証人として近藤の名が記されている。同社の母体となった豪商「加島(かじま)屋」から
400両を借り、毎月4朱の利息で翌年5月に返済するという内容で、いずれも直筆という。


慶応3年12月。
なんとも押し迫った時期です。
徳川側も反徳川側も大坂の商人に金を借りたり、出させたりしていた時期
ですよね~~~。
もちろん大坂の豪商ズも両方に金を出しておいて、
どっちがその後天下をとってもよいように「天秤に掛けていた」時期(笑)。

残念ながらこの400両は返済されなかったようですが、
ま、致し方なかったですね☆
(なにせ、今でも立派な会社として存続しているよし。素晴らしいですネ!)

しかし。
まさか、この情報を感知した資金不足の官軍さんは
小栗上野介を「隠し金の噂(←実際には事実無根)」を聞いて
強盗まがいに殺害したのと同じように
近藤勇を血眼になって探したんじゃ・・・・ないように信じたいところです(笑)。
[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-29 13:26 | 新選組! | Comments(0)

銀世界稲荷

あれはいつのことだったか・・・・2007年ごろでしょうか(笑)。
増上寺そば芝公園を歩いていると、石碑と看板と梅林がありました。
(当時撮影の↓写真)

d0080566_18175537.jpg


d0080566_18182226.jpg


さっそく江戸切り絵図集で内藤新宿をみてみると、
十二社のそばに「耕雲軒」と「梅屋敷」というのがみえる。
このあたりだろうか・・・・?と思いつつ、
さらに『新宿文化絵図』という本をめくっていくと157Pに、

新宿ワシントンホテルのあたりは江戸時代、上野国館林藩秋元家の
下屋敷だったところで、明治時代には「寒香園」という梅園がありました。
その西、新宿パークタワーの建つあたりには、
将軍御目留の梅、御腰掛の松などの木々を擁する
広い梅園で「銀世界」と呼ばれる梅屋敷でした。


とあって「銀世界」が切り絵図にある梅屋敷らしいことがわかった。

しかし!
将軍御目留の梅、御腰掛の松などの木々を擁する
「御」の字だらけで、すんごい梅園だな~~と。
琉球王子がやってくるぐらいなんだから、当然か。

でも、ふう~~~んということで、それきり(笑)。
西新宿を歩いてもあまりに変わりすぎていて、痕跡もないだろうし、
(地図でみたところ、東京ガス敷地になにも表記はなし!)ぐったりするだけだし(笑)。
とくに深く掘り下げないまま、月日は経ちました。

ところが先日、新宿区立歴史博物館で地図をみて「稲荷」があるらしいと知り、
俄然燃え立ちまして!
いったら、あっさりと痕跡がありました(爆笑)

d0080566_18332936.jpg


d0080566_1834129.jpg


銀世界稲荷大明神、と。

d0080566_18343299.jpg


場所は↓こんな感じ。パークハイアット東京ホテルの南西の角付近にぽつんとありました。
d0080566_18351557.jpg



このホテル・・・・。昔、ハリウッド映画はもちろん、
香港映画のプロモーションでよく使われていましたっけねー。
(今ではすっかり六本木ヒルズそばのホテルが御用達に・・・・・)
2度ほど、お仕事の打ち合わせ(地下の喫茶店でね・笑)に来たことあったので、
実はこっそり周辺をうろついて「石碑はないかー」と探してみたこともあった。
だがワシントンホテル側ばかりみていて、この南西方向はノーマークだったな(笑)。

というわけで、梅屋敷「銀世界」の位置がなんとなくわかりました。

もともと梅屋敷にあった梅は今では芝公園の名物になりましたが、
この西新宿の銀世界稲荷にもちょっとばかり梅が植えられていました☆

でも、どうせ偲ぶならこんな殺風景な都会のビルのど真ん中でなく、
やはり芝公園の梅を楽しみたいものです。


【追記】

世界最大の旅行口コミサイト「TripAdvisor(R)」の日本版サイトで
「外国人旅行者に人気の宿泊施設2012 トップ20」が発表されたそーですが、
1位  パークハイアット 東京(東京都新宿区)
だったとか。
銀世界エリアは、、21世紀も多くの外国からのお客さまを魅了しているらしいです♪
[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-28 19:01 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)

