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東都アロエ

最近、よく働いている(笑)、チョウ・ユンファ(周潤發)の最新作。
アジアは旧盆ですが、その連休を狙って公開が始まったところ。



今回は、三国志の英雄、曹操の最後の日々を描いた「銅雀台」。
銅雀台というのは、曹操が建てさせた豪奢な楼閣つきの御殿で、
詩人の曹操は銅雀台が大好きで大好きで、たくさんの詩を残しております(笑)。

この映画は、その大御殿を舞台した、陰謀と恋の物語(らしいです)。
埋葬者は曹操だとされる墳墓のなか、棺のそばに若い女性の遺骨があった
ことから、この女性は曹操のために殉死(したのか、させられたのかは不明)したのだと
されていて、そこからこの映画の物語が妄想・・・いえ、発想されたよし。

でも映画だと、せっかく別嬪さんの女優さんが演じているのに、
どうも曹操の命を狙うために寵愛をうけて近づこうとしている訳ありの女らしくて、
話もドロドロ系で、詩人でもある曹操の晩年を飾る甘いラブストーリーとはいかないらしい(笑)。
かつて「傾城の恋」とか、素敵なラブストーリー映画にたくさん出演していた
周潤發なので、そーゆーのもみてみたかったのだが。
(そりゃわかってますよ、この方といえばジョンウー映画、二丁拳銃!なんですけどネ)

しかも晩年の最後の日々を描いているわりに曹操が元気そうなのも、気になる(笑)。
この映画じゃ、病死じゃないのか・・・・・???

そして。
このヒロインと恋の落ちるのが、玉木宏演じる宦官。
・・・・・・予告編をみると、宦官のわりに身体がたくましすぎる玉木さんである!(爆)

玉木さんが出ているということは、日本の資本も入っているわけで、
日本公開もいつの日かあることでしょう。
(ただ今回のゴタゴタで確実にいろんなものが遅れるのは必至・・・・・)


それからこの映画がらみのユンファインタビューで知ったのですが、
これだけの大スターなのに、ユンファさん毎月のお小遣いが2000円!?
それじゃ小学生並みじゃありませんか!
銅雀台の主人を演じるにしては庶民的すぎる~~~~~っ
もう少しお小遣いをUPしてあげてください、ジャスミンさん(ユンファ夫人)っっ(笑)

・・・・・と映画の内容と関係のないところで、びっくりした「銅雀台」記事でした☆
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by aroe-happyq | 2012-09-29 10:53 | 香港&アジア映画 | Comments(4)

久々の慶喜ネタです☆

ご存じのとおり、のちに十五代将軍になる慶喜は、
水戸藩から弘化4年、当主のいない一橋家へ養子に入りました。
そのとき、わずか11歳。
とんでもないやんちゃ坊主で、たびたび家臣たちを困らせたとか。
同じ年頃の近習を相手に相撲をとれば、相手を倒すまで引かず、
家老が「お怪我あってはなりませぬ、好い程にしてお置き遊ばせ
といっても「構うな、構うな」と聞く耳をもたない(笑)。
とそこで家老が「構うなではございませぬ。言うことをお聴き遊ばさねば
岩代に申しまする
」というと、とたんに
いや、岩代に言うのはよしてくれ、もう相撲はとらぬよ
と慶喜は小さくなったという。

あの剛情公慶喜少年をこれほどまでに震え上がらせる、岩代とは
どういう人か。

岩代というのは60歳ぐらいで、元は従兄に少納言をもつ身分ある公卿の娘。
一橋家には老女として仕えていたが、あくまで「客分」扱いなので
たとえ相手が当主であっても、ビシッと直言をいえる立場だったそうで。
そういうわけで慶喜に対しても誰憚ることなく、お小言をいえる
唯一の存在だったようです。
ただ、岩代は厳しいだけではなく、普段はとても優しく慶喜の世話をし、
またたいへん教養があって、いにしえの賢人名将の話を慶喜にきかせ、
その教育にもおおいに貢献した。
(慶喜は読書が嫌いなので、岩代から得た知識は随分役にたったよし・笑)

つまり10代前半の慶喜少年にとって岩代は厳しくも優しい母親代わり
だったようです。

この老女岩代が還暦をすぎて風邪で寝込んだ。
慶喜は心配して、見舞いにいった(当時、御三卿の当主が老女の部屋を見舞う
ことは異例のことだったとか)そうな。

ここからの会話がちょっと面白いので、長いですがそのまま引用いたします。
(150年と少し前の当主と老女の会話をお楽しみください・笑)

慶喜「岩代よ、今日も熱があるのか、気分はどうだ」
岩代は老眼に涙をうかべて「上(かみ)には岩代の身を思し召して、
 たびたびこの部屋へ御成りになりましたのは、岩代の身にとり、
 これほど嬉しいことはございませぬ。今日は少々よろしゅうございます」
と床の上に起き上がろうとしますのを、
慶喜「起きるにはおよばぬ。食べ物は喉へ通るかの」
岩代「はい、熱がござりますので、捗々しゅういただけませぬ」
慶喜「食事をいたさぬでは、身体が弱るばかりだ。
  何か好きな物があったら申しつけるがよい」
岩代「ありがとうございます。別にいただきたいものもございませぬ」
慶喜「何か好きな物を少しでも食すれば、また自然と食気のつくものだ
 と聞いている。そうそう、岩代は鮨が好きであったの」
岩代「はい、お鮨は大好物でございます、上にはご存じでいらせますまいが、
 岩代は若いうちから、食べ物がやかましゅうござりまして、もったいないことながら
 お料理番の作られました結構のお料理でも、この岩代は頂かぬことが度々ございます。
 ただ、どういうわけか、生来お酢の物が好きで、そのためか腰の骨に病がござりまして
 度々烈しく痛みます。それでも寝るほどではござりませぬが、これが病とでも申しましょうか
 お酢の物だけはどうあっても止められず、時々おはした女中が下町へ参りますたびに
 お鮨を求めてもらいます」
慶喜「左様か。それでは予が鮨を申しつけてつかわそう。少しぐらいは食してもよかろう」
岩代「わがままではござりますが、いただくなれば、蓮見鮨に限ります」
慶喜「うむ、なかなかむずかしいの」


解説しよう。
岩代が名指しでオーダーしたこの蓮見鮨。
実は江戸の隠れた名店でありました。
天保の初年に上野池之端に開業した店で、
それまでの鮨は飯を酢で炊いたものだったのを、
孝次郎という職人が工夫して、飯を炊いたところに酢を
うまくまぜる方法を完成させた(現在の鮨はこちらの製法ですね)とか。
この店は東叡山の近くにあったことから松茸や柿などを使った
精進鮨が名物で、当時はこの鮨を知らないものは通人ではない、
というほどの人気でした。もちろん諸大名家からも注文すれば
手に入りましたが、納得いく素材がないと売らない店で、
それで慶喜も「むずかしい」といったのでした(笑)。
(このときではないようですが、一橋家は赤貝の鮨を注文した際、
「赤貝が品不足で手にはいらないので」と注文を断わられると、
赤貝を吟味して買い求め、店に持ち込んで鮨にしてもらったという伝説
があるらしい・・・・・(笑))。
それにしても岩代サン、けっこう味にうるさいグルメさんだったらしい(笑)。
(お酢好きのせいで、腰痛が悪化している・・・・・というのは気のせいだとは
思うのですがっっ)

さて、話は戻って。
さっそく慶喜は家臣に命じて蓮見鮨を取り寄せて、
岩代に食べさせた。
岩代は悦んで、少しだけ食べたが、病には勝てず
それから程なくして世を去った、とか。

慶喜は実の親を亡くしたかのように悲しんで、
数日間はただ鬱々として、食事も喉に通らなかったとか。
この当主の姿をみて、その優しい心に涙を流さない家臣は
いなかった、そうです。

以上、慶喜少年と老女岩代のちょっとかわいいお話でした☆

※猪飼正為翁談 「一橋家に於ける慶喜公」(『同方会誌55号)より
(引用部分は一部よみやすくひらがななどにかえました)

・・・・ちょっと別用で、よりぬき同方会誌コピーファイルを
漁ってたら、出てきたので紹介してみました(笑)
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by aroe-happyq | 2012-09-27 17:29 | 江戸城の大旦那 | Comments(2)

ようやく上映作品の紹介もはじまって、
映画祭の秋~~って感じになってきたのはいいのですが。

今年からこの映画祭、全面的に電子チケット導入で、
携帯&スマホのみ!で、
しかもチケットボードというシステムで独占販売ですって!!!