四ッ谷にある新宿区立 新宿歴史博物館で開催中の
「用の美ー提重と携行品」 展に行ってまいりました。

江戸後期~明治大正にかけて作られたお弁当箱や、
旅に出るときに身につけた携行品など同館所蔵品の展示で、
なんと無料です(つまり小さい展示スペースではある)。

とにかく、江戸期のお弁当箱がみたくて(笑)、馳せ参じたわけです☆

d0080566_938516.jpg

↑新宿歴史博物館 アクセスその他は→こちら

日本はなにせお弁当文化がさかんです。
展示には腰弁当をはじめ、
ひょうたんや楼閣のかたちの弁当や、蒔絵がこれでもかとほどこされた重箱弁当
など機能性のほかに当時の遊び心が偲ばれる、面白い弁当箱がたくさんありました。

お花見は町人はもちろん武家(大名・旗本問わず)にとっても
大好きな季節行事。それ以外にも、郊外へピクニックへ行くのが大好きだった昔の人々です。
そこで大切になってくるのが、お弁当箱にいかに趣向をこらすか(笑)。
提(さげ)重こと野弁当も形がいろいろ♪

なかでも驚いた重箱弁当は、明けてみるとざるそばを
(ざるがちゃんと敷かれている)
入れられたり。おつゆも水筒のような容器がある。
つまりそば弁当となるわけですが、そんなしてまでそばを喰いたいのか・・・・、
(乾いてぱさぱさになりはしないのだろうか!?・笑)
とそば好きすぎる!と呆れてしまいました(爆)。

そしてもちろん、携帯用の酒器も充実。
こまかい収納品をつくらせたら、日本人はすごい!
ということをお弁当用酒器をみてあらためて感じました。

展示されていた弁当箱を眺めて、
この弁当箱をどんな人達が使ったのだろうかと想像しながら
まわったら、たった1部屋なのに随分時間をくってしまいました。
この展示は8月19日までの開催です。

せっかく久しぶりにきたので、常設展示(300円なり)もみてきました。

d0080566_1071616.jpg

↑撮影OKブースにあった、内藤新宿の模型
(向こうにみえる寺院は太宗寺。内藤家の菩提寺で当時はそれはそれは大きかったよし。
わたしとしては、十二社付近(今の西新宿)へ花見にでかけた阿部正弘&奉行一行
が昼餉をとった寺、として記憶されております(笑)
手前の川は玉川上水です)。

開館したてのころ訪れた記憶があるのですが、
当時は近代の展示が多くて、あんまり面白くなかったイメージがありましたが、
(どんだけ近代に興味がないんだ!?みたいな)
江戸時代の展示が増えたようで、今回は楽しめました(笑)。

そこで十二社界隈で有名だった花園(今の向島百花園みたいな感じです)
の位置を記した地図があって、かつて芝公園でみかけた「銀世界」の場所を
特定できて、思わず感激♪しました。
(後日、現場にいってきましたです)

見終わってふと気づいたんだけど。
新宿区って、区内に試衛館があったわりには、
「し」の字も出てこない。
かといって、ほかにこれという一押しもない(笑)。
歴史博物館もお客さんを呼ばなきゃやっていけない時代になりつつあるのに、
わりとのんびりした博物館でありました☆
[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-27 10:24 | 江戸東京あれこれ | Comments(2)