第25回東京国際映画祭公式サイト→こちら

座席指定までできるのは、便利だけど。

ううーむ。全体的にめんどくさいぞーっ

いままでどーしても見たい映画は
ぴあで会員優先に申し込んでおけばみられたけど、
(とはいえ昨年末にぴあ会員辞めちゃったんだった。テヘペロ(笑))
今回は優先とかないし、10月6日一斉発売は大混乱になること必定!だし。

今年・・・・香港のパン・ホーチョンの「恋の紫煙2」が上映されるけど・・・・。
DVD出るの待つかぁぁぁぁぁ(笑)

徹夜とか朝一とかでならんでチケゲットした昔の情熱はどこへ・・・って
感じですけど、でも昔は香港のイチオシ!の俳優さんや女優さんが
舞台挨拶にきて楽しかったんだけど、日本のマーケット当てにされてないから
このごろ来日されませんものねーっ(笑)
(今年はさらに、少なくなろう・・・・・)

とりあえず、登録だけはしてみました。
あとは気がむいたら・・・・6日にアクセスしてみましょうって、感じです☆

それから、「一九〇五」記事、追記しました。
(公式サイトを二つのせておきまーす)
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by aroe-happyq | 2012-09-22 11:21 | 香港&アジア映画 | Comments(0)

かれんさんの新選組まんがの最新作、
『新選組美男五人衆~恋と刀と、ときどき泣き虫』が
本日9月20日より
小学館携帯サイト「モバフラ」で配信がはじまるそーです!!

モバフラQRコードをゲットするには→こちらのサイトの中央付近にQRコードアリマス

今回からスマホにも対応しているらしいですヨ☆

・・・やっぱりスマホのほうが読みやすいよねーっ(涙)
携帯から乗り換えようかしらっっ
もうデータ容量がいっぱいいっぱいだしー。
さぁ~~今回は何ファイル、ダウンロードできるだらうかっ(汗)

とにかく読むのが楽しみ~~~~!!!

※携帯コミックは会員登録と200円の購読料、
そしてダウンロードにパケット代がかかりますので、
そのあたりをご確認のうえ楽しみましょう☆
(さらに携帯のデータ容量なども考慮しましょう~~っ)


毎回くどいようですが、早く紙のコミック単行本でシリーズ最初から
じっくり読み返したいでーす♪

【追記】※ネタバレなし!
只今、読んでまーす♪
シリーズ主人公の山野八十八サンはますます安定感のある、
やさしいー好漢~~~~っですが、こんな良い奴っがなんで嫁に逃げられたのか。
やっぱり女ってぇのはわからねぇ生き物なんでしょうか(爆笑)。
(どうでもいい情報だが、うちの隣町にある居酒屋八十八の前を通ると思い出す・爆)

今回は馬詰柳太郎にスポットライトがあたっています。
この柳ちゃんが・・・・・かわいくてのうー(笑)。
・・・・それが言いたくて、追記書いちゃったっす。
(いや!もちろんそれだけではない!かれんさんの描く斉藤一が素敵だし、
土方歳三は『梅いちりん』のときよりさらに美しいし、島田魁のゴツさに「おおー!」
と・・・・ますます箱館編がみたくなったりと、いろいろあるんだけど)
今回は柳太郎だな!(笑)

できればもっと大きな画面で、いや紙面で柳ちゃんを早くみたいのだーー!!
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by aroe-happyq | 2012-09-20 09:35 | 新選組! | Comments(0)

榎本武揚と松廼家露八

ちょうど榎本子の話題が出たので、もうひとつ。

榎本子については今さら説明の必要はないので(笑)、
松廼家露八(まつのや ろはち)のほうを。

松廼家露八は新吉原をメインに活躍した幇間(たいこもち)で
森まゆみ著『彰義隊遺聞』でも書かれているとおり、彰義隊の生き残りです。
しかしこの露八、彰義隊として有名なのはもちろんですが、
実は慶応4年8月、箱館に向かった榎本艦隊に乗り込んでいたのに、
チーム箱館メンバーになり損なっちゃった、悲しい経歴もあるのです☆

天保4年、小石川小日向の一橋家近習番取頭土肥半蔵の長男庄次郎として
生を受けた。祖父新十郎が大坪流槍術の指南番であったので、庄次郎も厳しい稽古
の末、免許をとり、ほかの者へ指南するようになった。が、これがいけなかった。
指南料で金が入るようになると、新吉原に通うようになり、遊芸にはまり、
ついにこっそ寄席で講釈師などをやるようになった。
(顔が丸くて、でっぷりしていて、体型的にも武士より似合っていたらしい)
もちろん父の半蔵にバレて「家名を汚す不埒者!」とすぐに廃嫡。
その後、いろいろあってすっかり幇間となっていたのに、
やはり主家の一大事を見過ごせなかったのか、
弟(こっちが土肥家当主)とともに、彰義隊に加わる。
上野戦争後、庄次郎は飯能まで逃亡したのち、
榎本釜次郎と共に箱館をめざして軍艦咸臨に乗船。
ところが台風で流され駿河湾に漂着。まだあきらめきれず箱館にいこうとしたけど、断念。
清水次郎長の世話で静岡にいってはみたものの、
吉原が恋しくて東京に舞い戻る。
ところが明治5年遊女解放令で新吉原の景気はドン底。
再び露八は静岡へ。当時、静岡の花街は賑やかで景気もよかったので、数年居着く。
のちに東京に戻り、明治15年ごろより松廼家露八と名乗り、吉原の名物の名物幇間となりました。
以上、ざっくりとご紹介。

で、元彰義隊士の幇間ということで、彰義隊の生き残りの会や、
碧血会などにも呼ばれてるうちに、榎本武揚と再会。
同じく江戸ッ子同士、そして脱走連同志。
一説には慶応4年以前から二人は知り合いだった(ってやっぱり新吉原で?(笑))
という話もあるがさだかではない(笑)。
とにかく、出会いの時期はさておき、榎本は露八を贔屓にした。
顔が狸ににている露八は狸コレクターだったので、
榎本は秘蔵の狸の面を与えるなどしたそうな。

あるときの碧血会の席上(なので素面ではない可能性99%)、榎本は露八に、
貴様も江戸つ子のいい面汚しだぞ。どこまで道楽者の太鼓を叩いているよりも
土手あたりへ庵室でも結んで引き込み、道哲を気取ってみないか。鐘叩き料
ぐらいは生涯おれが出してやるぞ

※道哲というのは、日本堤そばの西方寺の僧。出家前、三浦屋高雄と深い仲
だったが高雄が亡くなったので、西方寺に道哲庵を結んで彼女の墓を守ったという。
ちなみに露八も女房と死別していた。
ですが閣下、土肥庄次郎からすぐにカンカン坊主になれば知らぬこと、
坊主頭の松廼家露八が法衣を着て鐘を叩いたのでは浮かばれる亡者もありますまい

といって二人して笑ったという。
(出典:『随筆』3(1952年)、『生活史叢書31 幇間の生活』より)

このような戯れ言を言い合える仲だったようです。

思えば露八、いや庄次郎が咸臨に乗らず開陽でも回天にでも乗って無事に箱館に
着いていたら、より賑やかで楽しそうな冬をチーム箱館は越せたのに・・・・・・と
ついつい思ってしまいます♪
(いちお槍の名手だし、砲術もやってますので立派に戦えますが・笑)

そんなわけで、
榎本武揚に贔屓にされた、碧血会の一員・松廼家露八の紹介でした~。
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by aroe-happyq | 2012-09-18 14:38 | 箱館または釜さん | Comments(4)

※こちらは来月刊行の本の記事です。


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 敗者の歴史第2回配本
箱館戦争と
榎本武揚

樋口雄彦
 吉川弘文館
紹介サイト→こちら

アマゾン(予約受付中)→こちら





〝負〟からこそ見える歴史がある!とか
なぜ敗れたのか?などという紹介文をみていると、箱館脱走チームを愛する身には
てやんでぃ!負けて悪かったな!と居直りたくなりますが(笑)、
第一線の執筆者が最新の研究成果をもとに平易に描く
とくると、やっぱり楽しみなんですよね☆

【追記 目次内容を足します】
戊辰をふりかえる旧幕臣―プロローグ
Ⅰ 箱館戦争断章(戦争の顛末/反抗の形/降伏と処分)
Ⅱ 生き残りたちのその後(静岡藩への帰属/再始動/消えた敗残者)
Ⅲ 雪冤への道(明治新政府への参入/民間で築かれた足場/徳川家の名誉回復)
Ⅳ 戦友の再結集(碧血会とその周辺/後進の育成/慰霊のいしぶみ/
敗者がつむぐ歴史/国家との一体化)
新たな語り部たち―エピローグ


この内容をみますと、かなり後日譚のほうに重きを置いているかんじ?