鞆の浦について

d0080566_17395821.jpg


数年前から議論がおこっていた、鞆の浦埋め立て案は撤回されたとのことです。

記事こちら→毎日新聞サイト

2009年に訪れたことがあるのですが、
一観光客の意見としては、埋め立てされなくてよかったと思います。

たしかに鞆の浦は古い港町なので道路が細くて、
車生活に向いていない町でした。
暮している方に不便なのは、短い間しか滞在しなかったわたしにも
よーく伝わってきました。

でも。
町を便利にするのは埋め立て案だけではありませんでした。

d0080566_17381670.jpg


 ↑これは訪問時にみかけた埋め立て案に対するトンネル代替案の看板。
・・・・・・わたしはこれがいいように思うのですけど・・・・。

埋めたて案がなくなった今、
上記のようなトンネル案も考えつつ、
景観を残しながら、便利に暮らせる町作りがなされますように、
と一観光客としては切に願うのであります。

「ポニョ」だけでなく(笑)、たいへん歴史のある、素敵な鞆の浦♪

またいつか、訪れたいと思います☆

【追記】
その後、トンネル案に決まったそうです♪

[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-22 17:52 | ほんの世間話 | Comments(2)

東京古道散歩

d0080566_1481959.jpg

東京古道散歩

荻窪圭 著


アマゾン→こちら










「めざせ江戸人の健脚♪」という目標をかかげて
ひ弱な都会人からの脱却をめざし、暇をみつけちゃ都内を歩き続けてほぼ2年。
昨年あたりからは歩数計&ウォーキングシューズ着用などと
だんだん本格的に(笑)。
有り難いことにダイエットしてないのに無駄な脂肪が燃焼され、
なんだか冷え性も改善されちゃいました☆

で、こうなってくると山の手の台地から低地に降って下町を堪能する
江戸めぐりはもうすっかりおなじみになってしまって、
ふと出会う古い神社を知れば知るほど、江戸以前の東京に興味津々となりました。

神田川沿いを歩いていて、こんな細い道を源頼朝が挙兵したり敗走したり(爆笑)
していたの!?とか、
江戸で整備された道とはぜんぜん違う古道の世界がまた面白い!
古道についてはなんの標識もないのですが、
なんだか古道の匂いがある(爆)。
そんな道を「これはそうかな~?」
なんて思いながら歩くのがまたオツです。

で、そんななかで役に立っているのが、この本です。

この道は旧鎌倉街道です、なんて教えてくれないので
この本を読んで途切れ途切れの道を探します。
やけに古い神社がある・・・・・・と思うと、
古い神社同士が1本の古道で繋がっていたり、
いろいろと東京の昔を調べることができます。

古代には府中が中心で、
それ以降時代が下ると、世田谷城と渋谷城、江戸城などが築かれて、
さまざまな領主が割拠した、東京。
徳川家康が江戸入りする前の東京は今の住宅街のほうが
むしろメインで、今都心とされているあたりは道もあまりなく、
海だったり、島だったり・・・・・・。
(でも古墳群がちらほらあったりするのも面白い)

東京生まれのくせに、なんて自分は不勉強だったんでしょ、
と反省しつつ、この本を眺めては、まだ歩いたことのない古道を歩く
なんてことをやっています☆
(メインは江戸散歩ではあるんですけどネ・笑)
[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-18 14:45 | | Comments(4)

今回は for イバハチファンの皆様企画です。

中根香亭の『香亭遺文』内にある
「尺振八君の伊庭八郎を救いたる始末」にて

(八郎は)幼年より読書を長谷部旅翁(甚弥と称す。学問所教授方を
勤め後静岡に歿す)に学び・・・・・・


と出てくる長谷部甚弥(旅翁)について。
なかなかこの人の情報ってナイんでございますが。

未熟なわたくしにいつも貴重な情報を寄せてくださる方に
成瀬哲生「徽典館学頭交替名前(徽典館学頭名録)」について」
を紹介いただきましたところ、
そのなかに長谷部が登場しましたので、
伊庭ファンの皆様に謹んでご報告いたします。