ちなみに樋口雄彦氏は国立歴史民俗博物館で研究をされている方で、
「脱走旧幕府軍兵士の戊辰戦記--塩谷敏郎「戊辰ノ変夢之桟奥羽日記」の翻刻」
『国立歴史民俗博物館研究報告』150(2009年)や
「西周の門人録」『栃木史学』21(2007年)、
「箱館戦争降伏人と静岡藩」『国立歴史民俗博物館研究報告109(2004年)など
の論文を書かれた、旧幕臣をつねに注目されてこられた方です。
(上記論文はどれもたいへん興味深く拝見しました☆)
なので、西国の××とか△△とか研究していて、仕事が来たんで
徳川関連を急にやっつけてみましたというテキトー研究者と違い、
内容もしっかりとしたものであると期待できます♪

なので、予約段階で紹介してみました(笑)
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by aroe-happyq | 2012-09-16 18:20 | 箱館または釜さん | Comments(2)

本日2本目!
いきなりびっくりニュースをみつけてしまいました。

黒沢清監督作品『一九〇五』の主演に梁朝偉(トニー・レオン)が!
同じく主演は松田翔太、前田敦子とな!

MovieWalkerニュース→こちら

1905年の横浜を舞台に、
ふたりの男と一人の女が国境を越えて織りなすアクションムービー
、とのこと。

クランクインは11月、2013年1月にクランクアップ予定の『一九〇五』は、
日本と台湾で撮影を行い、台湾にオープンセットを組む計画だという。
公開は2013年秋を目指す。
 だそうです。

1905年の横浜を舞台にした映画か・・・・・。
トニーさん、スーツが似合うんだけどなー。
この時代だと・・・・弁髪に清朝時代のアレ?(汗)
でもスーツがいいんだけどな~~~っっ

いやーまさかのトニーさん、日本映画のお仕事だ~~~~っ!
松田翔太との共演はちょっと楽しみ♪
女優さんのほうは・・・・うーん。どうなんだろー(笑)。
でも香港映画なんかでも新人女優の相手を随分やってきたから
そのあたりもモウマンタイ!でしょう(爆)。

来年は王家衛の「一代宗師」の日本公開も(たぶん)あるし、楽しみがたくさんありそうです☆


【追記2】9月22日

公式サイトふたつ、紹介しまーす

映画製作(プレノンアッシュ)サイト→こちら

配給(松竹)サイト→こちら

プレノンアッシュですって。
懐かしい~~~~~っ
(って思っている、香港映画迷は多いはず!・笑)
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by aroe-happyq | 2012-09-10 18:30 | 香港&アジア映画 | Comments(2)

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江戸文化再考: これからの近代を創るために

中野三敏著


笠間書院

アマゾン→こちら








『和本の海へ 豊饒の江戸文化』なども書かれた、
和本といえばこの方!と勝手ながら師とも思って著書を愛読している
中野三敏先生の新刊です☆

平成22年に国文研で5回にわたって行われた講演会の模様を
活字化したもの、ということで講本とでもいいましょうか。とても読みやすいです。

江戸の暮らしの文化から思想史まで幅広い内容になっていて、
明治以降の近代的価値観(西洋人的な見方も含む)ではなく、
もっと江戸時代の人々によりそって、江戸という文明をみたい!
という方にオススメです。
ホントは・・・・・和本が読めればもっと江戸の世界に近くなるけど
なっかなか・・・・・、くずし字読めないし(笑)、という人に
優しくいろいろ教えて下さいます♪

かくいうわたしめも、幕末の江戸の世界に飛び込んだ当初は
わかりやすいというのもあって外国人の日本滞在記をかなり
読みあさりましたが、結局それだとまったく江戸人に寄り添うなんて
ことはできないわけで(笑)。
そんなこともあってもう3年ぐらい「外人本断ち」を実行しているのですが
だからって、和本の世界に飛ぶ前に、当時の人々の書いた活字世界に
ひっかかってしまい(これが膨大なんですよね)、なかなか本格的にダイブできてないし。
こういう中途半端な人に、この本はとても喝を入れてくれます!(笑)。
(中野先生の本を読むたびに「よ~し和本読むぞ-」と気合いははいるけど
結局、今溜りまくっている活字を読む作業から抜けられましぇん(汗))