こちらの論文→ および (PDFファイルです)

で、名簿によると
嘉永4年に甲府徽典館学頭に赴任したのが永井岩之丞(のちの玄蕃頭尚志)&長谷部甚弥
でありました(笑)。

というわけで、名簿にちょこっと長谷部情報が出ていたので、
ご紹介します。

高七十表七人フチ  西丸御徒抱山中又兵衛組     
長谷部甚弥
下ヤ 御徒丁  名満連  号謙菴

嘉永4年当時ですが、御徒町に住んでいたよし。
伊庭八郎少年の住まいとはそれほど離れていませんネ

それから長谷部甚弥と師弟関係ということは、
(江戸時代の学問の師弟関係はとても絆が深いのでございます)
長谷部と徽典館繋がりの乙骨耐軒とも
するする~っと繋がりがみえてきそうです☆

伊庭八郎サンはさすが学問所近くにお住まいです。
学問所内の濃ゆ~い文人ネットワークのなかに
さりげなくハマッておいでだったようです。
そして同時に中根香亭のように八郎パパに剣術を習っていたという
繋がりもあり、要するに下谷界隈の人的交流は文武双方向だったのでしょう。

ううむ、まだまだ江戸のネットワークの解明は深すぎて、道半ばでござる(笑)
[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-16 11:01 | 広く幕末ネタ | Comments(16)

たいへんご無沙汰しておりました!
ようやくブログっが更新できる環境に戻りつつあるハズ
なのですが!!
6月なんですよ~~~っっ
毎年のことですが、サッカーの6月なんですよね~~(笑)
EUROにW杯最終予選!!!
地上波視聴しかやっていないのに毎日忙しい!!(爆笑)
てか、睡眠不足でありますっっっ

というわけでぼちぼち復帰してまいるつもりでございます☆

さて!
復活第一弾はやっぱし、外国奉行関連!!!(笑)

国会図書館が2月からサービスをリニューアルして、
まだ不馴れで、若干の不便(論文複写の手間はやはり、イタイ)
があるものの、館内限定公開のデジタル化資料がどんどん充実していて、
いままで出会えなかった本と、検索ちょちょいで出会えるようになりました。
(しょせんは他人におんぶに抱っこ、誰かがデジタル化してくれて、
さらに検索にひっかかるようデータ化してくれたおかげだったりしますが・汗)

そこで、今回。
論文コピーできあがり待ちの時間に、ちょっと「デジタル化資料」
なるコーナーをいじってみたところ、岩瀬・永井いずれでもヒットする資料が!

『金沢文庫古文書 第17輯 依田家文書』

そこには見知らぬ人物宛ての書簡集が!

その名は、依田盛克
(依田学海とは関係ないです)

旗本さんで、文政2年生まれ。学問に秀でており、
昌平坂学問所で青春を過ごす。
嘉永6年、35歳で学問吟味乙科及第。安政2年学問所教授方出役、
4年には甲府徽典館学頭、6年には長崎奉行支配頭(どうも在府?)、
文久3年学問所頭取、慶応3年神奈川奉行になって、明治を迎える。
明治以後は静岡で働いていたのですが、明治7年外務省に雇われ、
「續通信全覧」の編纂を行ない、明治31年東京で死去。

とさくっと経歴を書いてますが、
これを調べるのにもたいへんな(ググっても容易にはでてこない!)、
はっきり言って、1ミリも、ぜんぜん存じ上げない、はじめましての人でした(爆)。
(最初、学海の兄弟かと思っちゃったですよ、マジでマジで)

で、この依田宛て書簡集のハイライトは、かなり幕末外交史的に貴重な!!
長崎奉行岡部駿河守長常との膨大な書簡だったりするのですが、
うちのブログは初期外国奉行メインなんで、
岩瀬忠震や永井尚志との関係を紹介いたします(笑)。