ちかごろ、「維新」という言葉があちこちで踊ってますが
そういう言葉に惑わされる前に、まずはこの本でも読んで、
江戸モデル封建制とか「雅(が)」と「俗」のバランスとか、
そういう、これからの日本にいいヒントになるあたりを知ってほしいと思います☆
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by aroe-happyq | 2012-09-10 10:17 | | Comments(0)

もうひとつ、学海日録でーす。

慶応戊辰4年、学海は2月以降、西のほうへと旅へ出ます。
そんなわけで、江戸にはいない学海は2月以降、もっぱら聞こえてくる
噂(デマ多し)を日記に書き留めています。
戊辰戦争の戦況ほか、瓦解期の混乱ぶりを伝える貴重な記録ですが、
そんななかに「およよ?」な情報が出ていました。

慶応4年閏4月3日
(略)・・・・・・又きく、
関やど城へ平山図書頭・永井玄蕃頭両人入城して
専ら勢をはると。慥(たしか)ならず。


兵ももたず、そもそも謹慎中の平山と永井が、
どういうわけか、誰が言い出したのか、
関宿城(千葉県野田)に入城して「もっぱら勢を」はっていた、という噂が
西のほうで囁かれていたらしい(笑)。
(すでに宇都宮あたりで両軍がせめぎ合っている時期に、なぜ関宿?みたいな・笑)

学海さんも「慥(たしか)ならず」と怪しんでいるとおり、
もちろんデマなわけですが、
なんでこういうデマが出来たか、そこに興味があります。
西国方面における永井玄蕃頭の評価、とでもいいましょうか、
そういうものが垣間見られるような気がしないでもない(笑)。

たしかに永井は江戸に戻ってからは「主戦派」なので、
強硬派のひとりと思われていたのかもしれません。
慶喜の側近ということで、平山も永井も無念そうだから戦いに身を投じてそう、
とか思われても、不思議ではありませんネ。

つまりはちょっと危険人物扱い・・・・?

たしかにこのデマのように関宿に出掛けてはいませんが、
謹慎中(閉門とか蟄居とかいろいろくらってた)ということで、江戸の浜町の自宅で、
すでにこの頃には榎本釜次郎から箱館行きの相談も受けているだろうし、
(ちなみに荒井郁之助と甲賀源吾が回天で箱館偵察に向かうのは閏4月27日)
ひょっとしたら、自分も箱館に行こうとひそかに決意していたかもしれませんから
危険人物であることは否定できませんものね(笑)。

結局のところ、数ヶ月あとにはなりますけど、
関宿城なんて近県ではなくて、
どーんと蝦夷は箱館に「入城」のあげく、奉行になっちゃった!
つまりは西で囁かれていた噂より、デカイことをやらかす企みに加担してた
わけなのですが(爆笑)。
・・・・・関宿デマ情報は、そんな永井の将来を予言したみたいなものですな☆
(そう考えると、この当時のデマはまったくの無駄情報ではなかった!?)

ま、平山さんの場合は、本当にデマでしたけどね~~~~~っっ


というわけで、噂情報も楽しい学海日録でありました♪
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by aroe-happyq | 2012-09-07 19:00 | 外国奉行ズ | Comments(0)

久々の外国奉行ネタでございます!

この夏、遠い図書館へ通い依田学海の日記『学海日録』を閲覧しました。
そこでみつけた、岩瀬忠震・堀利煕・永井尚志についての情報です☆

安政3年2月25日 (学海日録 巻1)

この日の夜、依田学海は「駒監察」←駒井左京朝温(当時西ノ丸目付)か?
に伴講して「資治通鑑」と「漢紀」を読んだ。
そのあと時事の話になって、
依田は「駒監察」に朝に名士と称するは誰ぞやと質問した。

監曰く、予の知るところは三人なり。
監察岩瀬修理・永井岩之丞・箱館鎮台堀織部正、
三人は皆幼より情好甚だ察(あき)らかなり。
岩は横笛を善くし、永は篳篥(ひちりき)を善くし、堀は琵琶を善くす。
花の朝、月の夕(ゆうべ)には必ず相会し、合奏して歓をなす。


名士の評がはじまるかと思いきや、
なぜか三人の合奏ネタにとんだ(いや、これはありがたい情報であった!)。
たしか、堀利煕は蝦夷では横笛をふいたという話であったが、
どうやらこの三人のバンドでは琵琶担当らしい。
(笛と琵琶ができるとは、なんて器用な!!)

それよりも驚いたのは永井! まさかの篳篥!!!
・・・・勝手な妄想で、永井義父が大坂町奉行だったこともあり、
尚歯会(←渡辺崋山の蘭学グループとは関係のない、ただの敬老会みたいなの)
なんかで雅楽のおさらい会やってたので、
息子さんもやってるかなーと妄想していたら、実際にそうだったなんて(笑)。
さすが大名公子!風流な!
(ということは、京都町奉行になって、壬生暮らしの合間に吹いてそう!?)

それにしても、この三人・・・・・。もちろん目付になる前の暇な時代の話
でしょうけれど、花が咲いたら合奏、お月見でも合奏だなんて、
なんてもう!!仲が良いのだろうか~~としみじみ♪

さて、いよいよ人物評がはじまります。

岩は豪爽にして智略有り。
学を好み文詩を能くし、武技に精(くわ)し。
書画歌俳に至るまで、兼綜せざるなし。
去年の夏、命ぜられて七島
(伊豆)巡察す。
舟、風濤に遭い、ほとんど覆り、舟中皆色を喪う。
岩独り自若たり。
柁楼(だろう)に上りて笛を弄し、間(ひま)に筆をひきて山水を描く。
八丈洲(しま)に赴かんと欲すること二たび、風逆ひて達すること能わず、
ついに行くことを果たさず。


岩瀬って「武芸に精し」んでしょうか♪
今までの情報ですと、剣術関係はちょぼちょぼ・・・・・という
話だったのですが、駒監察の言葉がもしも本当なら、
文武両道に秀でて、書画もうまくて、しかも眉目秀麗なんて
非の打ち所がなさすぎじゃありませんか♪♪
もーどうしてくれるんだぁぁぁぁ(笑)

しかも!!!船酔いしないんですね!!(笑)
(嗚呼、ますますアメリカに条約調印に行ってほしかったっ)
荒波どどーんというなか、柁楼(和船でいうところの船体後部のやぐら部分)
で横笛ふいてるなんて、
嗚呼、格好よすぎて、クラクラしてしまいますっっ
(ちなみに堀も永井も船には強いほうみたいです♪)

堀もまた勇壮なり。
身長六尺、善く大剣を用う。
箱館鎮台となり、剣長くして輿容(よい)るるを得ず。
乃ち穴をその側らに穿(うが)ち、ようやくこれを容る。
その武想うべし。


堀さんはなんだかまるで「水滸伝」とかそういうところに出てきそうな
豪傑モードなんですけど!?
大丈夫なのか、駒監察情報は!????
これが本当なら、こちらもまたカッコイイですぞーー!!

永は沈重寡黙にして、いまだかつて疾言遽色(きょしょく)せず。
臣僕を通じ、すこぶる恩意有り。人畏るれども之を愛す。


最後は永井尚志。短いですが、想像通りの人物です(笑)。
べらべらしゃべる人ではなく、発するひと言が的確で、迷いがない。
そして「人畏るれども之を愛す」は駒監察、のおっしゃるとおり!
という感じです☆

しかし!
こんなに個性が違う三人が、互いを認め合って仲が良いと
いうのは本当に素敵な話です。

・・・・この三人が自由に仕事に励むことができた安政4年ぐらいまで
が柳営の最後の華であったと、あらためて確認した思いです。
(井伊直弼だよなーっっ、みんな台無しにしてくれたよなーっっ
どーやったらシメあげられんだろうなー、この赤牛大老をさーっっ)
永井だけでなく、岩瀬や堀がそのまま柳営で働くことができたら、
きっとまったく違う文久~慶応年間だったことでしょうね~~~っっ

いやいや、まさかの依田による新たな情報でありました☆
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by aroe-happyq | 2012-09-05 17:56 | 外国奉行ズ | Comments(6)