ざっと依田盛克の経歴をみていただければおわかりのとおり、
昌平坂学問所一筋!の旗本さんです。

当然、トモダチも学問所関係の人ばかり。
林晃とか、安積艮斎、浅野氏裕などなど。

で、当然ですが岩瀬や永井とお友だち。

書簡は、岩瀬からは6通、永井からは3通。

当時は・・・・というか岩瀬などはとくに、あまり差出した年月日を
書かないもんだから、内容をみつつ、推測していくしかないのですが、
たとえば嘉永5年ごろに岩瀬が出した書簡(27 岩瀬忠震書状)。

ここに打ち直す余力はないので(笑)、内容をざっくりと紹介すると、
内容は、来春の応試(嘉永6年の学問吟味ではないかと)
を受ける決断の懇願と激励の手紙です。
いい年の大人が「わたしは来年の試験受けようと思います!」って
1年前に宣言しなきゃならんほど、やはりたいへんな試験なんですよね。
・・・・・中国王朝の科挙みたいに登用試験でもなんでもないのに、
彼等はそれでもチャレンジするのですよね~~~。
(ま、翌年嘉永6年から学問吟味及第者ががんがん登用される
なんていう奇跡がはじるのですが、そんなことまだ知るよしもない彼等です)

なので岩瀬も、吟味に及第したからといってとくに何が(登用とか)あるわけでもないけど、
政府の学問奨励政策をリスペクトする意味でぜひぜひ受けてください、
とと~~~っても肩から力が抜ける、でも友人へ限りない愛情を感じる
岩瀬流のユーモアある激励をおくっています(笑)。

そして、下記のような文でしめくくっています。

二白最早涼適に相成候間、
近々之内永井氏
申合郊外御同遊仕度候


追伸(冒頭の「二白」が追伸にあたります)に書かれたものです。

季節が良くなってきたので、今度永井尚志と申し合せて、
3人で郊外に遊びに行きましょう、という内容です。

30代中盤の中年男子3名で郊外散策!

みなさん(たぶん依田さんも)小性組番士なんていう
かわいいお役職なもんで贅沢はできませんから、
こういう質素な「愉しみ」方して暮しているんですよ♪
(岩瀬も永井も吟味及第者なので、さまざま秘訣を依田に
伝授するのに料亭でも野原でも同じだしね・笑)

と、この書簡でいちばん驚いたのはこの最後の追伸
だったりしました(爆)。

このほか岩瀬の残り5通のなかには、
安政大獄後、蟄居中の岩瀬が暇な時間を活用して
ガンガン読書しており、依田と本の貸し借りをしている書簡など
面白いものがいろいろあります。

永井からの書簡には京都町奉行時代のものがあって、
「ざまざまな浪人・志士(←捕縛された連中・笑)と吟味で話す機会があって、
町奉行職って楽しい♪(内容かなり意訳)」と、
さすが人間好きの永井公らしい本音が書かれてました(爆)。
こういうちょこっとした本音も友人宛ならではですネ。

いずれ、上記書簡も紹介できればと思います。


というわけで、国会図書館の検索機能はなかなかです☆

※依田盛克については
神奈川金沢文庫発行図録『最後の神奈川奉行 依田伊勢守盛克』
をぜひぜひ参照ください。
[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-14 19:23 | 外国奉行ズ | Comments(2)

御苑の薔薇園にて

d0080566_1428339.jpg

ちと煮詰まったので、
ウォーキングに出ましたら、
その途中に通りかかった新宿御苑が
今日は入場無料と書いてあるではないですか(笑)。


で、園内のプチ薔薇園へ。

どちらかというと、
バラは見た目より香り重視派なのですが、
(ちと高いがローズのアロマオイルとか、大好きデス)

この写真のバラはちょっと素敵だったので一枚撮りました。


1945年のおフランスの品種で、
「ピース」というそうです。

うーむ、深い……。
[PR]
by aroe-happyq | 2012-06-03 14:28 | Comments(0)